3宮野先輩の好きな人
「と、いうわけで私は100m走と借り物競走に出るんですが、宮野先輩は何に出るんですか?」
ホームルームが終わった後、瑞月はいつものように図書室に来ていた。
すっかり慣れた様子で中に入り、既に席についていた秋人の斜向かいにある椅子を引きながら唐突に質問をする。
三週間前から二人の座る位置は変わっていない。何も言わずとも二人の定位置となっているようだ。
瑞月が今日の分の本__昨日の少女漫画の続き__を五冊、秋人の前に置く。その本には昨日と同様、ブックカバーがついている。
これらは瑞月がつけたものである。しかし、別に秋人に気をつかっているという訳ではなく、単に本の表紙が汚れてしまうのが嫌なだけだ。
本を受け取り、早速表紙を開けてから秋人は瑞月に目を向けた。
「どういうわけなのかは分からないけど、僕はリレーと騎馬戦。あとパン食い競走」
「えっパン食い競走?」
予想外の種目に瑞月が思わず聞き返す。
この、まさに王子様な顔をしている人がぴょんぴょん飛び跳ねるの!? 似合わなさ過ぎて、瑞月には秋人がパン食い競走をしている姿が想像できない。
よほど意外そうな顔をしていたのだろう。秋人は小さく微笑むと「そんなに意外?」とからかうようにきいた。
笑われた瑞月は少し唇を尖らせ、不満の意を示す。
「意外です。他二つとの組み合わせ的にも謎だし......先輩、パン好きなんですか?」
「嫌いではないよ」
「ならどうして__あ」
何かに気がついたらしい瑞月が両手をポンと打つのを見て秋人が首を傾げる。対して瑞月は「ふっふふふ」と不気味な笑い声を上げ、意味深な視線を秋人に向けた。
嫌な予感がしたのか、秋人はさっきまでの微笑みを困ったような笑みに変える。
しかしその程度で瑞月の口が止まる訳がない。
「分かります。分かりましたよ先輩。......つまり、パンを作ってくれる家庭科部の部員の中に先輩の好きな人がいるということですね!」
「......は?」
瑞月の言葉が理解不能、というように秋人は何度か目を瞬いた。
言葉の意味は分かるが、なぜそんな結論に至ったのか分からないのだろう。秋人の表情には困惑と呆れが浮かんでいる。
「パン食い競走も、立派な恋愛イベントですからね」
納得したようにうんうん、と頷く瑞月。
「いや何納得してるの。......ん? パン食い競走"も"?」
他にもあるの? と秋人にきかれて瑞月はホームルームでの小日向 里依との会話の内容を話した。
上手く話が逸れた、と秋人がホッと息を吐く。
その様子を見つつ、瑞月は性格の悪そうな笑みを浮かべた。幸か不幸か、秋人には見えなかったようだ。秋人が瑞月の顔を見る前に、瑞月はいつもの表情に戻っていた。
「去年の借り物競走はどうだったんですか?」
瑞月の質問に、秋人は顔を上に向けて目を瞑った。
どうやら去年の体育祭の様子を思い出しているらしい。秋人がうーん、と唸り声をあげて胸の前で腕を組む。
「そこまで、変なお題は無かったかなぁ。通称『好きな人カード』は『好きな人』『好きな異性』『恋人』『両片思いの二人』の全四種類だったと思う」
「『好きな人カード』ってなんですか。てか最後おかしいです」
充分変なお題があるじゃないか、と瑞月がツッコミを入れる。
ホームルームの時間の里依はこんな気持ちだったのか。どこか遠い目をする瑞月に秋人は「おかしいよね」と相槌を打つ。
「借り物競走って公開処刑だからね。ある意味」
「先輩も好きな人カードで呼ばれたことが?」
瑞月が訊くと、秋人は頭を抱えた。
「トラウマものだよあれは」
ただならない様子に瑞月は少し聞きたくなくなりながらも聞いてみることにした。
「一体何があったんですか」
「上級生の女子たちが群れを成して僕の元へ走ってくるんだ。そこからは泥沼状態」
瑞月がその上級生たちの行動に「うわぁ」と秋人への同情の声をあげる。
秋人は顔がいい。そのため、女子からは鑑賞物扱いをされているらしい。瑞月が校内で見る秋人は大体一人でいる時が多い。恐らく周りに寄ってこないようにしているのだろう。
人気者も大変だな、と瑞月が憐れんだような視線を向けた。
ため息を吐いた秋人は本で顔を覆い、さらに続ける。
「......男子の借り物競走でも呼ばれたのは本当にトラウマ」
「うわ」
本気で引いた。何やってるんだ男子。瑞月の目が据わる。
その時の事を思い出したのか、秋人の顔が心なしか青い気がする。さすがに可哀想に思った瑞月は労るような優しい声で
「じゃあ、借り物競走は何か引いても先輩は呼ばない方がいいですか?」
と訊いた。
すると秋人は少し考える素振りを見せる。次いで瑞月に目をやると、その青い瞳を僅かに細め口元を緩めた。
「森山さんなら、別にいいかな」
「え」
予想外の返答に瑞月が驚く。
借り物競走がトラウマである秋人に、自分なら呼ばれてもいい、と言われれば誰だって驚くだろう。驚かない人間なんて、相当自分に自信がある人くらいのものだ。
瑞月はそこまで自分に自信を持っているわけではない。したがって、瑞月はごく普通の反応をしたといえる。
怪訝な表情を浮かべる瑞月に秋人が理由を説明してくれた。
「1年生って最初に走るでしょ? つまり、君に既に借りられてたら他の人に呼ばれない! 何でもいいから呼んでほしいくらい。むしろ大歓迎」
自分を守る為の理由だった。
冷静になって考えれば確かにそうなのである。瑞月は一年生で、しかも女子。借り物競走の、最初の最初に走るのだ。その上、秋人には友人としての好意を向けられている。そんな彼が嫌がるはずもないのだ。
納得はいくものの、少々癇に障った瑞月は仕返しをしてやろう、と再び性格の悪そうな笑顔を浮かべた。
「まぁ、先輩も自分の好きな人に呼んでもらいたいでしょうし、遠慮しとこうかな」
「ちょっと待ってその話掘り返すの」
僅かに焦ったような様子を見せる秋人。さっき終わったと思って安心していたところに爆弾投下である。
しかし瑞月の仕返しは終わらない。掘り返すどころか深く掘り進め始めた。
「いないんですか好きな人」
「いないよ」
「......パン食い競走」
「あれは、友人に頼まれて穴埋めしただけ。男友達に頼まれて」
やけに男友達の部分を強調する秋人に、瑞月が少し困ったように眉を寄せた。
もちろん、実際に何か困っているというわけではない、実にわざとらしい表情だ。そしてその表情のまま、少し大袈裟に顔を横に逸らした。
「すみません! まさか先輩がそっちの人だったとは露知らず......!」
「そっちの人って......僕ノーマルなんだけど。男友達って言ってるんだけど」
「先輩友達いたんですか」
「つくづく君は失礼だね」
いつものように軽口を叩き合う瑞月と秋人。こうしていると、二人が同い年のように見える。それくらい二人の仲が良いということなのだろう。
もちろん互いに冗談だと理解しているし、本当に聞いてほしくないことまで聞くようなこともない。心地のいい距離感を保っている。瑞月はそう思っているし、それは秋人も同じだろう。
早く話を終わらせたい秋人は話を変えようと咳払いをした。
「高一からの友人で、まぁ、いい奴だよ基本は」
「基本は、なんですね」
自分の友人への評価としてそれはどうなんだろう、と瑞月が苦笑する。
瑞月の相槌を肯定するかのように秋人はいつもの穏やかな微笑みを浮かべた。無事、話が逸れたことに対する安堵もあるのだろうが。
「まぁ、森山さんにとって初めての体育祭だし、楽しんでね。......午後の部の始めに応援合戦もあるし」
「あ、出るんですか応援合戦」
「まぁね。頑張るよ」
応援合戦は縦割りクラスの応援団員で行われる。毎年、すごく盛り上がるらしく、応援団員に憧れる生徒も少なくない。
応援団員に志願した里依も、見事選ばれた日には嬉しすぎて変な叫び声をあげていたくらいだ。
その彼女に一日中応援合戦の素晴らしさについて語り尽くされた瑞月としては少なからず応援合戦に期待を抱いていた。憂鬱な体育祭の中で瑞月の唯一と言っていいほどの楽しみになっている。
きっと秋人の金髪は目立つだろうな。当日の様子を想像して瑞月が楽しげに笑う。
「じゃあ、楽しみにしてます」
瑞月の笑顔につられるように、秋人も嬉しそうに笑った。