朝の風景
早朝。まだ日も昇りきっていない時間。
「…………すぅ」
一人の少年が装飾品もない、殺風景な部屋に備え付けられたベッドの上で静かな寝息をたてていた。
そんな穏やかな時間が流れ続け―
ドンッ、ドンッ、ドンッ!!
たりはしなかった。
部屋のドアを破らんばかりの轟音に少年も目を覚ます。
「何だよ…休み明けの朝くらいゆっくり寝かせろよ…」
ブチブチと文句を言いながらも、少年は眠たげに目をこすりながら身を起こす。本当は凄まじくドアを開けるのが嫌だが、開けなければより厄介なことになるのを少年は承知していた。
より具体的に言うと、ドアが破壊されるのだ。
ガチャ、ギィ。
「遅いわよ!シグレス!」
開口一番そう言ってきたのは少女。美しく整った顔立ちに、目の覚めるような金髪と碧く大きな瞳。そこには力強い意志が見て取れ、勝気な印象を与える。しかし、それさえも彼女にとっては魅力の一つとしかならない。
対して、少年―シグレス=ソルホートの容姿は決して悪いわけではなく、どちらかというと良い部類に入るのだろうが、寝癖でボサボサになった黒髪と同色の眠たげな瞳のせいで怠惰な印象を受ける。
そんな少女の顔を見て、シグレスは見とれるわけでもなく、凄まじく面倒くさそうな顔をして答える。
「俺が遅いんじゃなくて、てめーが早いんだよ。早すぎるんだよ。今何時だと思ってるんだ?まだ陽も昇りきってねぇだろうが」
「早朝訓練の時間だけど?」
「何、さも当然のように言ってやがる。俺は眠いんだ。寝せろ」
「駄目よ」
「いや、何でだよ。つーか、他の奴に頼めばいいじゃねえか」
「他の人に迷惑かけれないでしょ」
「俺にとっても迷惑なんですがね」
「いいから、早く準備して」
「無視かよ…」
そう言って、スタスタと部屋の中に入ってくる少女。
その様子にシグレスは呆れつつ、
「男の部屋にホイホイ入るなよ。俺が真っ裸だったらどうするつもりだ」
「は? 全力で叫ぶけど?」
「『けど?』じゃねーよ! 俺が悪者になんだろうが!」
「そりゃ、私は勇者だもの。悪役なんてまわってこないわよ」
そう、彼女の言う通り彼女は勇者だ。正確には彼女の一族が、だが。
ユナ=ブレイヴ=ノーレンス。それが彼女の名前だ。由緒正しき勇者の一族の末裔だ。決して、彼女がイタい子というわけではない。
「あー、行く。行くから、外で待ってろ。こっちにも色々と準備ってもんがあるんだ」
「仕方ないわねえ。十秒で準備しなさいよ」
「無理に決まってんだろうが。つーか、いつものトコだろ? 先に行っててもいいんだぜ?」
「アンタ、そう言って逃げるかもしれないからダメ」
「チッ」
あっさりとユナに見抜かれ、思わず舌打ちが出てしまった。
渋々、準備を始めるためにユナを部屋の外へと追い出す。
何故か渋々といった様子で外に出るユナを疑問に思いつつ、素早く着替え、訓練用の木刀を持って、ドアの前で待っていたユナと共に訓練場所へと向かっていった。
◆◆◆◆
シグレス=ソルホートは転生者だった。
生前(?)は武術の心得があることを除けば、ごく普通の高校生をやっていた。
ちなみにシグレスの死因は事故死。
子供が飛び出し、車に轢かれそうになったのを助けた…まではよかったのだが、助けた際にバランスを大きく崩し、受身も取れず、ものの見事に吹き飛んだ。打ちどころが悪かったらしく、残念ながら死んでしまった。
それで、目を覚ませば、赤子の状態。訳も分からず戸惑ったが、しばらく過ごすうちに慣れていった。
当初は興奮した。やってきたのは魔法が存在する、ファンタジーな世界。成り上がってやる!!と、意気込んだのも今は昔。魔法の才能があまりないことに結構落ち込んだ。
しかし、幸いというか、剣術の方は才能があったらしく、前世での武術の知識も組み入れ、立派な剣士道を歩んでいた。
それに加え、幼い頃から文字を理解しようと努力し、少ししてからできるようになったあと、様々な本で情報を取り入れようとしてきたため、一部では「天才」などと呼ばれていた。
普通ならそこで驕り、たかぶってしまうところであったが、(一時期そういう時もあった)幸か不幸か、シグレスの近くには本物の「天才」がいた。
それこそが勇者の一族の一つ、ノーレンス家の次期当主ことユナ=ブレイヴ=ノーレンスその人であった。
並外れた魔力。剣術の才能。学問の才能。吸収のスピード。恵まれた容姿。老若男女皆に好かれる、明るい性格。そのどれもが群を抜き、他を圧倒した。
シグレスもすぐに理解できた。ああ、コイツには勝てない、と。
何と言っても、頭の中身は高校生+異世界年齢のおっさんに近い年齢なのだ。受け入れるのは早かった。
それからというもの、腐れ縁が続き、ユナとしばしばともに行動するようになり、現在に至っている。
今や、立派な美少女勇者となっているが、幼少の頃から知っているシグレスはちっとも恋愛対象として見ていない。どちらかというと、妹に近い存在だろうか。
「何、考えてんの?」
ぼんやりとしていると、ユナに声をかけられ、いつものようにやる気のない顔をしながら答える。
「あ?人生について考えてたんだよ」
「シグレスみたいなどうでもいい人間の人生なんて誰も気にしないって。私みたいな勇者ならともかく」
「俺が気にするんだよ」
「第一、私みたいな美少女勇者と二人っきりで訓練なんて、私のファンなら卒倒もんよ?」
「俺はお前のファンじゃねえし」
「細かいなあ。ハゲろ」
「いや、そこは『ハゲるよ?』だろ!? 何で罵倒されてんの!?」
などと、他愛のない会話をしている内に、いつもの訓練場所へと到着。
「んじゃ、早速始めましょうか」
「おい、何、真剣抜いとんねん。帰るぞ、ボケ」
「チッ」
「何で舌打ちされなきゃなんねぇんだよ…」
物騒なことに真剣で訓練しようとするユナに、辟易としつつ、木剣に持ち直させる。
それを確認して、シグレスも二本の訓練用木刀を構える。
シグレスの戦闘スタイルは二刀流。この国では使っている者はあまりいないが、前世の時からこれで、今更一刀流というのも面倒でそのままにしている。
そして、二人の間に先程とはうってかわって、極限まで張り詰めた空気が支配する。
「ハッ」
ユナが鋭く呼気を吐き出し、勢いよくシグレスに向かって突出し、一瞬で肉薄する。
それと同時に、いつの間にか頭上に振り上げた木剣を袈裟懸けに斬り下ろす。
対して、シグレスはそれを冷静に見極め、片方の木刀で剣の腹を打ち、斬線をずらし、躱す。そして、間髪入れずに、もう片方の木刀でユナの胴を狙う。
しかし、それをユナは後ろに飛び退くことで避ける。
「うーん、やっぱダメか~。結構、踏み込んでみたから当たると思ったんだけど」
「ああ、正直ちょっと危なかった」
「よく言うわね。アンタ、全然顔に出さないくせに。つーか、無表情だし」
「ポーカーフェイスって言えよ。まあ、意識してたら、いつの間にか癖になっちまった」
「あっ、そ!」
そう言って、ユナは再び剣を振り上げ、シグレスの懐に踊り込み、打ち合いが始まった。