嘘つきイーゴリ
嘘をついてしまう子供たち、今も嘘をついて自分を守っている大人たち。きっといつか鎧を外せる時はきます。大丈夫です。
イーゴリが、午前の休み時間にツツジの茂みの前を歩いていた時だ。「くうん」とかすかな鳴き声が聞こえた。つつじの陰を見ると、足にけがをしている子犬がぶるぶる震えて身体を丸めているではないか。前足が血でぬれていた。学校に迷い込んできたのだろう。真っ白でかわいい子犬だったが、イーゴリを見てひどくおびえていた。
『かわいそうに。この犬、放っておいたら、死んでしまうかもしれない。とりあえず、保健室で先生に手当てしてもらおう』
イーゴリは驚かせないように子犬にそっと近づいていった。がるる。犬が少しうなったがイーゴリは「噛みつかれてもいい」と静かな気持ちだった。それより、この子犬を助けてあげたかった。そんなイーゴリの気持ちが通じたのか、イーゴリが優しくふれると、子犬は抵抗せずに、静かに身を任せた。
『まるで僕になついてくれたかのようだ』
保健室へ連れていく途中、何度も犬と目が合った。その目は、イーゴリに全幅の信頼を寄せているように感じた。そして、ありがとうと言っているとイーゴリは確信をもって感じた。
昼休み。
子どもは動物に興味津々なので、学校に子犬がいるという噂はあっという間に広まり、教室は犬の話題で持ちきりだった。
「おい、イーゴリ。保健室の犬、お前がつかまえたのか?」
「うん、そうだよ」
「よくつかまえられたな。見に行くやつら全員にうなって近寄らせないのに」
「まあね」
そして、嫌味の天才と呼ばれるクラスメイトのポールが案の定一言を放った。
「イーゴリは、どんくさいだろう?ふつうにやって、つかまえられるはずがない。お前の昼メシのパンでつったのか?」
イーゴリは冷静に返した。
「犬のことを本当に心配したから、つかまえられたんだ。だから、静かにぼくにされるがままだった」
「はぁ?」
「それに、犬もちゃんと感謝していた。確かにありがとうと言った。そう感じた」
「なんてめでたい奴なんだ。それとも大ほらふきか?」
ポールは、クラスメイト達を誘導する。
「犬に感謝されただって?漫画かよ。乙女だねぇ」
クラスメイトも、みんな笑った。
イーゴリは、じっとクラスのみんなを見つめたまま、それ以上一言も話さなかった。
次の日から、イーゴリは変わった。クラスメイトが、話しかける。
「イーゴリは昨夜のテレビ番組は何を見たんだ?」
イーゴリが答える。
「昨日の夜は一人で森に探検に行ったんだ。そうしたら、熊が出てさ。死んだふりをしたら助かったんだ」
別のクラスメイトがイーゴリを誘う。
「今度の日曜日は、魔法使いの映画を観に行くんだ。イーゴリ、一緒にどう?」
イーゴリが答える。
「僕は、少しばかりなら魔法が使えるんだ。だから、そんなものは観る必要がないのさ」
クラスメイトが愚痴を言う。
「なぁ、イーゴリ。今日の体育のマラソンが中止になればいいのにな」
イーゴリは、すまして答える。
「そう思って雨乞いをしようとしたんだが、生贄が必要なのを思い出してやめたんだ」
最初は、イーゴリの話に興味を持ったり、ポールへの腹いせだろうと気にしなかったりしたクラスメイトたちも、あまりにもあからさまなイーゴリの嘘にあきれ始めた。
「イーゴリは嘘つきになった」
そんなレッテルをはられ始めた頃、サラという女の子がイーゴリのクラスに転校してきた。サラは、イーゴリの隣の席になった。
「イーゴリのノートは、とても分かりやすくまとめてあるのね」
「あぁ。これは我が家に住んでいる小人がミルク一さじの代わりにやってくれるのさ」
「うわぁ。私も小人さんにやってもらいたい」
ワクワクした眼差しのサラにイーゴリはたじろいだ。
「イーゴリはとても目が良いのね。私は眼鏡をかけているから、うらやましいわ」
「僕は呪文を唱えるだけで目がよくなるのさ」
「イーゴリ、お願い!私にもその呪文を教えて」
「これは僕にしかきかないから、ごめん」
一生懸命のサラに、イーゴリはこう返すのが精いっぱいだった。
雨上がりの午後のこと。
「イーゴリ、見て!虹よ」
「僕は虹の上を天使が歩くのを見たことがある」
「まぁ、なんてすてきなの。どんな天使だったか教えて」
きらきらした目のサラに、イーゴリはまたもやたじろいだ。
「サラ。僕とは友達にならない方がいいよ」
「なぜ?イーゴリは最高におもしろいわ」
「僕、悪魔を見たんだ。近いうち、僕を悪いことに誘いにくるかもしれない」
「それは大変だわ。私があなたにへばりついて、悪魔を追い返してやるわ。気をしっかり持ってね。悪魔なんかに負けちゃだめよ」
サラはきっと唇をかみしめて、真剣そのものだ。
とうとうイーゴリは音をあげた。
「サラ、僕の負けだ。僕はもう嘘をやめるよ」
「え?それじゃあ、今までのお話は全部嘘だったの?」
「そうだよ。気づかなかった?」
「うん。本当に?ちょっと残念だけれど、でもイーゴリはすごいわ」
「どうして?」
「作家になれるわ。ぜったいに!」
「サラ、君こそすごい人だよ。僕の話を改めて聞いてくれる?」
「えぇ、もちろんよ。どんなお話?」
「僕ね、犬と心が通じたんだ。ケガをした子犬を助けたら、子犬に感謝されたんだ」
「分かるわ。私も子猫を保護して、飼い主さんに引き渡すときに飼い主さんだけでなく、子猫にも『ありがとう』って言われたから」
「その犬は、今では僕の親友なんだ」
「うわぁ、どんなことを一緒にするの?」
「散歩したり、ご飯を食べたり、そして今日あったことを話すと、嬉しい時は手をペロぺろして、悲しい時は顔をペロペロするんだ。涙をふくみたいに」
「素敵なことだわ、イーゴリ。私もあなたの親友に今度会わせて」
「もちろん」
二人は笑った。
「サラ。僕、作家になるよ」
「そうね。いいと思うわ」
「そして必ず最初の作品を君に贈るよ」
「すてき!イーゴリ、応援しているわ」
十年後、イーゴリは国で一番名誉な児童文学賞を受賞した。
処女作の題名は「嘘つきイーゴリ」で、白い犬イーゴリが嘘を本当にする力で、悪い者たちをやっつける話だった。その本の受賞会見で、イーゴリは自分が嘘つきだったことを明かして、白い犬は自分の親友兼家族で今も一緒に住んでいること、その犬がいたから、童話が生まれたと明らかにした。
「主人公は分かりましたが、先生。このお話にでてくるヒロインも実在するのですか?」
記者の質問にイーゴリはにこやかに答える。
「確信犯的な質問ですね。僕の学生時代、調べてあるんでしょう?」
会場がどっと沸いた。
最後にイーゴリは、サラの眼鏡の奥の瞳が喜びに濡れることを想像しながら
「ぼくは嘘つきで、嘘を本当にする力もありませんでした。だから、今起こっていることが嘘でなくて心から良かったです」という言葉で締めくくり、盛大な拍手もそこそこに会場を足早に去った。
小さな一軒家にいる元同級生だった妻と年老いた愛犬が今頃記念すべき夜を過ごすための豪華なディナーを用意しているだろうことを思うと、受賞に酔うのは会場でなく自宅だったのだろう。
後日、そう書かれた記事を読んで、イーゴリは幸せをまた嚙み締めたのだった。
おわり
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
何か感じることがございましたら、感想などいただけますと嬉しいです。