悪魔の置き土産
いつもは朝に来て昼過ぎには帰る玉枝が、今日は昼過ぎにやってきたため、術のかけ直しやら海の遊び相手をしているうちにすっかり夕方になってしまった。そろそろ帰ろうか、と荷物をまとめる玉枝に、虎徹がよかったら夕食を食べていかないか、と誘う。
巨大な術をかけられるくらい、強い妖力をもつ玉枝に、人の食事が必要ないのは、虎徹も重々承知のはずだ。戸惑う玉枝に、虎徹は「作るのはゆきさんですけど」と悪びれもなく、ゆきに会話のバトンを預ける。人任せ甚だしいが、ゆきとしても毎日のようにやって来ては自分達のために術を使ってくれている玉枝に恩返しがしたい。戸惑う玉枝に、ゆきは快くにっこり微笑んだ。
「お口に合うかわかりませんが、よかったら食べていってください。今日は海ちゃんと一緒に作る予定だったので、海ちゃんも喜ぶと思います」
ゆきの言葉に、海が目を輝かせて「たまちゃんも一緒にごはんー?」と嬉しそうに玉枝の足元に絡みつく。海の後押しもあって、「それじゃあ、お言葉に甘えようかしら」と玉枝はまとめていた荷物を床に戻す。その様子を見守っていた虎徹はほっと一息つくと、台所へ続く戸を開けて海を手招きする。
「じゃあ、料理ができるまで、玉枝さんのお相手は僕がしてるから、海はゆきさんのお手伝い頼んだよ」
虎徹によろしくねと頼まれ、海は「はい!」と元気よく返事をする。大好きな兄に頼まれた、ということが幼心にとても嬉しかったらしく、張り切っているようだ。
「ゆきちゃん!はやくはやく!」
待ちきれないと言わんばかりに、ゆきの上着の裾を引っ張って、ゆきを台所へと連れて行こうとする。海のはやる気持ちはもう誰にも止められない。
そんな海の相手をしながら、ゆきはちらりと虎徹へと視線を向ける。顔の前に片手を持ってきて、口パクでごめん、と伝えてくる。その仕草に、虎徹が玉枝に夕食を勧めたことには意味があったのだと察し、小さく頷いて海を台所へ連れて行く。
完全にしまった戸に、虎徹は玉枝と2人きという望んだ環境を作り出すことができた。玉枝に懐いている海をうまく引き離すには、この方法が1番手っ取り早く怪しまれない。
「玉枝さん、急にすみませんでした」
玉枝に向き合い、律儀に頭を下げる虎徹に「ええんよ、何かあったんやろ」と玉枝は目元を和らげる。玉枝にもお見通しだったようだ。
なんでも見抜く察しの良さに、虎徹は酒呑の気まづそうな顔を思い出す。離縁した後も、父さんはこの女性に尻に敷かれっぱなしだったよなと、この頭の良い女性が味方であることに、心底安心した。敵に回したくない、そんな女性である。
「玉枝さんに見て欲しいものが……」
そう言い、玉枝を裏口へと誘う。ゆきたちに勘付かれないように、音を消して裏口へ周り結界のある境界近くまで歩いて行く。
「妖力を失ってるみたいだけど、結界の中に入れるのは危険かなと思って」
虎徹は辺りを十分に見渡し、周囲に脅威がないことを確認して結界の外へ出る。玉枝も同じように結界の外に出ようとしたが、その前に何かに気づき足を止める。
「えらい臭いね……」
着物の袖で鼻を多い、眉間に皺を寄せて虎徹が手にしているものを見下ろす。生理的に受け付けない、そんな表情だ。
「やっぱり妖狐の鼻はいいですね。僕じゃこれだけ妖力を失っていれば、誰のものかわからない」
そう言い、虎徹が大木に括り付けた赤い麻の紐を手繰り寄せる。その先には何かの生き物を形どられた陶器のようなものが、紐で頑丈に括り付けられていた。それはカタカタと小刻みに震え、蝙蝠のような羽でどこかへ飛んで行きたそうにしていた。物がひとりでに動こうとしているにも関わらず、玉枝は相変わらず厳しい視線でその傀儡を眺めている。
「今日の朝、結界にあたって力尽きていたところを見つけたんです。妖力が巡っている感じが、兄さんの式神とよく似ていたから、一応捕まえておいたんですけど……」
「宵が近づいてきて活性化したんやろうな。夜は例の妖怪さんにとっても、1番力の出せる時間やろうし」
「ええ……まだ夕方ですよ。嫌だなぁ」
虎徹は困ったように紐の先のものを見やる。妖力はほぼ皆無に等しいのに、朝よりも元気を取り戻しているようだ。気味の悪さに虎徹は「壊した方がいいですか?」と玉枝に問う。
玉枝は目を細めてその傀儡に意識を向ける。何かを探っているのであろう、少しの時間そうしたのち、玉枝は「それはやめといた方がええかもしれへんね」と虎徹を中へ手招きする。
「え?これ持って行っていいんですか?」
玉枝と傀儡を交互に見て、傀儡を大袈裟に指差しながら玉枝に問う。
「そんなわけあらへん。あんただけや」
玉枝は呆れたようにそう言うと、はようと虎徹を急かす。虎徹は慌てて紐から手を離し、慌てて結界の中へ戻る。
虎徹が結界に入ったのを確認すると、玉枝は人形に模った紙を数枚、懐から出すと唇に近づけ、何かを呟く。すると、さっきまでただの紙だったものが、意思を持った生き物のように玉枝の手から滑り抜け、傀儡と結んだ麻の紐にくっついていく。そして、ぽぅと白く光ったのち、その紙達は姿を消した。
何が起こったのかわからず、呆けている虎徹に、玉枝は「虎徹くんの術を強化しといたから、ちょっとやそっとじゃ抜け出せへんし、これの主人も見つけられへんやろう」と満足そうに胸を張る。
「え、これ置いとくの?」
げっ、と嫌そうな声を上げる虎徹に、玉枝は「当たり前や」と、結界の外に出て術のかかり具合を調べる。
「虎徹くんが予測した通り、これは式神と似たようなもんやろ。妖力は少なくても、もとは主人のもの。持ち主の元へ帰ろうとしてるんや。これは、一つの切り札になる」
「切り札?妖力ほぼないのに、どうやって使うんですか?」
虎徹の問いに、玉枝はにっと勝ち誇ったような顔をする。そして、外では聞かれたくないのか、結界の中に戻ってきて、もったいぶって、こほん、とひとつ咳をつく。
「カーナビや」
そう言い放ち、玉枝は眼光を光らせる。
「カーナビ?」と頭にはてなを浮かべる虎徹に、玉枝は一から説明してやる。
「式神っていうんは、便利やけどひとつ欠点があるねん。それは、誰が使ったものか、痕跡が必ず残ること。痕跡さえあれば、それを使って術者へ辿って行くことができる……それが巨大な式神であればあるほど、使う妖力も大きなるし、そこに残る情報量も大きなる。
虎徹くんが見つけたこれは、偵察のために飛ばしたんやろう、最小限の妖力しか使うてない。うちら妖狐みたいに鼻の効くもんでないと、術者もわからんほどに。でもな、生かしたまま捕まえられたら、最高の切り札になるねん」
最高の切り札、その言葉にピンときていない虎徹は、熱く説明する玉枝に、はあ…ととりあえず相槌を打つ。そんな虎徹の様子を気にするまでもなく、玉枝は「虎徹くん、ようやったわ!」と意気揚々に背中に一発、平手を入れる。
「いてっ」
あまりの衝撃に体をぐらつかせる。わけがわからず褒められ、虎徹にはちんぷんかんぷんである。戸惑う虎徹に、玉枝は「あっ」と何かを思い出したかのように、くるりと虎徹に向き直る。
「私がかけた術、自分で解こうとしんといてな?強度も維持力も高くしたかったから、妖怪も封じられるぐらいきっついのにしたから。解く時は私か胡月に頼んでな」
悪びれもなく淡々とそう話す玉枝の言葉に、虎徹の肝が冷える。結界の中に入れってそういうことか……と、今更ながら恐怖心に苛まれる。運悪くあの場に居合わせたなら、あの傀儡と永遠の生き地獄を味わう羽目になったかもしれないのだ。
この人のそばにいると、命がいくらあっても足りない、と虎徹は、彼女と離縁した父親に親近感を覚える。味方だとしても、怖すぎる。
怯える虎徹に玉枝は軽快な笑い声を響かせた。