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偉人の言葉から出来上がった短編集

廃墟の町の泉で、人生最後のキャンプをする朽ちた門番


「本当に行くのか、ロンツ爺さん?」

「あぁ」


 門番と会話をするロンツと呼ばれた老人は、この門番と同じく、長い間この辺境の町の門を守り続けていた。



「体が壊れる前に、どうしても行きたい所があってな」

「へぇ、爺さんにも欲ってのがあったのか」

「そりゃあ人間だからな、お前は無いのか?」

「俺は今日の仕事終わりに、浴びるほど酒を飲んで娼館に行こうと思う程度の欲だ、はっはっは!」


 門番というのは、総じて気の良い男が多い。ロンツはそんな門番達の中でも最も古株で、最も謙虚であった。


 何にお金を使う訳でも無く、ただ黙々と町を守り続ける。家族も無く子供もいない。ただ黙々と、そんな人生を送っていた。



「『女神の泉』ってのがあの山の向こうにあってな。ちっとそこへ遠征しに行くんだ」

「へぇ……初耳だ。女神って呼ばれるからにゃ、さぞ景色がいい場所なんだろうな」

「いいや、廃墟さ」

「廃墟?」

「あぁ。大昔に泉から女神が出るっちゅう話から出来た町でな。泉自体は高原のカルデラ湖なんだが、あまりにも立地が悪くて、んで戦争も始まっちまって観光客が来なくなった。次第に寂れていって、今は誰も住んでねぇ」


 その女神の泉へはここから1年以上かかる。

 人生で最後の、長い長い旅だ。



「何でそんな辺鄙な場所に行きてぇんだ? そんだけお金を貯め込んで、もっと良い場所や美味い飯が食える町だってあんだろう?」

「そうだなぁ」


 ロンツはそう返事をしながら、後ろを振り向いて町の門を眺めた。生まれてから、この町以外に住んだことが無い。町を出たのも戦争で出兵した時だけだ。


 だけど、何一つ不自由は無かった。


「ここ以上に最高の町はねぇよ」

「……はは、そうだな。帰ったら酒でも飲もうぜ、爺さん」

「あぁ。世話になった」



――――――



 今思えば、彼は今生の別れだと気付いていたのかもしれない。



 ロンツは道すがら、旅人たちに女神の泉の町について聞き、ただひたすら歩き続けた。いくつかの町と山を越え、1年をかけてようやく辿り着いた。



「……凄いな」


 眼下に広がるのは、瓦礫の町。絵で見せてもらったあの栄華に満ちた町とは全く違って、町のあちこちが朽ち果てている。一つの町で人生を過ごしたロンツは、人の起こした業とは何たるかを垣間見た気になっていた。


 だがその過去を塗り替えるかのように、美しい高山植物が町を覆っていた。名前も知らない色とりどりの花が咲き乱れ、風が葉を揺らして煌めいている。


「所詮、人は自然には勝てぬか」


 ロンツは、何故かそれが嬉しかった。


 町の向こうには白濁した青白い湖が見える。町よりも小さく、下手したら故郷の広場ほどの大きさかもしれない。かつては大きなカルデラ湖だったのか、その痕跡が地面に見て取れた。



 ロンツは瓦礫の町を歩く。



 まず目に入るのは、立派な門だ。豪華な装飾が施された、高原に相応しくない重厚な造りをしていた。門番としてこの雄大な門を守る事は、さぞ誉れだっただろう。


 そして商店らしき廃屋、役所、噴水広場。朽ちていない建物は少なく、どれも草木に浸食されている。人間も動物もいないようだ。


 泉に近づくと、今度は土産物屋らしき建物が軒を連ねていた。どれもボロボロだ。ロンツは無造作に転がっていた女神像を一つ手に取り、更に奥へと進む。


 『女神の泉には湯が沸き、高原の風が吹き、あらゆる人を幸せにするとされた。町はあまりの人の多さのせいか、その泉に辿り着くことすら困難だ』


 史実にはそんな謳い文句が記されていた。

 それが今や、この有様だ。




 そしてロンツは、ついに泉にやってきた。


 湯であるのか、水面にはもやが出ている。

 ここには女神がいる。

 そう思わせるほどの神々しさに息を呑む。


「すまんが、ここを俺の人生の終着点にさせてもらう」


 ロンツは荷を解き、火を起こして寝床を準備した。町のあらゆる場所に宿があったが、泉の目の前で寝れるこの場所ほど最高な場所は無い。


「俺にも欲があったのか、か。はは、これは贅沢だろう」


『私もご一緒してもいいですか?』


「――――っ!!」


 聞こえるはずもない声に、ロンツは反射的に武器を取り立ち上がった。


「誰だっ! どこにいる!!」

『目の前におりますよ』

「目の前……!?」


 ロンツの目の前には、焚火の炎。

 その傍に、先程拾ってきた、欠けた女神の像が置いてあった。


「冗談はよしてくれ。姿を現してくれないか、俺は何もしない」


 ロンツは武器を置き、焚火の前に座りなおした。考えてみれば、元々ここで朽ちるつもりだった。最後に誰かと会話するのも悪くはない、そう思い立ったのだ。


「もうこの町と同じで朽ちた身だ」


 そう告げて蒔をくべた。


 パチンと薪が爆ぜる音が心地よい。その煙は、ゆらゆらと高原の星空へと立ち上っている。盆地であるからか、今日は天気がいいからかは分からない。風も強くなく、気温も程よい。最高の夜だった。



――――――



 いつまでも姿を現さない声の主に対して、ロンツは話し始めた。


「あの町で俺は、謙虚で気の良い爺さんだと思われている。だが、俺は人を殺した」


 殺したと言っても、犯罪者を門番として処罰しただけだった。それはあくまで正当防衛で、町を守るためのれっきとした仕事である。町の人々からは賞賛され、門番としての地位を確固たるものとした。



 だが……ロンツはそれをずっと悔いていた。

 あの若者をちゃんと諭してやれば、殺さずに導くことができたのではないかと。



「それから、俺は自分を騙して生きていたんだ。正直に生きられない程、苦しいものは無い。俺は嘘と言い訳を積み重ねて、過去の過ちを誤魔化しながら生きていた。憎むべきは、あの若者をあんな風に追いやった周囲のはずだ」


 もしかすると、若いうちは誰もがそうかもしれない。




 浮気、嘘、裏切り。


 努力を怠って楽を選んだり、誰も見ていないからと言って犯罪を犯したり。

 匿名である事を良い事に誹謗中傷をしたり、成功者を馬鹿にしたり。


 それらを全て周囲のせいにして、自分を言い訳で取り繕う。



 そんな彼らを、自分達のような年寄りが導いてやるべきだったのだ。


 辛かったら楽をしてもいい。

 だが、自分を偽る事なく生きろと。



 そしてその言葉は、自分にも返ってくる。

 ロンツは、そう考えていた。




「殺して終わりじゃない。俺は自分に大きな杭を残した。本来ならば、門番を辞めてそんな奴等を導く余生を過ごすべきなのかもしれない。だが、それをやる勇気も出なかった。未だにあの刺した感触が手に残っちまってるんだ」



 あの大きな杭さえなければ、悪くない一生だったと思う。むしろ、ここに訪れずに力尽きるまで門番をやっていたかもしれない。


『――あなたはこれからどうするのですか?』


 ロンツは返事が返って来るとは思ってもみなかった。

 声から察するに、老婆のようだ。


 姿の無い声に、ロンツは答える。


「俺はここで死にたい。死ぬ気だった。俺はもう偉そうに人に何かを言える人間では無くなった。かと言って何をしたい訳でもない。ただこの美しい泉で、自分の人生を振り返りたかっただけなんだ」


『あなたのような人間は沢山います。こうして死ぬほどの事ではありませんよ』


「多分、俺は心が弱いんだ。戦争でだって一人も殺せなかった。一つの後悔が、人生であった全てを淀ませているんだ」


『それが、普通ですよ』


 ロンツは静かに目を閉じた。

 そして、声の主に問うた。


「そんな人間は、一体どうやって立ち直っているんだ?」


『あなたが先程仰った通りです。立ち直ってなどおりません。ふとした瞬間に、自分の過ちや失態を思い出すのです。人はそれを隠しながら、見ないフリをしながら、前を向いて生きているのです』


「俺と変わらないではないか」


『貴方よりは前を向いていませんか?』



 その言葉で、ロンツは何も言えなくなった。自分は過去を見たくないために、この廃墟の町にまで逃げてきたのだ。


 他にそんな人間がいるのだろうか?

 そう思うと、ロンツには胸に込み上げてくるものがあった。


 これは負けず嫌いの心だ。門番で最年長だった自分がこんな情けない最後を迎えては、帰ったら酒を飲もうと言ってくれた彼に立つ瀬がない。


「……ありがとう、声の主。あんたに懺悔が出来てよかったよ」


 しかしそれ以降、返事は帰ってこなかった。

 ロンツは欠けた女神像を泉の水で洗う事にした。水はややぬるま湯で、この山が生きている事を感じさせる。そして洗い終えた女神像は、見違えたように綺麗になった。


「あんたに俺の故郷を見せてやりたいが、構わないか?」


『あなたは故郷から離れる事はできるのですか?』


「はは、失礼した。愚問だった」



――――――



 翌朝、ロンツは泉の前に簡単な社を造り、そこに女神像を安置した。


 そして昨日到着したばかりにもかかわらず、岐路に立った。



 ロンツの中で若者を殺した事実は変わらない。


 人は自分の過ちを見ないフリをしながら、前を見て歩く。

 それは自分を偽る事でもあり、同時に自分を律するものだ。



 彼のために、正直に生きよう。

 


 廃墟の町から踏み出した一歩は、故郷を出発した時の足取りよりも軽い。



「俺にも欲ぐらいあるさ」


 ロンツは、今すぐに故郷の酒が飲みたかった。


人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。

―徳川家康―



自分がお年寄りになった時、どれだけの重荷を背負っているのでしょうか。

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