4.顔合わせ
ほどなくして、ノックも無しにドアが開かれる。ドアの近くに座っていた私は驚いてドアの方に目を向けたが、上司は少し不機嫌そうな顔をして「遅いぞ」とだけ言った。
ドアを開けた張本人はすいません、とあくび混じりの声を出して、私の隣に置かれている椅子におもむろに座る。上司にそれなりの威圧感を放ちながら言われた一言に対して全く動じていないようだ。そして赤紙を提出し、溜息をつきつつ上司はそれと彼を見比べる。
「b-6029、ツガイケヒサト。写真も……オッケーだな、本人確認終了」
半ば投げやりに上司がそう言ったのを聞きながら、私はやってきたばかりの彼をちらりと横目で見る。背は大きく、顔立ちはそれなり。体格は良いけれど、眠いのかちょっとぼんやりしているようだ。そんな風に彼の特徴を列挙していると、ふとある事に気付く。
(この人、なんか見たことある)
そして暫しの思考の後、彼は赤紙が届いた日に食堂で紙飛行機を折り、そしてその後ご近所さんだったと判明した男性であるという確信を得た。自分の部屋の鍵を開けるのもすんなり出来るとは言えないような天然そうなこの男性も、レスキュー隊員に任命されたのか。そう思うとやる気が出てくるような削がれるような、変な気分になった。
「おい、リッカ」
変な気分になっていると、上司から声をかけられる。上司を振り返ると、彼はさっきと変わらず足を組んでちょっと偉そうな姿勢のまま、親指で男性を指差した。
「同じ班同士自己紹介でもしとけ。お前ら部屋番号も近いことだし、仲良くしといて損はねえだろ」
そんな命令口調で話しながらも、見た目の若い上司はぶかぶかなシャツの袖をゆらゆらさせている。全然上司っぽく見えないなと思うが、そんな事を言っては雷が落とされてしまいそうだ。出来るだけぶかぶかシャツから意識を逸らしながら「はい」と答えると、ツガイケヒサトと呼ばれた男性も「はい」と眠そうな声で返事をしていた。
「ちょっと俺は班長探してくるから、暫く二人で暇潰しでもしてろ。最悪三時間くらい潰せるような話をしろ」
「どれだけ班長探しに時間かかるんですか……?」
「たぶんすぐ見つかるだろうが、新人より遅れてきてんだからこってり絞ってやらねえといけねえんだよ」
はっ、と鼻で笑う上司はなんとなく怖い。自分より上の立場の人を「こってり絞る」だなんてどれだけ怖いもの知らずな人なのだろうか。
上司が班長を探しに部屋から出ると、ツガイケヒサトはこちらに向き直りぺこりと頭を下げた。
「とりあえず、ツガイケヒサトです。よろしくお願いします。……って感じでいい?」
いきなり自己紹介をされたので、少し戸惑う。それでも「えっと、たぶんそれでオッケー」と返して今度は私の自己紹介をする。
「タチバナリッカ、です。リッカでいいよ。これから同じ班になるけど、宜しく。……ヒサトって呼んで大丈夫?」
「んー、大丈夫」
男性……もといヒサトは間伸びした声で私の質問に答える。そして彼は、ちょっとびっくりしてしまうような事を言ってのけた。
「リッカって確か、俺の部屋の四つ隣の人だよね」
「え、知ってるの?」
この周りを全然見ずに前だけを見ていそうな、いや前すらも見えているか分からない感じの人が、私を知っているとは。その事実に驚きつつ、人は見かけによらないという言葉を噛みしめる。
「六十階に住んでる人全員の顔くらいは覚えてるよ。でも名前は知らない」
「……貴方は意外と物覚えが良いんだね」
「義務教育中も暗記科目は得意だったからね。他の科目や実技はそんなにだけど」
第一印象とは少し違う一面を見て、もしかしたらこんな才能があるから彼はレスキュー隊員に選ばれたのかもしれない、と思った。
「そうだ。リッカは義務教育中になんか得意な教科とかあった?」
「私? 私は……うーん、筆記は皆とあまり変わらなかったかな。実技の射撃は成績良かった方だよ」
この土地では、義務教育中にレスキュー隊員の活動について学ぶカリキュラムがあった。その中の実技、特に射撃を私は得意としていた。レスキュー隊員になったのはそれの成績が良かったからだろうかとも少し思ったりする。
「射撃が上手な人って良いよね、かっこいい」
「そうかな。ありがとう」
ヒサトは何の恥ずかしげもなく私を褒める。そんなに真っ直ぐ褒められることには慣れていないので、なんだか私が嬉しいようなむず痒いような、そんな気分だった。
それからはお互いとりとめのない話をした。好きな食堂のメニューは何だとか、家族は何階に住んでいるだとか、レスキュー隊員任命以前にしていた仕事は何だったかとか。ヒサトは豚汁が好きで、家族は二十五階辺りに住んでいて、以前はb棟五十階のボイラー室の管理の仕事をやっていたと聞いた。私はポトフが好きで、家族は二十階にいて、c棟増設のための建築をやっていたと答えた。
「貴方ぼんやりしてそうだけど、ちゃんとボイラー室管理出来てた?」
「一応俺が管理してた時に事故は起こらなかったよ」
「そりゃ事故なんて起こったら一大事だよ」
「リッカも前の仕事大変じゃん。高いところでの作業でしょ?」
「でもベルトや命綱はしっかりしていたし、安全ネットも張っていたから案外危険じゃなかった」
「レスキュー隊員と比べてどっちが危険?」
「うーん…………似たようなものかな」
前の仕事とレスキュー隊を思い浮かべて危険指数を計ろうとしてみたけれど、どうにも上手く想像出来なかった。建設は体験しているけれど、レスキュー隊は経験無しだ。だから危険があまり想像出来ない。
実際のレスキュー隊員の活動は、一体どのくらい危険なのだろう。どのようなものなのだろう。それが早く知りたくて私は地上へ下りる時を心待ちにすると同時に、もし自分が想像しているより過酷なものだったらどうしようと、初めて不安を覚えた。




