ブラッディ・ダイ・ブラッディ・リボーン
●●●
一人の少年が今、死のうとしている。
病気では無い。
事故でも無い。
東京湾を埋め立てた技術実験都市バビロンの一角、繁華街を少し逸れた路地裏にて。
少年は、吸血鬼に血を吸われて死のうとしていた。
●●●
バビロン都立第二高校に通うごく普通の少年、銀城大河は、薄れ行く意識の中でひたすらに『何故』と問い続けていた。
何故、自分の身体は動かないのか。
何故、視界が暗くなっていくのか。
何故、意識が薄れていくのか。
何故――
焦点を合わせることも出来ない瞳に映るのは、パイプや電線の走る路地裏の壁、その向こうに広がる繁華街の明かり、夕焼けに染まるオレンジ色の空、そして――
自分の首に前から噛み付く、一人の女の姿。
何故――こんなことになっている?
今日も昨日と同じ、ごくごく普通の一日だったハズだ。
いつもの様に情報端末腕輪に起こされ、
いつもの様に家族と朝ごはんを食べ、
いつもの様に学校に行って授業を受け、
いつもの様に女友達とアニメ談義をし、
いつもの様に風紀委員として委員会活動をし、
いつもの様に帰宅する――その筈だった。
大河のいつもに異常が発生したのは、帰り道の繁華街を通っていた時のことだった。
ふと――本当にたまたま、目を向けた路地裏に一人の女性が倒れ込んでいるのが見えたのだ。
技術実験都市バビロンにおいて、ホームレスや生き倒れは珍しくない。未だ続く不況の影響で職を失ったサラリーマン、OLが財産を全て失い行き場を無くし、路地裏や街のスミに追いやられるのはよくあることなのだ。
大河にとって、その路地裏で女性が倒れている光景というのは見慣れた光景だ。その筈だった。
だからその女性に声をかけようと、路地裏に入っていったのは――大河に取っても、異常極まりない行動だった。
「――あの、大丈夫ですか?」
女性は、路地裏の奥まった所にいた。得体の知れないパイプや電線の走る壁に座り込むように倒れている。
その女性に、大河は恐る恐る、といった様子で声を掛ける。
長い金髪の女性だった。黒いコートを着込んでいるが、間から見える肌は、暗い路地裏の中でも目立つほど真っ白だ。
女性は、目元を隠すほど長い前髪の向こうからぼーっと大河を見ている。
「あの――」
「――よく来てくれたわ。私の魅惑眼もまだまだ捨てたモノじゃないわね――」
ぼそぼそと女性が何かを言ったと思ったら――大河は急に立ち上がった女性に押し倒され、その首に噛みつかれていた。
――何故、こんなことになっている?
大河は、薄れ行く意識の中で疑問し続ける。
大河は気づかない。女性が吸血鬼と呼ばれる怪物であったこと。彼が路地裏に入ったのは彼の気まぐれではなく、吸血鬼の魅惑眼と呼ばれる幻惑の瞳によって誘導された行動であること。
大河が感じるのは、何故という疑問と、首から吸われていく血液の感覚だ。
思考はぼやけ、身体の感覚も無くなり、瞳は焦点を結ぶことさえ出来なくなり――ただ、自分の命を支えていた血が、刻一刻と奪われていくことだけは感じている。
だが、その感覚さえ薄れていく。
何もかもの感覚が遠くに行き、決定的に大河自身から断絶していく。
「――ごちそうさま」
最後に聞こえたのは、そんな女性の声。
それを最後に、大河の意識は途絶えた。
●●●
「――ガイシャを一人発見した。血を吸われている。あの野郎、ここで補給をして逃亡したみたいだ」
技術実験都市バビロンの一角、とある繁華街の路地裏。
怪しげなパイプや電線の走る壁に囲まれたそこに、二つの人影があった。
一人は金髪をポニーテールに縛った少女だ。黒い防汚染コートに身を包み、背にバイオリンケースを背負っている。まだ十代に見えるのに、その表情は厳しく、まるで戦士のような少女だった。
少女は、右腕の情報端末腕輪を耳元に近づけ、どこかに連絡を取っている。連絡を取りながら見ているのは、少女の前のもう一つの人影だ。
黒髪の学生服の少年が、壁に座り込むように倒れている。
首元には二つの穴が空いており、そこから血が少し滲んでいる。
血は溢れたり、流れたりしない。少年の身体から、血液が決定的なほどに失われているのだった。
少年はガラスのように光の無い瞳を見開いている。驚愕、という表情のまま、微動だにしない。
少年は、完全に死んでいた。
「――分かってるよ、シエルに頼んで――」
少女が少年だったモノから視線を外し、情報端末腕輪の向こうとの会話を続ける。
がりっ
微かに音が鳴った。
死んだはずの少年――銀城大河と呼ばれた少年の手が、微かに動き地面を掻く。
ガラス玉のように光を無くした瞳が真紅に染まり――きゅっと瞳孔が細まった。
「――ガハッ……ハァーッハァーッハァーッ」
文字通り、大河は息を吹き返した。酸素を求めて荒く呼吸を繰り返す。
動き出した大河がまず最初に感じたのは、飢餓感だった。
――足りない。腹が減る。何よりも喉が渇く!
「――うう、うううウウウ……!」
渇く、渇く、渇く! 今すぐに何かで喉を潤さなければ! そんな焦燥感に苛まれながら、大河は視線を上げる。喉を潤す何かを探して。
薄暗い路地裏、パイプや電線で絡み合った壁、夜空に侵されつつある夕焼け、その中心に一人の女がいた。
同世代と思しき、金髪のポニーテールの少女。黒い防汚染コートに巨大なバイオリンケースを背負っている。鋭い目つきを繁華街の方に向けながら、情報端末腕輪でどこかと連絡を取っている。
ポニーテールで金髪を纏め上げた少女の、晒された白いうなじを見た瞬間、大河の中の衝動が爆発した。
美味しそう。
艶めかしいほどに白く美しいうなじ。その肌はどれほどなめらかなのだろう。その皮膚の下に流れる血はどれほど甘美なのだろう!
吸いたい。喰らいたい。貪りたい!
肌を嘗め回しその皮膚を牙で突き破りその血を啜りたい!
暴力的なその衝動を、大河は抑えることを考える間も無く、実行した。
バッとバネ仕掛けの人形のように立ち上がると、その勢いのまま少女の首筋に向かって噛みつく――
「――ちっ、面倒くせぇ」
ばづん、という何かが千切れるような重い音と共に、大河の視線が腰の位置まで下がる。
何が起こった? と混乱する大河の背後で、べしゃり、と濡れた何かが倒れる音が立つ。
何だ? と振り返った大河の視界に入って来たのは、倒れた自分の下半身だった。
「え――?」
呆けた表情で仰向けに倒れる大河の上半身。大河の身体は腹の辺りで両断され、それぞれ倒れている。
ブゥイイイイイイン、というエンジン音が路地裏に響いている。大河がそれに気づき、音の発生源を見ると、そこには片手でチェーンソーを構えた金髪の少女がいた。
彼女はちっと舌打ちをしながら、唸るチェーンソーを大河の脳天に突きつける。
「グールは死ね」
少女は無慈悲にそう告げながら、チェーンソーを振りかぶり大河の脳天へと叩きつける。
迫るチェーンソーを、大河は両断された脊髄に氷を突っ込まれたように、ぞっとするほど冷たいものを感じながら見ていた。
死ぬ。死んでしまう。
訳が分からないまま、こんな路地裏で、真っ二つに両断されながら、死ぬ。
大河は混乱しきった頭で、それでも抵抗するかのように両手をチェーンソーに向ける。死にたくない、その一心で。
「わああああああああああああッ!」
ばぢぢぢぢぢぢぢぢぢぢぢぢッ!
大河の悲鳴と共に、暗い路地裏に火花が散った。
火花は振り下ろされた少女のチェーンソーと、それを受け止める大河の両手から生えた杭とが交差した点から生まれている。
「え、いったい、なにが――」
「へぇ――能力持ちか」
呆然とした表情でチェーンソー、火花、そして自分の手から生えた杭を見る大河。
そんな彼を、面白そうな表情で見やる少女。少女はチェーンソーを振り上げると、背負っていたバイオリンケースの中に仕舞った。
そのまま情報端末腕輪に向かって話かける。
「支部長。ガイシャが吸血鬼になった」
●●●
「オレはロゼだ」
先ほどと変わらぬ路地裏に、二人の人影がある。
大河と、ロゼと名乗った金髪ポニーテールの少女だ。
ロゼは真っ二つになった大河の上半身と下半身を、元に戻すように並べている。
「突然だが。結論だけ言うとお前、えーと……」
「大河です。銀城大河」
「大河、お前は吸血鬼になった」
ロゼは、何でもないことのように大河に告げる。
「吸血鬼ってのはまぁ、こんなことが出来る化け物だ」
つ、とロゼがくっつけた大河の上半身と下半身の接合部に目を見やる。大河も釣られて視線を両断された腹部に見やると。
「傷が、くっついてる……!?」
ぐちゃぐちゃと傷口が蠢きながら、ぐちぐちぬちゃぬちゃと音を立てながら絡み合って大河の上半身と下半身がくっついていく。
十秒も経たない内に、大河の身体は元通りになっていた。
「デタラメな再生能力に、さっきお前が手から杭を生やしたみたいな特殊能力。そして何より、血を吸いたいという衝動を持っている」
で、だ。とロゼは言葉を切ると、横たわる大河にビシッと指を突きつける。
「お前には二つの道がある。このまま吸血鬼でいるか、人間に戻るか、の二つの道がな」
「――戻れるんですか?」
「戻る方法はある。多分だがな。どうする? 人間に戻りたいか?」
ロゼは片目をつぶって、大河の言葉を待つ。大河は数秒の逡巡の後に、首を縦に振った。
「――戻りたいです。僕は、人間に戻りたい」
「良し。それじゃあちと長くなるが、お前が人間に戻る方法を説明してやろう」
いいか? と前置きをすると、ロゼは語り始めた。
「まずオレは吸血鬼を狩る吸血鬼だ。人を襲う吸血鬼"ヴァンパイア"を狩る吸血鬼"ヴァンピール"、それがオレ達だ。
オレはサイレンってヴァンパイアを追っていた。そいつがオレから逃げる途中でお前を襲い、吸血鬼にしたワケだ。
で、だ。ヴァンパイアは大抵、吸血鬼になった人間を元に戻す薬を持っている。お前が人間に戻るには、サイレンからその薬を奪うしかない」
そこで彼女は手元の情報端末腕輪を見やる。
「その薬は噛まれてから24時間以内に接種しないと効力が無い。今日明日がリミットだ」
「24時間……」
「言っとくが吸血鬼になったら普通の生活なんか送れないからな。それはお前も実感しただろう?」
言われ、大河は思い出す。目覚めてすぐ感じた渇き、そして目の前の少女の血を吸いたい、という暴力的なまでの吸血衝動を。
今でこそ収まっているが、あんな突然襲い来る衝動を抱えて、普通に暮らしていくなんて無理だと大河は身に染みて理解していた。
「オレは別にお前が吸血鬼になろうがどうでも良い。吸血鬼になるってんなら殺すだけだからな。だが――人間に戻りたいなら、オレに協力しろ。
一緒にサイレンを殺すんだ」
言って、ロゼは右手を差し出す。大河はごくり、と唾を飲み込んでから、その手を握った。
「OK、じゃあ行くか!」
ロゼは歩き出す。路地裏から、もうすっかり日の暮れた夜の繁華街へと。
●●●
「あ、銀城君」
繁華街に出た大河とロゼに、声がかけられた。
何事かと振り向いた二人の前にいたのは、セーラー服の少女だ。
「知り合いか?」
「灰原レン、学校の友達です」
ロゼの面倒くせぇ、といういらだちを滲ませた問いに、大河は簡潔に答える。
そんな二人の様子を気にした風も無く、レンは大河に話しかける。
「こんな時間に会うなんて珍しいね。委員会活動が遅くなったの?」
「そんな所。そっちは?」
「買い物帰り」
そう言って、レンはがさりと持っていたビニール袋を持ち上げる。それなりにモノが入った袋だ。
それから大河とレンは学校の宿題がどうだ、明日の授業がああだ、と言った些末事を話した。
大河は、半ばその会話を上の空で続けていた。何故なら――
美味しそう――
レンのセーラー服の胸元からのぞく白い鎖骨、ほっそりとした首。それらが美味しそうに見えて仕方がない。
あの首筋に噛みつき、その血を啜れば、どれほど甘美なことだろう。ああ、喉が渇いた――
「――銀城君? 大丈夫? 何か上の空だよ?」
「――ごめん、ちょっと考え事してた」
「駄目だよー? 女の子と話してる時に考え事なんて」
くすりとレンが笑みを浮かべる。ああ――その表情さえ、大河は嗜虐心を覚えてしまう。その笑顔を、滅茶苦茶にしてやりたい――
「おい、そろそろ行こうぜ」
どす、とロゼが大河の脇腹に肘撃ちをする。その衝撃に大河ははっと意識を取り戻す。
「夜遊び? いけないんだー。早く帰らないとダメだよ?」
からかうように咎めるレン。彼女はそのまま買い物袋を提げ、手を振る。
「また明日ね、銀城君」
「うん、また明日」
そのままくるりと背を向け、去っていくレン。その背中を見ながら、大河は拳を握りしめる。
「また明日、ね――そのためには頑張らねーとな」
「ああ」
レンとまた学校で会う。そのためには、人間に戻らなければならないのだ。決意を込めて、大河は頷いた。
●●●
「さっきは見ちゃいられなかったぜ。物欲しそうにあの子を見てよォ――」
繁華街のとあるハンバーガー・チェーン店に入り、ボックス席に大河とロゼは座る。
ロゼは下ろしたバイオリンケースから赤黒いパックを取り出すと、ストローを刺して大河に向けて放り投げた。
「血だ。とりあえず飲んどけ」
言われ、大河はストローに口をつける。どろり、とした液体が喉を通って腹の中に溜まっていく感覚。大河は不快感を覚えた。
「吸血鬼にとっての血ってこんなものなんですか……?」
「輸血パックのはな。血は古いし混ざりモノだしで美味くは無い。我慢しとけ」
言いながら、ロゼは情報端末腕輪から仮想窓を表示させる。
黒地に緑の文字というシンプルな仮想窓だ。操作者であるロゼ以外からは黒一色の仮想窓にしか見えない。
「何してるんですか?」
「情報屋にターゲットの情報を聞いてるんだよ」
さっと指を動かしながら、仮想窓に文字を打ち込みつつロゼは応える。
『SECRETROOM:ROSE「シエル、いるかー」』
黒の仮想窓に緑文字でロゼの言葉が表示される。すると続けて緑文字が表示された。
『SECRETROOM:CIEL「な、なに」』
シエル。それが現在、ロゼが連絡を取っている相手の名前だ。秘匿回線の、チャットでしか話をしてくれない情報屋にして、凄腕のハッカー。それが彼女である。
『SECRETROOM:ROSE「吸血鬼サイレンの居場所を知りたい。今日のPM6:00ごろにはバビロンの第七セントラルストリートの路地裏にいた。その後の行先が知りたい」』
『SECRETROOM:CIEL「わ、わかった。ちょっとまっててね」』
数秒。再び仮想窓に文字が表示される。
『SECRETROOM:CIEL「さ、サイレンはいま、だいきゅうセントラルストリートのちかバーにいるね。ばしょじょうほうをおくるよ」』
ピッ、という軽い電子音がロゼの情報端末腕輪から響く。ロゼが指を振ると仮想窓が浮かび、その中に地図が表示される。サイレンの居場所がマークされた地図だ。
『SECRETROOM:ROSE「さすがシエル、仕事が早いな!」』
『SECRETROOM:CIEL「ち、ちょっと"タカノメ"のネットワークをハックしただけだよ」』
"タカノメ"とはバビロン中に放たれている市民監視ドローン群である。数千台のカメラアイがバビロンの全市民を監視、その情報をネットワークで共有しているのだ。
当然、その情報は最高レベルの防壁で守られている筈である。だが、このシエルという希代のハッカーの前では障子戸のようなモノだったらしい。
『SECRETROOM:ROSE「んじゃ報酬はいつもの所に振り込んどく。愛してるぜシエルー!」』
『SECRETROOM:CIEL「う、うん。ごりようありがとうございました」』
ぶつん、と黒の仮想窓が消える。それを見ていた大河が、ずずっと不味そうに輸血パックを飲み干して問う。
「居場所、分かったんですか?」
「おうよ。善は急げだ、カチコミに行くぜ」
ギラリと犬歯をむき出しにした凶悪な笑みを浮かべて、ロゼは立ち上がる。
目指すは第九セントラルストリートの地下バーだ。
●●●
技術実験都市バビロンは東京湾を埋め立てて造られた人工島である。
広大な土地の上に、国・企業が様々な建造物を作り続けている。無限に成長し続ける都市、とも呼ばれている所以だ。
だが、その急成長のひずみとして、使われなくなった区画・スラムエリアなども存在している。
第九セントラルストリートは、そんなバビロンの捨てられた区画だった。
午後八時。すっかり日も暮れた夜空の下、わずかな電灯と残滓のように所々千切れたネオンに照らされた廃ビル。その前にロゼと大河は来ていた。
目的地はこの廃ビルの地下バーである。
「行くか」
背負ったバイオリンケースからチェーンソーを取り出したロゼは、スイッチを入れエンジンを唸らせる。ブイイイイイイン、と物騒な音を立ててチェーンソーが駆動し始める。
片手にチェーンソーを下げたまま、ロゼは軽い足取りで地下バーへの階段を降り始める。大河も追って階段を降り始めるが、その表情は暗い。
「あの。……本当に僕も戦うんですか?」
「オレ一人じゃ手が足りねーんだよ。人間に戻りたいんなら手を貸せ」
「戦い方なんて僕知りませんよ? 喧嘩だってしたことない……」
「大丈夫だよ。戦闘になりゃ吸血鬼の本能が戦い方を教えてくれる。そういうもんなんだ」
――バンッ!
地下バーの入り口に立ったロゼは、ヤクザキックの要領で扉を蹴り開ける。扉はロゼの脚力に耐えられず、蝶番から壊れて店の中へと飛び込んでいった。
「ちょ、ちょっとロゼさん……!」
そのままズカズカと店内に入っていくロゼを、恐る恐るおっかなびっくりと言った様子でついていく大河。
店内はちょっとしたホール並の広さがあった。天井にはミラーボールやカラーライトがあり、色んな色の光を店内にぶちまけている。壁にはバーカウンターがある。ダンスホールを兼ねた地下バーだったらしい。
店内は静かだった。客と思われる人々はいるが、皆床に倒れ伏している。
大河はふと、地面に転がっていた注射器を見つけ、手に取る。
「これって……」
「わざわざ人目につかないスラムで集まろうって奴らだ。人に言えないよーなことしてたんだろ。ドラッグパーティとかな」
びくり、と弾かれた様に注射器を落とす大河。ごく普通の一般学生だった大河にとって、ドラッグパーティなんてモノは遠い世界の出来事だったのだ。
「こういう裏で馬鹿な事をしてる奴らは吸血鬼に狙われやすいんだ。いなくなっても気にする奴は少ないからな」
――パチン
不意に指を鳴らす音がダンスホールに響いた。それが合図だったかのように、警戒する大河とロゼの周りで倒れ伏していた客達が立ち上がり始める。
「ううう」
「うううううう」
「うああああああああ!」
うめき声をあげながら、白目を向いて立ち上がる客達。老若男女、様々な人々が、まるでゾンビのようにゆらゆらと不安定に蠢いている。
「これって……」
「グールだ。吸血鬼に血を吸われ、意識も知性も失い、吸血鬼の命じるままに動く人形になっちまった奴らだ」
「ええその通り。よく出来ました」
パチパチパチ、と手を叩きながら、店の奥の暗がりから一人の女が姿を表す。腰まで伸ばした金髪、黒いコート……大河の血を吸った吸血鬼である。
「見つけたぜ、サイレン……!」
「よく来たわねヴァンピール。貴女との追いかけっこもそれなりに楽しかったけど――そろそろ飽きたわ。だから――死んでくれる?」
パチン、と再びサイレンが指を鳴らすと、グール達が一斉にロゼに襲いかかる。
ロゼはそれらグールの群れを一瞥し、チェーンソーで薙ぎ払う。上下に両断されたグール達がボタボタと崩れ落ちていく。
「たかがグールでオレを殺せると思ったか?」
「まさか。これで殺されても困るわよ。じゃあ次はこの子達とも一緒に踊ってあげて頂戴」
ドスン、と重量感のある足音が響く。
サイレンの両隣から、身長2メートルはあろうかという大男が現れた。筋骨隆々の半裸の男が二人。しかも彼らは、それぞれ両手を義手に換装したサイボーグだった。
向かって右は右腕にガトリング銃を仕込んだマスクの男。
向かって左は常人の倍ほどに膨れた鋼鉄の義腕を装備した髭面の男。
二人ともだらだらとヨダレを垂らし、白目をむき出しにしている。当然のようにグールと化していた。
「おい大河。あのサイボーグ二人組はオレが相手する。周りのグール共は任せたぞ」
「任せたって、ロゼさん!?」
「Let's Rock!!」
戸惑う大河をよそに、ロゼはチェーンソーを構えてサイボーグコンビへと放たれた矢のように突撃した。
それを合図としたように、周りのグールとサイボーググールもロゼと大河目掛けて突進する。
戦いが始まった。
●●●
「ハハ――ッ!!」
笑いながら、ロゼはサイボーググール二人組へと突撃する。
背負っていたバイオリンケースは放り出し、片手にチェーンソー"ドラゴントゥース"を持ったまま走る。
対するサイボーグコンビは、鋼鉄義腕の髭面が前に、ガトリング銃のマスクが後ろのフォーメーションで迎え撃つ。
「グールの分際で戦略か!? 面白ェ――!!」
ガガガガガガガガガガガガッ!!!
マスクのサイボーグが鋼鉄義腕の男もろとも、ロゼに向かってガトリング銃を乱射する。射角は広く、巻き添えになったグール達が肉塊となっていく。
鋼鉄義腕の男は背後から撃たれてもものともせず、ロゼに対してジャブ、ストレートのコンビネーションを乱打する。
ロゼは左右をガトリング乱射、正面を鋼鉄義腕のコンビネーションに遮られた形だ。
逃げ場は無い。
「逃げる気も無ェけどな――ッ!!」
ロゼは突撃を止めない。そんな彼女の顔面目がけて鋼鉄の右ストレートが叩きつけられる。
「――――!」
右ストレートが当たる直前、ロゼがコマのように回転しながら倒れこむ。顔の位置が下がり、彼女の顔面の前をストレートが通り過ぎていく。
伸びきった鋼鉄の右腕に、ロゼが"ドラゴントゥース"を叩きつける。ギリリリリっと火花を散らした異音と共に、鋼鉄の義腕が輪切りにされる。
「まずは右腕ェッ!」
ロゼは"ドラゴントゥース"を振る勢いで回転。コマのように垂直に立ち戻る。その彼女を、右腕を失った髭面サイボーグが迎撃。残った左腕のストレートを叩きつける。
そんなサイボーグの左拳に対し、ロゼはそれを飛び上がることで回避。そのまま左腕を足場に一歩二歩と足を進め、髭面サイボーグの顔面前――左肩に立つ。
「あばよ」
一言告げ、ロゼは"ドラゴントゥース"を両手で振りかぶる。その回転鋸に、突如炎がまとわりついた。
『発火能力』それがロゼの持つ異能である。ある程度任意の場所を発火する能力で、"ドラゴントゥース"を炎刃と化したのだ。
炎を纏った"ドラゴントゥース"を、ロゼは髭面サイボーグの脳天に叩きつける。チェーンソーの『斬る』と発火能力による『焼く』によって、サイボーグの頭は黒こげの真っ二つになった。
それと共に、髭面サイボーグは糸の切れた人形のように倒れ伏す。
グールを含めた吸血鬼達の唯一の弱点、脳を破壊されたため、その機能を停止したのだ。
「まずは一匹――っと!」
髭面サイボーググールを倒したロゼに対し、もう一体のサイボーググールからの攻撃が襲い掛かる。ガトリング銃をロゼに対して集中砲火だ。
ロゼは炎を纏う"ドラゴントゥース"を眼前に構え、自身の脳をガードしながら突進。ガトリングのサイボーググールを仕留めにかかる。
「行くぜッ!!」
●●●
「――――ッ!」
一人取り残された大河は、孤軍奮闘していた。
吸血鬼の本能が戦い方を教えてくれる、というロゼの言葉は正しく、命の危機に反応したかのように身体が、心が大河の意思を半ば無視して戦闘を行っている。
元は娼婦だったのか、派手で肌の割合が広い服装のグールが大河に掴みかかってくる。
それに対し、大河は右手を握りしめる。すると手のひらから血が染み出し、集まり、白銀の杭へと変わった。
彼はそれを思い切りグールへと投擲する。狙いは脳天。グールの頭に命中し、そのままグールの頭はザクロの様に弾けた。頭を失ったグールはそのまま糸の切れた人形のように倒れ動かなくなる。
「――――」
動かなくなった頭の無いグールの亡骸を数秒、大河は見やる。さっきまで動いていたモノ。それを、自分の手で動かなくさせる。人のカタチをしたものを破壊する。その行為は、つまり――
「――――ッ!」
別のグールが大河に襲い掛かる。スキンヘッドのパンクロッカー風の男だ。大河は再び白銀の杭を生成、男の禿頭に投擲する。頭蓋を貫通し、グールは動かなくなる。
その光景を、腹に石を飲み込んだような不快感を持って大河は見る。
考えるな、生き残るためだ、仕方ない。大河は必死にそう考えながら、杭を生み出してはグール達へと投擲する。そのどれもがグールの頭を穿ち、破壊していく。
脳漿がぶちまけられ、肉塊がボトボトと落ち、血の匂いが濃くなる。
血。
そのことを感じた途端、大河の鼓動が高鳴っていく。
血。血。血!
血風吹く戦場で、杭を乱射する大河の口の口角が上がる。
「――ハハ」
何だこの気持ちは。戦う事が、グールを破壊する事が、無力な弱者を駆逐する事が楽しくて仕方ない!!
「――ハハハハッ!!」
怖い。恐ろしい。なのに楽しい。相反する感情が大河の心中を踊る。笑っているのに泣きたくて仕方がない。心と一緒に身体がバラバラになりそうだ。
自分が人でなく、吸血鬼という化け物になっていく。それが実感として大河の心を襲う。
「ハハハハハハハハハハァッ!!!!」
ああ――楽しい。違う怖い。自分が自分でなくなっていく。大河という人間性が真っ赤に染まり、吸血鬼になる。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!
喜悦に恐怖と拒絶感を滲ませながら、大河は杭を振るいグールを殺していく。
早く。早く終わらせないと。早く終わらせて人間に戻らないと。
人間に戻れなくなる。自分が自分でなくなってしまう――
そんな足元が徐々に崩れていくような感覚を味わいながら、大河は戦い続ける――
●●●
「“紅蓮断”!!」
斬、という無慈悲な音と共に、サイボーグの巨体が真っ二つになって倒れる。ガトリング銃を備えたサイボーググールは、黒焦げになって両断された。後に残るのは、炎纏うチェーンソー“ドラゴントゥース”を片手に構える金髪ポニーテールの少女、ロゼだけである。
「ハハハハ――――ッ!!」
蛮、という破壊音と共に、ウェイター姿のグールが頭を弾けさせて倒れる。もう立っているモノはいない。白銀の杭を両手に構えた、黒髪学生服の少年、大河以外は。
「あらまぁ、やられちゃった」
腰まで届く金の長髪の女吸血鬼、サイレンは口に手を当てて驚愕の台詞を口にする。口だけだ。彼女の様子からは、焦燥とか驚愕と言った熱は感じない。ただ面白そうなモノを見た、という好奇心だけが感じられる。
「後はテメェだけだぜ、サイレン!」
ロゼが勇ましく“ドラゴントゥース”をサイレンへと突きつける。しかし、サイレンはそんなモノには目もくれず、大河のみを見てみる。
「ああ、思い出したわ。貴方、さっき血を吸った子ね?」
獲物をなぶる肉食動物の瞳で大河を見るサイレン。本来、吸血鬼に取って血を吸った人間などどうでもいい存在であり、その顔を覚えていることなどない。人間が尾頭付きの魚を食べてもその魚の顔など覚えていないように、食料の区別などつけていない。彼女が大河の顔を思い出したのは、奇跡的な事と言えた。
「貴方、吸血鬼に覚醒したのね。それで私に向かってくるということは――お目当てはコレかしら?」
す、と彼女が手のひらを開けると、まるで手品か魔法のようにそこに一つの品が現れた。白く細長い筒状の物体、無針注射器である。
「通称“夜明け薬”。吸血鬼から人間に戻る薬」
「それを、寄越せ――ッ!!」
大河が叫び、杭を投擲する。それは狙い過たずサイレンの脳天へと吸い込まれるように飛んでいく。
しかし、命中の直前、サイレンの姿が消える。杭は目標を見失い、奥の壁へとむなしく突き立った。
「!? どこに――」
「うふふ。そんなに人間に戻りたい?」
ぞくり、という感覚が大河を襲う。
いつの間にか、大河は背後からサイレンに抱きつかれていた。彼女は大河の喉の辺りをつつ、と指でなぞりながら、怪しく囁く。
「せっかく吸血鬼になれたのよ? 大抵は意思のないグールになるのに、運良く意思を保ったまま吸血鬼になれた……それはとても幸運なこと。その幸運を蹴って、人間に戻りたい?」
その声は甘かった。ハチミツのようにドロリとしていて、脳みそのシワに染み入るような執拗さで脳内に入ってくる。
「吸血鬼なら何でもやりたい放題。自由に、好きに生きられるわ。気に喰わない人間がいたら殺してしまえばいいのだから。それでも貴方は人間に戻りたいの?」
優しく、首筋を撫でながらサイレンは告げる。蠱惑的に、官能的に。大河に問いかける。
「――戻りたい」
絞り出すように、大河が呟く。
「僕は、人間に戻りたい。吸血鬼なんて化け物、真っ平ゴメンだ……!」
大河はか細く、しかし決定的に断絶の言葉を告げる。
その答えにサイレンはしかし、にやりと笑みを浮かべた。
「そう。それは良いわね――」
がぶり、とサイレンが大河の首筋に噛みつく。鋭い牙が彼の皮膚を食い破り、鮮血が流れ出る。その血潮を、サイレンはずるずると啜っていく。
「テメェ――ッ!!」
ロゼが燃える"ドラゴントゥース"を手に、サイレンへと飛び掛かる。唸りを上げる炎纏う回転刃がサイレンを襲う。しかし、その攻撃もまた空を切る事となった。
"ドラゴントゥース"が当たる直前に彼女はパッと大河から口を離し、そのまま滑るように距離を取ったためだ。
「良いわ、銀城大河君。君の血はとても美味しい。悩み、葛藤し、苦しみ、絶望し、それでも足掻こうとしている。そういう人間の血は、とても美味しい!」
ばたり、と大河が膝をつく。血を吸われたためか、身体が重い。それでも、サイレンを驚愕の表情で睨みつける。
「僕の名前……何で」
「血を吸うとね。その人の記憶とか感情とかを読み取ることが出来るのよ。だから君の名前も分かるし――大切な人だって分かっちゃう。灰原レンさんって言うの? 彼女」
「そんな……何をするつもりだ!?」
「さぁーて、どうしようかしら。さっきも言ったけど、人間の血ってその人間が苦しめば苦しむほど味が良くなるのよ。今でも美味しい君の血を、もぉーっと美味しくするには――どうすればいいかしらね?」
アハハ、と笑いながらサイレンが滑るように飛ぶように、地下バーを出る。ロゼが待て、と言いながらそれを追う。
後に残ったのは大河一人だ。混乱した表情のまま、彼はまだ動けない――。
●●●
一人地下バーに取り残された大河は、鈍った身体に喝を入れながら情報端末腕輪を操作する。
簡易連絡アプリ"RINE"を起動、仮想窓を浮かべ、連絡先を打ち込む。対象は灰原レンだ。
『RINECHATROOM:TAIGA「灰原! 今どこにいる!?」』
中々反応が来ない。ジリジリと全身が焼かれるような焦燥感に苛まれながら、彼は彼女の返信を待つ。
『RINECHATROOM:REN「んー? 自宅だけど、どうしたの?」』
何分かして、のんびりとしたレンの返信が打ち込まれる。いつもの彼女の様子だ、と大河は安堵する。まだ何も起きていない。
『RINECHATROOM:TAIGA「どこでもいい、今すぐ逃げてくれ! 化け物が迫ってるんだ」』
『RINECHATROOM:REN「え 何なんの話?」』
『RINECHATROOM:REN「何かの企画? そういう書き込みをしたら宣伝になるとか?」』
大河が必死に事実をチャットに打ち込むが、レンには届かない。当然だ、彼女の常識に吸血鬼などという化け物は存在しないのだから。
『RINECHATROOM:TAIGA「企画でも宣伝でもない大マジの話なんだよ!」』
『RINECHATROOM:REN「分かんないよそんなこと突然言われても」』
大河がいくら真意を伝えようとしても、キーボードを介した文字情報は伝えてくれない。
「くそっ!」
フリック操作で"RINE"の仮想窓を消去。大河は代わりに通話アプリを起動する。チャットでは伝わらない。なら通話で説得すれば――
灰原レンを連絡先に通話を起動。コール音が鳴り始める。
一回。二回。それをじれつつ聴きながら、大河はレンが出るのを待つ。
コール音が十回を超えた辺りで、ガチャリと通話が繋がるSEが鳴った。
「灰原!? 僕だ、銀城だ!」
『はぁい、大河君。こちらは灰原レンちゃんのお宅でーす♪』
聞こえてきた声は、吸血鬼サイレンのものだった。
「――なん、で」
『吸血鬼に不可能は無いのよ――まぁちょっと乱暴にマンションに侵入しただけよ』
「灰原は!?」
『ちょっと眠っててもらってるわ。この子ちょっとやぼったいけどかわいいじゃない。君が気に入るのも分かるわ』
そう告げたサイレンから、情報端末腕輪に動画が送られてくる。
仮想窓に開いた動画はリアルタイム中継。灰原の私室に、吸血鬼サイレンと、彼女に抱かれる目を閉じた灰原レンの姿があった。
わずかに上下する胸が、彼女がまだ生きていることを示している。
「――何が、目的だ」
『言ったでしょう? 君の血を美味しくするために、君を苦しめたいって』
にやりと笑ったサイレンが、べろりとレンの首筋を舐める。舐められた首筋が、怪しくてらてらと光を反射している。
「やめろ!!」
『いい反応。わざわざ攫いに来た価値はあったみたいね』
うふふ、と笑みを浮かべるサイレンが真っ直ぐに大河を――カメラ越しに――見る。
『彼女の身柄が欲しければ、今晩0時までに貴方の学校の屋上に来なさい。来なかったら――デザートに頂くわ。じゃあね♪』
「待――」
て、と大河が言うより前に、通話アプリが落ちる。後にはノイズを流す仮想窓と、それに照らされる大河の姿だけが残る。
「くそ、逃げられた――おい大丈夫か」
そこへサイレンを追いかけていたロゼが戻ってくる。彼女は大河の表情を見て開口一番、こう言った。
「ひどい表情だなおい。何があった」
「友達が、攫われました……」
そのまま大河は灰原レンがサイレンに攫われたこと、彼女の助けたければ0時までに学校屋上に来いと言われたこと等を話した。
全てを聞き届けたロゼは、背負ったバイオリンケースから輸血パックを取り出すと、大河に向けて投げてよこす。
「しょげてる場合か。血を飲んで体力を回復させたら、すぐに向かうぞ」
その言葉に、大河は輸血パックから血を腹にため込むように勢いよく飲み下す。しょげてる場合ではない。落ち込むのも後だ。今は、灰原レンの救出を最優先に考えなければ――
時刻は22時。約束の時間まで、後二時間――
●●●
時刻は23時30分。約束の時間まで後30分。
大河とロゼは、約束通り大河達の学校――バビロン都立第二高校の屋上に来ていた。
鍵などが当然かかっていたが、そこは吸血鬼の膂力で物理的に無力化。屋上の扉を開けた二人を待っていたのは、唐突に現れた教会だった。
「――お前の高校の屋上って、教会があるのか?」
「いえ、無かったはずです……」
「ならサイレンが作ったモノか。シチュエーションに拘るヤツだ……」
呟きながら、ロゼがツカツカと教会の扉へと歩み寄る。それを少し遅れて、大河が追う。
「吸血鬼は、こういうものをすぐに作れるんですか?」
「そういう能力を持つヤツもいる、だな。お前が杭を生成する能力を持つように、サイレンはこういう"モノ"を作る能力を持ったタイプってことなんだろうぜ、きっと」
教会の扉の前に立ったロゼが、背負ったバイオリンケースを下す。ケースから"ドラゴントゥース"を取り出し、スイッチを入れる。ブウィイイイイン、と"ドラゴントゥース"が唸りを上げ、回転刃がギリギリと凶悪な回転を始めた。
大河もまた両手に白銀の杭を生成、それぞれの手に持ち、構える。戦闘準備完了、扉の中に、何が待っていても対応出来るようにする。
「行くか」
「はい」
言葉少なに、扉を開け放つ二人。
教会の中は、よく想像される一般的なモノだった。長椅子が左右に列をとなって並び、その奥に十字架が掲げられている。天井付近にはステンドグラスが並んでいた。
そんな教会の奥、十字架の前にサイレンはいた。長い金髪をなびかせ、黒いコートの上からでも分かる豊満な肉体をした女吸血鬼である。彼女の横には棺が立てかけられており、その中に黒髪の地味目の少女――灰原レンが眠っていた。
「いらっしゃい大河君。よく来てくれたわね」
サイレンが怪しく微笑みながら一礼をする。そんな彼女の様子に、いらだったロゼの声がかけられる。
「ぶっ殺しに来てやったぜ、ヴァンパイア。覚悟するんだな」
「まぁ野蛮。でも少し待ってくれるかしら?」
そう言いながら、サイレンは棺の中のレンの胸元に片手を置く。
「少しでも動けば――この子がどうなるか、分かるわね?」
大河とロゼはその言葉に、進めようとした足を止めることで答える。それを見たサイレンはニコリと微笑み、大河を見やる。
「大河君。私は言いましたね? 貴方の血を、最大限美味しく頂く――それが目的だと。血は苦しめば苦しむほど美味しくなる。貴方を最大限苦しめるにはどうすれば良いのか――私、ちょっと考えてみたんです」
言いながら、彼女は灰原レンの胸元に置いた手を、首を絞めるように移動させる。
「例えば、彼女の命が惜しければ私に血を吸わせなさい――とか」
大河はそれを苦々しい表情で見る。そう要求されたら――大河はその通りにするしかない。葛藤し、懊悩し――それでも自分の首筋を、サイレンに差し出すだろう。
「でもそれじゃあ苦しみが足りませんわ。むしろ自分を犠牲に一人の命を救った――なんて不味い感情が混じってしまうかもしれません。それはいけませんわ」
す、と灰原レンの首から手を放したサイレンは、その手を再び彼女の胸元に置く。
「それで、ね? 色々考えたのですけど――こういうのはどうかしら?」
そう、なんでもないように語り掛けながら。
ずぶりとサイレンの手がレンの胸元に沈んでいく。じわり、彼女の寝間着に赤いシミが――血が広がっていく。
「なに、を――」
「テメェ―――――ッ!!!」
呆然と呟く大河と激高し突撃するロゼ。ロゼが振り下ろす"ドラゴントゥース"を、ぞぶ、とレンから抜いた手で受け止めるサイレン。
サイレンは哄笑しながら、ロゼの攻撃を受け止めつつ、大河へと問いかける。
「まぁ大変! このままじゃあ彼女、死んでしまうわね? でも大河君、今の貴方にはそれを助ける手段がある。
――吸血して、吸血鬼にすれば良いのよ」
ロゼの猛攻に、サイレンは並べられた長椅子をを破壊しながらその辺りに移動していく。それでも大河への言葉は止まらない。
「このまま彼女の死を看取る? それとも彼女の血を吸って、貴方が嫌いな吸血鬼にして助ける? さぁ、貴方はどうする?」
持っていた杭を取り落としながら、ふらふらと大河はレンの眠る棺へと歩みよる。大河の見るレンは、静かに眠ったままだ。しかしその胸元は無残に破壊され、心臓の辺りに大穴が虚ろに開いている。わずかに胸が上下しているが、その呼吸は刻一刻と弱まっていく。
死ぬ。このままでは確実に死んでしまう。
「吸血鬼にするのもいいかもしれないわね? ここに吸血鬼から人間に戻る“夜明け薬”があるし。その子を吸血鬼にした上で、私を殺してこれを手に入れられればハッピーエンド!
……とはならないのよね、残念ながら。何故なら“夜明け薬”は一人分しか無い。
彼女を吸血鬼にしたら――貴方か、彼女か、どちらかしか人間に戻れない!
――さぁ、貴方はどうするのかしら! 決断するなら早めにした方が良いわよ? 死んでしまった、血を吸っても吸血鬼にはならないのだから!」
アハハ、と笑いながらサイレンはロゼと戦いを繰り広げる。燃える"ドラゴントゥース"を素手で受け止め、逆に爪や蹴りで反撃を加える。
その激闘を見ることも感じることもなく、大河はただ胸の大穴から血を流し、今にも死にそうな蒼白な表情のレンを見ていた。
このまま死を看取るのか。それとも化け物にして生かすのか。吸血鬼にしたとして、“夜明け薬”はどちらが使うのか。
大河の脳内を、ぐるぐるとそんな思考が繰り返される。同じところをぐるぐると回っているような、無為な徒労感。
何が正しいのか。どうすれば良いのか。何が"良い"のか。分からない。分からない。分からない――
震える手で、大河は灰原の肩を抱く。まだ暖かい。だがこの熱は生命の熱だ。刻一刻と失われ、冷たくなっていく。
どうすればいい。どうすれば彼女を助けられる。
迷う大河の脳裏に、今日の夕方の出来事が思い返される。
――『また明日ね、銀城君』
――『うん、また明日』
当然のように、いつもの明日が来ると思っていた彼女。その笑顔を思い出した大河は――
「――アアアァァァッ!!」
叫びながら、灰原の首筋に牙を突き立てた。
白い首筋を、大河の牙が突き破る。溢れる赤い血を舌で舐め上げ、喉で吸い上げる。
ああ――喉が焼けるように熱い。そのくせ絶望的なまでの甘さを、大河は感じていた。
美味しい。灰原の首筋も、その皮膚を牙で突き破る感触も、血そのものも、それを喰らう行為も――その全てが、官能的なまでに甘美だった。
その事実に、大河は絶望する。涙さえ流れてくる。そのくせ喉が止まらない。ずるずると血を啜っていく。永遠にこの血を味わっていたい、とさえ感じる。その衝動を必死に抑え、大河は灰原の首筋から口を話す。つ、と大河自身の未練を示すように、唾の糸が首筋から口元に引いていた。
「――――」
無言で見つめる大河の目の前で、灰原の胸の傷がぐちぐちと音を立てて塞がっていく。人間ではありえない再生。彼女は、吸血鬼になっていた。
――ガシャン!
ステンドグラスが割れる音が響く。サイレンと戦っていたロゼが、彼女の一撃によりステンドグラスから教会の外に叩き出された音だ。
「――そう。貴方はそっちを選んだのね」
ロゼを追い出したサイレンが、口角を上げた表情で大河へと歩み寄る。彼女はほう、とため息をつくと、大河の肩を抱こうと手を伸ばす。
「その苦悩、その懊悩――ああ、どんな味になっているのかしら――」
「――"白銀杭"!!」
近づくサイレンの左肩に、白銀の杭が生える。否、大河が投げた杭が刺さったのだ。サイレンですら視認できない速度で。
「――これは――!?」
「――サイレン。"夜明け薬"を渡してもらう」
異常を察知したサイレンが後ろに飛び大河から距離を取る。そんな彼女を、大河は真紅の瞳を真っ直ぐに見開いて睨み、告げる。
「美味しい血を吸うと吸血鬼は強くなるというけど――よっぽど美味しかったのね」
サイレンは焦った表情を取り繕うように静かに言うと、大河に向けて右手を向ける。
「ちょっと血抜きが必要のようね。起きなさい! "鮮血蝙蝠"!!」
その言葉と共に、教会内の長椅子が、壁が、ステンドグラスがずるりと姿を変え――無数の蝙蝠の姿へと変形する。
教会がそのカタチを失い、大河の周りを無数の蝙蝠達が旋回する。
「この教会は私の能力で作ったモノ。貴方は最初から私の腹の中にいたのよ。行きなさい! "鮮血蝙蝠"!!」
サイレンの号令と共に、蝙蝠達が大河の一身へ群がっていく。手を、足を、身体を、頭を、全身くまなく蝙蝠達が群がり、その牙を突き立てていく。
――あっという間に、大河は蝙蝠玉となる。大河はその状態のまま、身動き一つ取らない。
「所詮なって数時間程度の若い吸血鬼。私には及ばないわ」
言いながら蝙蝠玉へと近づくサイレン。その右手が蝙蝠玉に触れた時――
「――"無限白銀杭"!!!」
大河の叫びと共に、蝙蝠玉が爆発する。その正体は、大河の身体全身から無数に伸びた白銀の杭である。全身から伸びる杭が、サイレンの無数の蝙蝠達を串刺しにしている。
「そんな、動けるはずが――」
「"白銀杭"!!!」
動揺するサイレンの至近距離から、大河は新たに両手から生成した白銀の杭を、渾身の力を込めて彼女に叩きつける。
その勢いは凄まじく、両手を杭に貫かれたサイレンはそのまま吹っ飛び、屋上の貯水槽の壁へと叩きつけられる。貼り付けにされた状態だ。
「馬鹿な、そんな――」
なんとか逃れようともがくサイレン。しかし杭はしっかりと食い込み、微動だにしない。
そんな彼女の前に、大河が静かに立つ。彼は両手を構えると、そこに巨大な杭打機が生成される。
「――"白銀杭打機"」
ガチャリ、と杭打機の巨大な杭を、サイレンの脳天へと構える大河。その表情は無表情。何の感情も浮かべない瞳でサイレンを見ながら、静かに告げる。
「――死ね」
「やめ、待っ――」
――ズドン。
サイレンの最期の言葉を断ち切るように。白銀杭打機の巨大な杭が、サイレンの脳天を撃ち貫いた。
●●●
「おい、大丈夫か!?」
ばん、と屋上と構内を結ぶ扉が開け放たれ、ロゼが屋上へと飛び出してくる。
サイレンに教会外へと叩き出された際、そのまま屋上の外へと落ちてしまったらしい。急いで戻ってきた彼女が見たのは、教会の影も形も無くなった屋上と、一人佇む大河。そして横たわる灰原レンの姿だ。
灰原レンの胸元の傷は塞がっている。それを見たロゼは、彼女が吸血鬼となっていることを悟っていた。
一人佇む大河の手には、白く細長い筒状の無針注射器――"夜明け薬"がある。
彼はそれを、じっと見ていた。
吸血鬼から人間に戻れる薬。それはたった一人分しか無い。しかしここには、それを必要とする吸血鬼が二人いた。
銀城大河か。灰原レンか。
「おい、お前――」
何を言えばいいのか分からなかったが、それでもロゼは声をかけずにはいられなかった。そんなロゼを半ば無視するように、大河はレンへと近づいていく。横たわる彼女を膝抱きにし、"夜明け薬"を手に構える。
「ロゼさん。これ、どう使えばいいんですか?」
静かに、大河が問いかける。
「首筋に注射すればそれでいい――ってそうじゃなくて! 大河! お前それで良いのか!?」
叫ぶロゼを後目に、大河は"夜明け薬"を灰原レンの首筋へと当てる。ぷしゅ、と軽い音と共に、中身がレンの体内へと吸い込まれていく。
「これで大丈夫、みたいですね」
薬液を全て注射し終えた大河が、薄く微笑む。レンの唇を少しめくると、そこにはごく普通の――吸血鬼ではありえない、ごく普通の犬歯がそこにはあった。
レンは、人間に戻ったのだ。
「お前――」
ロゼは言葉も無い様子で大河を見る。大河は空の無針注射器をしばらく見つめてから、それをポケットへとしまい込んだ。
「これで良い。これで良かったんです」
大河はただ静かに、張り付いたような、薄い笑みを浮かべていた。
●●●
次の日。灰原レンは、いつものように学校へ通っていた。
彼女は、昨日のことはよく覚えていなかった。確か銀城と"RINE"で何事か連絡を取っていたはずなのだが、その辺りの記憶があいまいだ。"RINE"のログを見ても、それらしきログは残っていなかった。
ただ、彼女は今日も自分の家のベッドで目覚め、いつものように朝ご飯を食べ――いつもように、学校に来ていた。
「あー、銀城なんだが、昨日から家に帰っていないらしい」
朝のホームルームで、担任がそんなことを言っていた。行方不明らしく、銀城の家の方も捜索願出しているらしい。
警察に話し掛けられたら協力するように、なんて言って担任は次の話をし始めた。このバビロンでは、学生の行方不明などよくあることなのだ。
灰原は咄嗟に情報端末腕輪で銀城へメールを送るが、送り先が存在しませんと送り返される。昨日まで確かにいた彼女の友人は、唐突に、その存在は消してしまったのだ。
「…………」
なんだか現実感が無い。昼休み、そんなことを感じながら灰原は学校をふらふらと放浪していた。廊下、階段、そして――
気づけば、彼女は屋上へと出ていた。
屋上は一般生徒に解放されているものの、大気汚染や光化学スモッグ等が心配な生徒が多く、人はいない。
誰一人いない屋上を、灰原は一人ふらふらと歩き回る。
屋上には何もない。まるで誰かが綺麗に掃除したみたいに、片付いていた。
「…………」
ふと、とある地点に彼女は立つ。そこは、彼女自身は覚えていないが、昨夜――人間に戻った場所だった。
――ごめん。
不意に、銀城の声が聞こえた気がした。
――さよならだ。
否。灰原は何故かは分からないが、確信する。これは幻聴ではない。自分は確かに、ここでその声を聞いたのだ。
銀城大河から、確かな別れの言葉を。
「――さよなら、って何よ……唐突すぎるわよ……」
ポタリ、と屋上に滴が落ちる。
ずっと、何事もなく続くと思っていた日常。それが突然に、唐突に失われたことに、少女はただ、涙を流すことしか出来なかった。
●●●
「――偽装は完璧。お前は行方不明ってことになった」
バビロンの繁華街、そのとあるハンバーガー店にて。
大河とロゼは、ボックス席に居座っていた。
「……ありがとうございます、とか言うべきなんですかね」
ずず、とコーラを飲みながら、大河は言う。そんな大河にロゼはぱたぱたと手を振りながら、
「いや、言うようなことじゃねぇな。吸血鬼になったとはいえ――お前の行く場所も帰る場所も、無くしちまったんだから」
それからポイポイとポテトを口に放り込みながら、何でもない事のように大河に問いかける。
「お前、これからどうする?」
「どうする、とは?」
「吸血鬼になっちまったわけだが、どう生きていくのか、って話さ」
「ヴァンパイアと、ヴァンピールでしたっけ。衝動のままに人を襲う吸血鬼か、衝動を抑えて吸血鬼を狩る吸血鬼か」
「そ」
問われ、大河は思い悩む。ヴァンパイアもヴァンピールも、正直な所彼にはよく分からなかった。何というか、すでに吸血鬼になっているというのに――実感がわかないのだ。
「もしヴァンパイアと生きます、って言ったらどうします?」
「即刻その脳天叩き割ってやる」
「それは嫌ですね……」
冗談ではない目線で睨んでくるロゼに、大河は恐怖を抱く。この女性はやると言ったらやるタイプだ。確実に死ぬだろう。
「死ぬのは、嫌です。だから、どちらかと言えば――ヴァンピールとして、生きたいですね」
「はっきりしねぇ野郎だな――」
「すいません」
ジト目で見てくるロゼに、彼は思わず謝る。彼女はまぁいいさ、と軽く言うと、右手を差し出してきた。
「ようこそ、新人。吸血鬼の世界へ」
「よろしく、お願いします」
大河はそう言って、その右手を握る。
一人の少年が死んで、一人の吸血鬼が生まれた。
これは、そんなお話――
〜完〜
最後まで読んでいただきありがとうございます。
感想等頂けたら幸いです。




