バイト
サミュエルは訓練が終わり、汗ビッショリで息を荒くついていた。
しかし、目の光までは失われず、その視線の先にはシグレスがいた。
不思議な人だ。とサミュエルは思う。自分が魔王の娘であることを知っていながら、魔族だからと恐れることもなく、ただ、いつも通りの覇気のない、面倒くさそうな顔をして、サミュエルに話しかける。普通の人族の反応ならば、魔族というだけで恐れられ、忌み、嫌われるはずなのに。
しかし、何よりも特筆すべきはその実力。剣術と体術に関して言えば、学園に通っているのがおかしなくらいに、他を圧倒している。もしかすると、サミュエルの父にさえ届きうるかも知れないほどの実力。
いくら『天才』だなんだと言われても、殺し合いになれば、この男にはまず、勝てないだろう。それは『勇者』だって変わらない。
それに加え、会話をしているうちに分かる、彼の類まれなる洞察力と深い知識。そして、誰も考えつかない視点から物事を考えていたりする。
このような男が仮に敵に回ったとしたら。そう考えるだけで背筋が寒くなる。
だが、もし、この男を手に入れることができたなら―。それこそ、あっさり魔族側に勝利をもたらす可能性だったある。
そんな、底知れない『何か』を彼には感じるのだ。
でも、きっとそんな事関係なく、サミュエルが助けを求めれば、彼はいつものように面倒くさそうな顔をしながら、苦笑を浮かべ、手を差し伸べてくれるのだろう。
本当に不思議だ。昔の自分なら、人族などどれも滅ぼすべき対象としか見ていなかったのに。彼は、彼だけは、何故かそうではないと思える。そして、それがサミュエルをたまらなく心地よくさせるのだ。
◆◆◆◆
何か、サミュエルがこちらをジッと見つめていた。凄まじく居心地を悪く感じる。
「おい、何だよ。もう、時間だから、これ以上は一戦たりともやんねえぞ?」
「別に。何でもありませんよ」
「じゃあ、なんでこっちをそんなに見るんだよ。穴が開いちまうだろ」
「何言ってるんですか。見ただけで穴なんて開くわけないでしょう。開けたいのは山々ですけど」
「おい、待て。今、サラッと殺したいみたいなこと言われた?」
「何言ってるんですか先輩。そんなこと毎日思っても思い足りないですよ」
「どんだけの恨み買ってんの俺!?」
「まあ、もしもの時には、先輩を売ってもらいますから、心配しないでください」
「おいおい、いくら、俺の家族がどうしようもなくテキトーで、息子に金を無心してくる情けねえ親だとしても、俺を売るわけ………」
いや、ありうる。十分にありうる。もちろん相手こそ選ぶだろうが、サミュエルやユナ相手だったらあの親なら、逆に嬉々として売りそうである。というか、売られる想像しか浮かばない。
あれ?何だか泣きたくなってきた。
「せ、先輩、大丈夫ですよ。いくら、おじ様やおば様だってそんな、息子を売るなんてことは………」
きっと、売る想像しか浮かばなかったのだろう。それっきり黙るサミュエル。言い出しっぺなのに、フォローしようとする辺りが彼女の優しさだ。
「……………」
「……………」
二人して沈黙が続く。それを破ったのは、
「あれ?訓練終わったの?」
いつの間にか、姿が見えなくなっていた、ユナが半死半生のクロウを引き摺ってやってきた。恐らく、クロウ相手に訓練ていたのだろう。
ユナとサミュエルは自分がどういう存在かはきちんと自覚している。つまりは自らが『天才』であることを。だからこそ、二人は訓練る相手には気をつけている。同年代の男で、この学園内に限定するならば、シグレスとクロウだけだろう。曰く、異口同音に、
「「アンタ(先輩)には剣で勝つために。アイツは女の敵だから」」
だそうだ。哀れなりクロウ(笑)。
ちなみに、別にクロウは弱くない。むしろ、強い部類に入るだろう。魔法もシグレスよりは使えるし、得意のナイフも上級剣術にいるくらいなので、かなりの腕前だ。ただ単に、ユナとサミュエルがチートキャラなだけだ。
なので、授業ではもっぱら、シグレスはクロウと組むことが多い。気になることを指摘すれば、すぐにそれを補おうとするので、飲み込みも早い。実はなかなかの才能を持っているのだ。
「し、死ぬ……」
クロウが何だか一気に老成した声で訴えかけているが、声を出せるなら、ほっといても大丈夫だろう。そう思って、訓練道具を片付けていると、
「ちょっと、次は私と訓練よ」
何を言っているのだろうか、この金髪は。
「は?何言ってんの?もうバイトの時間だから行くって言ってんだろうが」
「別に毎日行く必要はないんでしょう?なら、私との訓練の方が有意義よ!」
「あのな、人間、一回習慣をサボっちまったら、その後ズルズル行っちゃうの。第一、お前との訓練のどの辺が有意義なんだよ?」
「私と訓練できることよ!」
「……………」
何を言っても無駄だと思い、口をつぐんでいると、何を勘違いしたか、それを了承と受け取ったようで、
「さあ、始めるわよ!」
と、言い終えるよりも早く、片付けた荷物を引っつかみ、ダッシュで逃げた。
「あ!ちょっ!」
ユナが何か言おうとするが、無視してそのまま走る。そして、ユナが追いかけようとするよりも早く、
「金髪ビッチはうるさいですね。少しくらいその卑猥な口を閉じたらどうですか?」
サミュエルのナイスフォローによって、ユナは気を取られ、シグレスを追いかけるタイミングを逃してしまった。もう、追いつくのは不可能だろう。
なんだかんだで、気の利く後輩に感謝しつつ、シグレスはバイト先へと向かっていった。
◆◆◆◆
シグレスのバイト先というのは、他ならぬ冒険者ギルドだ。
そう、この世界には冒険者という職業が存在しており、冒険者はギルドにやってくる様々な依頼―クエストを受け、達成することで生計を立てている。
そしてクエストにはランクがあり、冒険者もまたランクがある。ランク分けとしては、SSS~Gまであり、Aランク以上からは各国が戦力として保有したがるレベルの力を持っている。特に、SSSランクは世界に十人とおらず、その力は『勇者』や『魔王』クラスとまで言われている。
そして、冒険者ギルド最大の特徴は、入会試験にクリアさえすれば、種族、年齢、身分の差別がないことだ。たとえ、平民だろうと、貴族だろうと、獣人だろうと、魔族だろうと、等しく、平等に扱う。
だから、このシステムは人族優位主義の国や、貴族たちからはあまり快く思われていない。ここに入ろうとする者は、よほどの貧乏貴族くらいなので、シグレスの存在はひどく異端だった。
シグレスとしては、小金稼ぎにもってこいじゃん!と思っただけなのだが。
◆◆◆◆
という訳で、真面目にお仕事だ。
「ども、失礼しまーす」
「あら、シグレスくん、何だか疲れているようだけど、どうしたの?」
シグレスがギルドホールに入ると同時にそう声をかけてきたのは、ギルドの受付嬢である、エミル=リトキャロル。明るい茶の髪に同色の双眸。整った目鼻立ちには暖かい春の陽気のような笑顔が良く似合っている。
そして、その笑顔はむさくるしい男冒険者の癒しでもあった。シグレスもその例に漏れない。顔だけの美少女はもうたくさんだ。
しかし、何よりも特筆すべきは、その男の目を釘付けにする双丘だ。笑顔と相まって、素晴らしさがうなぎ上りだ。
「あ、ども、エミルさん。大丈夫ですよ。ただ、ちょっと袋叩きにあいそうだっただけですよ」
「そ、それは大丈夫なのかなあ?」
シグレスが笑顔で返すと、エミルの笑顔が若干ひきつるが、すぐに戻る。さすがはプロだ。
エミルの受付が空いていたので、エミルに手招きされるままにそちらへと向かった。
「それで?今日はどんなクエストがいいの?討伐系?採取系?それとも配達とか?」
「うーん、色々と疲れてるんで、討伐系は遠慮したいっすね」
「だったら、採取系はどう?ちょうど、『ベニゴケ』の依頼が来てるのよ」
「うーん、『ベニゴケ』っすか~。ちょっと距離がありますね。寮の門限に間に合うかな?」
「できれば、シグレスくんに行ってほしいな~、って。君のクライアントからの評判いいからね~」
「エミルさんの頼みなら行くしかないっすね」
シグレスはチョロかった。
いや、だって豊かな双丘を強調するように胸の下で腕を組まれちゃねえ?断れる男などいるだろうか?いや、いない。
「ありがとね、シグレスくん♪じゃあ、手続きするからちょっと待ってね」
そう言って、シグレスからギルドカードを受け取り、魔導器を操作するエミル。
ギルドカードは冒険者であることを示す、身分証明書だ。ランク、氏名、登録ナンバーが書かれている以外はなんの変哲もないものだが、使用者自身にしか使えないように個人の魔力波を登録し、指紋のような役割を果たしている。
そして、クエストを受けるたびに、エミルが使っているようなギルド所有の魔導器により、どんなクエストを受けたか、期限は切っていないかなどの確認を行う。
クエストを成功させるたびに、報酬を受け取り、ポイントが入る。
ポイントというのは、達成日数、クライアントからの評価などによって、受けるクエストが同じでも変動する。そして、一定量貯まれば、ランクを上げるための昇格試験の参加資格をもらえる。
ランクが高くなればなるほど、受けられるクエストも多くなり、報酬も増す。もちろん、難易度も上がるが。しかし、あまりに自らのランクに対して、低いランクのクエストを受けるのは禁止されている。自分のランクに対して一つ上か、二つ下のものまでだ。
ちなみに、シグレスのランクはD。上げることもできるが、面倒臭がってやっていない。
別に、やりたいクエストを受ける分には困らないので、このままにしている。これから上げようという気もない。
「んじゃ、ちょっくら行ってきます」
「頑張ってね」
やがて、手続きが終わり、ギルドカードをエミルから受け取ったシグレスは早速、エミルの声援を受け、クエストへと赴いていった。
シグレスが声援を受けたことで、ホール内にいる何人かの男冒険者が睨みつけてきた気がするが、気のせいだろう。ホールを出たあとは少し早足になったが。
◆◆◆◆
『ベニゴケ』は染料だ。その名の通り、真っ赤な色が取れ、それで染めた衣服は美しい赤に染まり、ドレスにも使われている。苔のくせに。
また、栽培が難しく、野生の群生地でしか取れないそうだ。苔のくせに。
そのおかげで常に需要があり、報酬も高く、割のいい仕事―というわけではない。それは『ベニゴケ』が生えているところに問題があった。
『ベニゴケ』の生えているところは洞窟。そこまでなら問題がないのだが、そこはちょっとしたダンジョンで、レイスやゴブリンといった、下級とはいえ、モンスターが生息しているところなのだ。しかも、その数が中途半端で、討伐系を後から受けて、その部位を持っていこうとしても、クエスト達成には若干足りず、別のところへと赴いて、ゴブリンやレイス達を討伐せねばならない、という二度手間なのだ。
おかげで、クエストのランクはC。シグレスがギリギリ受けれるランクだ。
それでも、本業の冒険者はこのクエストは報酬も高いので、後でゴブリン達を討伐して足すことで、クエストを二つともクリアしているのだが、いかんせん、シグレスは放課後の訓練から寮の門限という限られた時間のため、そういうことはできない。
「しっかし、俺魔法得意じゃないって言ってんのになあ」
そう言いつつ、現れたレイスやゴブリン達を切る。そう、本来レイスは物理攻撃は効かないので、魔法による攻撃が一般的だ。しかし、シグレスは切って(・・・)いた。そして、シグレスが持っている刀は淡く、薄い光に包まれていた。
シグレスが行っているのは『魔力操作』という代物だ。別に珍しくもない技だが、魔力を魔法に変換せずに、そのまま武器や体を覆うことで、本来物理攻撃が効かないレイスなどのような霊体のモンスターにも攻撃ができるようになっている。そこそこの腕前を持つ剣士ならば、大抵できる。要は、それだけ必須スキルというわけだが。
『魔剣』やユナの家に伝わる『聖剣』などであったら、わざわざ魔力操作による付与もいらないのだが、あいにくとシグレスの刀はオーダーメイドとはいえ、そんな機能はついていない。
「何で俺も引き受けちまったかねえ」
自分のチョロさに呆れつつ、襲い来るゴブリンやレイスたちの攻撃を避け、突き、切り飛ばす。その間、シグレスは洞窟内を照らすカンテラを置かず、刀一本で戦っていた。このような下級モンスターであったら、それこそ片手間で十分だ。
「お、あったあった」
そうやってしばらく奥に進んでいくうちに、ベニゴケを発見。
カンテラを、床に置き、メモを見る。
「ゴブリン達を倒す時でさえ置かなかったのに、何もないときに置くっていうのはなんか変な気持ちがするよなあ。と、そんなことより、えーと、なになに…ベニゴケ三十株か」
などとぼやきつつ、メモを確かめ、目的のベニゴケを回収していく。
「うし、これで終わりっと。念のため三十五株持ったけど、大丈夫だよな。うん、ちゃんとある」
そして、ベニゴケの入った袋を背負い、出発する。
そして、行く時よりも襲い来る数が少なくなったゴブリン達をあしらいつつ、何匹かが持っている、ナイフなどの金目のものを剥ぎ取って進み、出口にさしかかろうとしたところで、
「よお、兄ちゃん、いいもん持ってんじゃねえかよ」
シグレスは天を仰いだ。洞窟に阻まれ、見えなかったが。