後日談・一家団欒
かつて、三界を巻き込む大いなる戦いがあった。
外界から現れた邪悪な神は、世界を我が物にするべく、多くの配下を引き連れて攻め込んできた。
世界に息づく人々は団結して侵略者に立ち向かった。熾烈な戦いの過程で多くの犠牲を払うことになったが、ついには敵の首魁を撃退することで勝利を拾って、平和を取り戻すことができたのであった。
そんな出来事から三十年、戦の傷痕による社会不安が残っているものの、世界の平和は今も続いている。
特にレムス王国の地方にあるド田舎村は、特に平和である。
村の南にある山に建つ一軒家。建て直しによって広くなった居間で、親子三人が穏やかに暮らしている。
親子はそれぞれの椅子に腰かけながら気ままに過ごす。
「ほお? この回路を取り換えるとこんなに感度が上がるのか。数年前までは技術進歩が行き詰ったとか言われてたのに、アマチュア魔法無線は奥深いなぁ」
一家の主、三十年前の戦いで世界を救った元英雄クリスは、今日も変わらず趣味に没頭している。
年齢的には老年の域が見えてきている頃なのだが、史上最強の英雄の力によるものか、その外見年齢は未だに衰えを見せない。
「もうちょっとこう、いい感じに電撃が落ちるようにいじいじして……うーん、これじゃだめだなあ、もっと工夫しないと」
クリスの妻アデアナは、魔法装置の作成に精を出す。彼女は人間の姿をしているが、その正体は辺り一帯の山を支配する偉大な白竜である。その姿は仮初めのものでしかないため、外見年齢は三十年前からまったく変わりがない。
「この右のザラザラ手拭と左のスベスベ手拭、拭かれるならどっちがいい? なにっ! 両方だと? 贅沢なやつめっ! 望むところだ、今日もぴっかぴかに磨いてやるからな」
夫妻の息子であるエスカーが、愛剣に語りかけながら熱心に刀身を磨くという危ない姿を見せる。しかもやっているのが服を着た幼竜なのだから、見た目の違和感がものすごいことになっている。
彼は人と竜の間に生まれた子なのだが、その身は母と同じ白竜そのもので、人間要素は皆無だ。
それは母方の竜族の“血の強さ”に由来する。人と竜が結ばれても、遺伝的に竜族の血が優勢に働いてしまうため、人間の父を持ってるにもかかわらず、ほぼ純血の竜となってしまうのだ。
その法則は英雄の血ですら覆すことができなかった。抗いようのない生命の掟である。当の父親はまったく気にしていないが。
エスカーは剣に優しく白炎のブレスを吹きかけて焼きを入れる。ところでこの剣はクリスのお下がりで、“剛剣テュランヌス”という名前がつけられた。
「こらっ、火事になるから家の中でブレスはやめろっていってるでしょうが」
「へえ? 親父が徹底して防火対策入れたこの家が簡単に燃えるとでも? ずいぶんと過小評価してくれるじゃあないの」
「ごまかすんじゃないよ、もう……」
母親が説教を始めても、エスカーは幼竜特有のくりっとしたお目々を駆使した芸術的な受け流しを見せる。こういう折れないところはクリスに似ている。異種族として生まれついても、確かに親子の繋がりがあるということを感じさせる瞬間だ。
アデアナはひと叱りだけで黙ってしまう。話の聞かないところが親譲りであることは、とってもよーくわかっているのだ。それで何事もなかったかのように思考の海に戻る辺り、アデアナもある意味で負けてはいなかった。
クリスは無線機をいじる。エスカーは剣を磨く。アデアナは工作する。これがこの一家の日常である。
だがしかし、今日は一味違った。
「おい、エスカー。今日は友だちが来るんだってな」
「ああ、そうだよ」
クリスは無線機からまったく目を離さないまま息子に語りかける。当の息子も剣からまったく目を離さずに答える。
お互いに会話する態度ではないのにコミュニケーションが成り立っている。親子揃って我が道を突き進みすぎであるが、突っ込む者は誰一人として存在しない。
「いつ来るんだ?」
「そろそろ来るはずだけど」
まさにそのとき、来訪者の接近を知らせる魔法人形の鳴き声が鳴る。件の友だちがやってきたのだ。
その音を聞いたエスカーは剣の鞘を振るって変身魔法を披露すると、その姿は父親とよく似た赤毛の少年と化した。変化が微妙に不完全で白い尻尾が出てるが。
服は竜姿のときにまとっていたものと変わりない。良く伸び縮みするのでどんな体型でもフィットする超質ゴムでできている、竜型でも人型でも兼用可能な万能服である。彼は両方の形態を頻繁に切り替える生活を送ってきたので、そのような服を身に着けている。
迎えの準備が整ってから少しして、玄関扉を開けて友だちが突入してきた。
「ハイケがやってきたぞ! どうだ、嬉しいか!」
全身を闇色で統一している男装の麗人が、仁王立ちしながらのすてきな挨拶とともに姿を現す。第二千百七代魔王、そして夫妻の義妹、ハイケさんの登場である。
以前はか弱い少女だったが、いまでは妙齢の女性として立派な成長を遂げた。その気丈そうな顔と流れるような銀の長髪は先代そっくりだ。
「嬉しいぞ! よくきたな!」
勇者の竜エスカーも、彼女に負けず劣らずの変な返しをする。
二人は即決的接近を果たすと、両の拳をグッグッと突き合わせて仲の良さを表現した。この二人は以前に、魔王の座を継ぐ儀式で剣を交わした時の縁で親友になっていたのだ。
「よし! さっそく家づくりの続きをしよう!」
「もちろんだ。俺の建築スキルは以前とは比べ物にならんぞ!」
「ほほう? 果たして特級建築士の資格を得た僕の技術に見合うものを作れるかな?」
「なにを! 資格試験では測れない力量差と言うものを思い知るがいいぜ!」
二人はいぇーいと高らかに笑ってハイタッチすると、駆け足で家から出ていった。
両親は子どもたちの異常にテンションの高い行動に対して何かを言ったりしない。もう何度も見た光景だったから。
クリス家から子どもたちが出て行って、夫妻だけが残される。
このまま会話もなく時間を過ごすかと思われたが、意外にもクリスが口を開いた。
「あいつも気軽にやって来るようになったな」
アデアナは手を動かしながら、くすくすとおかしそうに笑う。
「始めてきたのはエスカーが連れてきたときだったっけ。あのときはなんかビクビクしてたけど、慣れってすごいね」
「そうだな」
かつてのハイケは、諸事情によりクリスに対してよく警戒していたが、数十年の付き合いとエスカーの活躍によってわだかまりは解けていた。
彼女がクリスに対して悪い感情を抱いていた理由を知る者は当人以外にいない。追求しようとする者もいなかった。言えることはただ、彼女にも魔王としてのプライドがある、ということだけだ。
「ところであいつら外でなにやってるんだ?」
「さっき言ってたでしょ、『家づくり』って。二人で過ごすための家が欲しいからって、前からちょくちょく作業してるんだよ」
「ふーん、同棲用か」
「あー……まあそうだね」
クリスは子どもたちが出ていった方を横目で見て薄く笑う。自分たちが、同棲十年以上からのゴールインを果たしたという関係であることを思い出したのだ。
「俺たちは十年だったが……あいつらは何年かかるのかな?」
「あと八十四年は必要かな」
クリスは機械とにらめっこしたまま皮肉げな調子で言ってみると、その言葉を捉えたアデアナが、すぐさま具体的な数値を言ってみせる。
「長いな」
「エスカーは無駄にしっかりしてるけど、本当はまだ子どもだよ。竜が大人になるのは最低でも百歳からだもの」
世の平均寿命は、人間五十年、魔族百年、そして竜族千年以上である。寿命が長いぶん成人するのも遅くなるので、勇者が大人になる頃には、魔王はヨボヨボのおばあさんになるだろう。その事実をハイケが認識しているかどうかは定かではない。
「まあ、その頃には俺は墓場入りしてるから、関係ないことだな」
こんなふうに自らの死後についてさらっと言えてしまうのが英雄の恐ろしいところといえる。
が、そこでアデアナがいやいやと手を振ると、一つの突っ込みを入れた。
「なにいってるの、関係大有りだよ。クリスはその頃までちゃんと生き続けるもの」
若干の間を置いたあと、クリスは無線機から離れてアデアナと目を合わせる。数十年前から変わりない栗毛の女性が、とぼけた顔で夫を見つめる。
「人間はそんな生きないが」
「普通の人間はそうだけど、クリスは英雄のうえに私と交わったんだよ。何も変わらないはずないじゃないの。ふふふ、クリスは人間の短い寿命なんかで死なせないよ。
……というか、ここ二十数年、歳とってないこと疑問に思わなかったの?」
竜の寿命は長い。竜以外と結ばれた場合は間違いなく死に別れることになるので、伴侶の寿命を延長する術をもっていたりする。
その術は子作りした時点で成立していた。だからクリスはいつまで経っても老けなかったのだ。
クリスは腕を組んで天井を仰ぎ、しばし考える様子を見せるが、すぐに視線を下ろすと無線機いじりを再開する。
「別に」
いつもの淡すぎる反応にアデアナはすっ転んだ。
これが彼の平常運転ではあるのだが、いったいなにをしたら彼の運転ぶりは乱れるのか、誰よりも長く共にあったアデアナでさえもそれはわからない
「いや、あのね、なにか言うことないの?」
「なにも。どうでもいいだろ、減るもんじゃないし」
半分笑っているアデアナは、あせあせとしながらクリスに迫るが、手ごたえのある返事は来ない。
「確かに減ってないけど、あのね、いろいろと増えてるわけでね……」
「増えて損するわけじゃないだろ。何が問題なんだ?」
「ああもう……でもまあ、いいや」
「相変わらず変なことを気にするな、おまえは」
普通に呆れられて、アデアナはなにもかも諦めたといった顔で話をやめた。
英雄は何十年たってもこんな調子だ。百人中九十九人が突っ込みを入れるような事案に対しても『そうか』の一言で済ませてくれる。
それが深い考えがあるのか、それともなにも考えてないのか、伴侶であるアデアナでさえもそれを読み取ることができない。きっとこれからもわからないのだろう。
だがしかし、彼女はそれで問題ないと考える。これからも最愛の人間と同じ時を過ごすことができるのだから、不満などあるはずもないのだ。
そして異種族夫婦は、再びそれぞれの趣味の世界へと帰った。
村はこれからも平和である。
その平穏が破られることはない。