はじまり
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい。ご飯作ったので食べてください」
高校二年生には贅沢すぎるくらいの大きなマンションの、最上階に位置する部屋の扉を御影蒼は開ける。
中にいたのは、まるで新鮮なミルクのように白い肌と滑らかな髪質が特徴な黒髪でポニーテール、服装は水色のパーカーを着ている女性が立っていた。
年齢は推定ではあるが、二十代前半に見えた。
綺麗といえば可愛い系。
小柄で目もくりっとしていて、いい意味で年上には見えない。
けれど漂う雰囲気は、蒼より遥かに経験豊富そうであった。
「ありがとうございます。あと、タメ口でいいですよ」
「それはできません。素敵な人は尊重すべきですから」
「……そうですか」
言わずもだが、蒼は彼女、成瀬魅音と付き合っている。
家ももちろん蒼の家ではなく、魅音の家で二人で共同生活をしている。
青春真っ只中な高校生が、どうして年上の女性と共同生活をしているのか疑問に思うかもしれない。
だが世の中、青春を謳歌できる学生ばかりではない。
そう。極度の人見知りのせいで人間関係が上手くいかず、友達もできたことはないし、初めてやったコンビニのバイトで失敗し店長に怒られる。
それが原因で不眠症になり、学校にも行かず毎日ゲームをして家で引き籠る生活。
そんな生活が何ヶ月も続いていたら、さすがに親も激怒する。
せめて新しいバイトを探しなさいと言われたので、求人募集で楽で簡単に稼げそうな仕事を探す。
現実、そんな仕事はない。と思っていたが、こんなバイトを見つけた。
『一人のお姉さんと彼女になって共同生活をしてください』
最初は信じられなかった。
これではバイトというより、怪しいあっち系のサイトみたいだ。
しかし今の蒼に深く考える余裕はなかった。
初めて彼女も出来るしちょうどいいや、という軽いノリで応募のボタンを押す。
後になって気づいたが、時給が一切記されていない。
面接場所は後からメールで送られてきた。
◯
「失礼します」
蒼は手が震えるくらいに緊張してバイト先のマンションの部屋の扉を開ける。
バイト先がマンションなんて変わったものだ。
時間帯も夜の十一時だし。
「ようこそお越しくださいました。私は成瀬魅音です。よろしくお願いします」
「御影蒼です。こちらこそよろしくお願いします」
礼儀正しい一人の女性がお出迎えをした。
バイト先の人にそこまで礼儀正しく接しられた経験がないので、一瞬どこかの旅館に来たのかと錯覚した。
中に案内されると何故か寝室まで移動された。
綺麗に掃除された内装に一台のベッドが置いてあった。
「えっ……と……」
もちろん蒼は困惑する。
「どうかしましたか?」
私何か変なことしました? と言わんばかりの表情で魅音は首を傾げる。
「どうして寝室に来たんですか?」
「蒼くんが不眠症だからですよ」
「どうしてそれを?」
「目のくまで分かりました」
驚いた。
確かに最近はあまり眠れてないが、バイトの面接のためにくまは隠してきたつもりだった。
自分では目立ってないものだと思っても、人から見れば目立つんだな。
「すみません。体調管理をよく整えた上でまた来てもいいですか?」
「何を言ってるんですか?」
魅音は大きなベッドに腰を下ろし、両手を広げる。
「私の胸に飛び込んできてもいいんですよ」
優しい声と表情で言った。
衝撃な発言に蒼は反応に困る。
蒼の反応を見た魅音はそっと腕を掴み、ベッドに引きずり込んだ。
「え……? ちょっ」
蒼の身体は魅音と密着し、微かに香る甘い匂いと、大きくてマシュマロのように柔らかい胸がまた蒼を混乱させる。
抵抗しようとしたが、そんな気力はなかった。
正確には全身の力が溶けているかのような感覚に陥った。
女性の隣で寝るとこんなにもいいものなのか。
緊張ではなくて安心する。
状況が整理できない。言葉も発せない。
「おやすみなさい」
魅音の優しく呟いた声に、蒼の意識はとっくに消えてしまっていた。
こんなに熟睡するのはいつぶりだろうか。