想う
開かずの部屋に向き合う明来。
ドアの向こう側には、何が広がるのか。
彼を見据える二人の想いも、ぶつかり合う。
7
手が震える。
緊張なのか、不安なのか。
このドアの向こうに待ち受けるものが、
全く想像つかないからなのか。
鍵を持つ右手の震えを抑えるように
左手を被せて、明来は何とか
鍵穴に差し込む。
右回りか、左回りか。
どちらにせよ、
差し込むこ事が出来たなら・・・・・・
回せば開くのだ。
かちゃん。
解錠する音が響く。
ドアは、難なく開いた。
押すと、部屋の向こう側は
真っ暗だった。
夜ということもある。
照明がオンになっているわけがないので
暗くて当然なのだが、明来は
それが引き金になったのか、震え出す。
「・・・・・・明来?」
逸早く、舞乃空は彼の異変に気づいた。
その呼び掛けに、ゆりは反応して
隣に立つ彼に目を向ける。
虚をつく行動だった。
明来は部屋に素早く足を踏み入れると、
ばたん、とドアを閉める。
「おい、明来!」
一瞬の事で、
予測がつかなかったのもあった。
動揺した舞乃空はドアノブを掴み、
開けようとするが、
内側から鍵が掛けられて開かない。
ガチャガチャと音を鳴らし、呼び掛ける。
「どうしたんだよ、明来!!」
“予測不能”。
それは、“暗闇の出現”。
「舞乃空くん。下がって。」
有無を言わせない、凛とした声。
それに従う他はない。
彼女に目を向け、舞乃空は素直に
ドアから離れる。
ゆりはドアの前に立つと、
両足を肩幅まで開き、すぅ、と息を吸った。
こちら側からドアは、押して開く。
それならば。
「・・・・・・はっ!!!」
掛け声とともに、彼女の両手が
ドアへ目掛けて突き出される。
その速度と威力は、衝撃波に近い。
ガコン!!!
鍵のデッドボルトが木枠を抉り、
ストライクごと外れて
勢いよくドアが開錠する。
それを目の当たりにした舞乃空は、
驚かざるを得ない。
華奢に見える彼女の力とは、
到底思えなかった。
しかし、状況が状況なので
すぐさま、開いたドアから部屋に踏み込む。
部屋内は真っ暗で、廊下の照明が頼りである。
見渡す間もなく、風が吹き込む方向へ
舞乃空とゆりは目を向けた。
部屋内唯一の窓が開けられ、そこから
明来は飛び降りようとしている。
「明来!!」
舞乃空は迷わず、彼の元へ駆け寄った。
身を投げる寸前で背後から両腕を回し、
部屋へと引き摺り込む。
その際に、冷たくて硬い感触があった。
彼は、何かを抱えている。
明来は、抱き留める舞乃空の両腕から
逃れようとして、うぅ、と唸る。
その力は、強い。
普段の彼とは桁違いだった。
しかし、舞乃空は力を籠めて抑え込む。
「明来っ」
呼び掛ける声も、届いていない。
彼は、風が吹き込む窓へ
向かっていこうとする。
「明来っ・・・」
届かないとしても、何度も呼び掛けて
彼を抱き留める。
ゆりは、手探りでドア付近の壁を辿って
部屋の照明スイッチをオンにする。
本棚らしき家具はあるが、
一冊も置かれていない。
部屋の中央には、何も置かれていない
デスクがあるだけだった。
そこに、何が置かれていたのか。
コンセントから伸びる延長コードに
繋がれた、アダプター。
アダプターに繋がるものは、ない。
今、彼が抱える物が、それなのか。
部屋内は、もぬけの殻というべきか。
あったものが、ないというべきか。
そして不思議と、埃っぽさはない。
違和感を覚えながら、ゆりは
二人の少年を見据えた。
自分が今、入るべきではない。
彼には、彼の声しか届かない。
彼女は押し黙り、行方を見守る。
明来の、抗う力は止まらない。
舞乃空は全力で、それを止める。
平行線だ。
このままだと、自分の拘束を撥ね除けて
窓から飛び出してしまう。
「明来。」
彼の耳元で、彼の名前を紡ぐ。
届かないかもしれない。
でも、届けようとする意思がなければ。
届くものも、届かない。
「現実を塗り替えろ。」
舞乃空が発した声音は、
静かだったが、揺るぎない。
届かないのなら。
届くまで、続けるしかないではないか。
「明来。現実を塗り替えろ。」
彼が好きな曲の歌詞。
それは自分も、大いに所以があるもの。
いつかそれを、
彼に話そうと思っている事。
だから、頼むから。
戻ってきてくれ。
そう思いを籠めて、舞乃空はもう一度
口ずさもうとする。
明来は、動きを止めた。
ぴたりと動かなくなった彼を、
舞乃空は背後から見守る。
がくん、と、彼の膝が落ちて、脱力する。
体重が寄り掛かるのを感じて、舞乃空は
抱き留めながら床へと座り込んだ。
しんと静まり返る部屋内。
寄り添って座り込む二人の元へ、ゆりは
ゆっくりと歩いていく。
彼らの傍の床に両膝を付けると、
舞乃空と目線を合わせて言葉を紡いだ。
「・・・・・・
あなたがいてくれて良かった。」
ありがとう。
感謝の言葉が、小さく添えられる。
「・・・・・・俺の力じゃないっすよ。」
舞乃空は吐くように、言葉を漏らした。
「明来が、必死で抵抗しているから・・・・・・
俺の呼び掛けに応えられた。
俺は・・・・・・
呼び掛けることしかできない・・・・・・」
ぎゅっと、両腕に力を籠める。
「どうにも・・・・・・ならないんっすかね?」
その問い掛けは、
答えを求めるものではない。
「・・・・・・あなたがいる限り、
彼は、彼でいられる。」
彼女もそれを、十分に理解している。
「そんなんじゃ、ダメなんっすよ!
もっと、明来の力になれるものが
必要なんです!明来の・・・・・・
そうだ。やっぱり、葉音に・・・・・・」
「彼は、あなたを頼りにしている。」
取り乱す舞乃空に、
ゆりの凛とした声が響く。
「護られる者では、彼は救えない。
護ろうとする者が、彼の手を引くべきよ。
・・・・・・どの道、どうにもならない。」
「・・・・・・」
どうにもならない事を、現実を、
塗り替えるしかない。
でもその方法が、分からない。
どうしたら、明来を。
ゆりは、気を失っている明来が抱え込む物に
目を向ける。
横32㎝×縦20㎝の長方形、
白いポリカーボネート。
舞乃空もそれに気づき、
既に脱力した彼の腕の中から引き出す。
「ノートパソコン・・・・・・?」
「あのデスクの上にあったようね。」
舞乃空の手から、ゆりはそれを受け取る。
これを抱えて。
彼は窓から飛び降りようとした。
いや、違う。
これを持って、逃げようとしたのか。
「“暗闇”が必要とするものには、
間違いないわね。」
「起動してみましょう。」
「待って。」
彼女は制して、しばらく考え込む。
ゆりが黙する間、舞乃空は
明来の顔を覗き込んだ。
瞼は固く閉じられて、起きる様子はない。
寝息を立てているところを見ると、
あの時のように、しばらく
眠ったままなのかもしれない。
「・・・・・・起動が、できないかもしれない。
何も触らずに元の位置へ戻しましょう。」
「・・・えっ?」
紡がれた結果に対して、
舞乃空は不思議に思った。
「・・・・・・起動ができないっていうのは?」
「恐らく、できない。それなら、
何も触らないのが最善かもしれない。
この部屋を見て、思ったの。」
「・・・・・・この部屋を見て?」
「ええ。」
家具らしきものといえば、本棚。しかも、
何も置かれていない。殺風景の部屋内。
中央にあるデスクの上に、今
彼女が持つノートパソコンだけが
置かれていた形跡。
アダプターに繋がっていたということは、
起動できるということではないのか。
ゆりの目を見て、舞乃空は問う。
「・・・・・・ゆりさんには、
どこまで見えていますか?」
先程の、彼女からの質問。
“あなたは、どこまで見えていたの?”
それと同じように、聞き返した。
自分の場合は、“見えていた”という過去形。
彼女の場合は、“見えている”という進行形。
いずれにせよ、繋がっている。
彼女は、目を逸らさずに答えた。
「・・・・・・
直前の未来しか、私には見えない。
あなた程・・・・・・見えてはいない。」
「充分っすよ。」
彼は、短く告げる。
「俺たちを、導いてください。
普通に、日常生活が送れるように。」
小さな願いだ。
それが、叶えばいい。
彼も、同じ願いを持っている。
眠りに落ちる明来の身体を、舞乃空は
さらに力を籠めて包み込む。
ゆりは、そんな彼を
じっと見据えた。
自分が見えている未来は、
ほんの僅かな希望でしかない。
だが。
何も動かないよりはいい。
「・・・・・・これの存在は、
私たちだけの秘密にしておきましょう。
『家』に行って、『彼女』に会うまでは。」
「・・・・・・」
彼は項垂れていた頭を上げて、
彼女を見据える。
「それまで、これを隠すってことっすか?
何でっすか?」
真っ直ぐな眼差しは、訴えに近い。
「教えてください。これは、何なのか。」
「・・・・・・事実よ。」
「・・・事実?」
「明来くんが抱える事実の、証拠。」
「・・・・・・?」
「そうとしか、言い様がない。
中身を見ることは、今の段階では
できないから。・・・・・・
“触れない”という選択肢だけが、
最善になるということだけよ。」
彼女の言う事は、抽象的で理解し難い。
だが、明確な理由は、恐らく。
「・・・・・・声紋認証、ですか?」
ぽつりと零れた舞乃空の言葉に、
ゆりは目を見開く。
「明来の声に関わるってことですよね。
ロックが掛かっているとか。
解除するには、声変わりが終わって
安定した後とか?」
「・・・・・・」
「これの存在って、そういうことっすよね。」
「舞乃空くん。」
「“Lotus”って財団。明来の両親が、
そこに所属して働いていたとか。
明来に言われて、調べたんっすよ。
・・・・・・明来は、何か関わって・・・・・・」
「とにかく」
彼の言い分を遮るように、被せる。
「今は・・・・・・明来くんを寝かせてあげて。」
「ゆりさんの、大切な人もっすよね。」
「お願い。」
悲痛な声。
舞乃空は、はっとして発言を止める。
彼女の表情に浮かぶ、哀愁の色。
「今は・・・・・・何も聞かないで。」
抉ってしまった。
その事に気づき、唇を噛みしめる。
「・・・・・・すみません。」
「・・・・・・いいの。ごめんなさい。
告げられないのは、こちらの都合だから。
でも、いつか必ず、全部話すから。
今は・・・・・・」
彼を、ベッドに。
言葉を紡ぐのも、苦しそうだった。
彼女の、大切な人。
恐らく身内の誰か。
その人は、被害者だ。
“Lotus”という財団に何かしらの関与があり、
巻き込まれた。
それが見えたので、思わず
聞き出そうとしてしまった。
彼女の心情を、汲み取らずに。
ゆりは、手に持っているノートパソコンを
デスクの上にそっと置いて、
アダプターと繋げる。
「隠すのは、これの存在だけでいいから。
部屋には何もなかったと・・・・・・
彼が起きたら、伝えてあげて。
・・・・・・私が抱える苦難よりも、
彼の方が・・・・・・
厳しい現実になると思う。」
背中を向ける彼女に漂う、苦しさ。
それを引き出してしまったことによる
罪悪感が、舞乃空を襲う。
「傍にいてあげて。誰よりも。
彼には、あなたが必要なの。
・・・・・・立ち位置なんて、ないのよ。」
囁く程度の音量。
しかし舞乃空にとっては、
突き刺さる言葉だった。
「・・・・・・帰ります。
私は、このまま立ち去った方がいい。
詳しく時間が決まり次第、連絡するから。」
「ゆりさん!」
部屋から出ていこうとする彼女を、
すかさず呼び止める。
「本当にすみません!
俺・・・・・・その・・・・・・」
言われなくても。
彼女は、理解していたというのに。
「・・・・・・いいのよ。」
振り返って、ゆりが向けたものは
柔らかい微笑みだった。
「私はもう、大丈夫。
それよりも、明来くんを頼むわね。」
垣間見えた苦しみは、もう消えている。
昨日までの彼女なら。
恐らく、自分の言葉で
底に突き落とされていただろう。
今日の彼女はもう、
前を向いて歩いている。
「・・・・・・もし、彼がこの部屋に
入ろうとしたら・・・・・・
あなたの考えでいいから、引き止めて。」
「・・・・・・はい。」
力強く、返事をする。
自分も、前を向かなければ。
彼を、護れない。
*
一回だけ、あの部屋に入ろうとした。
好奇心だった。
何があるんやろう。そう思いながら。
その時は小さかったから、
鍵の存在なんて知らずに。
ただ、ドアを開けようとして
ドアノブに手を掛けた。
【明来。】
呼び止める、母さんの声音。
普段の優しい響きとは、少し違った。
怒られる。そう思った。
身構えていると、母さんは
自分と目線を合わせて、笑顔を向けた。
【この部屋はね、まだ入っちゃダメよ。
・・・・・・明来が、大きくなったらね。】
“大きくなったら”とは、どのくらいだろう。
背が高くなったら?
父さんのように、声が低くなったら?
当時は疑問だらけで、よく分からなかった。
でも、それ以来
あの部屋に入ろうとは思わなくなった。
今考えると・・・・・・
あれは、暗示だったのかもしれない。
自分が、声変わりをしたら。
何かが、始まるのだと。
*
温かい電球色の光が、
瞼の裏に染み込んでいる。
ゆっくり瞼を上げると、
見慣れた天井が視界に入る。
自分の部屋のベッドに横たわっているのだと、
すぐに明来は気づいた。
だが、この電球色に見覚えはない。
勉強机の方へ目を向けると、
見慣れないものが置かれている。
高さ20㎝くらいの、
八分音符の形をしたスタンドライト。
符頭の部分が照明になっていて、
それが部屋内を照らしている。
―俺の、部屋・・・・・・
ゆっくり起き上がり、そのスタンドライトの
隣にあるオルゴールに目を留める。
―・・・・・・えっ?俺、確か、
あの部屋の鍵を使うことになって・・・・・・?
そこからの、記憶がない。
ヘッドボードにあったスマホで
時間を確認すると、深夜の2時を過ぎていた。
明来は、頭を抱える。
―流石に、ゆりさんは・・・・・・
もう、帰っとるよな。
・・・・・・舞乃空は・・・・・・?
もしかして、と思うところがある。
また、自分は。
倒れてしまったというのか。
その可能性は、大いにある。
舞乃空は、寝ているのか。
確認しようと、ベッドから下りて
部屋のドアを開ける。
すると、廊下に足を踏み入れてすぐに、
壁に背を預けて座っている彼を見つけた。
毛布に包まり、眠っている。
「・・・・・・舞乃空。」
確かめるように、彼の名前を紡ぐ。
彼がここで眠っているのは、
自分を心配してなのか。
あり得ないことではない。
昨日も、そうだった。
眠る自分の傍に、彼は寄り添うように。
昨日は、舞乃空の部屋で。
今夜は、自分の部屋で。
部屋にいることを、躊躇ったのだろう。
代わりにスタンドライトを置いて。
なぜ、ここまで。
「舞乃空。」
今度は、起こす為に声を掛ける。
その呼び掛けに、彼は小さく身体を揺らす。
「・・・・・・んあ?・・・明来・・・・・・?」
眠たそうに見上げて、瞼をこじ開けると
舞乃空は、ふわっと笑う。
「良かった・・・・・・
思ったより、早く起きたな・・・・・・」
むにゃむにゃしていて、よく聞き取れない。
明来は問い掛けようとしたが、口をつぐむ。
ほぼ、間違いないだろう。
自分は、また。
「・・・・・・ゆりさんは、俺に任せて帰ったから。」
その様子を察して、彼は言葉をくれた。
「・・・・・・」
明来は、改めて問い掛ける。
「・・・・・・今度は、何をした?」
―憶えていないところで。
自分は、何を。
「・・・・・・
鍵を使って開けられたんだけど、
部屋の中が、真っ暗だったせいかなー。
逃げようとして、
窓から飛び降りようとした。」
「・・・・・・えっ・・・・・・?」
「勿論、全力で引き止めたけどな。
それから、意識を失った。」
「・・・・・・」
廊下には、照明が灯されていない。
自分の部屋から漏れる、
八分音符の光が頼りである。
明来は、真っ直ぐに向けられる
舞乃空の眼差しを受け止めた。
「・・・・・・ごめん・・・・・・・
ごめんじゃ、すまないよな・・・・・・」
告げられた自分の行動に、
全く心当たりがない。
しかもその事実は、受け入れ難い。
舞乃空は、やんわりと言葉を掛ける。
「謝る必要、なくね?」
「こんなこと、今までになかったのに。
これが、これからも・・・・・・
続くようなことになったら・・・・・・」
―俺は、立ち直れない。
「俺は構わねーよ。別に。」
何でもないように、さらっと口にする。
それが、堪らなかった。
「お前はっ!!
何で、そんなに・・・・・・!!」
―俺に、優しくしてくれるのか。
見上げてくる彼の目は、
とても真摯だった。
「全力で、“暗闇”に抵抗してるじゃねーか。
必死で頑張っているお前を、
俺が放置できるわけねーだろ?」
その瞳に、吸い込まれそうになる。
「俺がいることでお前が助かるなら、
いくらでも傍にいてやる。
それに、甘えればいーんだよ。」
「いや、だからっ・・・・・・」
「傍にいてくれって、
素直に言えばいいんだ。」
彼の言葉に対して、明来は
何も言い返せなかった。
それが、本音だと。
彼は気づいている。
見つめ返すことしか出来ずに
明来は固まっていると、舞乃空は
表情を緩ませた。
「・・・あ。音符のスタンドライト、いーだろ?
一目惚れして買っちまった。
明来にあげようと思ってた、お土産の一つ。
まだ、出すつもりはなかったんだけどさー。
緊急事態だったから、出動させた。
・・・・・・それがあれば、暗い部屋の中でも
落ち着くかなーって。」
「・・・・・・」
「・・・・・・よし。
明来が無事に起きたことだし。
寝直すかなー。」
彼は毛布を抱えて、その場から立ち上がる。
「部屋には、なーんにもなかったぞー。」
「・・・・・・えっ?」
「綺麗に片付けられていて、
本棚にも、本一つもなかったぜ。
拍子抜けってやつ。
・・・おおっ。俺ウマくね?はははっ。
じゃ、おやすみー。」
部屋に戻ろうとする舞乃空を、
明来は慌てて引き止める。
「い、いや。舞乃空。待て。
何も・・・・・・なかった?」
「ああ。」
―だって。
入っては駄目だというなら、
何かがあるから
隠されていたのであって・・・・・・
“何もない”というのは、おかしい。
“大きくなったら入れる”と、
母さんが言っていた。
何かがあって、入れないのだと。
ずっと、そう思ってきたのに。
「・・・・・・」
考え込んでいると、舞乃空は
明来の頭に手を乗せて、微笑みかける。
「明日も早いんだろ?もう寝ろよ。
俺も寝直す・・・ふわあぁぁ・・・・・・」
大きな欠伸をする彼を、じっと見据えた。
「・・・・・・舞乃空。嘘をつくな。」
「へっ?・・・・・・何だよー、嘘って。」
「はぐらかすな。何で隠すんよ?」
「・・・・・・」
「嘘を見抜くお前が、何で嘘をつく?」
「・・・・・・」
「何かあったはずだ。
じゃないと、理由が・・・・・・」
開かずの部屋のドアに目を向け、明来は
歩いていこうとする。
舞乃空が脇に抱えている毛布は、
その場に落ちた。
彼に腕を引き寄せられ、抱き締められる。
いつもなら、その両腕から
逃れようと思う。
だが、それが出来なかった。
あまりにも、その抱擁が優しくて
温かいからだ。
力が抜けそうになるのを、
明来は何とか耐えて、言葉を吐く。
「・・・・・・はなせ。」
ごまかすな、と言いたかった。
「・・・・・・一緒に寝よっか。」
「・・・・・・ね・・・・・・」
いつもなら、突き放す言葉を吐ける。
しかし、それが出来ない。
「怖い夢なんて、見なくて済むから。」
傍にいるから。
彼は、紡いでいない。
でも、そう聞こえた。
「・・・・・・本当に、何もなかったん?」
きっと、嘘だと思う。
「・・・・・・ああ。」
隠すのは、自分の為なのか。
温もり。
彼のそれは、言葉にならない安堵感がある。
最初は、驚きとあり得なさで
受け入れられなかった。
今は。
この温もりに、救われている。
この感覚は。
一体、何なのだろう。
「・・・・・・俺は、おかしいと思う。」
「はー?それ言ったら、
俺の方が変だろー。へへっ。」
舞乃空は笑いながら、
明来の頭の天辺を頬擦りする。
それも今は、嫌じゃない。
「・・・・・・俺は、葉音が好きなんだ。」
「知ってるってー。」
「・・・・・・きっと、お前のことも。」
「・・・・・・えっ?」
抱擁する力が緩んだので、
彼の胸板に両手を置き、離れる。
「・・・・・・俺は、きっと・・・・・・
二人のことが羨ましくて、好きなんだ。
・・・・・・俺は・・・・・・」
しっかり意思を持っている二人に、
憧れているだけなのかもしれない。
「・・・・・・考えすぎじゃね?」
彼は、小さく笑う。
「好きは、好きだろ。」
「・・・・・・そんなシンプルに、考えられん。」
「真面目かっ。」
「・・・・・・やっぱり、葉音とは
距離を置こうと思う。
・・・・・・付き合うなんて、できない。」
“好きだ”と、伝えることが出来ただけで。
満足している自分がいる。
それに、気づいた。
「・・・・・・お前さー。」
ぽつりと零れた彼の声に
反応する間もなく、明来は肩を押される。
背中には、壁。
両手を、彼の両手で抑えつけられて、
見上げた先には
間近に映る舞乃空の顔がある。
「今更だとは思わねーの?」
彼の低音の声が、さらに低く響いた。
「距離を置いたら、戻れねーぞ。」
彼の眼差しは、鋭くて強い。
その言葉の意味は。
「・・・・・・分かっとる。」
言い返すのが、精一杯だった。
「分かってねーだろ。」
「・・・・・・俺が、分かればいい。
今は、自分と向き合う時間が必要なんよ。
俺自身が、俺自身を理解する時間が。」
「明来。」
「自分が、どうなっとるのか分からんのに・・・・・・
浮かれて、流されて、
葉音を傷つけてしまうよりは・・・・・・
泣かせるよりは、離れた方が。」
「それが、傷つけるってことじゃね?」
「今ならまだ、間に合う。」
染まる前に。
離れて、違う道を見据えれば。
傷は、浅くて済む。
「幼なじみの仲に、戻れなくても?」
彼の問い掛けは、
先を見据えての事だろう。
「・・・・・・俺と関わらない事が、
葉音の幸せに繋がるのなら。」
―それは、ずっと願ってきた事だ。
これから先、自分が憶えていないところで
傷つけてしまう事が起こったら。
それこそ、立ち直れなくなる。
「・・・・・・はぁ。」
彼のため息は、しんと静かな廊下に
よく響いた。
「お前の気持ち、分からなくもないけど。
・・・・・・でもさ。
もっと、信じてもいいんじゃね?
葉音を、さ。」
諭すような彼の言葉は、明来の心を
さらにかき乱す。
「全部話してみたらいーじゃん。
どう判断するのかは、葉音だろ?」
「・・・・・・」
「お前が思っているよりも、葉音は強いぞ。
・・・・・・支え合えると思うけどな。
お前たちなら。」
「・・・・・・」
「・・・・・・二人が離れるの、見たくねーな。」
「お前は、平気で噓をつく。」
「・・・・・・あ?」
「俺の考えは、
お前の考えと同じやないと?」
自分は、何を言おうとしているのだろう。
「離れようとしとるやん。俺から。」
「・・・・・・」
「性別関係ないとか言っといて、
引き下がっとるやんか。」
「・・・・・・」
「お前は矛盾しとる。・・・他人の嘘を
見抜いておきながら、自分は噓をつい・・・」
ごっ。
言い終わる前に、額と額がぶつかる。
痛みよりも、先に。
彼の瞳に揺れ動く波が、自分を捉えて
飲み込もうとしている。
「・・・・・・挑発だよな。」
何の感情を抑えているのか。
震えが、接触している額から伝わる。
「踏み込むのか?俺に。」
―そうだ。
知りたいと思っとる。
お前が今、抑え込むもの。
それを知りたいと、思う方が強い。
「自分の都合が悪い時、お前はすぐに
はぐらかす。今も、そうだ。
線を引いて、傍観しとる。
・・・人の心配、しとる場合なん?
吐き出せよ。全部晒してから言え。
見せかけの親切心なんて、いらな・・・・・・」
あと、一文字。
それで、言い終わっていた。
その一文字は、彼の口の中に吸収される。
「・・・・・・っ」
強く重なる唇のせいで、
言葉が発せられない。
この状況は、何なのだろう。
何も、考えられない。
息をするには、どうしたらいいのか。
それすらも忘れそうになって、
眩暈がした。
瞼を、閉じるしかなかった。
怒り。
いや、違う。
彼が、ぶつけてくる感情は。気持ちは。
ただ、それに溺れるしかない。
このまま、死ぬのも、いいな。
そう思い始めた頃に、ようやく解放される。
深く浸水していたせいで、苦しい。
空気を得て、互いに唯々呼吸をする。
「・・・・・・ったく・・・・・・」
額を壁に付けて項垂れ、舞乃空は声を漏らす。
「我慢してたのに・・・・・・
挑発されて、
抑えられるかってんだよ・・・・・・」
項垂れる彼の顔が耳元にあるせいなのか、
自分の鼓動は高鳴ったままだ。
「・・・・・・我慢って、
おかしいやろ・・・・・・」
息を整えつつ、明来は言葉を紡ぐ。
「お前と会ってから・・・・・・
何もかも、おかしくなったんよ・・・・・・」
「・・・・・・ごめん。
嫌いになったよな、俺のこと。
謝って、済むことじゃねーな・・・・・・」
懺悔するかのように、彼は言葉を吐き出す。
明来は思わず、笑った。
「・・・・・・見抜けよ。」
「・・・・・・え?」
「見抜けるくせに。
嫌いになるわけないやん。」
「・・・・・・」
「いくらでも、ぶつけろよ。これから。」
「・・・・・・
いや、お前・・・・・・」
「お前なら、いいよ。」
「あ、明来?」
「嘘じゃない。・・・分かるやろ、お前なら。」
「・・・・・・・」
「舞乃空、だから、許す。」
「・・・・・・」
「これで、いいんよ。これで。
何か、すっきりした。」
「い、いや、俺は、モヤモヤするっ!」
「不満なん?」
「不満なわけないだろっ?!
受け入れられねーんだよ!いろいろとっ!
・・・・・・
夢じゃないよな・・・・・・」
―その発言は、
夢の中まで、俺がいるってことやろ。
「夢の中の俺は、どんなヤツなん?」
「あ、あはははっ。今のナシ。」
彼は、慌てている。
まさか自分が、受け入れるとは
思わなかったのだろう。
「夢の中まで俺を見て、
気持ちを抑えていたんやろ?」
「そ、それはー・・・・・・」
「いいけん。もう。リアルで。」
「あ、明来ー。投げやりになってね?」
「なっとらん。」
「あ、そ、そう。」
「・・・・・・ははっ。」
笑いが込み上げる。
―さっきまでのお前は、一体どこにいった?
狼狽える彼は、妙に可笑しかった。
舞乃空は、釣られて微笑む。
「・・・・・・再会した時もさー。
明来、笑ってたよなー。」
「お前が必死すぎて。」
「そう!それな!」
「どうかしとるなぁって思って。」
「おかしい事じゃないだろー。」
「おかしいやん。俺のこと、好きとか。」
身を正すように背筋を伸ばし、
舞乃空は明来と向かい合う。
「好き、じゃなくて、大好き、なんだよ。
大がつくの。これ、重要なんだ。」
「・・・・・・」
―・・・・・・改めて、言うことなん?
注がれる彼の視線に耐えられず、俯く。
「・・・・・・明来。」
「・・・・・・ん?」
「もう一回、してもいい?」
「・・・・・・」
「今度は、優しくするから。」
「調子に乗るな。」
明来は舞乃空の肩を、とん、と突き放す。
それが、精一杯の抵抗だった。
鼓動が煩く鳴りすぎて、顔も火照っている。
今すぐ彼から離れないと、
膝が崩れ落ちそうで。力が入らない。
部屋に戻ろうと踵を返した
明来の背中へ、舞乃空は声を掛ける。
「リアルだって、信じたいんだよー。」
「・・・・・・いやだ。」
「頼むっ。・・・あっ。それじゃー、
ハグだけでももう一回!」
「ハグしたら、するやろ。」
「そうだけれどもーっ。」
明来は、動揺を紛らせるために
言葉を投げる。
「・・・・・・あの部屋には、何があった?」
「・・・・・・」
―この間は。
絶対何か、隠しとる。
「教えてくれたら・・・・・・
・・・・・・・・・しても、いいっちゃけど。」
こんな、交換条件とか。
乗るわけがないと思った。
言葉が返ってこないので、明来は振り返って
舞乃空に目を向ける。
彼は、何かと葛藤しているのか、
苦悶の表情を浮かべている。
大いに、効果があったようだ。
「・・・・・・そんなに、悩むと?」
呆れ気味で、問い掛ける。
「・・・・・・いや、だってな・・・・・・
するに決まってるじゃん。
でも、言っちゃっていいのかなー・・・・・・」
「何かあったのは、認めるってことやな?」
「あ。
・・・・・・あー、もー!
すんません!!隠してました!!
ゆりさんには、謝らないと・・・・・・」
「・・・・・・やっぱり、何かあったんやな。」
舞乃空は観念したのか、言葉を紡ぐ。
「・・・・・・ああ。でも部屋の中は、
マジで何もないっていうか。
デスクの上に、
ノートパソコンがあっただけで・・・・・・」
「・・・・・・ノートパソコン?」
「起動は、してない。
できないって、ゆりさんが。
何も触れないのが、最善だって言われてさ。
・・・・・・だから、隠そうって。」
「・・・・・・」
彼女には何か、未来が見えたのだろうか。
「・・・・・・分かった。
とりあえず、あの部屋に入るのは
もう、やめておく。」
触れないのが最善なら、従う他はない。
それに、また自分が
意識を失ってしまう可能性の方が怖い。
明来の考えに、舞乃空は
安心したようだった。
「ああ。そうしてもらえると、
助かるかも。俺には分からない何かが、
ゆりさんには見えているみたいだし。
・・・あっ、そうだ!
ワケありで、ドアの鍵が
ぶっ壊れてるんだけど・・・・・・
ゆりさんって、すげーんだよ。
逆らわない方がいいぞ。」
「・・・?」
「・・・まぁ、いつか全部
話してくれるって言うし。
いつどうなっても、傍にいるから。
俺は・・・何の力にもなれないけど。」
「・・・・・・そんなことはない。」
―どれだけ、助けられてると思っとる?
「なぁ、マジで、ホントに・・・・・・
その・・・・・・」
彼が聞きたい事は、分かっている。
それよりも、このすっきりした気持ちは
何なのか。
明来は、穏やかに告げる。
「・・・・・・いいんよ、これで。
俺は、お前と一緒にいたい。」
自分の、本心だ。紛れもない。
「俺が・・・・・・俺で、いられるから。」
うまい言葉が見つからない。
でも、すぐに伝えたかった。
ありのままの気持ちを。言葉を。
「・・・・・・ありがとう。舞乃空。
傍にいてくれて。」
寄り掛かる事が出来る、存在がいる。
それに気づけただけで。
自分は、ありのままで生きられる。
「明来・・・・・・!」
舞乃空は、くしゃっと笑う。
伝えた言葉は、真っ直ぐに届いた。
自分の身体に優しく回される、両腕。
この温かさに、何度も救われている。
そして、朧げな意識の中で響いた
彼の言葉に。
“現実を塗り替えろ。”
それは、今だということを。
*
どうしよう。
確かめるのが、怖い。
でも・・・・・・
あれは、何やったと?
明来ちゃんが、窓から飛び出しそうだった。
どんな状況?
舞乃空くんが、引き止めとるのも見えた。
一体、何があったと?
聞くのが、怖い。
どうしよう。
なぜか、聞くのが怖い。
*
『Migratory Bards』、病床エリア・地下4階。
この階層に至る者は、
外出する事が制限されている。
『剝奪者』。
禁忌に触れ、『管理人』から
『名前』に関する記憶(心)を
抑えられている者たちを指す。
『名前』に関わった時間が、深ければ深い程
重篤な精神状態を引き出す為、
アフターケアを施している。
今は深夜だが、『彼ら』は
時間の感覚を忘れて過ごしている為、
眠りにつけず起きている者が殆どである。
その時間帯の巡回を任された、
一人の『看護師』。
温かみのあるベージュのスクラブに
身を包み、短く刈られた頭は
清潔感を生み出している。
鍛えているのか
胸板は厚く、逞しい。
印象は好青年だが、気になるところといえば
左頬に走る、一筋の古い傷跡。
顔を見るよりも、それに目が向いてしまう。
とある一室のベッドに、膝を抱えて
蹲るように座っている女性がいた。
腰の辺りまで伸びた
長い黒髪の毛先は、緑色に染まっている。
彼女のすぐ側には、
何も描かれていないスケッチブック。
そして、ケースからバラバラに出て
散乱したクレヨンがあった。
俯いて見つめる先には、
スカイブルーの患者衣に覆われた、
自身の両膝。
その色を双眸に映し、浮かぶものは
深い哀愁。
彼女が求めるものは、ここにはなかった。
「・・・・・・何や、起きとんか。」
部屋に入るなり、彼女の姿を見て
『看護師』の青年は呟く。
今までは大抵この時間、彼女は眠っていた。
この階層では珍しい方である。
しかし最近は、
起きている事が増えつつあった。
薬、処方してもらわなあかんな。
彼は、そう思いながら
彼女の傍に歩いていく。
「眠れんのか?」
彼女が問い掛けに答えることはまず、ない。
だが、それを承知の上で語り掛ける。
返事をもらう為に、
語り掛けているのではない。
「・・・・・・何も描いてへんなぁ。」
真っ白な、スケッチブック。
広げられたそれには、今まで
色々なものが描かれていた。
巡回の時に見るのが、日課になっていた。
何かしらのメッセージになっていたり、
彼女が思いふけっている事とか、願望とか。
それを見ると、
勘付くことが出来るからだ。
しかし最近、
何も描かれていないことが増えた。
眠れないのと、関係しているのかもしれない。
あまり期待できひんけど、
試してみよか。
話し掛けるくらいなら、ええ。
「・・・・・・どうしたんか?言うてみい。」
彼は、壁際に寄せられて畳まれた
パイプ椅子を手に取って、組み立てる。
それをベッドの側に引き寄せ、
彼女の目線に合わせて話せるように
腰を下ろした。
「・・・・・・」
彼女は、何も答えない。
反応もないので、
聞こえているのかも分からない。
彼には一つ、心当たりがあった。
それを問い掛けるのは、今回が初めてだ。
「・・・・・・兄ちゃんに、会えんからか?」
その心当たりは、的中する。
彼女は彼の言葉に反応して、ようやく
視線を自身の両膝から彼へと
目を向ける。
手応えを感じて、彼は発言する。
「あんさんの兄ちゃんはな、
遠くにおって、人を助けるために
頑張っとるんやで。」
これは、作り話である。
実のところ、彼女の兄は
一年前に亡くなっている。
この『施設』の、『医者』だった。
『彼』は、彼女の傍にいることを選び、
『医者』として働いていた。
そして、『彼』は・・・・・・
「・・・・・・お兄ちゃんに、会いたい。」
か細い声だ。
でも、切実な願い。
彼女の目を見たら、分かる。
ただ、会いたい。
それだけだ。
「・・・・・・せやな。」
真摯に、彼は相槌を打つ。
「会いたい。」
「・・・・・・うん。」
「会うには、どうしたらいいの?」
彼女が聞き返すことは、今までになかった。
彼は目を見開き、彼女を見据える。
「会えるなら、何でもする。」
「・・・・・・」
「ねぇ、教えて。」
「・・・・・・」
「あなたは、知っているんでしょ?
お兄ちゃんの居場所。」
真っ直ぐな瞳と、懇願。
それから目を逸らし、彼は言葉を紡ぐ。
「・・・・・・すまんなぁ。分からんのや。」
「教えて。お願い。」
「・・・・・・分からんもんは、
分からんのや。」
「会いに行く。お兄ちゃんに。ねぇ。」
彼女は彼の片腕を、両手で掴む。
揺さぶられるが、彼はその手を
外そうとしなかった。
「・・・・・・会えんのや。もう。」
「いや。会いに行く。」
「あんさんの兄ちゃんは、
もうここには来れんのや。」
「どうして?」
「・・・・・・俺の弟を助けてくれたんや。
その身を持って。技術を持って。
助けるっていう意思を持って。
力を使い果たして、死んだんや。」
ほんまの事言うても、
通じへんのは分かっとる。
でも、伝えとくで。
「死んだって、何?」
「ここにはいないってことや。」
「じゃあ、私も死ぬ。」
「あかん。」
「死にたい。」
「あかんて。」
「ねぇ。」
彼は、彼女を引き寄せる。
ぎゅっと、彼女の身体を抱き締めた。
「死んだらあかん。」
「どうして?」
「あかんのや。」
「分からない。」
「あんさんは、生きなあかん。」
「分からない。許してください。」
彼女の身体が、震えている。
彼は、はっとして
彼女の身体を放した。
接触は、禁止されている。
無意識の行動だった。
ここまで感情的になるのは、
彼女が『彼』の妹だからなのか、
彼女が特別な存在だからなのか・・・・・・
何にせよ、理屈は通らない。
後で報告書、書かなあかんな。
せやから、今夜だけは。
彼は、そっと手を伸ばす。
その手に彼女は、びくっとした。
「・・・・・・怖がらんでええ。
痛いことせぇへんから。」
彼女は、じっと
彼の武骨な手の行方を見据える。
その手は、彼女の頭の上に乗って
優しく撫でた。
「・・・・・・すまん。
分からへんのにな。堪忍や。」
「・・・・・・」
震えながらも、彼女は逃げずに
されるがままになる。
不意に出る手を怖がるのは、
叩かれると思うからなんやろか。
こないして、頭を撫でられる事なんて
今までに、なかったんちゃうか。
「あなたも、悲しい?」
彼女は、ぽつりと問い掛ける。
俺は今、悲しそうな顔しとるんか。
彼は無理矢理、笑顔を作る。
「思い出しただけや。弟の事をな。」
もう会うことはできひんけど、
世界のどこかで、元気に生きとる。
それだけ分かればええ。
「・・・・・・あなたも、お兄ちゃんなの?」
彼女は、つぶらな瞳を向けてくる。
彼女の時間は、7歳で止まったままらしい。
余程、つらい事があったんやろう。
怯えて許しを請うところは、
親から十分な愛を受けずに
抑制されていた証拠や。
「ああ。お兄ちゃんや。」
「会えなくて、寂しい?」
「寂しいで。」
「同じ。」
「そう。同じや。」
「・・・・・・」
彼女は、笑みを浮かべた。
時折見せる、ふわりとした綻びは
彼の心を鷲掴みにする。
「つらいやろうけど・・・・・・
一緒に待つんや。ええな?」
「うん。」
「ええ子や。」
「ふふっ。」
褒められて、彼女は嬉しそうに笑う。
こないして、褒められる事も
なかったんやろか。
・・・・・・なかったんやろな。
「もう、寝るんやで。」
「はい。」
「おやすみ。」
「おやすみなさい。」
彼は、彼女の頭に乗せていた手を
引っ込めて、椅子から立ち上がる。
会話が出来た。
ふつふつと込み上げる、感動。
明日になれば、彼女はもう
自分と話したことを
忘れているかもしれない。
でも、それで良かった。
この時間は、貴重だった。
彼は微笑みながら、彼女が
ベッドに横たわるのを見届ける。
温かさが、手に残っている。
それをかき消すように、
散乱したクレヨンをケースに片付ける。
「お兄ちゃん。また会いに来てね。」
そう、言葉を掛けられた。
彼女を優しく見つめながら、頷いた。
「ああ。また会いに来るで。」
布団を掛けてやると、彼女は素直に
瞼を閉じる。
それを見届け、彼は静かに
部屋から出ていった。
感触が、まだ残っている。
拳を握り締めて、心の内に閉じ込める。
彼女が、自分の事を
どんな奴か分からへんでも。
傍におって、何かの助けになれればええ。
それが、『彼』への恩返しや。
返しても、返しきれへんけど。
理屈やないんや。
いつか、必ず。
彼女を、笑顔で一杯にさせたる。
*
ちゅんちゅん。
雀のさえずりが、耳に届く。
この時期の早朝は、まだ肌寒さがあって
毛布の温かさが手放せない。
重い瞼を少し開けて、明来は
毛布に包まったまま
ヘッドボードに置いていたスマホを手に取る。
時刻は、5時を少し過ぎた頃だ。
スマホのアラームが鳴る前に、
目を覚ます事が出来た。
昨晩の睡眠時間は短いが、
深い眠りにつけた気がする。
まだ毛布に包まっていたかったが、
二度寝をすると
起きれなくなりそうだった。
アラームを解除し、欠伸をしながら
身体を起こす。
勉強机の上で、尚も淡い電球色を放つ
八分音符のスタンドライト。
この明かりのお陰で、
悪夢を見ずに、よく眠れた気がする。
まだ外は、暗い。
このまま、点けておこうと思った。
数時間前の事が、頭を過っていく。
舞乃空から優しいハグをされ、
思い出すと胸が苦しくなるが、
二度目のキスをした。
交換条件なので。
そう、言い聞かせながら。
彼は嬉しすぎたのか、その場に座り込んで
しばらく両手で顔を覆っていた。
そんな彼を見兼ねて、
おやすみと声を掛けると、
彼は直ぐに立ち上がり、おやすみ!と
満面の笑みで元気よく部屋に戻っていった。
え?
一緒に寝るんやないと?
それは、言わなかった。
言えなかった。言わなくて正解だった。
そう思った自分が、
かなり恥ずかしかった。
部屋に戻った時、八分音符の光が
あまりにも優しくて。
直ぐに、眠気がきた。
思ったよりも。
自分は平気で、彼を受け入れている。
“舞乃空”、だから。
理由は、それだけである。
明来はヘッドボードを背にして座ると、
スマホの通知を確認していく。
その中に、葉音からのメールがあった。
葉音。
昨日までは、この名前を見て
浮かれていた自分がいる。
今日からは。
また、幼なじみとして。
接していけたら、どんなに幸せだろう。
《明日会いに行ってもいい?》
メールが届いていたのは、昨晩の10時頃。
意識を失って、眠っていた頃だ。
明来は、ちらっと
八分音符の横に置かれているオルゴールへ
目を向ける。
修理はまだ、手付かずだ。
《おはよ》
《返事できなくてごめん》
《今夜オルゴール直そうと思っとる》
直して、渡してもいいのか。
迷ったが、彼女が気に入っていたし、
渡しても問題はないかと判断する。
既読は、少し経って付いた。
いつも思うが、彼女の既読は早い。
《おはよ(*'ω'*)》
《気にしなくていいよ~!》
《同じになっちゃうけどw》
《明日会いに行ってもいい?》
今日は土曜日。
明日なら日曜日なので、
気兼ねなく会えると彼女は思ったのだろう。
しかし、日曜日は。
《日曜日は用事があって》
《ごめん》
舞乃空と、出掛ける予定を入れている。
月曜日から彼は出勤なので、
その準備の買い物をしようと思っている。
《そっかぁ(ToT)》
―・・・・・・ちゃんと、話さないと。
《今夜公園で》
《少しだけなら》
―家では、会えない。
《うん!(*^。^*)ありがと!》
《お仕事終わったら連絡してね》
明来は、息をつく。
彼女とのメールのやり取りに、
ここまで気を遣って疲れることはない。
今夜、彼女を傷つけてしまうと
分かっていて、接するのは苦しい。
でも。
自分の事を忘れて、
夢に向かって歩いてほしいと願う方が、強い。
自分の事で、
足を止めてほしくはない。
暗い部分を知らずに、歩いてほしい。
皆を照らす光として。
階段を下りていくと、
リビングに通じるドアの硝子から
明かりが漏れている。
明来は直ぐに、舞乃空が
朝食の準備をしているのだと気づく。
ドアを開けてリビングへ入っていくと、
アイランドキッチンに立っている彼が
笑顔を向けた。
「あ、おはよー明来!」
いつに増してなぜか、輝いて見える。
「・・・・・・寝ててよかったのに。」
「いやいや。眠れなかったー。
寝たら全部夢だったとか、そういうオチは
ぜってー嫌だったからさー。」
「・・・・・・」
明来は、ぼそっと呟く。
「・・・・・・これからもう、
いつでも出来るやん・・・・・・」
「えー?何て言ったー?」
丁度水を流していた為、その呟きは
舞乃空に届かなかったようだ。
「何でもない。」
「顔洗って来いよー。」
「・・・・・・うん。」
良かった。聞かれなくて。
若干ドキドキしながら、リビングを後にする。
自分でも驚いている。
平気で、受け入れている。
「今夜、葉音と公園で会ってくる。」
ぐるっと、目玉焼きにケチャップを掛けて
明来は告げる。
「・・・・・・そっかー。」
舞乃空は醤油差しを手に取り、
少量目玉焼きに掛ける。
「・・・・・・なぁ。」
「んー?」
「ピアス付けてないけど、どうしたと?」
片時も外していなかったのに、
左耳のピアスが付けられていない。
その事が、妙に気になった。
「あー。流石にさ。職種的に
ピアスしたまま仕事できねーだろ。
髪の色も、俺的には抑えめのやつに
染めようか迷ってるけど。」
「・・・・・・意外と真面目やな。」
「きちんと向き合うのが礼儀だろ。」
意外に彼は、
社会のルールを大事にしている。
「まぁ、ピアスやめた理由は、
それだけじゃねーけど。」
「・・・え?」
「今度ゆっくり話すー。」
大きな口を開けて、舞乃空は
こんがり焼けた食パンにかじりつく。
「それよりもさー・・・・・・
大丈夫か?今夜。」
咀嚼しながら、問われる。
「・・・・・・大丈夫。」
―考えはもう、決まっている。
「・・・・・・気が変わることがあっても、俺は
それでいいからな。」
「・・・・・・は?」
「葉音を選んでも、って意味。」
トーストに乗せた目玉焼きを
食べ終えた後、明来は舞乃空を睨む。
「よく、そんなこと言えるな?」
「俺に縛られなくてもいい、って意味だよ。」
「舞乃空。」
「・・・・・・だってさ。」
神妙な顔をしながら
コーンスープを飲み干す彼を見て、
明来はイラッとした。
こういうところだ。
突っ走るくせに、優しすぎる。
「あんだけ吐き出しといて?
今更やろうもん。・・・お前が言ったやん。」
「・・・・・・」
「おはようのハグ、まだやったな。」
「・・・・・・え?」
明来は椅子から立ち上がると、
舞乃空の近くまで歩み寄り、両腕を広げる。
「ほら。やらんと?おはようのハグ。」
これでは、逆である。
積極的な彼に、舞乃空は
みるみる表情を明るくさせていく。
「します!!」
勢いよく立ち上がり、
飛びつくように抱き締める。
それを受け止めるように、明来は
彼の身体に両腕を回した。
「あー・・・・・・ヤバい。
こんな日が来るなんて・・・・・・」
ぎゅーっとされて、我に返ったのか
明来は顔を赤くする。
我ながら。
これは、恥ずかしい。
自分から勧めるなんて。
「・・・・・・もう、いいやろ。
メシ食おう。」
「やだ。もう少し。」
「俺が悪かった。メシの最中に。」
「全然おっけー!!こーゆーの
大好きな方!!」
「・・・・・・今朝も、
作ってくれてありがとう。」
「はははっ。毎日作っちゃるー!!」
余程嬉しかったのか、しばらく彼は
くっついたままだった。
でもその時間は、苦じゃない。
三度の飯よりも、この温かさの方が。
今の自分には必要だから。
「行ってきます。」
「気をつけて行ってらー。」
リュックを肩に掛け、明来は
玄関先に立つ舞乃空と向き合う。
「今日は多分、早く終わると思う。」
「ああ。帰る頃、連絡くれー。
晩メシ用意しとくから。」
「・・・・・・ありがとう。」
「へへっ。こちらこそー。」
彼は、嬉しそうに笑う。
「明来。好きだよ。」
さらっと掛けられた言葉だが、
明来の心に刺さる。
鼓動が速くなるのと同時に、
顔も熱くなった。
その様子を、舞乃空はニヤニヤして
見守っている。
「あ。勿論、大が付くけど。」
「・・・・・・」
「あれー?返ってこないなー。
おかしいなー。」
「・・・・・・」
「明来からは、何もないのかなー?」
「・・・・・・まのあ。」
「はいはーい。」
「・・・・・・調子に乗るなっ!!」
玄関のドアを勢いよく開けて、明来は
飛び出していった。
後ろから、舞乃空の笑い混じりな
“行ってらっしゃーい”と言う声が聞こえたが、
振り返らずに早歩きしていく。
―お前みたいに言えないんよ、俺は!
心で叫んで、空を見上げる。
今日も良い天気になりそうだ。
藍色の空が、寝起きの太陽と混じり合って
明るくなっている。
―・・・・・・舞乃空がいてくれて、
本当に良かった。
しくしくする胸の痛みが、心地好い。
―俺も、大好きだ。舞乃空。
いつか、きちんと言おう。
はぐらかさず、素直に。
でも、きっと、あいつは・・・・・・
それをもう見抜いている。
なのに、言葉いるのか。
―・・・・・・
きちんと向き合うのが礼儀、か・・・・・・
数分も経たずに、
“松宮冷機”の看板が目に入る。
―俺は、向き合えとるんかいな。
・・・・・・そうだと、いいな。
「おはようございます。」
「おはよ。」
相変わらず、仕事の師匠である寺本は
出勤が早い。
既に倉庫のシャッターは開けられ、
今日の現場で使用する
ペアコイル(冷媒管)が5セット、
外に出されている。
明来は素早く事務所へ上がって
出勤のタイムカードを通し、
リュックを倉庫の出入り口付近に置いて
寺本の元へ駆け付ける。
「今度、溶接教えるけんな。」
溶接機と酸素ボンベを手に持つ
彼に言われて、浮き立つ。
「いいんっすか?」
「余った冷媒使って、練習な。」
オフィスの一角などの広い空間で
数台設置になると、1つのリモコンで
集中管理をするのが一般的なので、
冷媒を溶接して繋げる作業が必要になる。
今回は、3台の天井カセット形室内機に、
1台の室外機を設置する。
今日の工程は、冷媒が通るルートを確保し、
酸素アセチレン溶接で
冷媒を繋げる所まで行う。
溶接棒を手に取り、寺本は
浮き立っている明来を見て笑う。
「この前溶接しとる時、
異常な視線を感じたっちゃんね。」
「やってみたかったんっすよ。」
「ははっ。俺の師匠である水野さんが
ダントツで上手いけん、見せてもらえ。
ばり喜ぶぞ~。」
ガハガハ笑う水野の笑う顔が
すぐに浮かんで、明来は笑った。
「明来。エキスパンダー。」
「ソケットは?」
「もう用意しとる。もったいないけん、
一部しか使わん。」
寺本に言われた道具が置かれている
棚の所へ歩いていき、
それが入ったケースを手に取る。
「これ、使ってみたかったんっすよね。」
銅管ソケットとは、
冷媒の切り口同士を繋ぐ為の部品である。
エキスパンダ―とは、
冷媒の切り口を広げて、繋げられるように
ソケット口を作る道具だ。
「今日のは全部、お前に作らせるけんな。」
「了解です。」
「フレア作って締めたり曲げたりし出して、
銅管の柔らかさとか、加減が
何となく分かってきたやろ?」
「そうっすね。・・・・・・
最初は、折ったりしとったっすけど。」
力を入れなさすぎても駄目だし、入れすぎると
空洞が潰れて折れてしまう。
「溶接も、ポイントがあるんよ。
ここまでっ、ていうサインがな。
それを超えると、溶けすぎちまう。」
「虹色になる瞬間とか。」
「おっ。知っとるやん。」
寺本と談義をしていると、
いつの間にか松宮が姿を見せていた。
「おはよう。」
「あっ、おはようございます!」
「・・・おはようございます。」
挨拶をする二人に目を向けて
彼は微笑むと、
事務所へ続く階段を上がっていく。
それを見送り、明来は思う。
―・・・・・・
松宮さんの家には、気軽に行けなくなるな。
焼きそばを食べさせてもらった、
あの晩餐以来。
松宮家には出向いていない。
温かい食卓を囲み、
みんなで笑い合って、
楽しく食事をした、あの時間を。
忘れることはないだろう。
葉音との将来を、一瞬だけ考えた空間。
今思えば、あれこそが
夢なのではないか。
実現しなくても。
それでいいと思う、夢だ。
―こんな夢も、あるんやな。
明来は噛みしめながら、
今日の段取りを進めていった。
昼下がりの頃。
プルルルル・・・・・・
プルルルル・・・・・・
舞乃空のスマホに、着信音が響く。
部屋のベッドで寝転がり、
動画を観ていた彼は
着信相手の名前を見て、すぐに応答する。
「こんちはー。」
《こんにちは。
・・・・・・今、大丈夫かしら。》
「流石っす。ナイスタイミングっすよ。」
《彼とは、話せた?》
その質問に、彼は言いたい事が
山ほどあったが、一先ずは
見えない相手に頭を下げて告げる。
「・・・・・・すみません、ゆりさん。
ノーパソの件、隠せなかったっす。」
《・・・・・・そう。》
通話相手―ゆりの声音からは、何も感じない。
反応が乏しいので、敢えて聞き返す。
「まずいっすよね?」
《・・・ふふっ。
謝らなければならないのは、私の方よ。》
「・・・えっ?」
《彼と、腹を割って話せたみたいね。》
返ってきた言葉を聞いて、舞乃空は
はっとする。
「えっ。まさか・・・・・・」
《隠せないと分かっていたの。
あなたの本質上ね。彼も、そう。
互いに何か、焚き付けるものがあれば
本音をぶつけられると思ったから。
・・・・・・隠せなくて、良かったのよ。》
彼女には、見えていたのか。
自分が彼に、隠し通せない事を。
しかも彼が、自分の心の内を
知りたがろうとする事を。
「・・・・・・ゆりさんって、エグいっすよね。」
《あなたの願いに、繋げる為よ。》
笑い混じりの鈴の音は、
相変わらず凛としている。
彼女は、素直すぎる。
そのせいで、今までどれだけの人に
誤解されて、敬遠されてきたのか。
「・・・・・・ありがとうございます。
お陰さまで、その・・・・・・」
想定外の事が、起きてしまった。
心の奥底まで彼と向き合えるなんて、
思わなかった。
《私はただ、促しただけ。
結果は、あなたたちが導いたこと。
・・・・・・これからも、よ。》
その言葉が、どんなに響くか。
「・・・・・・はい。」
《東京には、私も一緒に行きます。
・・・新幹線で行こうと思うから。》
「おー。いいっすね!電車旅!」
《飛行機じゃなくてもいい?》
「はい。そのチョイス、最高っす。」
《始発で行こうと思うから・・・・・・
早起きしてもらうけど。》
「余裕っす。」
《じゃあ博多駅に、5時30分で。》
「りょーかいしました!」
《明来くんに、よろしく伝えておいて。
・・・・・・それと、舞乃空くん。
隠さず、素直に話すように。》
「えっ?」
《ふふっ。こちらこそ
お礼を言わなければね。ありがとう。
・・・では、明々後日にまた。》
通話が切れる。
ツー、ツー、と響く音を聞いた後、
耳に宛がっていたスマホを下ろす。
彼女は、もしかしたら。
今夜の事を言っているのだろうか。
明来と、葉音の事を。
だとしたら。
スマホの画面に、通知が現れる。
メールが届いたようだ。
相手は、葉音である。
タイミングが絶妙すぎて、鳥肌が立った。
―ゆりさん、エグすぎるって。
改めて思い、舞乃空は通知を確認した。
《こんにちはぁ(*^-^*)
今、電話いいかなぁ?》
いいも何も。ベストタイミングだ。
《こんちは(*^。^*)いいよー》
プルルルル・・・・・・
葉音からの着信が、すぐに来る。
「そっかー。今日は土曜日かー。」
《えへへ。学校も午前中までだったし、
部活も今日からお休み。
中間テスト前なんよぉ。》
「・・・・・・えっと、どした?」
何を聞かれるのか。
少しドキドキしながら、舞乃空は
応答を待つ。
《・・・・・・あのね。
昨日、部活とボイトレで
帰りが遅くなっちゃったんやけど・・・・・・
ちょうど、見ちゃったんよ。》
何を、だろう。
《・・・・・・明来ちゃんが、
窓から飛び降りようとしとるとこ。》
舞乃空は、固まる。
そうか。
あの時は確か、21時を過ぎた頃だった。
《今夜、明来ちゃんと会う約束
しとるんやけど・・・・・・
直接聞こうと思ったんやけど、
聞いていいのか迷って。
・・・・・・舞乃空くん、知っとるよね?》
恐らく。
彼女は、自分が引き止めていた姿も
確認しているだろう。
《・・・・・・何か、あったと?》
「・・・・・・」
《・・・・・・聞かない方がいい?》
弱弱しい、彼女の声。
踏み入れていいのか、迷っている。
同時に、知るのが怖いのだろう。
“隠さず、素直に話すように。”
この事で、合っているのか。
「・・・葉音。今から俺が言う事、
信じてもらえるか?」
《・・・・・・?》
「明来は、“暗闇”に
飲み込まれそうになっている。」
《・・・えっ?ど、どういう事なん?》
「言葉じゃ、難しいんだ。
とにかく、このままだと明来は、
明来ではなくなってしまう。」
《・・・・・・病気、ってこと?》
「俺も最初そう思った。でも、違う。
精神的な病気じゃなくて、その・・・・・・
オカルト的な言い方になるけど、
“暗闇”に意識を持っていかれる。」
《・・・・・・》
「だから・・・・・・
俺が傍にいて、呼び掛けている。
葉音が見たのは多分、その時だったんだ。」
隠さず、話したつもりだ。
黙り込む彼女の応答を、せかさずに
舞乃空は待った。
《・・・・・・“暗闇”って、何なん?幽霊の事?》
「・・・・・・説明が上手くできないけど、
言葉的には合ってるかも。」
《・・・・・・いつから?》
「・・・・・・俺と再会した頃から、かな。」
《えっ。・・・じゃあ、隠してたって事?》
「・・・・・・明来は、言えなかったんだと思う。」
《・・・・・・頼りないよね、私って。》
「・・・・・・そうじゃない。」
《私なんかよりも、舞乃空くんの方が
話しやすいってことやね。明来ちゃんは。》
「・・・・・・葉音。」
《やっぱり私の事、ただの幼なじみとしか
見てなかったんやね。》
「違う。」
《好きだって、言ってくれたのは・・・・・・
私が言ったからなんやね・・・・・・
きっと・・・・・・》
声が、震えている。
彼女は、涙を流しているのかもしれない。
「違うって。
明来は、お前の将来の事を考えて・・・・・・」
《どうして?!
私の将来とか、関係ないやろ・・・・・・?!》
「・・・・・・関係、あるんだよ。
そこまで考える程、
お前を大切に思ってる。」
《明来ちゃんが苦しんでいるのに?
私は、知らずに過ごして・・・・・・
そんなの、友だちでも、恋人でも、
何でもないやん・・・・・・》
「・・・・・・」
彼女が泣くのを、彼は見越していたのか。
こうなることを、分かっていたのか。
《・・・ねぇ、舞乃空くん。
私って、明来ちゃんの何やろう。》
「・・・・・・何者でも、ない。」
《え?》
「何者でも、ないんだ。
何者にも、なれない。誰も。
俺は、ただ・・・・・・
傍にいてやりたい気持ちが、あるだけ。
明来が、幸せに過ごしていければ
それでいいと思うだけ。
・・・・・・何者になろうとは、考えていない。」
《・・・・・・》
「好きなんだ、俺。明来の事。」
《・・・・・・えっ?》
「俺も。明来が大好きなんだよ。」
《・・・・・・》
「ごめん。葉音。気持ちを押し隠してた。
本当は・・・・・・」
《ひどい・・・・・・》
彼女から漏れた呟きは、苦しそうだ。
《・・・・・・最初から、私が入る隙間とか、
なかったんやね。》
「違う。俺は・・・・・・」
《笑ってたんやね。私の事。》
胸に、突き刺さる。
《二人で、私の事を。》
「葉音。違う。」
《違わないよ!》
「俺は、ずっと・・・隠すつもりだった。
お前と明来が、
うまくいけばいいって・・・・・・」
《どうして?!
隠して、どうするつもりやったと?!
舞乃空くんが苦しんでいて、
無理矢理笑っていたとか、
それを知った私は、どうすればいいと?!》
彼女の嗚咽が、ひどくなる。
同時に、胸に突き刺さった所から
どろどろとしたものが流れていく。
「・・・・・・お前さ、何言ってんの?」
《私なんて、いらないやん。》
「待て。待てって。」
《明来ちゃんに言っといて。
今夜は、行けなくなったって。》
「聞けよっ!!」
大きな声が出た事に、自分でも驚いた。
それよりも、流れる血が止まらなくて
倒れてしまいそうだ。
「お前、明来の事好きなんだろ?
なのにどうして、さっきから
自分の事ばかり言ってんだ?
そうじゃないだろ。大事なのは、お前が
明来の傍にいたいかって事じゃね?
自分が傷つくから距離を置くとか、
お前、人を想うって事、なめてるだろ?」
防衛反応。
血が止まらない故に、
言葉の槍を繰り出す事しかできない。
「学校?部活?ボイトレ?あー、大事だよな。
親の手前もあるし、夢の為でもあるしな。
敷かれた道でぬくぬくと歩いて、
踏み外しそうになったら、軌道修正して。
昨日だって、何でその時来なかった?
家に飛び込んでいけば良かったじゃねーか。
死ぬほど心配なら、そうするだろ?
・・・・・・そんなんで、明来を想ってる?
大概にしろよ。自分が可愛いだけだろ?
・・・明来はな、ずっと一人で歩いてるんだ。
誰にも迷惑かけないように、
自分の事で周りの人が心を痛めないように。
明来の事を考えたフリして、
満足してんじゃねーぞ!」
止めないと。
そう思っても、止まらない。
「踏み入れるのが怖かったらなー、
関わらないように俺たちを忘れて、
日常を過ごせばいい。それで円満だろ?
お前は、夢に向かって頑張れよ。
その方が、明来も喜ぶから。」
《・・・・・・うぅ・・・・・・》
彼女の、苦しそうな嗚咽。
やっとそれが、耳に届いた。
震える手で頭を抱え、項垂れながら
舞乃空は告げる。
「・・・・・・嫌うなら、俺を嫌え。
今の言った事全部、
少しでも思った事だから。
許してもらおうとか、思わねーから。」
《・・・・・・》
彼女は、苦しい嗚咽をしながらも
通話を切らずにいる。
それを考慮して、彼は
幾分穏やかな口調で言葉を紡いだ。
「今夜明来と、きちんと話せ。
行かないって選択だけは、するな。
明来もお前に、
きちんと話そうと思ってるから。」
《・・・・・・》
「・・・・・・傷つかなくていい人生とか、
つまんねーだけだぜ。
傷ついて、ようやく
人を想えるようになる。」
《・・・・・・》
「歌えるようになる。」
彼女の歌は。
それが、足りない。
「・・・・・・
俺のようにやれとは、言わねーよ。
お前には、お前の想い方があるだろ。
私なんていらないとか、二度と言うな。」
《・・・・・・》
彼女は逃げずに、自分の話を聞いている。
強くなれる。
「明来がお前と一緒にいたいと言うなら、
俺はそれで良かったんだ。
葉音も、一緒の気持ちなら、それで。
・・・・・・でも・・・・・・」
彼は、自分と一緒にいたいと言ってくれた。
《・・・・・・ごめんなさい・・・・・・》
謝罪の言葉。
今の彼女には、
それが精一杯なのかもしれない。
《・・・・・・行こうと、思ったんよ・・・・・・
明来ちゃんの家に、飛び込んでいこうって。
でも、でも、怖くて、足が動かなくて、
気づいたら、家に帰ってて・・・・・・》
「・・・・・・」
《怖かったのは・・・・・・そう。
日常が壊れると思ったから。
朝起きて、走って、ご飯食べて、
学校行って、部活して、歌う練習して・・・・・・
それが、当たり前で。忙しいと思ってた。
明来ちゃんが入る隙間とか、考えて。
私、最低やん。心のどこかで、
明来ちゃんなら大丈夫とか、決めつけて。
・・・こんなの、好きとかじゃないよね・・・・・・》
「正解は、ねーだろ。」
《ううん。舞乃空くんの言う通り。
正しいと思う。》
「だから、正しいとか・・・」
《私は、浮かれてただけ。》
―ああ、それ。
明来も、同じ事言ってたな。
二人して、不器用すぎるだろ。
浮かれて、いーじゃん。
《ねぇ、舞乃空くん・・・・・・
私たち、幼なじみに戻れるかな・・・・・・?》
―それも。明来と同じだよ。
「今まで通りだろ。変わらねーよ。
これからも。」
《・・・・・・うん。
ありがとう・・・・・・》
―良かったな。明来。
葉音も、同じだったよ。
繋がってるよ。
・・・お前たち、お似合いなんだけどな。
明来は家の玄関の鍵を開けて、中に入る。
「ただいま。」
声を掛けるが、
言葉が返ってこない。
「舞乃空・・・・・・?」
リビングには、明かりが灯っている。
靴を脱いで廊下に上がり、歩いていった。
アイランドキッチンに立っているのではなく、
彼はソファーの上で両膝を折り、座っている。
項垂れ、顔を抱え込むようにして。
自分に、気づく様子がない。
「ただいま。」
声を掛けると、舞乃空は
はっとして顔を上げた。
「・・・あ、明来?えっ。
もうそんな時間・・・・・・」
「・・・・・・具合悪いと?」
「い、いや。ごめんっ。
晩メシ用意するって言ったのに・・・・・・」
「いいよ。」
「良くないっ。」
「・・・シャワー、浴びてくるけん。」
そう言って明来は、
リビングから立ち去ろうとする。
「・・・・・・」
それを舞乃空は、立ち上がって
背後から両腕を回し、引き止めた。
「・・・・・・汗臭いけど。」
「・・・・・・構わねーよ。」
「どうした?何か、おかしいけど。」
「・・・・・・明来。
ほんとに、マジで、俺でいいのか・・・・・・?」
彼の問い掛けは、
首を傾げるところだ。
様子がおかしいのを感じて、明来は
引き留める彼の両腕を外さなかった。
「・・・・・・お前がいい。」
「・・・・・・」
「嘘、言っとらんけど。」
確かめないと、不安だった。
見えているとはいえ。
言葉で、掴んで欲しかった。
舞乃空は、ぎゅっ、と両腕に力を籠める。
「・・・・・・ああ。」
やっと。血が止まった。
「晩メシ、ピザにせん?たまにはいいやろ。」
「うぉっ。豪華だな!」
「何でもいいけん。
お前の好きなやつでいいよ。」
「俺の推しピザでいーのか?!
マルゲリータになっちまうぞ!」
「あ。」
「え?」
「・・・・・・いや、何でもない。」
推しが被ったとは、言いづらい。
「俺は、葉音と会った後に食べるけん。
頼んで、先に食べとって。」
「いやいや、待つよ!
遅くなってもいいからさー。
一緒に食べようぜー。」
「・・・・・・分かった。
遅くならないようにする。」
いつもの調子に、戻っている。
それを感じて、明来は胸を撫で下ろした。
元気のない彼を見ると、
何とも言えない胸の苦しさがある。
「明来っ。」
「ん?」
「明日出掛けるの、楽しみだなー!」
「・・・・・・近くのホームセンターに
行くだけやろうもん。」
「それと、近くのスーパーな!」
「・・・・・・そんなに、嬉しいと?」
「嬉しいに決まってるだろー!」
「・・・・・・変なやつ。」
「あっ。何だよー?笑ってんじゃん。
へへっ。」
こんな、何気ない会話が。
ずっと、続けばいいのに。




