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驚いた。何故彼がここに……リディアは、呆然としながらも、ヴィルヘルムの姿を見た瞬間、何故か酷く安心した。
「リディア、遅くなってごめんね」
彼はいつもの意地悪そうな笑みではなく、優しい笑みを浮かべリディアを見ていた。
瞬間周囲が一段とざわつく。それはそうだろう。ヴィルヘルムが社交の場に出で来る事などほぼ無いのだから。
「兄上。実は僕の部下が見ていたんですよ。マリエッタが嫌がるリディアの髪を引っ張り、それを彼女は軽く払った。だが、マリエッタは自ら床に転倒した。そう証言しております」
「う、嘘‼︎そ、そんな事してないわよっ」
マリエッタはヴィルヘルムを瞬間睨み付けるが、直ぐにお得意の泣き真似を続ける。その姿に彼は呆れたようにため息を吐いた。
「君は頭も性格もダメだけど、演技も全くダメだね。……瞳、乾いてるよ」
ヴィルヘルムの言葉に、図星なのかマリエッタは俯きながら唇を噛んだ。
「ヴィルヘルム、マリエッタを侮辱するのは赦さない。彼女に謝罪しろ」
「別に僕は侮辱などしてませんよ。だって事実ですから……。ですが、謝罪しろと仰るなら構いませんよ。但し、兄上がリディアに膝を突いて謝罪するなら、ですが」
元々仲が悪い事もあり、2人は互いに一歩も引く様子はない。
「どうして私が、リディアに謝罪を?婚約破棄は、彼女に非があるというのに……。私は間違ってなどいない……君もそう思うだろう、リディア?」
アロイスは、リディアに笑顔を向けてくる。ほんの前までは、この笑顔に騙され信じていた。だが今は、寒気すら感じる。
リディアは、手を握り締め不安気な表情を浮かべた。
「その気色の悪い笑み、やめて貰えます?リディアが、引いてますよ。気持ち悪いって」
「なっ……」
アロイスは顔色を変え、怒りからか顔を赤く染めた。リディアはというと、意外な彼の言葉に目を丸くする。
「あぁ、兄上。それと、リディアとの婚約は既に破棄されていますから……そんなに声を大にして公言しなくとも大丈夫ですよ?」
「何を……どういう意味だ……」
理解出来ないのか、戸惑うアロイスをヴィルヘルムは嘲笑し肩をすくめた。説明する気はないようだ。
「あと、今後僕への口の利き方にお気をつけ下さいね、兄上」
「ヴィルヘルム、ふざけているのか⁉︎私はお前の兄だぞっ。お前こそ口の利き方を」
「そう言えばまだ、貴方は知らなかったですね」
彼はアロイスの声に被せ、言葉を遮る。
広間にヴィルヘルムの凛とした声が響いていた。それとは逆に焦り戸惑うアロイスの声が滑稽に感じる。
「王太子には、僕がなりました」
そう言った彼は、鮮やかに笑ってみせる。
2人のやり取りの途中、静まり返っていた広間は一斉にまた騒がしくなる。皆一様に驚きの声を上げていた。それはアロイスも例外ではなく……。
「なった、だと?お前が?王太子に?……戯言をっ」
怒りを抑えきれずに今にもアロイスは、ヴィルヘルムに食ってかかりそうな様子だ。
「そこまでだ。こんな場所で、兄弟喧嘩も大概にしろ」
そんな時、低く威圧感のある声が聞こえた。