SS おちこぼれ魔女はエリート外交官を甘やかしたい(1)
後日談です。フリージとカトリーンの日常の一コマ
執務机に積み重なった書類の数々に、半ばうんざりしてくる。
昨日の夜にはほとんど平らになっていたはずの未決の箱は、一晩で元通り山積みだ。
フリージはパオロが説明する要点を把握しながら、それらを仕分けてゆく。
特に重要な案件は皇帝であるベルンハルトまで報告を上げ、それ以外は自身の判断で決済を下してゆくのだ。外務長官は毎日大忙しだ。
フリージは仕事が一段落したところでふうっと息を吐く。
時計を見ると、もう昼過ぎだ。
朝からずっと会議や書類の確認でスケジュールが埋まっており、作業しっぱなしだった。
「少しお休みになられますか?」
「ああ、そうしようかな。くたびれた」
フリージは執務椅子の背もたれにぐたりともたれ掛かると、髪の毛を掻き上げる。
近々、近隣の国から王女が外遊に訪れることになっており、普段から忙しい業務の負荷がさらに上がっていた。
一概に外遊に訪れると言っても、受け入れる側は様々な準備をする必要がある。
ハイランダ帝国に入国してからのルート、付き添いは何人いるのか、食事はどんな物を好むのか、外遊中には誰と何について会談し、どこに訪れるのか──。
王女に気持ちよく過ごしてもらえばハイランダ帝国への印象をよくすることができ、貿易などで経済を活性化して外貨を得るチャンスが広がる。
逆に言えば、それらにひとつでも不手際があれば国益を損なう恐れがあり、まさに外交長官であるフリージの腕の見せ所と言える。
「食事をどうぞ」
宮殿に仕える女官が昼食を運んできたので、フリージはソファーに移動するとそれを口にした。
食事をしながら外を見ると、生憎の雨だった。
水に濡れた窓ガラス越しに、灰色の雲に覆われた空と歪んだ景色が映っている。
(湖にでも気晴らしに行きたかったけど、今日は無理だな)
ちらりと視線を移動させ、カレンダーを確認する。
カトリーンは宮廷薬師として宮殿に出仕する日としない日があるが、今日はしない日だった。
(顔が見たいけど……。仕事が終わった後、会いに行くか。いや、厳しいな……)
フリージは首を振る。
夜、プルダ薬店までカトリーンの顔を見に行こうかとも思ったが、今の業務量だと時間的にかなり遅くなる。真夜中に訪問して起こしてはかわいそうだろう。
カトリーンが出仕する日は帰りに家まで送ってあげたいので、出仕しない日は少し無理をしてでも仕事を進めておきたかった。
こんな日は、殊更カトリーンの笑顔を見たくなる。
食事を手早く終えたフリージはふうっと息を吐くと、また執務に戻ったのだった。
◇ ◇ ◇
「フリージさん、最近忙しそうだなぁ」
プルダ薬店で調薬をしながら、カトリーンは呟く。
フリージはカトリーンが宮廷薬師として出仕するときはいつも帰り際に迎えに来てくれるのだが、最近薄らと目の下にくまがあることにカトリーンは気付いていた。
フリージはこの国の男性にしては色白なので、目立つのだ。
あのお疲れの様子は、初めてフリージと出会った日を思い出す。
お忍び中の皇帝夫妻の護衛として同行していたフリージを見かけたカトリーンがなぜ彼に声をかけたかというと、とても疲れていそうに見えたからだ。薬師として多少なりとも知識を持っていたカトリーンは、顔色がよくないフリージのことを放っておけなかった。
あのときほどではないにしても、今もだいぶ疲れていることに間違いはない。
「何か私にもできないかな……」
ゴリゴリと薬草を擂りながら考えるけれど、なかなか名案は浮かばない。
以前、仕事が忙しかったら帰りの送りは無理しなくていいと伝えたのだが、「無理はしていない」の一点張りだった。
それどころか、逆に「俺とすごす時間が減ってもいいの?」と寂しそうな表情で聞き返され、フリージが大好きなカトリーンはあえなく「本当は嫌です」と正直に答えてしまった。
そのときのフリージの嬉しそうな様子とその後の甘やかしっぷりについては恥ずかしいのでここでは割愛する。
かといって、フリージの仕事を代わってあげることなどできるはずもない。
「フリージさんって、いっつも私のこと甘やかしてばっかりで、自分は無理しがちなのよね」
以前、自分もフリージの力になりたいと伝えたことはあるが、なかなか現実は上手くいかない。
「やっぱり、疲労回復のお薬を作ってあげるくらいしかないかな──」
最近は飲んでいないと言っていたが、あの様子だと飲んだほうがいい気がする。けど、薬包をそのまま渡すのでは押しつけがましいだろうか。
色々と考えていると、ふと名案が浮かんだ。
初めてフリージと会った日、カトリーンは疲労回復のお薬を混ぜ込ませた特製クッキーの失敗作(砂糖の代わりにたっぷりの塩入り!)をフリージに手渡した。
今度こそちゃんとしたものを渡せばいいのではないだろうか。
「そうだわ! そうしよう」
フリージはカトリーンがお菓子を作るといつも喜んで食べてくれる。
絶対に高級菓子店のもっと凝っていて美味しいお菓子をたくさん食べたことがあるはずなのに、「すごく美味しいよ」と喜んでくれるのだ。
そうと決まれば善は急げ。
明日はちょうど宮殿に出仕する日だ。
多忙なフリージに直接会うのはなかなか難しいが、女官に言えばクッキーを預けることくらいはできるだろう。
カトリーンは早速、明日持って行くクッキー作りを始めたのだった。




