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突如として雄太の前に現れた女。
大胆なその姿はどこへ目をやっても刺激的で、雄太の視線は活魚のように泳いだ。
肩も足も露出してはいるが、しかし下卑た印象は与えず、神秘さと清廉さを兼ね備え、風格にも似たオーラをその女は纒っていた。
雪のように白い肌。
潤んだ大きな金色の瞳。
ほんのり桜色を帯びた薄い唇。
瞳と同じ色をしたウェーブがかった長めの髪。
大きく膨らんだ乳房は服を押し上げ、その実りを自慢げに強調している。
成熟した体付きとは裏腹にその顔は幼く、艶のある髪と肌を持ち合わせた女は実際に若く見えた。
雄太は思わず、そのパンパンに膨らんでいる女の胸を凝視した。服の上からでも分かるほど、はち切れんばかりに張った葡萄の実のように、乳房とその先の形がくっきりと浮き出ている。
雄太は生唾をゴクリとさせ、体の中心がうずく感覚に悶えた。
それは熱を帯び、まるで体内で暴れる生き物のようでもあった。
(ヤバイ……っす)
女が妖艶に微笑む。
女の金色の瞳に吸い込まれてしまうのではないかと雄太は思った。
しかし突然、劣情を凍らせる程の寒気が雄太を襲う。
(あ、あれ? なんで震えているんだ俺……)
妖美な女を前にして、雄太の体は震えていた。
女の瞳の奥に、禍々しい深淵のような闇が映っている。
それは暗くて深い谷底を見下ろすような、得体の知れない不気味な恐怖を見ているかのようだった。
「うふふ……今日はとても機嫌がいいの」
女が初めて口を開くなりそう言うと、目を細めて微笑んだ。
「……それは、よかった……ですね」
女の脈絡の無い発言に、エリザは少し困った顔で相槌を打った。
しかし、雄太にはそんな余裕は無かった。何故なら自分の額に玉のような汗が噴き出していたからだ。
雄太の本能は恐怖に怯えていた。
(俺はあの女を恐れている……)
雄太は感じ取っていた。あの女から滲み出る殺気を。
全身の毛が逆立ち、チリチリと肌を焼くような感覚。雄太の本能は危険だと報せていた。
「君にあげるわ」
女は雄太に向かって何かを放り投げた。
「お、と!?」
突然の飛来物に、雄太は両手を伸ばして受け止める。白くてふわふわしてて温かかった。
「ちょっ、なんすかこれ!? って、あれ? いな──」
──刹那、鈍い音が響いた。
雄太の体がトラックに跳ねられたかのような凄まじい勢いで吹き飛ぶ。
エリザは思わず悲鳴を上げた。
女が雄太の脇腹に強烈な蹴りを入れたのだ。
蹴り飛ばされた雄太の体は地面を叩き、ゴロゴロと勢いが止むまで転がっていった。
「……そんな」
エリザは悲痛な面持ちで雄太を見た。体中を土で汚してうつ伏せのまま倒れている。
「はぁぁ……いいわぁ」
女は目を細めて息を吐いた。体がぶるぶると震えている。
「……なぁんてご機嫌な日なのかしら!」
女の顔は恍惚として、狂気に満ちていた。
募る想いを深い溜息で垂れ流し、氷のように冷たい瞳は昂ぶりに潤んでいる。
「……うっぐ………痛ってぇ…」
雄太が脇腹を押さえ、呻きながら起き上がった。
「大丈夫ですかユウタさん!?」
エリザがよろめく姿の雄太に向けて叫ぶ。
雄太は不安な様子のエリザに親指を立てて応えた。
雄太は血と砂の混じった唾を地面に吐き、女を睨んだ。
「……いきなり蹴るなんて酷いっすね」
女は雄太を挑発するかのように、自分の胸を両腕で抱いて微笑む。
「うふふ。上手に受け身を取るのね? 手加減しなくても良かったかしら?」
雄太は攻撃を食らった瞬間、自らも飛んでいた。そして女から受けた衝撃を逃がすようにして転がったのだ。
これも、祖父との厳しい修行の賜物だった。
「はは……手加減してこのザマっすか……」
雄太の道着ははだけ、砂で洗ったかのように汚れている。
そのはだけた隙間からは筋肉質な身体が露出していた。
「お兄さん、なかなかいい身体してるわぁ」
女は雄太の身体を舐めるように見た。
実際、雄太の身体は日々の鍛錬の甲斐あって逞しかった。
無駄の無い引き締まった筋肉は若々しく、それでいて胸筋と腹筋の厚みは申し分無かった。
雄太はエリザと女を見た。
エリザは落ち着かない様子でソワソワしている。
女は内股になって気味悪く悶えていた。
「ユウタさん!」
堪らずエリザが雄太の元へと駆けて行く。
「エリザさん、危ないから来ちゃ駄目っす!」
雄太が声を張り上げ、駆け寄ろうとしたエリザを止めた。
「うふふ。若いのに勇敢なのね。男らしいのは好きよ」
「……俺もお淑やかな女性は好きっす」
「あらぁ、それは残念だわ」
「……そっすか」
雄太は苦笑した。
(それはつまり、また襲ってくるという意味っすかねぇ……)
「ご挨拶が遅れましたわぁ。私はメーデルと申します」
メーデルと名乗った女は、足を後ろに引いてお辞儀をした。
女がその名前を口にした途端、エリザの顔が強張った。
「そんな……まさか。英雄の一人、メーデル……」
「あらぁ、こんな辺境な地で私の事をご存知なんて。光栄でございますわ」
メーデルがまた軽くお辞儀をした。
「英雄……!?」
雄太は険しい顔をして疑いの目でメーデルを見た。
一体どんな功績を残したのかはわからないが、いきなり人を蹴り飛ばす人が英雄だとは流石に信じられなかった。そして、英雄と呼ばれる人物から未だに殺気を向けられている。
「でも……そんなはずがありません!」
エリザが声を荒げて言った。
「それはどういう意味っすか?」
雄太はメーデルから目を離さないよう警戒しながらエリザの話しを聞いた。
雄太の斜め後ろにエリザ、前方にはメーデルがいる。
「英雄は……」
エリザが言いかけた時、メーデルが突然走りだした。
妖しく光る金色の瞳は雄太を捕らえている。
メーデルは口角を吊り上げ不気味に笑い、姿勢を低くしてさらに加速していく。
雄太は反射的に半身を切って右足を前に出して構えた。
逃げるのは得策とも思えなかった雄太はメーデルの突撃を迎え討つ事にした。
雄太は女の顔を見た。引き攣ったように笑っている、まるで悪魔のようだった。
(怖っ……)
雄太は静かに息を吸った。
そして、相手が間合いに入るタイミングに合わせて体をひねる。
右の脇腹、肩、腕、そして拳に力を込め、鋭い呼気と共にメーデル目掛けて一撃を放った。
女が相手だからと、雄太に手加減は無かった。
しかし……。
メーデルの攻撃は雄太が拳を突き出すよりも早かった。
メーデルは槍のように尖らせた手で雄太の喉を突き刺す。
「くっ!?」
メーデルから笑みが消えた。
代わりに険しい表情となって雄太を睨みつけている。
雄太の右手にはメーデルが放った突手が握られていた。
雄太は最初からメーデルの攻撃を受け止めるつもりだったのだ。
「あらぁ、意外にやるわねお兄さん。ちょっぴり驚いちゃった」
「こっちもじっちゃんに鍛えられているんでね、そう簡単にはやられないっすよ」
雄太とメーデルが至近距離で睨み合う。
女からは殺気に混じって甘ったるい香りが漂ってきた。
「それは楽しみだわ。それはそうと、お兄さん変わった服を着てるのね? 何処から来たのかしら?」
「お色気と殺気に満ちた女の手を掴みながらの世間話しってのは中々趣深いっすけど、とりあえずその質問に答えると俺は地球という星の日本っていう国から来たっす。ヨロシクっす!」
雄太は女の金色の瞳を睨みつけて言った。
「チキュウ? ニホン? 聞いた事ないわぁ……何処かしら?」
(この人も知らないのか。ビキニのオッサンもそうだけど、ここまで噛み合わないって事はやっぱり……)
「……どうやらここが異世界で決まりのようっすね」
「異世界? お兄さん、何を言っているのかしら?」
「お姉さんが異世界級に美しいって事っす」
「うふふ。それはどうも──」
メーデルの瞳が妖しく光る。
雄太は咄嗟に、掴んでいたメーデルの手を離してその場から飛び退いた。
それと同時にザアアァァッという音が響き、雄太が元いた地面が抉られていった。
メーデルが雄太の首を狙い、半月を描くように蹴り上げたのだ。
目的を果たせなかったメーデルの足先が天を突いていた。
「──素直に喜んでおくわ」
足を上げたまま、メーデルは雄太にそう言った。
布切れのような服の間からは太腿が覗いている。
雄太は抉られた地面を見て苦笑いをした。
人間技とはとても思えない。
「そして、異世界級に強いって事もわかったっす」
「うふふ」
メーデルは足をゆっくりと下ろした。
一見、隙だらけの様に見えるメーデル。
攻撃するチャンスかもしれない。
しかし、それがわかっていても、雄太は動けずにいた。
(くそぅ……イヤな予感しかしねぇっす)
あの女には近寄るなと、本能が警笛を鳴らしている。
どう動いたところで、反撃される映像しか浮かんで来ない。
(ここは異世界だ。相手がどんな能力があるのか計れないうちは……)
雄太はメーデルのその足先の行方をじっと睨んだ。
女の足が地面に着いた瞬間に攻撃に転じてくる。
雄太はそう予想していた。
メーデルの足が地面に着き、雄太は構えた。
その瞬間、メーデルの姿が消えた。
(うっそぉぉぉ!?)
予想を超えた展開だった。
メーデルが忽然と目の前から消えてしまったのだ。
首を左右に振る。どこだ。いない。
心拍が喧しくなる。つばを飲み込む音さえ煩い。
蠢動する殺気は確かに感じるのに、その姿を捕らえる事が出来ない。
(チートスキルだらけの異世界生活──但し主人公以外、って所っすかねぇ!?)
雄太は焦った。最早人間を相手にしているという感覚からは超越した未体験ゾーンに来ている。
祖父との打ち合い以外の修行なんてしたことが無い雄太にとって、戦い方が見出だせなかった。
(クソっ! せっかく異世界に来たってのに、何か俺にも特別な能力は無いんすか神様!?)
雄太は思いっきり目を見開いてみた。
見えないものが見えてくるような、自分にそんな暗示を掛けながら見回した。
しかし、潮風で目が乾くだけだった。
(ノースキルで異世界転移だなんて、神様マジで恨むぜサンキュっ!)
その時だった。
(なんすか……?)
雄太は一瞬だけ気温が下がったような感覚を肌で感じた。
まるで木陰に入った時のような気温の変化だった。
「くそ……上っすかっ!!」
雄太は上を向いて拳を突き上げた。
警戒しながらも、腕には力を溜めている。
瞬時に放った拳でも十分な力が込められていた。
ヒュンッ、と雄太の拳が風を切る。
「──な!?」
しかし、そこにメーデルは居なかった。
雄太の拳は虚しく空を突いただけだった。
鳥の群れが太陽を背に飛んでいるのが見えた。
「ざぁぁぁんねんでしたぁぁ!」
背後から芳烈な香りが吹き、メーデルの狂気じみた声が雄太の背中を撫でた。
氷を肌に押し付けたような、酷く冷たい感覚だった。
「まじ──」
ドゴッッッッ
重く、鈍い音が響いた。
メーデルの蹴りが雄太の体に沈み込む。
肉、骨、内蔵を突き破っていく程の強烈な衝撃が走る。
──っすか……。
暗転。
雄太の意識は乱暴に千切られ、闇へと消えていった。
それは地面に叩き付けられた音が響く前の事だった。