海、初めてのクッキング
虎徹と玉枝が外で一騒ぎしている間、家の中ではなんともほのぼのとしたひとときが過ぎていた。
「海ちゃん、今度はこれをフォークで潰してくれる?」
「はーい!」
足台を持ってきて、ゆきと並んで台所に立つ海は、初めての料理を楽しんでいた。
ゆきが九鬼家にやってきてから、毎日のように台所に立つゆきの姿を見て、海も料理へ興味が湧いたのだろう。海が一緒に作りたいと言い出した時、ゆきは自分の姿を憧れてくれたのかなと嬉しさ半分、照れ臭さ半分のなんとも幸せな気持ちにさせられた。
せっかく、料理に興味を持ってくれたのだから、達成感も味わって欲しいし、成功して満足して欲しい。メニューに悩んだゆきは、ふと、自分が初めて作った料理を思い出した。包丁を使わずに、つぶしたり混ぜたりと手順の豊富な、祖母お手製の五目ちらし寿司は、見た目も華やかで味も美味しいと、ゆきの大好物の一つであった。
ちらし寿司なら好きな具材も入れられるし、何より色とりどりで目にも楽しい。メニューを決まれば、あとは全力でサポートするのみ。付喪神たちは自分たちの出番がなくなり不服そうだが、致し方ない。前日に下準備を済ませて、海の初めての料理に対して万全の体制である。
「よいしょっ」
かわいい掛け声とともに、ゆで卵がホークで細かく潰されて行く。ゆで卵が滑って苦戦していた海だが、コツを掴んだらしくボウルの中は黄色一色になっていた。
「海ちゃん、上手だね」
ゆきに褒められ、えへへと嬉しそうに笑う海に、ゆきも嬉しくなる。楽しそうに手を動かす海の姿にホッとしながら、海の様子を見守る。
「卵は完成!次はカニカマを割いてくれる?」
「海、かにかますきー!」
喜ぶ海の前にカニカマを持ってきてやると、大きな目をこれでもかというほど見開いて、身を乗り出しじぃぃぃと凝視する。顔がもう、今すぐ食べたいと物語っている。
正直な海の態度に、くすりと笑いつつ「味見ね」といい、小さなかけらを口の中に放り込んでやる。思いがけず、大好物にありつけた海はほっぺたに手を当てて「ん〜〜〜」と歓声を上げる。あっという間に飲み込んだ海は、まだ食べたいと顔が物語っているが、「ちらし寿司にたくさんのせようね」と何とか宥め、料理を再開する。
ゆっくりながらも、丁寧に作業してくれた海のおかげで、スムーズに調理が進む。海を見守る片手間でお吸い物を作ることに成功したゆきは、ご飯をボウルに移しながら、ハッと手を止める。
玉枝さんも食べてくれるなら、あれも入れちゃえ!
冷蔵庫から作り置きしておいたおあげを取り出す。うどんにも、ごはんに乗せても美味しい、甘く煮付けた油揚げは、九鬼家、特に胡月の大好物であった。
寿司米をおあげで包んだものを稲荷寿司と呼び、お揚げの乗ったうどんをきつねうどんと呼ぶことから、狐の言えば油揚げのイメージがあり、なんとなく食卓に出してみたのだ。
「きつねの好物は豆腐の油揚げではない。そもそも、稲荷神の使いである白狐と九尾は全くもって別者だ。これだから人間は……」などと文句を言いながらも、1人でペロリと平らげたからには、好物で間違い無いだろう。
そんな胡月の母親である玉枝も、同じ九尾であるし、もしかしたら親子で味覚が似ているかもしれない。せっかく食べてもらえるのなら、好物のものを出したいというのが、料理人心だろう。
どうやって刻もうかと考えたゆきは、手でこまかく千切ることにした。というのも、包丁を使えば海がやりたいと言いかねない思ったからだ。
ゆきも幼い頃は大人のしていることをマネしたくて、ダメと言われれば言われるほど駄々を捏ねて周りの大人たちを困らせてきた。それほど、大人がやっていることは、幼心に輝いて映るのだ。
案の定、油揚げに興味を示した海は、「海もやる!」と油揚げちぎりに参戦してきた。海に油揚げを任せると、冷蔵庫から鮭フレークと、昨日準備しておいた酢蓮根とにんじん、甘く辛く炊いた椎茸、ゆでて切った絹さやを取り出す。あとは混ぜて盛り付けするだけだ。
油揚げちぎりを終えた海はベトベトの手をペロリと舐めて満足そうに微笑む。甘い味付けは海もお気に入りなようで、気に入ってもらえてよかったと、ゆきは安堵の息をついた。
手を洗ったことで海坊主姿になった海はぽよんぽよんと、その黒い体を揺らす。海の変化にすっかり慣れたゆきは、タオルで手のあたりを拭き元の姿に戻してやると、元の姿に戻った海は「あーあ」と残念そうな声を漏らす。
「黒い方がいっぱい食べれるのにー」
食い意地の強い文句を漏らす海に、ゆきは苦笑いする。食事のたびに何度か似たようなやり取りをしていたゆきは、ちょっと濡れたぐらいなら、タオルドライで人間の姿に戻れると実証済みだったのだ。
人間の子どもと比べて十分に大食漢な海だが、変化するとその胃袋の許容量は3倍ぐらいに跳ね上がってしまう。海には申し訳ないが、ただでさえ作っても作っても追いつかない、九鬼家の食卓のために、食事の時はできるだけ人間の姿でいるようにしてもらっている。
海の機嫌をなおすためか、はたまた自身が待ちきれなかっただけなのか、米を入れておいたボウルを付喪神達が海の前に運んでくる。海は目の前のお米に気を取られて、「ゆきちゃん!ごはんごはん!」とすっかりご機嫌である。
完璧なサポートをとげている付喪神はしたり顔で、ゆきに向かってアイコンタクトをとってきた。そんな付喪神達に、ゆきは両手を合わせて感謝の意を伝える。なんて優秀なサポーター達なのだろう。
そんな優秀な付喪神たちのおかげで、ちらし寿司づくりは佳境へはいる。お酢と砂糖、塩を加えて酢飯を作り、そこへれんこん、にんじん、しいたけ、鮭フレーク、おあげ、カニカマを加えた。そして、付喪神とゆきで大きなボウルを抑えてやると、海は大きなしゃもじを両手で持って「よいしょっよいしょー」と混ぜ合わせる。みんなとの初めての共同作業だ。
よく混ざったのを確認して、米を一口台とって、自身と、海の口へ放りこんでやる。酢飯の加減はバッチリだ。「海ちゃん、どう?」と尋ねると、海も満足そうに唇をペロリと舐めて満面笑みだ。
最後に潰したゆで卵と、絹さやを飾りつけると、ゆきと海特製の五目ちらしの完成だ。ゆで卵の黄色と絹さやの緑が、花のようにちらし寿司を彩り目にも鮮やかだ。
「きれーね!」
海は嬉しそうに足台から飛び降り、付喪神が運んでいくちらし寿司の後を追いかける。
大成功かな?とゆきがホッとしながら、お吸い物を注いでいると、タイミングよく一仕事終えた玉枝と虎徹が部屋に戻ってきた。
「わあ、ええ香りやね!美味しそうやわ」
にっこり微笑む玉枝の姿に、海が「うみがつくったんだよー!」と嬉しそうに自慢する。
「海ちゃんが作ったん?すごいなぁ!」
オーバーリアクションで褒めてくれる玉枝に、海はすっかり得意げである。微笑ましい様子にクスリとしていると、虎徹が真っ青な顔でゆきの隣に立つ。
「うわっ!どうしたの?」
あまりの顔色の悪さに驚くゆきの言葉が全く耳に入っていないのか、ゆきの言葉をスルーしてそのままコンロの前を陣取った。大きく深呼吸するように、虎徹はお吸い物の匂いを嗅いで「出汁が染みる……早く食べよ……」と満身創痍な様子である。
一体何があったんだ……?
いつも飄々としていて、唯我独尊な父親と堅物な兄を手綱を容易く握っている虎徹が、こんなにヘトヘトな姿は見たことがない。驚くと同時に、玉枝が九鬼家の中でトップに君臨する図が思い浮かび、いやまさか……と信じがたい気分である。
恐る恐る、横の部屋で海の相手をしている玉枝を振り返る。ゆきの視線に気づいた玉枝は、虎徹を流し見て、含み笑いを向けてきた。
絶対、何があったんだ……!
玉枝最強説が脳裏に浮上するも、それ以上何も聞くことができず、ゆきは満身創痍の虎徹を残して、黙々と夕食の準備を再開した。