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魔王襲来

 人里から離れた山に家を構えるクリスは、極力他者に関わらないように生活をしている。だがあくまで“極力”であって、人との関わりがないわけではない。

 文明から完全に切り離された地で生活をするのはさすがに無理があるので、日用雑貨などの取引をするために、山のふもとにある村との交流を行っているのだ。

 なにか不足があったときは、山で調達した商品を手に村へ降りて物々交換をしに行く。


 今日のクリスは比較的裕福な農家を訪問している。

 家主の腹が出た中年男との交渉が成立したので、互いに求めているものを差し出しあう。


「欲しいのはこのアブラナの種と肥料でいいんだな」

「ああ。じゃあ代金はこいつで」

「クリス家特製“精霊酒”か……いい取引だったぜ。肥料はあとで届けておくからな」

「ああ、わかった」


 人気商品は酒である。クリス家に住み着いているミズフィーちゃんが作り出した酒は、優良な取引材料としていつも安定した活躍をしている。

 彼? は『芸術の安売りはしない』とか抜かしているので、よほど機嫌が良いときでないと作ってくれないところが難点だが、安易に作りまくると価値が暴落するので、これでいいのかもしれない。


 酒を差し出したところで山から持ち出してきた商品を全て使いきったので、クリスが予定していた取引はすべて終了となった。

 だが、彼の村訪問はそれだけで終わることはない。


「おっ! おーい、クリスさーん」

「ん、どうした?」


 クリスが荷物を小脇に抱えて家を出ると、その姿に気付いた男が名を呼びながら駆け寄ってきたので、クリスはとりあえず相手をする。

 最近成人したばかりである顔馴染みの青年は、ちょっと困ったふうにざんばら頭をかきながら頼み事をしてきた。


「ヤニスのヤツが腰を痛めて動けなくなっちまってさ。悪いんだけど、代わりに木に登って実を採ってくれないか?」


 クリスが村にやってくれば、たいてい頼みごとが飛び込んでくる。

 その内容は、簡単なところではちょっとした相談事に乗ることなど、難しいところで山賊退治などと様々だ。


「おう、そうか。じゃあやってやろう」

「ありがてえ。よし、こっちに来てくれ」


 クリスは人の良さそうな笑顔を浮かべて、青年の頼みを快く受け入れた。


 あまり気が乗らないときを除いて、クリスは村人からの頼み事を断らないようにしている。なぜかというと、村人との良好な関係を維持するためにだ。

 山暮らしをしているクリスにとって、この村は貴重な取引先なので、定期的に交流して好感度稼ぎをする必要があった。


 まあ実際のところ、頼みを断っても好感度的な意味で問題はなかったりするが。

 十数年前に起きた大戦で、この村は外敵の侵攻を受けた。あわや皆殺しにされるかといったところを見事に救ったのが、他でもないクリスだった。その経緯によって村人はクリスを英雄扱いして、いろいろと優遇しているのだ。


 それでもクリスが村人の頼みごとを積極的に聞き入れるが、それは仲間意識からくる好意によるものが大きい。十年来の付き合いによって、彼も村の一員となっていたのであった。


 クリスは青年の案内により、問題の木のもとへやってきた。

 家の屋根まで届くほどの背丈の木には、大ぶりのリンゴが豊かな実りを見せている。青年は高い木を見上げて、風に撫でられて揺れるリンゴを指さす。


「いい感じに赤くなってるのを五個とってくれ。受け取るから、俺に投げ落としてくれよ」

「わかった。ところで思ったんだけど、おまえが木に登ればいいんじゃないの?」

「いや、俺……高いところが苦手で……」


 青年はクリスから目をそらすと、気恥ずかしそうにうつむく。高所恐怖症なら仕方なかった。


 クリスはさっそく仕事を始める。青年の依頼は“木に登ってリンゴを採る”だが、クリスはそんなまどろっこしいことはしない。

 クリスはニヤリと笑うと、人間の背丈の倍ほどの跳躍を決める。いい感じに熟しているリンゴを一撃でもぎ取って、青年に向けて優しく投げ渡した。

 英雄は常人の数十倍の脚力で跳躍することができるのだ。リンゴが成っている高さまで跳ぶことなど造作もない。


 跳んでは一つもぐ。跳んでは一つもぐ。最後の跳躍では必殺の二つもぎを決める。

 お仕事は一分もかからずに終了だ。ほくほくの収穫具合により、青年も大満足である。


「ありがとう、さすがクリスさんだな!」


 クリスの超人的能力を目の当たりにしても青年は驚きもせず普通に喜ぶ。その程度のことは周知の事実であった。


 一仕事終えたクリスは、他に困っている人がいないか確認しに行くためにその場を辞そうとすると、そこでド田舎に似つかわしくないわめき声を耳にする。

 なんだろかと声がしたほうを見ると、彼は鬼気迫る顔をしている銀髪の子どもが、息せききって向かってくる姿を目にした。

 闇を思わせる漆黒の衣装に、遠くからでも凄まじい魔力を感じさせる剣を差している。昼下がりの農村にはえらく目立つ格好だ。しかもその容姿は、真っ白な肌に先の尖った長い耳。どう見ても魔族だ。

 魔族自体は珍しい存在ではない。観光やビジネス目的で多くが人間社会に進出してきているので、王都あたりでは普通に見かけるのだが、田舎にまでやってくることはあまりない。

 あの子はどうしてこんなド田舎に姿を現したのか。その理由について、クリスにはだいたい察しがついた。


 幼い魔族はクリスのもとにたどり着くと、中腰になって苦しそうに肩で息をする。

 少しして呼吸を整えたあと、キッと鋭い目つきでクリスを見据えながら人差し指をビシッと突き出すと、良く通る若々しい声を張った。


「やっと見つけた! その顔、お母さんが持ってた絵と同じ! おまえが最強の勇者のクリスだな! クリスなんだよなっ!」


 必死の形相でクリスを名指しするが、クリスは相手のことを知らないので訝しげに尋ねる。


「確かに俺はクリスだけど、誰だよおまえ?」

「わからないとは言わせないぞっ! 僕は、僕はっ! 魔王カサンドラの娘の、ハイケだよっ!」

「カサンドラの娘……? ああ、そういえば子どもがいたんだったな」


 その名前を聞いて、クリスは彼女が何者なのかが解る。

 今は亡き先代魔王カサンドラには娘がいたのだ。以前に彼女から子どもがいることは聞かされていたが、クリスは会ったことが無かった。これが初対面となる。


「おまえがな! おまえがなー! 勇者として働かないとなー! 僕は魔王になれないの! 最強のおまえが僕を認めないと、強い魔王として皆に認めてもらえないの!」


 彼女は魔王になるために王位継承の儀式に臨むことになったのだが、儀式に必要な勇者役にクリスを指名していた。

 クリスがその依頼を突っぱね続けてきた結果、ついに彼女もクリスを働かせにきたのだ。わざわざ人間界のド田舎にまでやってくるとは、なかなか行動的な子といえる。


「さあ、今すぐ僕と戦えっ! そして僕の強さを認めるんだ! そうでないと、そうでないと僕は、僕はっ……!」


 ハイケは甲高い震え声で叫びながら、剣を抜いてクリスに突きつける。

 その剣はカサンドラが愛用していた伝説の魔剣だ。身に着けている黒衣も強力な力を秘めたアーティファクトに違いない。彼女の全身から発せられる魔力の量も並みの魔法使いをはるかに超えているので、誰が見ても高い戦闘能力を持っていることがわかるだろう。

 だがまるで迫力がない。彼女が小柄で細身な少女であることに加えて思いっきり涙目なので、威圧感は皆無だった。


 常人ならば、そこであわれみを覚えて譲歩するかもしれない。だが残念ながら、彼女が相手をしているのは常人ではなく稀代の英雄クリスだ。英雄はその程度で心を動かすことはない。


「まったく、どいつもこいつも俺をムリヤリ働かせたがる……俺はもう国のために働くつもりはない。さっさと帰れ」


 まったくの無表情のクリスは、容赦のない言葉で突き放そうとするが、ハイケは引き下がるものかと剣を下ろずに間合いを詰める。


「ここまで来て帰れるわけないだろ! 絶対に逃がさな……あっ!?」


 ハイケが二歩分、前に進んだその瞬間、クリスが目にも止まらぬ動きで剣先をつまむと、指の力だけでハイケの手から魔剣を奪い取った。

 一呼吸後、何が起こったかを理解したハイケは真っ青になる。が、クリスは奪った魔剣を地に突き立てる以外にはなにもしなかった。


「大声で騒ぐんじゃあない。剣まで振り回して、近所迷惑だろうが」


 と、クリスは呆れ顔でたしなめるように言いながら、置いてきぼりにされて小さくなっていた青年をみやる。

 騒いだことについて一言謝って帰ってもらったあと、なにやら困惑している様子のハイケのほうに向き直る。


「俺は忙しいんだからあとにしろ。そうだな、俺が用事を終えるまで待てたら、話を聞くことを考えてやるよ」

「なにっ!? ほ、ほんとだな! 嘘じゃないな!」

「二言はない。あともう一度言う、大声を出すな。わかったか」

「う、うん。わかったよ……」


 クリスが譲歩案を出すと、ハイケは見事に飛びついておとなしくなった。これでしばらくは静かになるだろう。

 クリスはハイケに剣を返してから、改めて歩き出した。そのあとに小さなハイケがせこせことついていく。


「用事って、なにするつもりなの?」

「なにか手伝えることがないか見て回ってるんだよ。ここの人たちにはお世話になってるからな、俺からのサービスだ」

「なんで僕は手伝わないんだよ……」


 クリスは都合の悪いところをきれいに無視して、おまけを連れて村中を練り歩く。

 新しい頼み事と遭遇するまで、それほど時間はかからない。


 二人は、風に撫でられて波打つ麦を眺めながら畑道を歩いていると、武装して物々しい空気を漂わせている青年たちと遭遇した。彼らは村の自警団である。

 彼らはクリスの姿を見つけたら、互いに見合わせて小声で相談し合ったあと、リーダーの青年がクリスのほうに寄ってきた。


「すいません、クリスさん……って、そっちの魔族の子は?」

「気にするな」

「はあ。まあクリスさんが言うのならいいか」


 彼は目立ちまくる黒子の姿を見てにわかに迷いを見せるが、すぐに気を取り直して話を再開する。


「実は折り入って頼みたいことがあってさ。ちょっといいかな」

「よし、仕事だな。話してみてくれ」

「なんかいつなく乗り気じゃないか。まあいいけど」


 リーダーは村の北側にある小ぶりの山、クリスが住んでいる山の反対側を指さす。


「向こうの山にあるほら穴にさ、先週辺りから怪しいやつらが出入りするようになったんだ。ほら、あそこのちょっと森が開けてるところあたり。見える?」


 その山は青々と茂る森で覆われているが、中腹辺りに木々がまばらに生えて山肌が見えているところがあった。彼が言っている場所は恐らくそこだ。


「あの地面が見えてるところか。野盗が根を張ろうとしてるのかな?」

「間違いなくそうだろう」

「竜がいる山の近くなのに、よくそんな気になれたな」


 クリスは振り返って家がある山を見る。その上空では、白い鱗をきらめかせる大きな竜が、優雅に翼を広げて気持ちよさそうに蒼空を泳いでいる。

 すぐに目が合ったので、クリスは手を振っておく。竜は手を振る代わりに白炎をぽっと吹いた。


「お、山の主だ」


 村人たちも天高く舞う白い姿に気付いて、高々と手を振った。

 危害を加えようとしてくる者には慈悲も容赦もないが、目についた困った者を助けることもあるため、人々からは畏れられつつも親しまれている白竜。その正体がアデアナだということを知る村人はいない。村のみんなにはないしょである。


「そりゃ他所から来たからなにも知らないんでしょ。それで、みんなで叩きに行こうとしてたんだけど、ちょうどそこでクリスさんが来てくれたんだよなぁ……」


 リーダーはそこで言葉を切って、きまり悪そうに目を泳がせながら黙り込む。その続きを言うのを躊躇しているようだ。

 が、そこまで言われれば、なにを頼みたいのかはわかったようなもの。クリスは彼に先立って意志を示す。


「よし、じゃあ俺が代わりにそいつらを潰しに行こう」

「……! ほんと急な話ですまん! 頼みたい! クリスさんなら絶対安全確実なんだ! お礼にこのまえ手に入れた砂糖菓子をあげるよ!」


 リーダーは本当に申し訳なさそうに頭を下げると、改めてクリスに賊の討伐を依頼した。


 青年たちは出会って早々危険な仕事を押し付けたことを気に病んでいるようだが、クリスにとっては棚からボタ餅のおいしい仕事話である。

 最強の英雄にとって、賊を叩きつぶすことなど赤子の手をひねることよりも簡単なことなのだ。そんな楽な仕事をこなすだけで貴重な甘味をいただけるとあっては、頼みを受けない理由はなかった。


「え、なんか戦いに行くの?」


 後ろで黙って話を聞いていたハイケが大きな目を瞬かせて、なにやら恐る恐ると言った感じでクリスに問いかけてくる。


「ああ、山に賊が棲みついたみたいなんでな、潰しに行く。……どうした? 不安そうだな」

「いや、僕、実戦やったことないんだ」

「そうか。なら帰ればいいんじゃないか?」


 彼は弱音を吐くハイケに対して暖かい言葉をかけるどころか邪険に突き放して、足早に北の山へと向かう。

 あんまりすぎる態度にハイケは呆然として固まっていたが、ずんずんと突き進んでいくクリスの後姿を見ると、魔剣を回収のち慌ててその後を追った。




 クリスは賊の根城といわれるほら穴を目指して、山中の道なき道を突き進む。

 並び立つ広葉樹が天蓋を作って陽の光を遮っているので少々薄暗い。そのために背丈の高い草花は無く、歩きの邪魔になる物は少ないが、起伏の大きい地形ばかりが続いた。

 山歩きに慣れているクリスは軽やかに進んでいくが、ハイケの足元はちょっと怪しげで、ときおり転びそうになっている。

 だがそれでも、息切れすることもなくクリスについていけていた。彼女は次代の魔王、体を鍛えていて当然なのだ。


 そんな険しい道中で、二人はぽつぽつと言葉を交わす


「ねえ。クリスって、僕のお母さんといっしょに戦ってたんだよね」

「カサンドラのことか」


 先代魔王カサンドラ。彼女はクリスが現役だったころに肩を並べて戦った、最も近しい仲間たちの一人だった。クリスがその名前を口に出す時は、その言葉に旧懐の感情がこもる。


「お母さん、強かった?」

「ああ、いろんな意味で強かったよ」


 クリスは葉々の合間にのぞく空を見上げて、遠い目をしながら思い出を語る。


「あいつはなんでもできるやつだったな。剣を振れば一流の腕前だったし、魔法もアデアナの次くらいに使いこなせたし、戦いの指揮をすれば俺たちはふだんの倍以上の力を出して戦えた。あいつには何度も助けられてきたよ。

 ま、押しが強すぎるのが難点だったが……。あいつはよく俺に親衛隊長になれって勧誘してきてな。決まり文句は『か、勘違いするんじゃないぞ。私には娘がいるんだからな』だった」

「なにやってんのお母さん」


 母親の意外な一面を聞かされて、ハイケはやや呆れ気味に笑う。


「……残念なことに、途中で死にかけるようなケガをしたせいで、最後までいっしょに戦うことはできなかったがな。でも、あいつの支えがあったからこそ俺は最後まで戦い抜いて、今こうして生きていられるんだと信じてる。

 と、話は終わりだ。ついたぞ」


 そうこう話しているうちに目的のほら穴についたので、二人すぐに声を落とした。


 山の斜面に大きめのほら穴が顔を見せている。見張りの姿はない。

 辺りに立つ木々の数は少なく視界が開けているので、ふもとにある村を一望できる。なかなかの立地である。野盗が目をつけるのもうなずける。


「これからどうするの?」


 ハイケがこれからの対応について小声で尋ねる。


「どうするもなにも、こうすればいい」


 クリスは迷うことなく堂々とほら穴へと突っ込んだ。英雄は賊ごときに警戒する必要などないのだ。

 威風堂々としすぎな行動にハイケはあっけにとられるが、すぐに気を取り直して小走りかつひそやかに彼の後を追った。


 ほら穴の中は大して広くなかったのですぐに奥までたどり着いて、そこでたむろしていた人相が最悪な三人の男たちと遭遇した

 鋲付き皮鎧と赤黒く汚れたこん棒で武装している。フケだらけのモヒカンヘアーが実に汚らしい、いかにもな野盗である。視界に入れるだけで臭ってきそうだ。


 連中のボスと思われる一番体格の良い男が、こん棒片手にのしのしと威圧的にクリスへ歩み寄ってくる。


「なんだてめえは。死ね」


 そして臭そうな黄色い歯をひんむくと、いきなり得物を振りかぶった。その殺意に満ちた目と勢いからして、本気で頭をかち割る気だ。

 出会って早々に殺害を試みてくるとは容赦のない奴である。だがしかし、その程度の容赦のなさでは英雄の足元にも及ばないのだ。


 クリスは懐に潜ませていたナイフを手に取ると、聖剣技を発動する。

 光がぱぱっと閃くと、ボスは振りかぶった体勢のまま動きを止めた。


「は、はれ?」


 クリスがぼけっとしているボスの胸をそっと突く。ボスの体はゆっくりと傾いてゆき、仰向けに倒れこむと同時に頭が外れて生首が地面に転がった。

 さらに一閃。もう一人の男の体が横に分割されて、土壁が鮮血でぱっと彩られた。

 残された男はなにが起きたのか理解できないようで呆然としていたが、その汚い面に血しぶきが一滴二滴とかかると、ようやく正気にかえったらしい。奇声をあげると血相を変えて逃げようとするが、もう遅い。


「へひっ、ひいいブッ!」


 クリスは神速で男の懐に飛び込むと、胸ぐらを掴み上げてから腹に膝蹴りを叩き込む。全身が跳ね上がるほどの強烈な一撃である。


「おい、ほかに仲間はいるか?」


 そして、失神させない程度の威力にしぼったにらみつけを行いながら尋問を始めた。

 害虫は一匹でも残ると大増殖するものと相場が決まっている。残りの敵がいないかを聞き出すために、クリスはあえて一匹だけ生かしてやったのだ。


「ひっ、ひいい! やめて殺さないでとめてやめてとめてやめて!」


 男はただ泣き叫ぶだけなので、クリスはもう一度膝をくらわせる。

 クリスは息も絶え絶えな男に顔を寄せると、地獄の底から響いてくるような低く静かな声で、もう一度同じことを尋ねる。


「おい、クズヤロウ。ほかに仲間はいるか?」

「はうう、い、いません! 俺たちだけです!」

「本当か?」

「本当です!」


 確認のため、もう一発重いのをくらわせる。骨が折れる鈍い音がしたが、どうでも良いことだ。


「本当の本当か?」

「えぶぶ……本当の本当です! 許して俺野盗暮らしで贅沢しようってボスに誘われて村を出てまだ旅人五人しか殺してないのにだから離して死にたくないの!」


 人生への後悔に満ちた顔で泣きはらす男は、ガタガタ震えてお漏らししながら聞いてないことまで白状する。

 その必死さから場当たり的な嘘を吐いてはいないということが感じ取れる。とりあえず、他に仲間はいないことを確認できた。


「そうか、わかった。ありがとよ」


 クリスは正直に答えてくれた礼として、男の脳髄を的確に貫くことで苦む間もなく逝かせてやった。


「よし、戻るか」


 野盗三匹を一方的かつ無残に処刑しても、クリスは顔色一つ変えやしない。これにはハイケも思いっきり引いてしまって顔面がガチガチに強張りまくっていた。


「あなた、どこの魔王様ですか?」

「魔王がなにを言ってるんだ。いや、おまえはまだ魔王じゃなかったな」

「そ、それは、おまえのせいだろっ……」


 ハイケは抗議をしようとしても、その言葉は尻すぼみなものとなって、小さい体がさらに小さく見えてしまう。

 英雄の容赦ゼロな活躍ぶりを目の当たりにしたとあっては、さすがに強気に出ることはできないようだった。




 クリスたちは若者たちに賊の討伐完了を報告したあと、さらなる頼みごとを求めて再び村歩きを始めた。

 が、今度はなにもない。村人たちとすれ違ってあいさつをしたり、短い世間話をしたりすることはあるが、頼みごとが舞い込んでくるようなことはない。

 困っている人というのは、それほど多くはないようだった。


 村を一回りしたところで、クリスはひとつため息をつくと、自分の家がある山へと向かった。もう帰る以外にやることはないのだ。

 家々と麦畑の間を通り抜けて、クリス家に続く山道に入ったところで、ハイケが平坦な声で次の行き先を尋ねる。


「次はどこに行くの?」

「帰る」

「ふーん、そう……」


 あまりにさらっと答えられたものだから、ハイケはつい気の抜けた返事をするが、すぐに当初の目的を思い出してクリスに詰め寄った。


「ということは、用事が済んだんだな! じゃあ約束通り、僕の話を聞いてもらうぞ!」

「嫌だね」


 ハイケはこけた。


「おい、話を聞くっていっただろう!」

「ああ。用事を終えるまで待てたら、話を聞くことを考えてやるって約束したからな。ちゃんと考えたぞ? そのうえで嫌だと言った。文句あるか」

「ふざけんなーっ!」


 それは最初から話を聞く気なんてなかったも同然といえよう。激昂したハイケは、銀髪を振り乱しながら怒鳴りつけると魔剣を抜き放つ。さらに魔法の詠唱も始めるが、そこで英雄の睨みつけがさく裂した。

 常人が受けると一瞬で失神する威力を誇る眼光。だが、ハイケは失神どころか失禁すらせずに、辛うじて耐えてみせた。この辺りはさすがは次代の魔王といったところか、幼い割には大した胆力である。

 だが、そこまでが彼女の限界だったようだ。剣が手からこぼれ落ちて金属音を立てると、力なく膝をついてへたり込む。彼女の戦う意志は、たったひと睨みでくじかれてしまった。


「そんなザマで俺に言うことを聞かせられると思ってるのか? これ以上やっても時間の無駄だ、さっさと帰れ。これ以上ひっついてくると蹴り飛ばすぞ」


 この英雄、子どもに対してもまったく手を抜かない。

 クリスは平伏するハイケを、濡れた刃のような恐ろしく鋭い目で見下ろすと、ため息まじりで心底うざったそうに言い放った。大人でも震えあがりそうな迫力のある重い声をぶつけられて、ハイケは顔を青ざめさせて縮こまってしまう。


 だが、彼が次の一言を口に出すと、急に雰囲気が変わった。顔の険がとれて、眼に暖かみのある光が宿った。それは、アデアナや村人たちに見せるような、普段の(・・・)表情である。


「今度は勇者だかの面倒な話は持ってこないで、普通に遊びに来い。それならちゃんと歓迎するからな? 覚えておけ」


 魔王カサンドラはクリスの親友だった。その友の忘れ形見が相手とあれば、個人的な付き合いをするのはやぶさかではないのだ。


 急に優しげな言葉をかけられたハイケは、苦い顔をしてうつむくと、とても悔しそうにきゅっと下唇を噛む。

 もうどうすればいいのかわからないといった風に、やりきれないうめき声を漏らし続ける。

 彼女はしばらくそうしてヘタっていると、急に剣を拾いつつ勢いよく立ち上がって、クリスに背中を向けた。


「うぇーん! 先生に言いつけてやるー!」


 彼女はそんな捨て台詞を泣き声で吐きながら、村のほうへと走り去っていた。


「先生って誰だよ」


 クリスはぽつりと疑問をこぼす。が、その問いの答えを知っている者は、もう視界から消えていた。





 いちおう、村は今日も平和である。

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