暗躍
久々の『戦彼』です。どうぞ。
夜。一人の人物がとぼとぼと街を歩いていた。
その人物はローブを羽織り、備え付けのフードを目深にかぶっていて、顔や性別も判別できない。ただ、その足取りはしっかりとしており、浮浪者というわけでもないようだった。
その人物はやがて、建物と建物の間の細い路地を抜け、『裏』の路地へと入っていく。
『裏』とは文字通り、『表』の人間、つまりはごくごく普通の人間が普通に生活していれば、決して入ることのない場所のことだ。いや、正確に言えば、入ってはいけない場所と言うべきか。無法者たちはそこで暮らし、酒をかっ喰らい、女を抱く。『表』の人間が入ったが最後、女は犯され、男は身ぐるみはがされ殺される。いわば、発展しているが故の『闇』。それがこの場所だ。
見慣れぬ男の姿に、住人たちは怪訝な顔をする。新参者だろうか。この地は入れ替わりも激しいがゆえに、新参者などそう珍しくもない話だ。そして、新参者はほとんどがその洗礼を受けると相場が決まっている。
そして、ローブの人物もその例に漏れず、複数の人間に囲まれてしまっていた。
「よお。こんな夜更けに何の用だ?ここがどこだかわかってるのかい?」
「ホント、ホント、痛い目見たくないだろ?とっとと、出すもん出せば、見逃してやらんこともないこともないぜ?」
「ハハハッ!そりゃ、おめえ、見逃さねえことになってんじゃねえか!」
「おおっと、これはいけねえ。まあ、もともと見逃すつもりなんてないけどな!」
「違いねえ!」
そう言って男たちが笑っているのをローブの人物はただ黙って見ていた。
「お?なんだ、ビビっちまって——」
そう言おうとした瞬間、思わず男たちは息をのんだ。背筋から冷汗が止まらなかった。
ローブの人物はそんな男たちの存在など初めからいなかったかのように、路地を歩き続けた。
そして、ローブの人物が見えなくなったところで男たちは安堵の息をついた。男たちはこの『裏』路地でもそこそこの手練れだった。そんな男たちでさえ、いや、そんな男たちだからこそ気付いた。
あれは人間を見る目ではなかった。まるで、路上に落ちているようなゴミを見るような目だった。あんな残酷な瞳は初めて見た。男たちが今まだここにいられるのは、先程の人物のただの気まぐれでしかない。要は、いつでも殺せたのだ。だから、今でなくともよかった。ただそれだけのこと。
しかし、男たちもまた『裏』の人間だ。拾った命を無駄にはしないし、これから無駄にするつもりもない。ここでは生き残った者こそが勝者なのだ。男たちは先程の出来事をきれいさっぱり忘れ、また、自らの棲家へと戻っていった。
ローブの人物はしばらく歩き続け、やがて一つの建物へと入る。
建物は三階建て。この路地に馴染むようなあばら家だ。ローブの人物はそのギシギシと今にも壊れそうな音をたてる、階段を上り、最上階の三階へと到着。そして、そこにいたのは、
「今晩は。実に良い夜だと思いませんか?」
そこにいたのは一人の男。紺色の髪と同色の双眸。その整った顔にはにこにこと人の好さそうな笑みを浮かべているが、その笑顔はどこか作り物めいたものを感じさせた。そして、何よりの特徴は側頭部にある、さながら羊のようにうずを巻いた角が生えており、それは彼が人間でない、つまりは『魔族』であることを証明していた。
「ええ、これに貴方が死んで、真っ赤な血の花でも添えてくれたら、もっと素敵な夜になることと思いますけどね」
ローブの人物はそれに対してうろたえる様子もなく、フードを外す。そこから現れたのは、誰もが思わず見入ってしまうような精緻な美貌。銀髪紅眼の少女、サミュエル=ラグルース。またの名をサミュエル=サタン=ルシフル。魔王ルシフルの血族に連なる、正統後継者だ。
「そう、怖い顔で睨まないでください。可愛い顔が台無しですよ?」
男はそんなサミュエルの様子を意に介した様子もなく、変わらずににこにこと笑みを浮かべる。
男のその様子を忌々しく思いながらも顔には出さない。
「あなたにそんなこと言われても不快になるだけです。それで?『十二魔将』いえ、『ベルゼブブ』直属の『四天王』と言い換えた方がいいですか?そんなあなたが何の用です?キリウス=マルバス殿?」
「おやおや、覚えていただけているとは光栄の至り。まあ、用というのは大したことではございません。我が主からのお達しですので、私が参った次第にございます。万が一にも『ルシフル』の方に粗相があってはいけないと思いまして」
「どの口がほざいてんでしょうね。あの自己顕示欲の塊が私に対して一度でも敬意をもって接してきたことがあるのなら是非とも教えて欲しいですね。ただ単にあなたは私を逃がさないための戦力として来ただけでしょう?心配しなくとも逃げるつもりなどこれっぽっちもありませんよ」
「それは重畳。我が主もお喜びのことと存じ上げます」
「白々しい…学園に『魔族』がいると噂をばらまいたのも大方あなたたちの仕業では?」
「はて?そのような噂があるので?というか、『学園』?まさかとは思いますが、『魔族』の身で人間の学園に通っているというのですか?」
サミュエルの瞳に苛立ちの感情が宿る。このまま勢いに任せて何もかも言ってしまおうとも思ったが、
『お前、肝心なところで冷静さを欠くよな』
その言葉が脳裏をよぎり、サミュエルはすぐさまその感情を押し込め、目の前の魔族を見据える。
「父からの命令です。潜入捜査ということで通っているだけの話です。それ以上でもそれ以下でもありません。もしも、噂を流しているのがあなたたちであれば、父に報告して、私を僅かと言えど、危険にさらしたことに対して処分を下してもらおうと思っただけです」
「おやおや、そうでしたか。しかし、残念ながら私には心当たりなどこれっぽっちもないもので。力になれず申し訳ない」
目の前の魔族は大仰に驚いたように見せ、その言葉とともにペコリと頭を下げる。
「いえ、心当たりがないのならそれに越したことはありません」
サミュエルはそう言いながらも内心ではコイツらが噂を流した張本人であると確信していた。先程この男は『私には』と言ったのだ。嘘ではないが、全ても話さない。詐欺の常套手段だ。忌々しい。そう思いつつも、話を進める。
「それで?手紙にあった、『手伝ってほしいこと』とは?」
「それは後ほどご説明いたします。まずはこの薄汚い人間の棲家から去りましょう。あまりにも汚らわしくて、反吐が出そうですので」
そう言って男はソフトボールサイズの青色の結晶の玉を懐から取り出した。それを内心では驚きつつも、表情には出さずに、一瞥し、口を開く。
「『転送球』とはまた随分と大がかりなものを持ち出したものですね」
「こちらも、何分、急を要しますので」
『転送球』とはその名の通り、任意の場所に転移できる、魔法具だ。媒体である、結晶も高価なものであり、それに伴う魔法による付与もかなりの時間を要するために、生半可なものでは手も出ない非常に高価な代物だ。それを軽々と使う。確かに、急を要する案件のようだ。
「それでは、行きますよ?」
「いつでもどうぞ」
そして、次の瞬間には二人の姿は消えていた。残されたのは壊れかけのあばら家だけだった。
◆◆◆◆
サミュエルが消えた日の夜、シグレスはある人物と連絡を取っていた。
「おい、まずいんじゃねえの?これ国際問題だろ。下手すると戦争起こるぞ」
『そうだなあ。しっかし、どこから漏れたんだか。こっちは最近、一掃したから、んな動き見せるはずねえと思うんだがなあ』
野太く、男性的な渋みのある声。シグレスの話し相手は他ならぬこの国の国王陛下ことガリウス=シルゼヴィアであった。
「俺もそれには同意。『影』の何人か動かせねえの?早くあの後輩見つけて、お尻ペンペンでもしなきゃ気が済まねえんだけど」
『そりゃ、セクハラだぜ』
「うるせえ。毎日メイドにセクハラしようとして奥さんに怒られてるアンタにだけは言われたくないね。それよりもやっぱ、うちの国の可能性が薄いってことは—」
『ああ、十中八九魔族側だろうな。だからこそ、サミュエルちゃんは出ていったんだろうよ。もしくは相手がよほどの手練れって可能性もあるがな』
「もし、そうだとしたらかなり絶望的だぜ?仮にもアイツは魔王の血筋なんだ。それを不意をついて、尚且つ抵抗もさせないって…俺たちの手じゃ手におえねえレベルだぜ」
『そうか?お前さんなら、やれると思うけどな?』
「ふざけんな、狸親父。もし、仮にそんな奴がいるとしたら、最低でもSSランク冒険者だぞ。んな、命の危険なんざおかすより、潜入してこっそり救い出す方がまだましだ」
『だな。とりあえず、何とかこっちも動かしてみるから、そっちもそっちで何とかしてくれ』
「ちっ、期待しないほうがいいってわけね」
『ま、そういうことだな。やったのが、魔族側の可能性がある以上、下手な手出しは出来んからな。つーわけでなんかわかったら連絡する』
その言葉で通信は切れた。
予想はしていたが、国には頼れない。あちらも決して、動いていないわけでもないし、努力もしているのは理解できるが、もやもやとした苛立ちのも似た感情までは抑えようがない。国王が悪いわけではないが、当たり散らしたくなる。
(落ち着け。冷静になれ。今は時間を無駄にするわけにはいかない。やれることをやらなきゃダメだ)
サミュエルが消えたせいで一部ではサミュエルが魔族の餌食になっただの、サミュエル自身が魔族だのと言った噂が新たに流れ始めていた。いつもつるんでいるシグレスたちの様子がおかしければ、それこそ疑いを深める要因になってしまう。ここは何でもないような顔をして、乗り切らねば。
取りあえず、今は体調不良と言うことでエリシアに手配もしてもらったし、そのエリシアはサミュエルが暮らしていた、『迎賓館』を調べている。シグレスも行こうとしたのだが、エリシア曰く、
「女性の部屋に無断で侵入するなんてデリカシーに欠けますよ?」
とのことなので別行動をしている。今この状況でデリカシー云々言っている場合じゃないと思うが、やることもあったので、シグレスはその提案を受け入れている。ただ、下ネタをぶっこんでくる奴にデリカシー云々言われたくはなかったが。
国王との通信を終えたシグレスは部屋を出てある場所を目指していた。着ている服はいつものようなものとは違い、高級感があふれるものを。腰には刀ではなく、大ぶりのナイフを差して向かう。
向かうのはある人物の場所。シグレスが苦手とする人間の場所だ。できれば会いたくはないが、そうも言ってられなくなった。シグレスにとっての最終手段だ。
◆◆◆◆
(何でこんなとこに店構えてんだろうなあ、あの人)
そう思いつつ、シグレスが来たのは色町。言ってしまえば、娼館が寄り集まった場所である。あちらこちらから、
「お兄さん、どうです?ウチの娘たちは?可愛い子そろってますよ~」
とか、
「どうです?一発?」
などといった様々な言い方で客引きが声をかけてくる。その度にふらりふらりと受け流しつつも、目的地へと進んでいく。
やがて、着いたのは一軒の五階建ての大きな娼館。シグレスは特に躊躇いもせずに奥のカウンターへと進んでいく。そこには人懐っこそうな笑みを浮かべた、一人の青年が受付に立っていた。
「おっ、お兄さんお目が高いねえ。この店は良い店だよ。どんな子にする?」
「ん?そうだなあ。今日は『竜のケツの中にでもぶち込みたい』気分だ」
「ああ、なるほどね。了解、了解。お兄さんお名前は?」
「…『刀厨乙』だよ」
「はいはい。ちょっと待っといてくれ。今、女の子見繕うから」
なんで、ここへ来るたびに、毎度、わざわざ自分を貶めるようなことを言わねばならないのだろうか。正直、かなり恥ずかしかったが、不自然にならない程度にサラッと言えたことに自分を褒めてあげたい。従業員はきっと何のことかわかっていないことだけが救いだろうか。本当にあの人は人の嫌がる言葉をピンポイントで狙い撃ってくる。
「お兄さん、用意できたみたいだ。はい、これ鍵ね。ゆっくりと夜を愉しめよ」
「ああ。ありがとさん」
従業員の青年から鍵を受け取り、さらに奥へと入っていく。通り過ぎる部屋の隙間から艶っぽい声や、息が荒い声が聞こえるが、無視。ここで立ち止まったり、僅かに反応したりすれば、あの人のいい笑いのネタにされるだけだ。
そして、階段を上がり続け、二階、そして三階へと上ったところで、
「止まれ」
そこにはその先の廊下を守るように二人の女が。見る者が見れば、この二人の女がただ者でないことがわかるだろう。身のこなし、目の前にいるのに存在感を曖昧にさせるほどの気配の断ち方。かなりの手練れだということがわかる。
「何用だ」
その言葉に返答でなく、スッと鍵を差しだす。その内一方の女が鍵を受け取り、しげしげとそれを眺めた後、
「通れ」
そう言って、道が開いたところで、シグレスは進む。すると、
「あれ?ソルホートの若旦那じゃないかい」
「おや、ホントだ。若旦那ぁ、久しぶりじゃないかい。ここんところ来てくれなくて寂しかったよ~」
「全くだよ~。若旦那にはやきもきさせられるねえ」
そう言って、部屋から現れ、シグレスにしなだれかかってくるのはこの娼館の娼婦たち。シグレスも面識はあるし、毎回、お土産を持って行くので、顔を覚えられたのだ。ちゃんと夜にお相手してもらったことは一度もないが。ここは高級娼館なので、一回の料金が馬鹿にならないのだ。だからこそ怪しまれないように、珍しく好きでもない貴族らしい高級な服装で来たのだが。
「はいはい。今回もお土産あるから、心配すんなって。あ、それから新作作ったんで、後で店長に渡しとくから感想聞かせてくれ」
「え~?ホント~?楽しみ~」
「若旦那の外れないからねえ」
「もっと欲しいんだけどな~」
「ハハハ、全員に行き渡るようにはしてっから、心配すんなって。んじゃ、また後でな」
「は~い」
「たまには、私たちのお客さんとして来てくれてもいいのよ~」
「若旦那にはたっぷりご奉仕するわよ~」
「そりゃ、嬉しい話だが、今回は行けそうにないな」
そう言って娼婦のお姉さんたちと別れ、進んでいく。
ここは一階から二階は客と娼婦のための寝所で、三階から四階は娼婦たちや、娼婦になるために売られたり、引き取られてきた女性たちの生活空間なのだ。
そして、五階は——『もう一つの仕事』のための場所だ。
四階の女性たちとも同じような会話をして、廊下をさらに進んでいき、行き止まりとなる。
そこの壁を、トン、トン、トトン、トンと叩くと、
ガパッ。
という音とともに天井が開き、
ガチャッ。
という音とともに折り畳み式の階段がシグレスの前におろされる。シグレスはその階段を上りきったところに、また二人の門番ともいうべき女性がいた。その女性たちはシグレスが上り切ったのを確認し、階段を仕舞っていく。
そして、進み、一つの扉の前に。そして、
「失礼するぜ」
そう一声かけ、扉を開くと、そこには、
「やあ、ソルホートの若旦那。今日はどんな御用向きだい?私を身請けでもしてくれる気になったかい?ちなみに私は処女だよ?」
「聞いてねーよ!」
思わず、シグレスがツッコミを入れた先にいたのは、真紅の髪と青い瞳をもった美しい少女だった。そして、その脇には鋭い眼光でこちらを見据える、金髪に茶色い瞳の美女が控えていた。
「冗談だよ。この私、リーネス=グライドに何を求める?いや、なんの『情報』が欲しい?」
真紅の髪をもった少女はその顔に人を食ったような笑みを浮かべ、そうシグレスに問いかけた。
そう、真紅の髪の少女の名前はリーネス=グライド。他でもない、『情報屋』だ。