2憂鬱なホームルーム
五月に入って、満開だった桜の花は全て散り、代わりに青々とした葉が木を覆っている。外はもう春から夏へ移り変わる準備を始めていた。
この時期は気がついたらピンク一色だった風景が緑一色になる。まるで一瞬で花と葉が入れ代わったようだ、と瑞月はいつもそう思う。
それはきっと、緑一色になって初めて桜の花が全て散ったことに気づくからだろう。
気づいた時にはもう遅い。人とはそういうものなのだろうか、と瑞月はぼんやりと考えた。
五月といえば、大体の高校生にとっては体育祭の時期である。
瑞月の学校も例に漏れず中旬と下旬の間くらいに体育祭があった。
「では、個人の出場種目を決めていきたいと思います」
六時間目のホームルーム。黒板の前に立った学級委員の男子生徒が緊張した様子で話し出す。
瑞月のクラスである1年2組の学級委員はいかにもスポーツ少年風の、日に焼けた活発そうな男子と、もう一人はいかにも真面目そうな眼鏡女子だ。
瑞月は二人の名前を覚えていないので、それぞれ学級委員君、学級委員さんと呼び分けている。もちろん、本人を前にして言ったことはないが。
それ以前に瑞月は二人どころか、ろくにクラスのメンバーの名前を覚えていない。
入学して三週間経つのにこれはヤバイな、とは思うものの名前を呼ばずとも会話はできるから、と実際に彼らの名前を覚えようとしないためである。
「瑞月は何にするの?」
「......え?」
不意に後ろから話しかけられて反応が遅れた。
瑞月が振り向いたそこには、恐らく巻いたのだろう、綺麗にカールがかかった髪を後ろで一つに束ねた少女がいる。
小日向 里依。瑞月の中学時代からの友人であり、高校も何の縁か同じ所に受かり、更には同じクラスになり今は前後の席である。
少し早めの最初の席替えで何故かこんな席になってしまったのだ。
明るく、誰とでもすぐに仲良くなる子だが、はっきりとものを言うところは瑞月も好ましく思っている。
「だから、個人競技どうするのって」
そう言って黒板の方を見ろと言うように顎で指し示される。
そこには体育祭の個人競技一覧が白いチョークで書かれており、既にリレーは大体決まっていた。
リレーや長距離種目は足の速い人達が積極的に埋めてくれるので有難い。
えーっと、楽そうな競技は、と大体の種目に目を通した瑞月が深いため息を吐く。
「......なんでこんなに動く競技ばっかなの?」
「体育祭だからでしょ」
何言ってんの? と呆れた表情をされる。
瑞月は別に運動オンチという訳ではない。平均よりはそこそこできる。しかし、動きたくないのだ。出来ることなら体育のアップだってやりたくないし、もっと言えば体育をしたくない。
体育祭なんてもってのほか。瑞月にとって、この行事はただ憂鬱な1日でしかないのである。
そしてそんな行事のためのホームルームもまた、授業をするより憂鬱な時間なのだった。
「とりあえず100m走と、あともう一つどうしよう」
一人二競技以上、がルールのため、もう一つの出場種目を決めなければならない。
100m以上走りたくはないし、障害物競走はまず論外。かと言ってパン食い競走とかは嫌だ。ぴょんぴょん飛び跳ねてパンの入った袋を口で取るなんて傍から見たらとても滑稽である。
生徒たちが笑ってくれるような人気者がするならまだしも、瑞月にはハードルが高い種目だった。
うーん、と唸りながら考え込む瑞月に里依が提案する。
「借り物競走は?」
「え、あるの?」
「あるある。端っこの方に」
見逃していたらしい、確かに端に『借り物競走』があった。
それを見た瑞月が「まじか」と少しだけ顔をしかめる。
瑞月の反応が予想外だと言うように里依は目を丸くさせて「どしたの」と訊いた。
里依の方を向いた瑞月の額には、女子高生にあるまじき皺が刻まれていた。
「どうせ碌でもないお題ばっかなんでしょ? 土偶とかヨークシャテリアとか実はてっぺんだけハゲてるおっさんのかつらとか」
「最後おかしい。......いやいや最後だけじゃなく全部おかしい。なにその借り物競走」
「借り物競走ってそういうものじゃないの?」
「どこの常識なのそれ」
ホームルーム中なのを気にして声の大きさとテンションを最小限にして里依がツッコミを入れる。
休憩時間ならきっと周囲など気にせず大声を出していただろう。
瑞月の情報源は大体漫画やアニメなどだ。多少おかしくとも無理はない。
だって二次元だもの。
開き直った瑞月の思考を読んだように里依が体を引く。まるで、瑞月の思考回路に引いた里依の思いが思わず行動に出てしまったようだった。
しかしそれを気にせず瑞月は再度口を開く。
「あとあれだ、アレ」
「どれ」
「定番の恋愛イベント」
借り物競走で『好きな異性』のカードを引いちゃった! きゃーどうしよう! というアレである。
皆まで言わずとも里依には伝わったらしく、思い当たる節があるように「あぁ」と呟いた。
「毎年何組かカップル誕生するらしいよ」
「まじかそのお題あんの」
「超ある。けどおっさんのかつらはないから安心してやってみなよ」
超あるのか。
好きな異性いなかったらどうするんだろう、と考えて瑞月はふと気づいた。
「最悪、リタイアすればいいんじゃない?」
「それだわ瑞月天才」
「そうか私天才だったのね」
なるほど、と頷き合っていると、学級委員君の声が聞こえた。
「次、借り物競走出たいひ__」
「はい」
人、と最後まで言う前に返事をした瑞月に学級委員君が苦笑した。
学級委員さんが借り物競争、と書かれた下に『森山』と書いたのを確認して、学級委員君が前に向き直る。
「......えっと、じゃあ、森山さんと、他にはいませんか?」
無事、瑞月は100m走と借り物競走に出場することになったのであった。
ちなみに里依はリレーのメンバーである。もう一種目は障害物競走。まさに、本気で体育祭を楽しむ人間が選びそうな競技だ。
「私、運動神経良いから!」
「へー」
もちろん瑞月は中学から里依と知り合いのため、彼女が運動できることは既に知っていることである。
しかしやけに自慢げなのが癇に障ったらしい。ドヤ顔をする里依の肩にポンと手を置き、優しい笑顔を浮かべた瑞月は言った。
「自分からそういうこと言う人って大抵大したことないよね」
「ガッデム!!!!」