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「お目覚めに、温かい飲み物はいかが?」
メーデルは自分の服をつまみ上げ、太腿をチラリと覗かせた。
女神のイタズラとも言うべきその仕草は、さくらんぼ印の雄太の心をドキリとさせる。
「い、今は冷えた飲み物がほしいっすね!」
メーデルの悪い冗談を濁しつつ、雄太がふらふらと立ち上がった。
白かった道着は元の色が判別出来ない程に汚れ、全身擦り傷だらけで砂が混ざった血糊が顔の至る所に張り付いていた。
まさに満身創痍と言ったところだった。
エリザが心配そうな顔をしている。
「メーデルは私の身体が目的です! だからユウタさんはここからお逃げ下さい!」
そう言ったエリザは未だに地面に座り込んだままだった。
足がすくんで立ち上がる事すら出来ないのだろう。
あれ程の黒い殺気を放つ化け物を相手に立ち向かったのだ。無理もない。
それなのに、エリザは虚勢を張って雄太に逃げろと言うのだ。
(強がりな人っすね……)
「盗み聞きしたようで悪いっすけど、寝転がっている間にエリザさんの事聞かせてもらったっす。……そんな頑張ってる人を置いて逃げるなんて、俺には断固出来ないっす!」
「ユウタさん……」
と言っても、派手にやられて死んだ様に意識飛んでいたのは事実。目が覚めたのはほんの少し前だ。
(呪われた王女さんに、死の世界からやってきた美女英雄……か。異世界に憧れる俺には満点な話しっすね。そんな悠長な事言ってられねぇっすけど)
それにしても趣味の悪い呪いである。
ビキニで筋肉質で紳士的なヒゲのオッサンに姿を変えてしまうなんて、いくら素敵でもエリザが受けた精神ダメージは計り知れないだろう。いくら素敵でも。
しかし──だ。
それを知ったからと言って、目の前の英雄を倒す事も、エリザの呪いを解く事も、何の能力も無い雄太には到底出来そうもない。
「……まぁ、それでも」
そう言いながら雄太は上の道着に手を掛け、
「やれるだけやるっす!」
と、意気込みながら道着を脱ぎ捨てた。
道着が空へと舞い、陽射しと交わって煌めく。
上着を脱ぎ捨てて戦う、という男気溢れる演出を一度やってみたかったのだ。
道着が風にはためく。心なしか、道着も気持ち良さそうだ。
──その時だった。
ヴァァァァァッッ!!!
突然、濁った鳴き声と共に黒い影が雄太の横をかすめていった。
それは大きな鳥だった。
日本では見た事もないぐらいに大きくて黒い鳥だ。
その鳥が空を遊泳している雄太の道着を嘴でキャッチした。すごい。
そして艶のある大きな黒翼をはためかせて飛び立っていった。
まるでアニマルショーの如く迫力があった。素晴らしい。
いやいや、関心している場合ではない。
大事な道着が奪われたのだ。
じわじわと、ふつふつと込み上げてくる怒りの感情。
ブチンッ。
何かが切れた音がした。
「返せゴラァァァァァァァッ!!!」
雄太は激昂し吠えた。
雄太の後ろから、まるで虎の咆哮が見えてくるような気魄だ。
しかし、黒い鳥はすでに遠くまで飛んでいってしまった。
もう間に合わない。
「返して下さいゴルァァァァッ!!」
今度は涙目になりながら吠えた。
まるで虎が泣いているかのような気魄だ。
しかし、黒い鳥はすでに岩山の向こうへと消えてしまった。
もう絶対無理。
「俺の……"人生"を……返して……」
怒りすら凌駕する程の悲しみに、雄太は急に意味深な事を呟く。
使い込まれ、汚れてはいるが雄太にとっては想い入れのある道着。叶わぬ青春の代わりに共に過ごしてきた道着。いわば親友みたいなものだ。
それがあろう事か、鳥が餌か何かと間違えて持ち去って行ってしまった。
突然の悲劇と別れだった。
「……あらあらぁ。大丈夫、お兄さん?」
その様子を静かに見ていたメーデルが雄太に声をかけた。
目を細めて艶っぽい表情の裏では、一体何を考えているのか相変わらずわからない。
一方、エリザは押し黙っている。
気不味い雰囲気だとわかっているのだろう。
「……大、丈夫……っす」
涙声だった。
メーデルが唇に人差し指を当て「う〜ん」と唸る。
そして今度は、その人差し指を雄太に向け、ゆっくりと足元へと移動していった。
「……そ、れ」
滲む景色の中、雄太は何の事かと思いながらメーデルが指し示した所へ視線を移すと……。
そこにとんでもない物が落ちていた。
「んぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
なんと、腰で止まっていたはずの道着のズボンが足元に落ちていたのだ。
そう、何かが切れた音の正体はズボンの前紐だった。
靴は稽古中履かずにいたので、この世界に来てからずっと裸足。つまりこれで上も下も装備無し状態となってしまった。
俗に言う無課金状態である。
今、雄太の逞しい身体を覆うものは白いフンドシだけだ。
ビキニ(オッサン)のエリザと、布切れを身体に巻き付けたような服のメーデルと、フンドシ姿の雄太という眩しい三人が揃った。異様な光景だった。
雄太は空を見上げた。
暑い。憎らしい程、良い天気だ。日本にいた時の夏そのものだ。
そういえば、この世界にも季節があるのだろうか。
エアコンのある部屋とか、冷たい飲み物ってあるんだろうか。
そんな事を、雄太は空を見ながら思った。
……辛い現実から目を背けてるぐらいわかってる。
だって、仕方がないじゃないか。
踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂、こんなにも災難続きなんだから。
……本当に暑いな。
汗が頰を伝っていく──
「お兄さん、泣いてるの?」
メーデルはストレートに聞いた。
空気は読まないタイプらしい。
「ちょ!? 泣いてなんか! な、……ぐすっ、泣いてなんかねぇぇっすよ!」
半ばキレ気味の雄太であった……。