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「ところで、あの猪はどうするんだ?」
俺は猪の指差した。
しかしデカいな。
一体何キロあるだ、アレ。
明らかにプリシラよりデカイ猪。
どう考えても、重さが100キロ以上の大物が二頭、地面に横たわっている。
あんな巨体なのに、ボッコボコじゃないか。
猪の体に満遍なく、拳がめり込んだ跡が残っている。
プリシラ本来の力なら、一撃で致命傷を与えられるはずなのに。
おそらくだが、『暴虐』の嗜虐性が顔を出し、痛めつけるのを楽しんだのだろう。
『暴虐』に出会したのが不運。
そう思うしかない。
妹から一方的にやられたであろう獣に、俺は少し同情した。
プリシラはカイルの顔を見上げ、意気揚々と報告する。
「皆んなで、お肉食べようと思って持ってきたんだよ?プリ、偉い?」
褒めて欲しいのか、甘えるように言う彼女の頭を撫でる。
「あぁ、偉いよ。お肉なんて中々食べられないからな。ありがとうな、プリシラ」
「えへっ!お兄ちゃんに褒められた!褒められた!」
プリシラは上機嫌だ。
この手土産、といっていいのか迷うが、狩ってきてくれた食用肉は素直に嬉しい。
ラクラス村でも家畜は飼っているのだが、特別な日にしか、お肉は食卓に出てこない。
飼育数が少ないからな。
仕方のない事だ。
一応、村の周りには自然の獣も居るには居るんだが、狩猟に向いたスキルを持つ者が、俺くらいしかいない。
しかしながら俺は、ティナの為に村から遠くに行ったりはできないから、狩りをするのが難しい。
だからこそ、この猪は貴重だ。
これだけ大物となると、捌くのに時間がかかるだろうな。
食卓に出てくるのは夕飯かな。
それにしても、ウチの家族だけでは食べ切れる量じゃないな。
そう思ったのはカイルだけではなく、父ベイルも同様だった。
「プリシラ。たくさんあるから、村の皆んなに分けてあげてもいいかい?」
「いいよ!お父さんに任せる!」
「ありがとう。良い子だ」
「えへ!」
父にも褒められて、プリシラは更に嬉しそうに笑う。
「カイル!ちょっと手伝ってくれ」
「あぁ」
父に呼ばれ、猪を運ぼうと近づく。
大きいからな。
大人二人がかりで、一頭ずつ動かすのが限界だろう。
しかしプリシラが先に駆け寄り、引きずってきた時と同様に、猪の頭部をガシッと鷲掴んだ。
「いいよ、お父さん!私が運ぶから」
「いいのかい?」
「いいよ!どこまで持って行くの?」
「そうだね、中央の広場まで頼めるかい?」
「は〜い」
返事をすると、大して気負うわけでもなく、ごく当たり前のように引き摺り始めた。
ズルズルズルズル。
プリシラは感情を読み取れないほど、真顔で運んでいる。
これ程シュールな画があるだろうか。
自分の背丈より大きい猪を、華奢な女の子が引き摺る。
二頭もだぞ?
それもまったく重そうに感じさせず、自然に運んでいる。
手伝いたい所だが、俺一人じゃ一頭も運べないだろうな。
妹の横について話をする。
「今回は、いつまでお休みなんだ?」
「えっとね。明後日には仕事に戻らないといけないから、明日のお昼くらいまでかなぁ?」
今回も滞在時間は短いようだ。
仕事を始めた当初は、丸々二日とか三日くらいお休みを貰えていた。
しかし最近は、短い事が多い。
「忙しいんだな」
「そうみたい!あ、お兄ちゃん、今日は一緒に寝てくれる?」
「またか?まぁ、構わないが」
「やったねぇ!えへへっ!」
まったく、プリシラは相変わらず甘えん坊だな。
何かと俺に引っ付き回る。
世の中の妹とは、そういうもんなんだろうか。
まぁ、プリシラの希望は聞いてやらなきゃな。
ウチの大黒柱だし。
俺の家族で、お金を稼いでいるのはプリシラだけだ。
ラクラス村では自給自足の生活が成り立っているから、特段、働いて稼ぐ必要性はない。
だが、プリシラはお金を貯めたいらしく、自らの意思で働きに出た。
どんな仕事内容なのかは、俺も詳しく知らない。
ただ、騎士団の熱烈なスカウトを受けたのだから、変な仕事ではないだろう。
今でも、あの時の事を鮮明に思い出せる。
ラクラス村の近くを通った騎士団がいた。
そこに偶々、機嫌が悪くてスキルを発動していた妹が通りかかってしまい、彼らをボコボコの、メタメタの、ギッタギタにしてしまったらしい。
そのボコボコにされた騎士団の団長さんが、妹を崇拝する様に気に入ってしまい、連日部下を連れてスカウトに来るようになってな。
その度にティナの『絶対人質』が発動して、俺が何とか対処するって事が続いた。
あの時期は本当に辛かったな。
フルプレートの鎧を着た相手だと、気絶させるために、めちゃくちゃ時間がかかって、かかって、かかってな!
一週間程で、俺はやつれてしまったっけな。
そんな俺を見かねて、プリシラはスカウトの話しに乗ったんだ。
やっと解放されると、俺は内心喜んでいたが、妹には申し訳なく思った。
今では望んで仕事をしているみたいだが、最初の頃は嫌々だったと思う。
本当は行きたくない、離れるのは嫌って言ってたし。
そんなだから、休みの日に帰ってきた時くらいは、わがままを聞いてやらないとな。
猪を捌く為、村の広場まで進む。
両親は捌く道具を借りに、村長の家に向かった。
俺とプリシラは、仲良く肩を並べて歩き続ける。
そして、ズルズルと引き摺る猪はよく目立ち、村人は歓喜の声を上げた。
「うわぁ!凄い!大きい猪だなぁ!」
「あんな大きいの、見たことないよ!」
「すっげぇ!」
しかし、引き回すのがプリシラだと気付くと、皆歓喜の声を潜めて視線をずらした。
何故ならプリシラが、彼らを鋭い眼光で睨みつけるからだ。
そして小さく聞こえない様に呟く。
「黙れ、豚共」
えっ?
今、豚共って言った?
聞き間違いか?
「プリシラ?今、何か言ったか?」
「うん?何も言ってないよ!お兄ぃちゃん?」
「そうだよな。空耳か」
そんな事、言わないよな。
こんな可愛い妹が、そんな事言う訳ない。
見てみろ、天使の様な笑顔だ。
疑った俺が悪い。
「この辺りでいいか」
村の中央に位置する広場に辿り着く。
肉を切り分けた時に、皆の家に運ぶなら、ここらが妥当だろう。
「プリシラ、運んでくれてありがとう。助かったよ」
「うん!」
「手、また血塗れになっちゃったな。手を洗う時に、コレ使えよ」
俺は、いつも使ってるタオルを差し出した。
いつもって言ったが、毎日洗ってるやつだからな?
まぁ、使用感は物凄いある一品だが、家族だし、問題ないだろう。
「うわぁ、いいの?貰ってもいい?」
貰う?
どういう意味だ?
もしかして、こういうタオル的な物を、一枚も持ってないんだろうか。
お金を稼いでいるんだから、それで買えばいいのに。
あ、そうか。
節約しているのか?
普段から、無駄なお金を使わないようにしているのかもしれん。
くっ!
なんて健気な妹なんだ!
思わず涙が出そうになるカイル。
「あぁ、これで良いならあげるよ」
「やったぁ!大切にする!」
「大切?大袈裟だな」
「そんな事ないよ?えへへ!それじゃあ、ちょっと手を洗ってくるねぇ!」
「あぁ」
パタパタと水場に走っていく妹。
赤いドレスがユラユラ揺れて可愛らしい。
しかしその服は、農村には少し似合わないようなら気がしないでもない。
周りの大自然に溶け込まない気がする。
まぁ、俺はドレスを着ている女性が好きだがら、別に何の問題もないがな!
「カイル〜」
カイルが服装の好みを暴露したところで、背後からティナの声が聞こえる。
振り向くと、ティナがこちらに向けて走って来ていた。
「うわぁ!これね〜?大きい猪だね〜!」
近くに来るなり、猪を見て驚きを見せる。
どうやら猪を見に来たようだ。
「どうしたんだ?」
「ベイルさんに聞いたの〜。大きい猪がいるって!」
「あぁ、父さんが」
何処かで会ったんだな。
その時、猪がビクッと動いた。
死後の筋肉収縮の類なので、生きている訳では無いのだが、知る由もない二人は驚く。
「ヒャァ!」
「生きているのか!?」
俺は剣を抜いて構えた。
暫く様子をみたが、動く気配が無い。
剣を鞘に収める。
「生きているの?」
ティナは俺の背後にピタッとくっつき、恐る恐る猪を覗いた。
「いや、死んでいる。大丈夫だろう」
ティナを安心させるために落ち着いた口調で話す。
「そっか〜!ビックリしたなぁ」
「ハハッ。そうだな」
そんな談笑をしていると、赤い影が迫る。
「お兄ちゃんに、触るなぁぁ!」
「ふぇぇ?プリシラちゃん!?」
不快感をあらわにした表情で、プリシラは一直線に突撃してくる。
そうだった!
プリシラとティナは、仲が悪かったんだった!
妹を止めないと!
「プリシラ!止まれぇ!」
「お兄ちゃん!?」
全身を使い妹の進路を塞ぎ、確保する為に抱いて受け止めた。
「あぁ、お兄ちゃん!もっとギュッてして!」
そんなの言われなくても、踏ん張る為に力入れなきゃ耐えられねぇよ!!
地面に足がめり込んでいく。
もってくれぇ!
俺の体ぁぁ!
歯を食いしばり、なんとか受けきる。
その後の砂埃混じりの衝撃波に、ティナは吹き飛ばされ転んだ。
「いった〜」
声のトーンからすると、大丈夫そうだな。
「大丈夫か?ティナ」
「うん」
「良かった、何処か痛むか?」
そんな会話にプリシラが割って入る。
「ちょっとお兄ちゃん!そんな人より、私を見て!」
俺がティナに関わると、プリシラは不機嫌になる。
原因は分からないが、今回は転ばせてしまったのだから謝らせるべきだ。
「何言っているだ。プリシラ、ティナにきちんと謝るんだ」
「えぇ?なんで私が」
不服そうなプリシラ。
しかしカイルは引かない。
「プリシラ!」
「お兄ちゃん、怒ってるの?」
「プリシラ!」
「怒らないでよぉ」
ツンツンしていたが、しおらしくなったのでホールドを解く。
ティナは何が起きるか予想できていたので、今すぐ逃げ出したかったが、場の雰囲気に呑まれて動けないでいた。
そんな彼女の前に、プリシラが立つ。
「なんで私が、この女に謝らなければいけないのよ」
「プリシラ!」
「もぉぉ!」
納得のいっていない妹を一喝し、俺は謝罪を促した。
だが、その判断は間違いだったと、後で後悔する事になる。
『なんで私が』とブツブツつぶやいた後、渋々ながら頭を下げる。
「ごめん、なさい」
それを受けて、ティナは手振りをつけながら、「私は大丈夫。ちょっと転んじゃっただけだから、心配しないで?」と言った。
「心配?」
ティナの言葉に、プリシラの目つきが変わる。
俺はこの時、妹の背後にいたから気がつかなかったんだ。
ティナ、ごめんな。
「お兄ちゃんを横取りする奴の心配なんて、するかぁ!!この!無駄乳お化けがぁぁ!!!」
プリシラは腕を思いっきり振りかぶって、ティナの豊満な胸を平手打ちした。
叩かれた勢いで、波打つ胸。
「いったぁ〜〜い!!」
「もう一発ぅぅ!!」
再度振りかぶった所で、俺は羽交い締めにして妹を止めた。
「あん!お兄ちゃん、背後からだなんて!」
「何を言ってるんだ!?ていうか何してんだ!」
「えへっ!」
天使の様な微笑みで誤魔化すプリシラ。
ティナは打たれた胸を押さえて泣き叫ぶ。
「うわ〜ん!おっぱいが痛い〜!ちぎれた〜!」
ちぎれた?
嘘だろう!?
いや、待て待て!
付いてる!
大丈夫だ、ティナ!
付いてるぞ!
「ちぎれてないぞ!ティナ!」
「あら?じゃあ、ちぎれるまで打ったげる!」
「んなっ!?」
必死の力で妹を止める。
「やめてぇ!プリシラちゃんなんか、大嫌い!」
「別に構わないわ!」
「うわ〜ん!」
「フン!」
ティナは胸を押さえて、泣きながら逃げていった。
後でこいつの代わりに、俺が謝らないとな。
まったく。
なんでティナの事を、こんなに目の敵にするんだろう。
とりあえず。
「プリシラ」
「なぁに?お兄ちゃん」
「後で、お説教だ」
「えぇ〜?」
ハァ。
先が思いやられる。