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 二度目の気絶。

 どのぐらいの時間が経ったのか、陽の光の眩しさで目を覚ますと、俺は冷たいコンクリートの上で寝ていた。

 起き上がろうとするも、全身が石の様に重く動かす事が出来なかった。

 だけど、あれほど俺を苦しめていた恐怖の塊のような淀みが、身体の中から嘘のように消えていた。

 今は猛烈な喉の乾きと疲労が、生きている事を実感させている。

 俺は放心した。

 本来なら逃げる事が出来た嬉しさから涙する所かもしれないが、今は何も考えたく無かった。

 見知らぬ土地、財布もスマホも無い。

 この後、どうやって家に帰ればいいのか考えたくもなかったからだ……。




──結局、あの後は通りすがりのお爺さんに助けてもらった。

 早朝の新聞配達をしていた所、幸いにも倒れている俺に気付いてくれたのだ。

 動けない事をお爺さんに伝えると、わざわざ家まで戻って救急車を手配してくれた。

 スマホぐらい持っていけば良かったとさらに後悔。

 それから、怪我をしたわけでもないのに恥ずかしくも担架に乗せられ搬送。一日だけ入院する羽目になった。

 大人達の対応は大袈裟だな、と思ったけども悪い気はしなかった。


 そんな事があって以来、俺は身体を動かす事を日課にしてみた。そのかいあってか、淀みは感じなくなっていた。

 皮肉なもんだな、と思った。

 結局、じっちゃんがいなくても身体を鍛えている事になるわけで、まるであの頃に縛られているような感じがするからだ。

 それでも、身体を動かして汗をかくのは気持ち良かった。

 早朝のランニングと筋トレ、学校が休みの時は遠い町まで走り、たまに新聞配達のお爺さんを見つけては手を振った。


 ある時、そのお爺さんから声をかけられた。

 なんでも、新聞配達を続けるのがしんどくなったので代わりにやってみないかと誘われたのだ。

 身体を動かすついでにお金が稼げるなら願ってもない事だと、俺は引き受ける事にした。

 数日だけお爺さんと一緒に働いた。百目鬼(どうめき)という珍しい苗字の人だった。

 お爺さんは優しかった。おかげですぐに仕事を覚えた。


 ……お爺さんが辞める日の事。

 お爺さんには俺と同じ歳の孫が居て、でも不幸な事に三年前に事故で亡くなったと話してくれた。

 だから、一緒に働く事が出来て寂しさを紛らわす事が出来たと、お爺さんが言ってくれた。


『頑張るんじゃよ』と、お爺さんは笑顔で俺に告げると職場を去って行った。

 しわくちゃな笑顔だった。けど、去って行くその背中は凄く寂しそうで、俺はなんて言ったらいいか分からなくて、ただ無言で手を振った。

 上手く言葉に出せなかった自分に腹が立った。


 それからはバイトをしながら学校に通う日が続いた。

 高校へは行くつもりだったので冬になる頃にはバイトを辞め、そのバイト代で大きめのスマホを買った。

 パソコンとスマホを駆使して、真面目に勉強しつつもアニメや漫画を見て過ごした。

 そして数ヶ月が経ち、俺は中学校を卒業した。




──高校入学式。


 俺は高校の校門前の桜の木を見ていた。

 早朝の通り雨で濡れた桜の木が、水気を含んで重たそうにしている。

 地面には散っていった桜の花びらが水溜りに浮いていた。

 家を出るときにはすでに晴れていたので傘は持ってきていない。

 ただ、新しい制服と靴が汚れないように、所々に出来た水溜りを避けて歩いたので着くまでに時間がかかった。

 入試の時はそれどころじゃなかったがこれで道は覚えた。

 明日からはランニングで通うつもりだ。


 桜の木をずっと見ていたかったが、時間の余裕は無かったので先へと進む事にした。

 周りには在校生らしき人がゆっくりと校門へと踏み込んで行く姿があった。入学生らしき人は見当たらず、残すは俺だけなのかもしれないと少し焦った。

 よし、と心の中で呟き、緊張しながらその高校生活一日目の一歩を、俺は踏みしめた──


 ……はずが、校門を跨ぐその一歩が地面に着かない。

 背後に人の気配。だれかが俺を捕まえて邪魔をしていた。

 振り返ると、そこには山籠りをしていたじっちゃんが俺の襟首を掴んでいた。

 驚いた。

 髪も髭も伸び放題で、前髪は鼻先まであり目元はよく見えないが、低く響くその声と鍛えられた岩のような体格はまさしく俺の知っているじっちゃんだった。

 じっちゃんは俺にこう言った。


「雄太、修行じゃ」


 久しぶりの再会に、こんな場所で、そんな言葉で、一年という空白の時間が埋まるはずもなく、俺は困惑した。

 終わらせたのはじっちゃんだ。それを今になってまた修行などとどうしてそんな事が言えるのか。


 ──でも。


 うまく言葉が出てこない。

 言いたい事は色々ある。たくさんある。

 でも、その言葉と感情を必死に押し込めている自分がいたのだ。

 そしてようやく口に出せた言葉は……


「クソジジイ」


──殴られた。


 その勢いで思い切り吹き飛んだ俺は地面に倒れた。

 先程まで桜の木を映していた水溜りが音を立てて歪み、桜の花びらが波紋に揺らめく。

 頬を腫らした俺の顔と泥で汚れた制服が水溜りに映される。

 髪を乱し、口元を血で汚して地面に這いつくばるその姿は、あまりにも無様だった。


 俺は静かに立ち上がり、じっちゃんを睨んだ。

 じっちゃんの口元が動いた。


「お前には強くなる責任がある!!」


 俺に拳を突き出し、低く響く声でじっちゃんはそう言った。


「……は?」


 なにを言い出すんだと困惑する俺に、じっちゃんは親指を立てて不敵に微笑み、


「フッフッフ…………フハハハハハハっ!」


 ついには豪快に笑いだしてはじっちゃんの太い腕が俺に伸びる。

 そして、首根っこを掴まれ、目の前にある高校生活から引き剥がすようにして、俺をどこかへと連れて行く。

 同年代からすれば俺は背も高く体格も良かったが、それを腕一本で引き摺るじっちゃんだった。


 理不尽過ぎると思う。

 だけど、不思議とこうなる様な気はしていた。抵抗する気も起きなかったぐらいだ。

 学校を目前にしてもまったく現実味なんて無かったし、身体を動かしているのが自分には合っているんだと納得させて、遠ざかる高校を眺めながら俺は単なる空想上の青春と決別した──



──それからは修行の毎日だった。


 来る日も来る日も拳を突き出し、空を穿つように足を蹴り上げ、季節は移り変わって三年は経った。

 確かに自分は成長した。だけどどんなに頑張ってもじっちゃんには勝てなかった。

 容赦の無い拳には何度も吹き飛ばされ、それでも長い時間攻防を続けられるようにはなっていた。


 いつしか俺は、自分がどれだけ強くなったのか実感を欲するようになっていた。

 じっちゃん以外の強い人と戦いたくなったのだ。

 だけど、じっちゃんはそれを許してくれなかった。

 俺はじっちゃんとの変らない毎日のやり取りに嫌気が差していた。

 もっと世界を知りたい、自分の可能性を知りたいと強く願い、俺は家を出た。


 遅めの中二病を拗らせたかのように、拳に包帯を巻いては強者を探す旅に出た──

 が、じっちゃんに首根っこを掴まれてすぐに捕まってしまった。

 旅に出て五分も経って無かったと思う。

 そのまま地面へと投げ出された。服が土にまみれた。

 じっちゃんは不敵な笑みを浮かべて俺を見下していた。

 長い前髪のせいでどんな目で見ていたのかは分からないが、相手を侮蔑するかの様に笑う口元には腹が立った。


 いつかじっちゃんに目にもの見せてやる。

 そんな事を思いながら修行の日々へと戻ったが、だけどやっぱり俺の攻撃がじっちゃんには当たらなかった。

 ホント何なのこのクソジジイ。強過ぎて腹が立つ。

 そんな憤りを常に感じていた。

 必ず殴り倒してやると決意し、それだけを生き甲斐にして俺は頑張った。


 ……だけど、そんな日は訪れなかった。

 俺の最期は蹴り飛ばされて湖で溺れて終わったのだ。

 強くなる為に生きているのか、じっちゃんに殴られる為に生きているのか、分からないまま終わる人生。


 それが『黒衣 雄太』という人間の全て。



──だから、目覚めて新しい人生が始まるとわかった時、俺は嬉しかった。

 この世界になら、強い人はたくさんいるんだろうってワクワクしたんだ。

 自分を試すチャンスが来たのだ。

 それだけじゃない。

 青春だってあるかも知れない。

 友達も欲しい、何より彼女がほしい。

 この世界なら叶う事が出来るかもしれないのだ。

 いいや、叶えて見せる。

 ……絶対に。


 俺は自由だ。

 思うがままに進もうじゃないか。

 その先に待つ、運命を期待しようじゃないか。

 血をたぎらせる戦いや、心を焦がす出逢いに。

 そしてその結果を享受しようじゃないか。


 例え、そこが知らない土地でも。

 例え、そこが日本じゃなくても。

 例え、そこが地球じゃなくても。



 例え、そこが異世界でも─────






──女は、つい先程自分が倒した男の傍で立っていた。


 メーデルと名乗ったその女は満足そうな表情をしている。


「あらあら。この子、目を開けたまま死んでるわ」


 メーデルは大の字で倒れている雄太の顔を覗き込むようにしてそう言った。

 雄太の顔は血と砂で汚れ、開かれたままのその瞳には、絶望が映り込んでいる。


 メーデルがニタリと笑う。

 雄太の瞳に映る絶望もニタリと笑った。



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