渡り歩く吟遊詩人
泣き崩れ、その場に座り込む明来に、舞乃空は
ただ寄り添うことしか出来なかった。
その中、話し掛けてきたのは
一緒のバスに乗っていた、黒を纏う女性。
この出逢いがもたらす、未来とは。
5
【・・・・・・君は、
真っ直ぐ見つめていればいい。
晴れ渡る時が来る。必ず。】
その言葉を、今になって思い出す。
あの時は、分からなかった。
“彼”への想いを募らせた三年間を
見兼ねて、“あの人”は私と会う許可を
下してくれたのだと思っていた。
そうではなかったのだと、
今になって理解する。
“彼”の命は、風前の灯火だったという事。
そして、自分はそれに
気づいていなかったという事。
・・・・・・いや、見たくなかったんだ。
“彼”がいない、世の中を。
ずっと、一緒に過ごせるのだと思っていた。
でも、違っていた。
“彼”は私に、別れを告げに来た。
限界まで、私と一緒に過ごして、
それから・・・・・・二度と会わない為に。
“彼”は、自身の“力”が
医療に発揮できると考えていた。
私は受け入れるどころか、
何で?という疑問しかなかった。
“彼”はまた、時間を止める選択をした。
今思えば、限りある命を
さらに削ろうとしていたということになる。
私は、泣き崩れた。
それしか、できなかった。
止めたかった。
でも、“彼”の意志は止められない。
私は、止めることすらできなかった。
やめて、お願い。
私の傍にいて。
そんな言葉も、掛けられないまま。
自分が嫌になる。
心から愛している人に、
本音を伝えられなかったなんて。
“未来を読む力”なんて、なければ良かった。
だって・・・・・・最終的に、切り開くのは
その人自身なのだから。
でも、そんな私を“彼”は・・・・・・
心から愛してくれていた。
私の“力”は、人を救うものだと。
自分を否定せず、真っ直ぐ歩いてほしいと。
そして“彼”は、亡くなった。
“あの人”から、伝えられた。
私の心は、閉ざされたままだ。
どうして?
何で、私の周りにいる大事な人たちは
消え去っていくのだろう。
もう引き裂かれるような思いは、
したくないのに。
どうして、悲しい事ばかり起こるのだろう。
“彼”への想いを捨てきれず、一年が過ぎた。
日常は、何も変わらない。
ただ、“彼”がいないだけ。
でも、“彼”のいない世界は・・・・・・
私にとって、闇の中だ。
あの日から、私はまた笑えなくなった。
ただ、生きている。
虚しいだけの毎日を。
真っ直ぐ見つめて歩いていく・・・・・・
晴れ渡る時・・・・・・
そんな日は、来るの?
*
バスから降り立つ、一人の女性がいる。
黒いフォーマルスーツを身に纏い、
セミロングの真っ直ぐ綺麗な黒髪を
なびかせて、颯爽と歩いていく。
目的地は、太宰府にある霊園である。
右手に黒のハンドバッグを持っているが、
花束は見当たらない。
なぜなら、その霊園の敷地内にある
フラワーショップで、
墓に供える花を購入できるからだ。
女性が来店するなり、店主は
にこやかに声を掛ける。
「いらっしゃいませ。」
「こんにちは。」
「今日は、どのようになさいますか?」
この質問に、彼女は淀むことなく答える。
「雛菊を入れて頂けたら、おまかせします。」
「かしこまりました。」
女性がこの、フラワーショップの常連客なのは
言うまでもない。
霊園に訪れる周期は、週に二回程。
この場所にその頻度は、多い方である。
店主は多くを聞かず、
女性の言われた通りに花を選ぶ。
店主の心遣いに、彼女は感謝している。
見繕われた花束の代金を支払い、
女性はそれを左腕に抱えて、店を出た。
すると、霊園の敷地内に入る手前の所で
身を寄り添うように座り込む
二人の少年に目を奪われた。
ただ事ではない。
この時間に、年端も行かない少年たちが
この霊園へ出向き、
一人が一人を庇うように抱き合っている光景。
一人の胸の中で、
一人が泣き崩れている。
今日は平日。
学生なら、この時間にいるのはおかしい。
しかも、保護者らしき人影もいない。
放ってはおけず、女性は
その少年たちの元へ歩み寄る。
「大丈夫・・・・・・?」
声を掛けると、背の高そうな少年の方が
こちらを見上げてきた。
自分を見張るその目は真っ直ぐで、
綺麗なローシェンナに染めた髪の毛は
ウエーブ掛かっている。
凛とした声が、掛けられた。
泣き崩れる明来を抱き留めていた
舞乃空は、その声の方向へ見上げる。
黒いフォーマルスーツを身に纏う、
黒髪の女性。
バス内で見かけた、あの女性だった。
その時は持っていなかった花束に、
舞乃空は視線を向ける。
―幽霊じゃ、なさそうだな。
ふとそう思った後、再び女性に目を移す。
彼女は身を屈め、心配そうに
明来を覗き込んでいた。
「・・・・・・えっと・・・・・・
はい。大丈夫です。
しばらく休んだら、治りますから。」
そう言ったものの、
治るかどうかは分からない。
だが、あの夜の時も、
彼は気を失うように眠りについた。
しかしこの場所で、そんな事態になれば、
どうしたらいいのか分からない。
「・・・・・・」
女性は、舞乃空へ目を向ける。
その視線に気づいて、
彼は彼女と視線を合わせた。
少し吊り上がった、切れ長の目。
瞳の奥に佇む、静かな灯。
洗練された美しさに、彼は
しばらく無言で彼女の顔を見つめる。
女性の、コーラルピンクのルージュを乗せた
唇が動く。
「・・・・・・二人で、墓参りを?」
その問いかけで呪縛が解けたように、舞乃空は
はっとして答える。
「・・・・・・は、はい。一周忌なんです。」
返ってきた言葉に、女性は目を見開いた。
未成年二人が、この時間に、
一周忌の墓参り。
親戚の姿は見当たらない。
その事に、彼女はさらに疑問を持つ。
同じ一周忌だが、
“彼”の境遇を考えたら
自分一人で墓参りするのは無理もない。
でも、この子たちは?
女性の反応は、予想通りだった。
だが舞乃空は、
敢えて具体的に告げなかった。
詳しい事を、会って間もない人間に
伝えるのはどうかと思ったのだ。
「・・・・・・
もしも、その子の具合が
良くならなかったら・・・・・・声を掛けて。
近くにいるから。」
舞乃空の考えを察したのか、
女性は静かにそう告げる。
「・・・・・・はい。ありがとうございます。」
察してくれた女性に感謝して
彼はお礼を言い、小さく頭を下げた。
女性は身を屈めていた姿勢を正すが、
明来に視線を落としたまま
すぐに立ち去ろうとはしなかった。
その表情には、哀愁が漂う。
人が亡くなる。
それが、かけがえのない人なら。
残された者は、思い出を遡り、延々と
追憶を繰り返すしかない。
明来と同様に、女性にも
その様子が窺えた。
会って間もない人間だが、他人事ではない。
舞乃空は改めるように、
女性に向かって言葉を紡ぐ。
「・・・・・・事情があって、
こいつと俺だけの墓参りなんです。
こいつの、両親の。」
それを聞き、彼女の瞳は揺れ動く。
「・・・・・・そうだったの。」
「あの、聞くのは失礼かもしれませんが・・・・・・
あなたは、誰の墓参りなんですか?」
投げかけられた質問に、女性は
すぐには答えなかった。
ちら、と舞乃空の方へ目を向けて
口を開きかけた、その時。
「どうした?何があった?」
女性と舞乃空たちの後方から、声が掛かった。
現れた人物を目にして、彼女は
この上なく驚き、その名前を口にする。
「・・・・・・蔵野さん?」
蔵野と呼ばれた男性を、舞乃空は見据える。
姿勢一つ、非の打ち所がない。
出で立ち、雰囲気。
それを、紺色のスーツと共に纏う
彼の足取りは、何をするわけでもないのに
優雅に見えた。
「・・・・・・この少年たちは?」
座り込む明来と舞乃空を見据えて、
男性は女性に問う。
「・・・・・・どうして、ここに?」
その問いに答えるよりも、女性は
男性がこの場所に訪れたことが
気になるようだった。
彼女の表情は、困惑に満ちている。
「今日は“彼”の命日だ。一周忌でもある。」
「・・・・・・ですが。」
「偲ぶ時間は、僕にとって何よりも大事だ。
どんなに忙しくてもね。
・・・・・・偶然だよ。
君と同じ時間になるとは思わなかった。」
「・・・・・・」
女性は、男性から目を逸らすように俯く。
会話をする二人を、
舞乃空は黙って見守っていた。
この二人の雰囲気。
ただの、男女ではない。
深く。
かなり深いところで、繋がっている。
男性が、俯く女性を
しばらく見つめていると、彼女は
思い立つように顔を上げて口を開く。
「・・・・・・蔵野さん。車でここに?」
「ああ。」
「頼みたいことがあります。
その彼を、車内で
休ませてあげてはもらえませんか?」
その申し出を受け、男性は再び
明来と舞乃空へ目を向ける。
そんな申し出を予想していなかった
舞乃空は、目を見張った。
「・・・・・・それは構わないが。」
「・・・・・・ありがとうございます。」
女性は丁寧に、
男性に向かってお辞儀をする。
上司と部下。
そうとも、捉えられる。
しかし、そんな言葉では
片付けられない気がする。
彼氏と彼女。夫と妻。
それも、ぴんとこない。
「・・・・・・彼を、見過ごせません。今は、何とも。
彼の身に起こっていることは、
ただ事ではありません。
・・・・・・
“あの”影響が窺えます。」
女性が口走った言葉に、男性は
すぐに反応した。
「あの影響が?」
「はい。
“暗闇”の、影響です。」
“暗闇”。
その単語で、明来は
びくっ、と身体を震わせる。
その反応に驚き、
舞乃空は彼に視線を落とした。
「・・・・・・なぜ、この少年に・・・・・・?」
「経緯は分かりません。
でも・・・・・・間違いありません。
彼と、目を合わせて話す必要があります。」
二人は、見つめ合う。
互いの瞳に揺れ動く、思念。
言葉を交わさずとも、通じ合う息。
共に数年、渡り歩いてきた軌跡が
それを実現させている。
何も語らずとも。
次にすべきことは、一致している。
「・・・・・・分かった。」
短く返事をして、男性は
舞乃空と視線を合わせるように身を屈め、
言葉を紡いだ。
「車の後部座席を使うといい。
少し休んでいきなさい。
その間、僕と彼女は墓参りに行く。」
舞乃空は戸惑った。
助かるが、初対面の者たちに
甘えてもいいのか。
「・・・・・・でも・・・・・・」
「構わないよ。・・・初対面の者に頼るのは
難しいかもしれないが、この行為は
当然だと受け取るべきだ。」
まるで、こちらの戸惑いを
見透かしているような言葉だった。
男性の、真摯な双眸。
そして、落ち着きのある声音。
彼から溢れるものは、妙な安堵感を覚える。
舞乃空は、会釈をした。
「・・・・・・お言葉に甘えます。
ありがとうございます。」
丁寧な言葉遣いで礼を言う彼に、
男性は顔を綻ばせた。
すっ、と膝を伸ばし、
ふわりと歩いていく男性の後ろ姿を、
舞乃空は見据えて立ち上がる。
明来のショルダーリュックを肩に掛け、
既に気を失った明来の身体を背負って。
女性は、男性が
車から戻ってくるのを待っていた。
“あの人”が、この場所に訪れるとは
思わなかった。
いや、
“見えていなかった”。
あの少年たちに出逢うことも。
なぜ、
“見えなかった”のか。
言わずとも、分かっている。
今日は、何も“見たくなかった”。
何が起こるのかも。
風が、ざぁっ、と強く吹き抜ける。
髪が舞い上がり、それを片手で抑えていると
男性の姿が近づいてきた。
風を引き連れ、
全てを従わせるような、彼の姿。
彼女は幾度となく、それを傍で見守ってきた。
彼は、自分がいる所で立ち止まらずに
歩いていく。
通り過ぎた後、彼女は
そのすぐ後ろに続いて歩き出した。
新緑の揺らめきが、耳へ届く。
昼下がりの日光が、
規則正しく並ぶ墓石を照りつけている。
雲一つない青空が、
浄化しているように清々しい。
とある墓標まで辿り着く手前で、
女性は男性に向かって小さく頭を下げ、
先に足を踏み入れる。
霊園から借りた掃除道具を持ち、
女性は簡易的に施す。
訪れる度に掃除をしているので、
整える程度だった。
供えている花もまだ枯れていないが、
先程購入した新しい花と換える。
換え終えた花は持ち帰り、
家に飾るのが習慣づいていた。
持参していた線香と蝋燭、ライターを
ハンドバッグから取り出して
一旦、墓石の片隅に置く。
燭台に蝋燭を設置し、ライターで火を点けると
線香を数本手にして着火させた。
その流れを、男性は静かに見守っている。
彼女が定期的にここへ訪れている事を、
彼は把握していた。
それだけ、
“彼”に縛られている事も。
日に日に、彼女の気力は消耗して、
回復することもなく。
華奢な彼女の後ろ姿を見つめていると、
小さな鈴の音のような声が響く。
「・・・・・・今日という日に、
彼らと出逢ったのは・・・・・・
偶然ではないようです。」
女性は、墓標を真っ直ぐに見据える。
「あの“暗闇”を止める機会になると・・・・・・
私は見通しました。」
男性も女性の隣に立ち、墓標を見据える。
「・・・・・・そして逆に、最悪の事態にも招かれる
可能性があります。それを、
引き起こさないようにしなければ。」
「・・・・・・最善を尽くそう。」
やんわりと、彼は告げる。
「この出逢いは、
“彼”がきっかけだ。
・・・良い方向に導いてくれる。」
静かな口調だが、力強い。
この男性が発する言葉には、それが宿る。
彼女はいつも、それに励まされてきた。
【・・・・・・君は、
真っ直ぐ見つめていればいい。
晴れ渡る時が来る。必ず。】
彼が自分の為に、告げた言葉。
それがずっと、頭の中に響いている。
二人は、静かに手を合わせた。
その時間が、同時に終わる。
男性は女性に目を向けて、口を開いた。
「・・・・・・実は今日、
一周忌という事もあるが・・・・・・
“彼”に宣言しておこうと思って訪れた。」
彼女も、眼差しを彼へ向ける。
「宣言・・・・・・?」
「君を変えたい。」
吹き抜ける風と、
女性を映す、温かく優しい双眸。
それが、同時に取り巻いていく。
「僕はもう、引き下がらないよ。」
彼の言霊と、頭の中に飛び込む映像。
それは、彼女の胸を貫いた。
染み込む痛みと、
急に起こった波動に耐えながら、
女性は男性の眼差しを受け止める。
彼の想いは、ずっと知っている。
こんな自分を、変わらず想ってくれている。
他に素敵な人がいるはずの、彼の歩む道。
それなのに、この人は。
自分を選んで、放さない。
「もう、見たくない。君が彷徨う姿を。」
「・・・・・・蔵野さ・・・・・・」
「今度君が僕の手を取る時は、
仕事ではなく、伴侶としてだ。」
揺るがない、眼差し。
それを一度だけ、過去に受けたことがある。
自分が断ると、それ以来
この眼差しは一切向けられなかった。
再びまた、それを向けられている。
当時は、その眼差しから
逃げていた気がする。
今、こうして
まともに目を合わせられるのは、
“この人”と歩んできた軌跡があるからだ。
「・・・・・・私は・・・・・・」
「ふさわしくない、とでも言うのか?
そんな言葉を“彼”が聞いたら、怒るぞ。
そして僕も。
・・・・・・あの時とは違う。」
かつて。
“彼”が言っていたことがある。
“この人”の事を好きになれ、と。
“彼”はずっと、自分と“この人”を
繋げたかったのかもしれない。
自分の寿命を知っていた上で、
“この人”に
想いを託したかったのだと。
―・・・・・・
“この人”は、ずっと
知っていたのかもしれない。
“彼”の寿命も、その考えも。
宣言とは・・・・・・
私の心に、踏み込むということだ。
“彼”への想いを終わらせられない自分を、
解き放つということ。
・・・・・・私の目を、向けさせるということ。
身体の中からほとばしる、熱。
彼が自分を見つめる秒毎に、生まれる。
それなのに指一本、
動かすことが出来ない。
息をすることも、苦しい。
足も、震えていた。
「・・・・・・先に、僕は戻るよ。」
そう言葉を残して、男性は
墓標から離れるように歩いていく。
女性は、この流れで
その発言に戸惑った。
この期に及んで、彼は気を遣うのか。
自分をどれだけ、大切に扱う気なのか。
動揺して、女性は
遠ざかっていく男性の背中を見つめる。
ここに来て、まだ間もない。
ここに居たい気持ちと、
後を追わなければと思う気持ちが葛藤する。
その中、強めの風が巻き起こった。
彼女の脳裏に過ったものがある。
先程の少年たちの姿だった。
彼らの元へ、戻らなければ。
その気持ちが、彼女の足を動かした。
女性は男性の後を追い、早足で歩いていく。
「・・・・・・もういいのか?」
すぐに後ろへ付いてきた女性に対し、男性は
振り向かずに言葉を紡ぐ。
「・・・・・・はい。」
いつも来ていますから。
その言葉を、飲み込む。
「・・・・・・君があの少年たちに
足を踏み入れたのは、
僕たちに関わる事でもあるからだろう?」
「・・・・・・はい。
“暗闇”の影響となれば、必然的です。」
「・・・・・・我々の正体を、明かすべきか。」
彼が零した言葉を、彼女は拾う。
「明かすべき、でしょうね。
・・・・・・猶予はあまり、
残されてはいないようです。」
「・・・・・・だが、すんなりと理解するかどうか。」
「本心を包んで彼らに接するのは、
逆効果だと思います。
特に、自分と目を合わせてきた
あの子は・・・・・・嘘を見抜きます。」
「・・・・・・
“真理”の目を、持っているのか。」
「はい。そのようです。」
二人は、歩きながら会話を交わしていく。
その距離感は、日常と変わらない。
今の彼女にとって、それは有難かった。
「・・・・・・彼は、特殊な環境にいたようだね。」
二人が墓参りに行っている間、
舞乃空は男性の車の後部座席に
明来の身体を横たわらせ、その頭を
膝枕させていた。
瞼が閉じられた彼の目に掛かる前髪を、
そっと指でかき分ける。
深い眠りにつく彼の顔を、
心配げに見つめていた。
―明来に、何が起こっているのか。
あの女性は
分かっている感じだった。
・・・・・・これって、治るのか?
「・・・・・・明来・・・・・・
起きてくれよ・・・・・・なぁ、頼む。」
呼び掛けるが、彼は応えない。
舞乃空は、ため息をつく。
―背負って、帰れないこともないけど。
・・・・・・でも、目立つよなー。
タクシー、呼んだ方がいいかなー。
「・・・・・・」
―今まで、あんな雰囲気を持つ大人たちに
会ったことがない。
自分が会ってきた大人たちは、
みんな壁作って固めて、
人と関わる事を極力避けるというか。
両親だって、そうだった。
あの二人は、違う。
壁作るどころか、
当然のように話し掛けてきた。
・・・・・・あの二人、何なんだ?
「・・・・・・心配すんな、明来。
俺が守ってやるからな・・・・・・」
言い聞かせるように、呟く。
―傍にいるからな。
ずっと、俺はお前の味方だ。
・・・・・・何が合っても。
車の、運転席側のドアが開く。
「具合はどうだ?」
舞乃空に声を掛け、
男性はシートに乗り込む。
「・・・・・・眠ったままで、起きません。」
遅れて助手席側のドアが開き、
女性が乗り込んでくる。
「・・・・・・このままじゃ、
墓参りできないっすね。
でも、また後日行ったらいいので。
とりあえず、帰ります。」
「家まで、送ろう。」
男性の申し出に、舞乃空は目を見開く。
「えっ・・・・・・いいんっすか?」
「勿論だ。
君たちを置いて帰る方が、難しい。」
「・・・・・・何で、ここまで・・・・・・」
してくれるのか。
言おうとしたら、先に男性が言葉を紡ぐ。
「君たちの力になれると、思ったからだよ。」
それに続いて、女性が口を開く。
「初対面で、こんなことを言うと
警戒するだろうけど・・・・・・
彼を助けられるのは、私たちだけよ。」
女性の声音は、りんとなる
高い鈴の音のようだった。
「彼が目覚めたら、
早いうちに連絡してほしい。
・・・・・・出来れば、また会いたいのだけど。」
彼女はハンドバッグから、
名刺入れを取り出す。
それを、細く白い指で一枚引くと
舞乃空へ差し出した。
ふわりと、シプレのフレグランスが漂う。
いい匂いだな。
そう思いながら、舞乃空は
差し出された名刺を手に取る。
下の方に、電話番号が記されていた。
上の方には、慣れない英単語が記されていて
読めなかったが、真ん中にある文字は
すんなりと読めた。
“易者” 小百合
「・・・・・・易者、さん?」
―えっ。易者って、あの、易者だよな?
占いとか。そうだよな?
「肩書みたいなものね。
・・・・・・実際私は、
その人の未来を読んで、
最善の道へ導くのが仕事だから。」
「・・・・・・えっ?」
「見えるの。その人の、幾多の未来が。」
―何言ってんだ、この人。
それが、普通の反応だよな。
でも・・・・・・何だろ。
納得できる。
・・・って、いやいや。
何で俺、納得しようとしてる?
助けられるって言うから、
医者かと思ったのに。
占い師が、どうやって
明来を助けるっていうんだよ?
いろいろ考えていると、女性は
真っ直ぐに視線を向けて、言い放つ。
「・・・・・・自覚するべきね。
嘘を見抜く目を持っているのに、
それを信じられず、持て余している。
・・・私は、あなたと同じ。
見えるのよ。そうでしょ?」
その発言に、鳥肌が立った。
言われた言葉が、的を射ていたからだ。
「な・・・何言ってるんっすか?」
「言えないわよね。そんな“力”があることを。
言ったところで、信じてもらえない。
その“力”を得たのは、
心に大きな傷を負ってしまった後。
心から信頼していた人に、
裏切られたから。」
「・・・・・・」
「・・・・・・ごめんなさい。
信じてもらう為に、あなたの事を少し
“見させて”もらった。
・・・・・・吐き出して。
今まで言えなかった事を。
私なら理解できるから。」
「・・・・・・」
言葉を失った。
そして、大きな恐怖と戸惑いを感じた。
震える手を抑えるように拳を作り、
女性を見据えることしか出来ない。
こうなったら、
男性の正体も気になった。
「・・・・・・あなたは、何者なんっすか?」
静かに座っていた彼は、穏やかに
舞乃空の質問に答える。
「彼女“たち”の請負人、と言っておく。」
「彼女“たち”・・・・・・?」
「我々は、一つの組織だ。
・・・僕の名前は、
“蔵野 恵吾”。蔵野でいい。
彼女も“佐川 ゆり”という名前がある。
・・・・・・名刺に記された名前は、
“僕たち”の、もう一つの顔だ。」
「・・・・・・組織・・・・・・」
戸惑いが、大きすぎる。
―もう一つの顔、って?
組織って、何?
・・・・・・
やべー人たちなんじゃね?
「僕たちは、真実を伝えている。
君は自ずと、理解できるはずだよ。
・・・この世の中には、
“見えない部分”が多いという事を。」
男性―蔵野が発したその言葉は、
舞乃空にとって、衝撃に近かった。
「・・・・・・なぜ僕たちが、君に
正体をさらけ出すのか。
それは、我々の存在を君に
知ってもらいたいからだよ。そして
君の口から、彼に伝えてほしい為だ。」
穏やかな低い低音は、もれなく
舞乃空の耳に届く。
その度、痺れに近い感覚が生じた。
「助けられるのは・・・・・・僕たちだけだと。
君も含めてだ。
大切に思う心が、彼を救う。」
俯くと、明来の顔が目に入る。
この寝顔が、守られればいいと
心から思う。
楽しい日常が送られれば、それでいい。
それを、見守れさえすれば。
「・・・・・・あなたがいることで、
彼は保てている。
彼にとって、心強い支えになっている。」
女性―ゆりの高い声音には、
奮い立たせる響きがあった。
「根本的なものは、私たちが何とかする。
・・・あなたの協力が必要なの。」
「・・・・・・」
「一刻を争う。
皮肉にも・・・・・・
彼の成長と比例して、
“暗闇”が訪れる。」
―・・・・・・明来の成長と比例する?
さっきから言ってるけど、
“暗闇”って、何なんだ?
「・・・・・・
“暗闇”って、何なんっすか?
オカルトっすか?」
当然の質問だと思う。
あまりにも抽象的すぎて、掴めない。
「・・・・・・答えるには、危険が伴う。
我々の備えも万全ではない。」
「・・・・・・答えに、なってないっすよ・・・・・・」
「答えにならないのが、答えよ。」
「何すかそれ・・・・・・
分からないっすよ・・・・・・」
―明来の“これ”は・・・・・・
心の病気から来るもんじゃねーのか?
両親が亡くなって、そのショックで
病んでるんだと思ってた。
・・・・・・それは、違うのか?
「・・・・・・放っておいたら、
こいつはどうなりますか?」
その問い掛けは、おかしいのかもしれない。
二人の話を飲み込んだ上で、
聞く質問だからだ。
目を真っ直ぐに向けて、ゆりは答えた。
「彼は、彼ではなくなる。」
「・・・・・・?」
「・・・・・・
“暗闇”に、飲み込まれてしまう。
今は、それしか言えない。」
「・・・・・・」
具体的な答えではない。
しかしそれが信じるに値するかなど、既に
どうでもよかった。
「・・・・・・あなた方は、何でこいつを
助けようとするんっすか?メリットは?」
「メリット?・・・・・・ははっ。」
一笑して、蔵野は告げる。
「我々は道を作る。それだけだよ。」
言った後、蔵野は
車のエンジンをオンにする。
「君の答えは分かった。行こう。」
「えっ?い、いや、ちょっとま・・・・・・」
「僕らの話を、
信じてもらえたようだからね。」
「いやいや、信じるとか信じないとか、
もうそんな次元じゃないです。
話がマジ、オカルトすぎて・・・・・・
こいつは、精神的な病気じゃ・・・・・・」
ないのかと、そう言おうとした。
「今の時点では、彼自身が心を保てば
“暗闇”の影響は及ばないと見ている。」
「だから、その“暗闇”って一体・・・・・・」
「それを語るには、彼とともに
僕たちの所へ来てもらう必要がある。」
車は、快く発進する。
「家がある方向は?」
「・・・・・・」
「知られるのが嫌なら、近くで降ろそう。」
舞乃空は、
眠り続ける明来を見つめる。
―明来。
お前に何が起こっているのか・・・・・・
俺は詳しく知りたい。
それと、自分のことも。
この二人は、それを知っているらしい。
嘘で騙そうとする、大人たちじゃない。
この世の中の、深い部分を知っている。
俺の想像なんて、軽く超えるくらいの。
俺は、お前を守りたい。
だから・・・・・・
『這いつくばって、
泣くことしかできなくて、
それでも、生きていれば幸せだよね
そんな言葉を吐くな
お前が笑顔にならないと
どうしようもないだろ
一緒にいてやるからさ
二人で行こう』
―・・・・・・
・・・・・・この歌は・・・・・・
『歩いていけば、見つかる
歩いていけば、出逢える
嘘みたいな現実を
お前の色で塗り替えろ』
明来は、瞼を上げる。
心地好い歌声とともに、
繊細なアコースティックギターの音色が
部屋中を彩っていた。
その中心に目を向けると、
ローシェンナのウェーブが入り込む。
「・・・・・・舞乃空・・・・・・?」
声を掛けると、即座に音は止まって
彼は振り向く。
「明来っ!良かった!目ぇ覚めた!!」
くしゃっと破顔して
心底から安堵する彼を、明来は
まだはっきりしない意識で見据える。
「・・・・・・え・・・・・・
何でお前の部屋に、俺が・・・・・・」
横たわっている所は、
クイーンサイズのベッドの上だった。
そして舞乃空は、そのサイドフレームに
寄り掛かって床に座り込み、
アコースティックギターを抱えている。
そんな彼は、自分の様子を
心配そうな表情で窺う。
明来は、思い浮かんだ疑問を
投げ掛けるしかなかった。
「・・・・・・墓参りに、行ったよな・・・・・・?」
「・・・・・・ああ。」
「それから・・・・・・あれ・・・・・・?」
片手で、頭を抱える。
―・・・・・・憶えて、いない。
「お前さ、気を失ったんだよ。」
「・・・・・・え?」
「ごめんな。お前が、オカルト的なやつ
ダメなの知らなくて。
面白がって、怖がらせてごめん。」
申し訳なさそうに頭を下げる
舞乃空に対して、明来は
さらに訳が分からなくなった。
「・・・・・・いや・・・・・・
憶えとらん。そんな話したと?」
そう言葉を漏らす彼の様子を、
舞乃空は静かに見守る。
「・・・・・・どこまで思い出せる?
バスに乗ってたキレーな女性。
憶えてるか?」
「・・・・・・うん。」
「バスから降りて、霊園に入る手前で
お前が震え出して、泣いて、座り込んで、
俺にしがみついていたことは?」
「えっ・・・・・・何だそれ・・・・・・」
明来は、顔を曇らせる。
「知らん・・・そんなの・・・・・・」
「バスから降りたところくらいまで、
憶えてるみたいだな・・・・・・」
「どういうことなん?」
アコースティックギターを
スタンドに立て掛け、舞乃空は
ため息をつく。
「・・・・・・え?それで、俺は気を失ったって?」
信じられなかった。
というより、憶えていない。
「・・・・・・暗闇、というか。」
その単語に、明来は目を見張る。
「バスに乗ってた女性の着るものが、
黒だったから。
それに反応して、お前は怖がってた。
・・・・・・黒が嫌いなのって、何でなんだ?」
舞乃空は包み隠さず、正直に尋ねた。
また同じようになる可能性はあったが、
確認しておきたかった。
「明来、頼む。教えてくれ。」
舞乃空を見る明来の目は、
頭がはっきりしないのか
焦点が合っていなかった。
「俺も、秘密にしていることを話すから。」
「・・・・・・・」
ゆっくり身体を起こして
ベッドの上に胡坐をかくと、明来は
真剣に見据えてくる彼に視線を向ける。
「・・・・・・
黒が嫌いな理由とか・・・・・・
別に深い意味は・・・・・・ないよ。」
「嘘だ。」
「ないって。」
「嘘ついても、分かるって。」
「何なんよ。お前。」
「明来。」
「そんなことより、どうして
家に戻っとるん?墓参りせずに。
・・・・・・しかも、どうやって帰って来たと?
まさか、俺を背負って?」
質問したことを、はぐらかされた。
しかし舞乃空は、敢えて聞き返さずに
話を合わせる。
「・・・・・・背負って帰るのは考えた。
けどあの後、女性の知り合いが来て
俺とお前を、車に乗せて
送ってくれたんだ。」
「・・・・・・意味が分からん・・・・・・」
自分がどうなったのか分からない上に、
バスに乗っていた女性と関わり、こうして
家で舞乃空と普通に話している事が。
「・・・・・・疲れとったんかいな・・・・・・
俺・・・・・・」
項垂れる明来の姿を見て、
舞乃空は困り果ててしまう。
話を、どう切り出そうか。
あの二人の事を、どう話そうか考え込む。
互いに、無言の時間が流れた。
項垂れていた頭を少し上げて、
明来は舞乃空を見る。
彼は視線を落とし、表情を暗くさせている。
何れにせよ、自分が彼に
迷惑をかけてしまった事には変わりない。
「・・・・・・
気を失った俺を運んでくれて、
ありがとう・・・・・・
俺の方が謝らないと・・・・・・
迷惑かけたみたいで・・・・・・ごめん。」
感謝と謝罪の言葉を聞き、
舞乃空は首を横に振る。
「そんなのはいいって。当然だろ。」
「当然・・・じゃないやろ。今、何時?」
「・・・・・・16時を過ぎたところ。」
「・・・・・・墓参り、もう行けないな・・・・・・」
「また、行けばいいじゃん。」
「・・・・・・そうやけど・・・・・・」
「・・・・・・なぁ、明来。」
「・・・・・・ん?」
「俺が秘密にしている事を、
聞いてくれるか?」
「・・・・・・」
「信じてもらえるか?」
「・・・・・・どうしたん、さっきから。
秘密とか、何とか・・・・・・」
舞乃空は、じっと見上げてくる。
真剣な表情を崩さない彼を、明来は
怪訝そうに見つめ返した。
「俺に、嘘は通じないんだ。」
「・・・・・・は?」
「お前が嘘をついても、俺には分かる。
何か隠している事も。」
「・・・・・・」
「お前を守りたいんだ、明来。
お前が、お前でいる為に。」
「・・・・・・舞乃空。」
訴えかける彼に、明来は戸惑った。
―隠している事。
秘密にしている事。
こいつの言っとる事って・・・・・・
まさか・・・・・・
「・・・・・・それが、お前の秘密?」
「ああ。」
「・・・・・・それで、俺が嘘をついとるって?」
「そうだよ。」
―・・・・・・
黒が、嫌いなこと。
確かに、憶えとらんところで
こいつに言っとる。
その理由を、こいつは聞いとるとか?
・・・・・・
そうだとしたら。
「・・・俺は、隠しとるつもりもないし、
嘘をついとるわけでもない。
・・・・・・逆に、聞きたい。
俺は何て言った?憶えていないんよ・・・・・・
何も。ほんとに、何も。
こっちが教えてほしいくらい。」
―どうして、思い出せない?
「・・・・・・俺が秘密にしとること?
いいよ。話すよ。
両親が死んだ日の事を、俺は憶えとらん。
だから、言いたくても、言えない。
・・・黒が嫌いな理由だって?
いつも寝て起きた時、
確かに夢を見てうなされとるのに、
何も憶えとらんけん。
真っ暗で、何も見えない。それだけ。
・・・・・・憶えとらんのよ。分からない。
お前が聞きたい答えは、何もない。
こんなことをお前に言って、
何か思い出すわけでもないだろ?」
―・・・・・・怖い。
「怖いんよ。俺自身が。
知らないところで、
何が起きとるのか・・・・・・分からんとか。
分からんのに・・・・・・知られとるとか。」
「・・・・・・明来。」
「これは、嘘じゃない。」
「ああ。分かってる。」
「俺は・・・どうなっとるんやろう・・・・・・」
涙が溢れそうになり、視界がぼやける。
―自分が憶えとらんところで、
何が起こっとるのか、
知るのも、怖い。
「お前は悪くない。」
彼の声は近い。
気づけば、彼の両腕が自分に回されていた。
「悪くないから。
だから、いつも通りでいい。
・・・俺がずっと傍にいる。
何でも、受け止めてやるから。
・・・・・・俺を頼ってくれ、明来。」
囁かれる彼の声は、とても心地好い。
本来ならこの両腕を
跳ね除けようと思うのだが、今は違う。
彼の抱擁は、とても温かかった。
「・・・・・・お前は、俺が変だと思わんと?」
「思わねーよ。」
「・・・・・・お前は何で、俺に、
ここまでしてくれるん?」
「その質問は、聞くだけ無駄だぜ。」
彼は、可笑しそうに笑った。
「明来が大好きだからだよ。それだけ。」
さらっと、言われた言葉。
それは少なからず、波を起こす。
「・・・・・・そ、それが、理由・・・・・・?」
「立派な理由じゃね?」
「何か・・・・・・」
―告られたような。
「あれ?ちょっとは届いたかなー。
俺の気持ち。へへっ。」
届いたも何も、ハグされて、
大好きだと言われたら
動じない者はいない。
「・・・・・・どっちなんだよ・・・・・・」
「どっちって?」
「お前って・・・・・・」
「性別関係なくね?
大好きなもんは大好きだろ。その感覚だよ。
引かれるかもしれねーけど、俺は
明来が男だろうが女だろうが
関係ねーんだって。」
問題発言だった。
そして今、自分は
舞乃空の腕の中にいる。
もがいても無駄な、距離にいる。
明来が固まっていると、
舞乃空は可笑しくて堪らない様子で
彼の顔を覗き込む。
「心配すんなって!このまま押し倒して
チューとかしねーから!」
「しようと思ったやろ?!」
「あー。少しはね。」
「・・・・・・お前が言うことって、
冗談なのか本気なのか、
いっちょん分からん。」
「勿論、マジで言ってる。
俺はね、明来が幸せならそれでいーんだ。
お前が葉音と、どれだけ仲良くしても
俺はお前が大好きなんだって。
例えお前に嫌われても、
大好きのままでいられる自信があるんだ。」
問題発言の連発に、
意識がついていかない。
「お・・・お前な・・・・・・
自分が言っとること、分かっとる?」
「正直な気持ち、言ってるだけってことだろ?
分かってるよー。」
「違う!」
「えー?」
―こいつは、俺のこと・・・・・・
やっぱりそういう意味で、好きだって、
ことなんやろ?
今回の彼の抱擁は、緩やかだ。
その両腕をのけるように離れ、
明来は頭を抱える。
「混乱してきた・・・・・・」
離れたのを気にすることなく、
舞乃空は笑みを浮かべて様子を窺っている。
「何でパニくるんだよ?
分かりやすいだろー?」
「俺は葉音が・・・・・・」
「大好きなんだろ?かなり知ってる。」
「付き合おうかなって、しとるとこ。」
「おー。それも知ってる。」
「何で平気なんだよ?!おかしいだろ!
俺は葉音と付き合おうとしとるのに!」
その明来の言い分に、
舞乃空は驚愕している。
「え。なに。明来。お前・・・・・・
俺を、イチャつける対象として
見てくれてんの?きゃーっ。」
解釈があまりにも斬新すぎて、
明来は思わず声を上げる。
「はぁ?!な、何でそうなる?!」
「そうじゃないなら、
気にする必要ないじゃん。
好きなだけ葉音とイチャつけよ。
俺は勝手に、お前が大好きなんだから。」
「いや・・・・・・だから・・・・・・」
「俺は、その資格持ってねーの。
そんな位置に、俺はいないの。」
「いや、待て。お前、おかしいって。」
「いーんだよ俺は。
明来の傍にいられたら、それで。
こーしてハグできるだけで・・・・・・
めっちゃ幸せーっ。」
「・・・・・・」
この流れで、ハグされる。
しかし、ぎゅーっとされても
明来は何の反応もしない。
その事に、舞乃空は疑問を持つ。
「どーした?
いつもなら、必死で逃げようとするのに。
今日は全然抵抗しないじゃん。
嬉しいけど。」
「・・・・・・」
「明来ー?」
「・・・・・・資格って、何の資格なん。」
「え?」
「お前矛盾しとる。
性別関係ないって言っといて、引くん?
・・・それなら俺だって、
葉音と仲良くする資格なんてない。」
「・・・・・・」
「こんな俺なんか・・・・・・
葉音と付き合う資格なんて・・・・・・」
「ストップ。」
がし、と頭を片手で掴まれる。
強制的に顔を向けさせられ、
舞乃空と視線を合わせた。
「明来のダメなとこだ。自分を否定すんな。
お前の事、大好きだって言ってくれてる
葉音にも失礼だぞ。」
「・・・・・・」
「俺の気持ちを、知ってもらいたかった。
だから言ったんだ。大好きだって。
・・・俺の話は終わり。
頭の片隅にでも入れといてくれ。」
「・・・・・・舞乃空。」
「これから話す事、聞いてもらえるか?」
舞乃空は、掴んでいた明来の頭を
ぽんぽんと軽く叩き、少し離れると
チノパンの後ろポケットから名刺を取り出す。
「助けてくれた女性から、
名刺をもらってさ・・・・・・」
差し出されたそれを、
軽く触れるように受け取った。
微かに、シプレのフレグランスが漂う。
「易者・・・・・・」
「明来が気を失う原因を、
この人は知っているらしい。」
「・・・・・・え?」
「お前と会って、話がしたいって言ってた。」
名刺の上部に記された英単語を、明来は
じっと見つめる。
そして、ぎこちない発音で紡ぐ。
「・・・・・・Migratory Bards?」
「どんな意味なんだろーな・・・・・・
会社の名前かなって思って検索したけど、
出てこない。」
「・・・・・・スペルが間違っとらん?」
「あー、そうそう。
“Birds”なら“渡り鳥”って意味らしいけど。
・・・詳しくは、聞けなかったんだよなー。
聞ける雰囲気じゃなかったっていうか。」
「・・・・・・」
「組織の名前だと、俺は思う。」
「・・・・・・組織?」
「女性の知り合いってのが、
めっちゃダンディなスーツの男性でさー。
その人が、組織の社長・・・・・・かな?
お前を助けたいって言ってくれている。
・・・正直、ヤベー宗教の人たちかなって
思ったけど・・・・・・」
確かに、聞く限りでは
怪しいとしか思えない。
「・・・・・・嘘は、言ってないんだ。
うまく言えねーけど・・・・・・
その人たちは、マジなやつ。
お前も会って話したら分かる。
騙そうとして、俺たちに
話し掛けてきたわけじゃないって。」
「・・・・・・」
「俺も一緒にいるからさ、会ってみね?」
舞乃空は、真面目に告げている。
ため息をつき、明来は言葉を漏らす。
「・・・・・・会って話せば、
俺は何か思い出すとかいな・・・・・・・」
「お前が安心して過ごせるなら、俺は
その話、乗ってもいいと思う。」
―怖くない、とは言えない。
・・・・・・でも。
「・・・・・・嘘が通じないっていう、お前が
言うことやからな・・・・・・
いいよ。会おう。」
自分の話を信じ、すんなりと
事が運ぶと思っていなかった舞乃空は、
目を丸くして尋ねる。
「・・・・・・俺の話、信じてくれたのか?」
そんな彼を、明来は真っ直ぐ見据えた。
「お前な。お前が信じろと言ったんやろ?
・・・信じるよ。
お前の話も、お前の事も。
俺には、それくらいしかできんけん。
・・・・・・お前の気持ちには、
応えられんけど。」
自分の為に、告げられた言葉。
彼の表情は、驚きとともに
明るくなって、笑みが零れる。
心の底から溢れ出るようだった。
「何言ってんだよ。
十分応えてくれてるって。
・・・・・・考えてくれて、ありがとな。」
「・・・・・・」
そんな舞乃空の笑顔を見届けた明来は、
名刺を返すとベッドから下りようとする。
しかし彼は、
それを止めるように片腕を掴んだ。
「ありがとうのハグさせてー。」
「な、何言っとるん。はなせっ。」
「何なら押し倒してチューします。」
「せ、せんって言ったやんかっ!」
「さっきと今とはモチベが違うしー。」
「まっ、松宮さんとこ行くんやろ?!
挨拶っ!!」
「まだ17時まで、時間あるじゃん。」
「はなせってばっ!!」
真っ赤になって、必死で
片腕を掴む自分の手を振り解こうとする
明来を、舞乃空は満足そうに眺める。
「はははっ。いつもの感じー。
このくらい元気な方がいいなー。」
「何なんお前はっ!」
「冗談だってばー。本気にすんなよー。」
そして笑いながら、明来の腕を放す。
―こいつの冗談は、いっちょん分からん!
息切れをして、舞乃空を睨む。
―やっぱり、こいつの力・・・ハンパない。
油断すると、マジでされるかも・・・・・・
睨まれているにも関わらず
彼は、ご満悦である。
舞乃空から目を逸らした先に、
スタンドに立て掛けられた
アコースティックギターがある。
先程意識がはっきりしない中、この音色を
聴いた気がする。
それと、綺麗に伸びる彼の歌声を。
「・・・・・・舞乃空。」
「んー?」
「さっき歌ってたやつ、
もう一回聴かせてくれ。フルで。」
「あー。いいよー。」
彼は快く返事をしてベッドから下り、
アコースティックギターを手に取る。
ギターストラップを肩に掛けて抱える様は
慣れていて、吸い付くように納まる。
それが格好良くて、不本意にも
明来は見惚れてしまう。
「アコギバージョン。どう思った?」
微笑みながら訊かれて、はっとしつつ
しどろもどろに答える。
「・・・・・・い・・・・・いいと思った。
何なん、アレンジも出来ると?」
―お前、ほんと何者なん?
「へへっ。この曲は元々
アコギから作ってんだよ。
世間に出回ってる方が、アレンジされてる。
・・・・・・知らなかったか?」
「・・・・・・知らんかった。」
「目覚めがいいかなーっと思ってさ。
聴かせてみよーってカンジで歌ってたら、
明来がマジで起きたから嬉しかった。」
ベッドに腰を下ろし、ギターを抱える
舞乃空の姿を、明来は
その隣に座って、じっと見据える。
いい加減で、身勝手で。
なのに音楽と向き合う彼の姿は、
文句なしに格好いいと思う。
そう思う自分を、不思議と受け入れられて
肯定してしまう。
彼が奏でるギターの音色は、
心が落ち着いた。
抱え込んでいる不安も恐怖も、
この時間だけは、忘れられる気がした。
低音の歌声は、
そんな自分を包んでくれて優しい。
彼という存在が、自分の傍にいる。
その事実は、とても心強い。
彼の存在が、
かけがえのないものなのだと気づいた
最初の時間だった。
午後5時を過ぎた頃。
明来と舞乃空は
松宮冷機の事務所に出向く。
階段を上がり、事務所のドアを3回ノックして
明来は声を掛けた。
「こんばんは、お疲れさまです。」
断りを入れたら開けて入っていいと、以前から
松宮に許可されている。
ドアを開けて中を見渡すと、
打ち合わせの最中だったのか
皆、勢揃いしていた。
「おお。明来。どうした?」
ドア付近のソファーに座る寺本が、
入り口に立つ明来に声を掛ける。
会釈をして事務所内に足を踏み入れた後、
後ろから続くように舞乃空が姿を現す。
皆は一斉に、彼へ視線を向けた。
「お疲れさまっす!はじめまして!
阿久屋 舞乃空と申します!
よろしくお願いします!」
注目されても気圧されずに、舞乃空は
大きな挨拶をして頭を下げる。
「おー、舞乃空くん!よく来てくれた!」
「良かった!親御さん、許してくれたのね?」
逸早く反応したのが、松宮と陽菜。
二人は笑みを浮かべて、
その場から立ち上がる。
「はい!お世話になります!」
そんな二人に応えて、満面の笑みを浮かべた。
「イケメンやん。」
「背ぇ高ぇなぁ。」
寺本と水野が、ほぼ同時に言葉を漏らす。
「あの、これ。良かったら皆さんで。」
舞乃空は松宮の所に歩いていくと、
手に持っていた紙の手提げ袋から
菓子折りを取り出して両手に持ち、差し出す。
松宮は、それを快く受け取った。
「気を遣ってもらって、すまないね。
ありがとう。」
「いえいえ!
その節は、大変お世話になりました!
ご挨拶が遅くなって、申し訳ありません。」
「ははっ。いいんだよ。」
何度も頭を下げ、きちんとした挨拶をする
彼に対し、松宮は
柔らかい笑みを浮かべる。
「ふふっ。賑やかになりそうね。」
陽菜も、顔を綻ばせて見守っている。
まるで息子を迎えるような様子の二人に、
舞乃空は自然と笑顔になった。
「精一杯頑張ります!」
「よろしく。」
松宮と舞乃空が
笑顔でやり取りをするのを、明来は
安心して見守っていた。
「明来と並ぶと、アイドルみたいやなぁ。」
水野が、率直な意見を述べる。
「水野さんもイケメンっすよ。」
寺本は、笑いながら言う。
「本気で言っとるとや?」
「勿論じゃないっすか。」
「お前、分かっとるやないか。」
「中身が、イケメンっす。」
「中身、だけや?」
二人のやり取りに、舞乃空は笑っている。
「舞乃空くんの出勤は、
ゴールデンウイーク明けからにするよ。
大丈夫か?」
松宮の言葉に、快く返事をする。
「大丈夫です!」
「寺本。明来と一緒に、
舞乃空くんをよろしく頼むよ。」
その一声に、寺本は背筋を伸ばした。
「はい。」
「集合住宅の案件が入っとる。
丁度いい時に来たなぁ。
基本を覚えられるチャンスやぞ。」
水野に笑顔で話し掛けられ、舞乃空は
頭を深く下げて声を張る。
「はい!よろしくお願いします!」
「おお。元気いいなぁ。」
寺本は、静かに見守っていた明来に
言葉を投げる。
「明来。道具の事とか教えてやれ。
お前の方が先輩やからな。」
「えっ。俺がっすか?」
「教えることも、勉強になるけんな。」
「よろしくっす!先輩!付いていくっす!」
「ま、舞乃空っ。」
明来と舞乃空の様子を見て、
寺本は笑みを浮かべて言った。
「ははっ。
お前らいいコンビになりそうやん。」
和やかな時間が過ぎていく。
舞乃空を温かく迎え入れてくれた皆に、
明来は心から感謝した。
これから彼と共に
生活していくことを考えると、
明るい気持ちになれた。
彼が発する光は、自分の闇を照らしてくれる。
それを頼りに、歩いて行ける。
「舞乃空くん!こんばんは!」
「よぉ、葉音!こんばんはー!」
葉音の訪問を、明来と舞乃空は揃って
玄関で迎え入れる。
彼女が明来の家に訪れたのは、
20時を過ぎた頃。
夕ご飯を済ませた後に会う約束をして、
二人は待ち受けていた。
「明来ちゃん、こんばんは。」
「・・・こんばんは。」
昨晩の事を思い出し、明来は
鼓動を速めながら挨拶を交わす。
彼女は今日も、輝かんばかりの笑顔だ。
「お邪魔しまぁす!」
「どうぞどうぞー!」
まるで自分の家のように、
舞乃空は葉音をリビングへ促していく。
―掃除は念入りにしたし、
フレグランスも買い替えたし・・・・・・
気にしながら、二人の後を追う。
「わぁ、ばり懐かしい!
あんまり変わっとらんねぇ。
・・・あっ。いいにおい。」
葉音は楽しそうに、リビングを散策する。
浮き立つ彼女の後姿を、明来は
目で追いながら付いていった。
舞乃空は二人から外れて
アイランドキッチンへ向かうと、
戸棚からコーヒー豆を取り出し、
マグカップを準備している。
「あ!これ!」
彼女の目に留まったものは、
液晶テレビの横に鎮座している
木製の手作りオルゴール。
明来が、小学5年生の図工で作った
代物である。
蓋の模様は、彫刻刀でレリーフされた
一匹の鮎。
川の水面から跳ねる様子を、
細かく再現している。
あまりにも良い出来に、
先生にクラスメイトに褒めちぎられて
学校側からも、入り口に飾りたいと言われた。
だが、両親が手放したくないと断り、
家に持ち帰ってきたのだ。
常に見える所に置きたいと言って、
この場所に落ち着いている。
明来は葉音の隣に並ぶと、
そのオルゴールの蓋を指でなぞる。
「なかなか捨てきれなくてさ・・・・・・」
「えっ?!捨てようとしとると?!
ダメだよぉ!
これ、すっっっごく素敵なのに!」
二人並んで話している様子を、舞乃空は
微笑ましく眺めている。
「・・・・・・いるなら、あげるよ。」
「えっ?!いいと?!」
「俺が持ってたら、いつか捨てそうだし。」
「うわぁ。良かったぁ。
私が大事に引き取ります。」
そのオルゴールを、葉音は嬉しそうに
そっと両手で持つ。
「・・・・・・何の曲やったっけ?」
「・・・・・・何やったかな・・・・・・」
外箱の思い出が先行しすぎて、
中に入っている肝心の曲を忘れている。
「・・・開けてもいい?」
「もう葉音のものやから、どうぞ。」
外箱の裏側にあるネジを巻いて
蓋を開けると、繊細な音色が奏でられる。
「・・・おおっ。渋い!」
二人よりも先に、舞乃空が声を上げる。
「・・・・・・えーっとぉ・・・・・・」
「教科書に載ってるやつやったっけ・・・・・・」
反応が乏しい明来と葉音に対し、
舞乃空は嗜めるように告げる。
「お前ら。その反応失礼だぞ!
名曲も名曲だろ。オールジャンル、
きちんと調べて復習しとけよー。」
学校の先生みたいな事を言う彼に、
二人は目を丸くして視線を送る。
「意外・・・・・・」
「・・・お前、変なところで真面目やな。」
「・・・・・・あのなー。
好きな曲聴ける時代だし、
必要ないかもしれねーけど・・・・・・
音楽好きなら、偏見なく敬って聴く。
それは心構えとして持っとくべきだ。
どの曲も、作り手の苦労と喜びが
詰まってる。尊いもんなんだよ。」
説教じみた言葉を述べる彼は、
別人のように思える。
それに共感したのか、葉音は神妙な顔をして
ソファーに、ちょこんと座る。
「そうやね・・・・・・
舞乃空くんの言う通り。
歌い手には、必要な心構えやね。」
「そうそう。知っておいて、損はない。」
「うん。」
「答えは言わねーからな。
ヒントは、
日本で作曲された初めての西洋音楽だ。」
挽かれたコーヒー豆の香りが、
リビングに広がる。
また、舞乃空の知らない一面を
垣間見た気がして、明来は彼に視線を送りつつ
葉音の隣に腰を下ろした。
テーブルに置いたオルゴールの音色を、
明来と葉音は静かに聴いている。
音色と向き合う二人を眺めて、
舞乃空は笑みを浮かべながら
マグカップ二つに、コーヒーを注いだ。
それを両手に持って、二人の目の前に置く。
「二人とも、コーヒーでも飲んで待ってろ。
ゆーっくりな。
・・・俺は、電話する用事思い出したから。」
「電話?」
「ああ。ちょっとな。
それと、ただ聴くだけじゃ
つまんねーだろうから、それの準備。」
「ふふっ。何やろぉ。」
「楽しみに待ってなさい。」
そう言って、リビングから
風のように去っていく舞乃空を、
明来と葉音は見送る。
オルゴールの音色も、ネジが切れて
ゆっくり止まる。
途端に、しんと静まり返った。
「・・・・・・明来ちゃん。
舞乃空くんが戻ってきて良かったね。」
オルゴールの蓋を閉めて、葉音は
言葉を紡ぐ。
「・・・・・・まぁ。うん。」
静けさを紛らすように、明来は
マグカップを手に取り、
息を吹きかけてコーヒーを啜る。
「わっ。明来ちゃん、ブラックで飲むと?」
「えっ?・・・ああ。うん。」
―舞乃空の影響もあるけど・・・・・・
試しに飲んでみたら意外と、いけた。
「すごいなぁ。」
「すごくないよ。」
明来は、小さく笑う。
「砂糖とミルク、いる?」
「あ、えっと・・・・・・ううん。
私もブラックで飲んでみる。」
「・・・無理せん方がいいよ。」
「何か、くやしいもん。」
葉音も負けじと、湯気が立ち昇るマグカップに
ふーっ、ふーっ、と息を吹きかけて、
口を付ける。
小さな両指が白いマグカップに添えられ、
桜色の唇に、黒い液体が吸い込まれる。
その対比が、堪らなく色を感じた。
明来は、反射的に目を逸らす。
「・・・・・・あれ?意外といけるかも。」
「・・・・・・俺も、そんな感じやった。」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ふいに訪れる沈黙の時間が、気まずい。
居住空間に、彼女と二人。
にわかに信じられない、現実。
明来は視線を遠くに向け、
少しずつコーヒーを啜る。
葉音はマグカップを両手に持ち、
コーヒーに浮かぶ
照明の光を見つめていた。
コーヒーを飲み終えてしまい、明来は
マグカップをテーブルの上に置く。
「・・・・・・あいつ、遅いな・・・・・・」
「・・・・・・うん。遅いね・・・・・・」
ものの5分程度。
だが二人にとっては、長すぎた。
―・・・・・・あいつ、まさか・・・・・・
マジで、バックレとらんよな?
・・・・・・でも、電話って言っとったし・・・・・・
準備って一体・・・・・・
「・・・・・・見てこようかな・・・・・・」
「・・・・・・」
明来は、ソファーから立ち上がる。
行こうとした彼の片手を、
彼女の小さな両手が引き止めた。
「・・・・・・待っとこ。明来ちゃん。」
小さな、小さな彼女の声。
引き止められたのと、
手から伝わる彼女の温もりに、
彼は逆らえなかった。
そのまま、すとん、とソファーに腰を下ろす。
手は、握られたままだ。
「・・・・・・今日も、頑張ったよ。」
ぽつりと、葉音は紡ぐ。
「ご褒美・・・・・・ほしいなぁ。」
「・・・ご、ご褒美・・・・・・?」
今、この空間で、その言葉の響きは、
いかがわしく思える。
「今日もよく頑張ったねっていう・・・ご褒美。」
「・・・・・・え・・・えっと・・・・・・」
―どうする。
何をすればいい?
ご褒美って、何がご褒美になるん?
自分の中で、ありとあらゆるものを
かき集めて、これは違う、これはどうかな、
瞬間で考え抜いて、選んだもの。
「・・・・・・今日も、よく頑張った。葉音。」
掠れて、うまく紡げない。
それを埋めるように、彼女の頭の上に
ぽん、と手を置く。
―・・・こ、これでいいのかな・・・・・・
「えへへ。うふふ。
ありがとぉ。うれしい。」
葉音は、とても嬉しそうに笑う。
その顔が、あまりにも溶けそうで
可愛すぎた。
思わず追い打ちで、
よしよし、と彼女の頭を撫でる。
―かわいい。かわいすぎる。
その勢いに乗り、明来は勇気を振り絞って
葉音の手を取った。
そして、彼女に聞こうと思っていた事を
口にする。
「・・・・・・今度さ、どっか出掛けん?
誕生日のお祝いもしたいし・・・・・・」
明来の申し出に、葉音の表情は
さらに明るく輝いていく。
「ほんと?!うれしい!」
「どこがいいかな・・・・・・」
「どこでもいいよぉ!えへへっ。」
「行きたいとこ思いついたら、
いつでも言って。」
「うん!分かったぁ!」
輝かんばかりの彼女の笑顔を見て、
明来は自然に笑みを浮かべる。
「明来ちゃん。ありがとぉ。好き。」
彼女は、彼の腕に寄り添うように、
ぴとっと、くっ付く。
動揺と、動悸と、明来の中で大騒ぎになる。
「・・・・・・え、えっと・・・・・・
俺も、好きです・・・・・・」
「えへへへ。」
ぎゅーっと、彼女は彼の腕に絡みつく。
―・・・・・・
ドウシヨウ?
完全に固まりつつあった、その時。
「・・・?!」
「えっ?!」
リビングの照明が、落ちた。
急に真っ暗になり、二人は驚く。
「はいこれー。持ってー。」
アコースティックギターの掻き鳴らしと
舞乃空の声とともに、浮かび上がる光。
二つの光は、明来と葉音の元へ近づく。
「・・・・・・ペンライト?」
光の元は、青白く輝くペンライトである。
「俺の歌とともに振ってくれー。
よろしくー。」
ペンライトの光で、舞乃空の姿を確認する。
彼は中折れ帽を被り、抱えている
アコースティックギターを
楽しそうに掻き鳴らしている。
「うふふっ。はーい!」
そのノリに、葉音は快く便乗して
差し出されたペンライトを持つ。
明来は呆気に取られたまま
差し出されたそれを手に持った。
暗い中で、青白い光が二つ。
リビングには違いないのだが、
ギターの音色が響き渡るだけで
ライブハウスのような感覚に陥る。
葉音は笑顔で、彼が奏でるビートに合わせて
ペンライトを振っている。
彼女の対応力には、敵わない。
明来は微動も出来ずに、
舞乃空が披露するギターの音色と
歌声を目の当たりにした。
『この世界は明るすぎるから
何も見たくない時だってあるよな
だから疲れたときは
照明落として見上げてみろよ
お前も俺も 輝いてることに気づくから
顔を上げろよ 手を繋いで笑おうぜ
あれこれ考えていたことも
過ぎ去れば 笑って話せるって
息吸って 吐いて
泣いて 笑って
気づいて 気づかされて
いつもお前が傍にいる
なんて幸せなんだ 俺は幸せなんだよ
二人で笑い合ってる未来
想像できたか?
誰にもできないこと 出来てるだろ?
It’s a secret between just the two of us』
彼の繊細な歌声とシンクロする、Aコード。
とても心強くて、
心が揺さぶられる気がした。
ペンライトを振ることなんて忘れ、
明来は頬に涙を伝わせる。
まるで。
自分に向けられたような歌。
舞乃空の気持ちが、深く籠められている。
「舞乃空くん、素敵!!」
感極まって、葉音は声を上げる。
気づけば彼女は
ソファーから立ち上がり、
ペンライトを一生懸命振っている。
「聴いてくれてありがとなーっ!!」
舞乃空は、嬉しさを最大限に表すように
笑顔でギターを弾き続けている。
ライブの最高潮を思わせる、はしゃぎ振りだ。
二人が盛り上がっている中、明来は
止まらない涙を拭うことなく
ギターの音色に酔いしれる。
暗くて良かった。
涙を拭わなければ、泣いている事を
二人に、気づかれずに済む。
いや、でも。
もしかしたら、気づかれているかもしれない。
リビングが明るくなる時は、止まるかな。
止まらないかもしれない。
でも、それでもいい。
この二人には、
自分のありのままを見てほしい。
今は泣くことしか出来ない、弱い自分を。
いつか。きっと。
強くなった自分を、見てもらう為に。
時刻は、深夜を回ろうとしていた。
二人がいる場所は、
県内で指折りのシティホテル内。
その中にある、VIP専用のバーにいる。
静かな空間に流れる、微かな水槽の音。
様々な熱帯魚の鱗が
青白い照明と反射し、漂っている。
バーテンダーの姿はない。
程よく落とされた淡い照明の下で、二人は
上質のカウンター席に座っている。
テーブルに置かれた、
互いの好みが物語るグラス。
一人は、
アイランズ・モルト・ウィスキーのロック。
一人は、
口当たりの良い柑橘系のカクテル。
それは口が付けられずに残り、
氷が解け始めている。
二人はただ、人気のいない
この空間に漂っていた。
蔵野に急な仕事が入り、それに
ゆりは同行した。
“彼”の命日ということで休暇を取ったのだが、
前触れのない仕事となれば、
自分が傍にいない事は危険に繋がる。
他にも、勿論代役はいる。
だが彼は今回、
自分を連れていく意思を強く示した。
それに、断るわけにはいかない。
彼は、多方面から
身柄も命も狙われている。
彼の真の姿を知る者は、限られている。
自分はその一人だ。
カモフラージュの為に
あらゆる噂を流し、雲隠れをしていた。
現在、蔵野が身を落ち着かせている
このホテルは、仮の住まいである。
午後9時頃まで仕事で、仕事に関わる
クライアントと会い、会合を済ませて
このホテルに辿り着いたのは、
午後10時過ぎである。
ゆりが帰路につこうとすると、
蔵野は引き止めた。
【遅くまで付き合わせて、すまないね。
埋め合わせをしたい。ご馳走するよ。】
この誘いに、ゆりは迷いながらも従った。
今日という日に、蔵野が
“彼”の墓参りに出向いてくれたこと。
その気持ちに、少なからず感謝をしていた。
そして、一人で食事をするのも
気が進まない。
ホテル内にあるイタリアンレストランで、
コース料理を口にする。
彼と行動を共にするようになって、
こういった場所で会合する事も増えていた。
前の自分なら、戸惑っていただろう。
身構える事なく、その時間を過ごす。
晩餐の後、帰ろうとしたゆりを
蔵野は再び引き止めた。
【一杯だけ、付き合ってくれないか。】
この誘いには、動揺した。
居酒屋で酒を酌み交わしていた頃が、
懐かしい。
その時間は、自分の為に
合わせてくれていたものだと
今は分かっている。いい思い出だ。
この状況。
これは、彼の時間である。
「・・・・・・」
訪れてから、酒を頼むこと以外
互いに、何も言葉を紡いでいない。
蔵野の雰囲気もあるが、敢えて
無言でいることを
選んでいるように思えた。
彼と行動を共にするようになって、ゆりは
様々な彼の表情を目にしている。
出逢った頃の彼は、
自分のいる世界に合わせようとしていたのか
普通の男性だったような気がする。
他愛ない話もしていたし、
特に音楽の嗜好は合っていた。
今は。
この彼の姿が、本来なのかもしれない。
話をするのは、ほとんど仕事の事。
互いの事を深め合う話は、ない。
変わらざるを得なかったのか。
そうさせたのは、自分かもしれない。
そうだとすれば・・・・・・
ゆりは、寂しかった。
蔵野 恵吾という人間味は、
もう見ることはできないのか。
あの頃のように、
笑い合って話せる時間は・・・・・・
今日、霊園で彼に告げられた言葉は。
“伴侶”とは。
そのままの、意味なのだろうか。
「・・・・・・0時を回ったね。」
ぽつりと、蔵野は言葉を零す。
それが合図のように、ゆりは顔を上げた。
「・・・・・・お疲れではありませんか?
もう部屋で、休まれては・・・・・・」
「部屋に来ないか。」
顔を向けられて紡がれた言葉は、閃光の如く
彼女の胸を刺した。
「話がしたい。」
「・・・・・・」
ゆりは、その眼差しに囚われる。
「・・・・・・ここでは、話せない事ですか?」
声を、絞り出す。
聞くのは、愚問だったのかもしれない。
でも、聞かずにはいられなかった。
「この空間は“彼”の弔いだ。
・・・・・・もう、日を跨いでいる。」
「・・・・・・」
射貫く程に強い、彼の視線。
ゆりは思わず、目を逸らそうとした。
しかし、それを許さないように
膝の上に置いていた彼女の手を、
彼の大きな手が覆う。
「・・・・・・これから僕が君に、
何をするのか・・・・・・分かるはずだ。」
言葉も、眼差しも、衝撃に近い。
「この手を払わないなら・・・・・・
僕は止めないよ。」
頬に添えられる、彼のもう一つの手。
ゆりの視線を逃さないように、
その手が顎を捉える。
―この人は。
いつも私に、猶予を与える。
大切に扱う。
前も、今も。
それが今は、苦しい。
「・・・・・・止めないで・・・・・・」
声が震える。
彼女の頬には、涙が零れた。
「もう、私に・・・・・・
考える余地を与えないで・・・・・・」
―お願いだから・・・・・・
「考えられなくなる程・・・・・・」
言い終わる前に、塞がれる。
腕を引かれ、引き寄せられ、
彼の懐に納まった。
しばらく重なりが続いた後、蔵野は
ゆりの頬に流れる涙を
親指で拭き取る。
「・・・・・・考えられなくなる程、
溶け合おう。」
瞼に、口付けが落とされる。
涙さえも。
愛おしいよ、ゆり。
彼の囁きが、優しく耳に届く。
全身が痺れた。
動けない。
何も、考えられない。
すがるように、彼女は
彼の懐に身を預ける。
温もりが、伝わった。
人としての温かさ。
それが、この時、この場所で
ようやく感じ取れた。
彼は。
ずっと抑えてきたのだ。
自分への想いと、欲望を。
深い優しさが邪魔をして、消化できずに。
ようやく。それが叶う。
叶えられる。
―ああ。そうか。
この人は、本当に。
私の事を、想ってくれていたのか。
力を欲するわけではなく。
人としての、自分を。
本当に。純粋に。
私の全てを。
それぞれの夜は、過ぎていく。
未来へ向けて、
しっかり道を見据えた少年と。
自分への想いを遂げようとする彼に、
身を捧げる彼女と。
行く末は、果たして。




