昔日の罪
◆◇◆
今から時を遡ること約八年程前、とある少年が一つの優しい家族と出会い、心を閉ざしていいた少年を優しい姉妹の物語があった。
いつからか少年は姉妹に心を開いていった。誰もがいつまでもそんな平和な日々が続くと思っていた。
事件の訪れは突然だった。その日を境に運命の歯車が噛み合わなくなっていく。そして少年は家族の元から去っていった。
この世界ではどこにでもあるような悲劇の物語。そしてその物語はまだ終わっていない。
◆◇◆
格好良く啖呵を切ったのはいいものの、用意していた魔法では相殺どころか半減すらできない。せいぜい込められた魔力の一割削れれば良いほうだ。
即座に別の魔法に切り替えようとも相手の魔法と同等のものには最低でも十秒近くかかってしまい、この場では使えない。それなら、と氷の防壁を幾重にも張り巡らす。
「久遠の白を纏いて有限を超越ろ 枯れることのない薔薇に祈りを捧げよ 時の導が永遠を刻むように」
「そんな壁が役に立つ訳ないじゃん。早く諦めたほうがいいよ」
和葉の言葉を聞きながらも詠唱は止めない。まだ事情を説明してすらないのだ、街中でこんな魔法を使う義妹に説教して誠心誠意謝らないといけない。だからここで負けるつもりはない。
氷が削られる音が次第に近くなってくる。それでもまだ時間はある。
「巡る時の流れに逆らうこと叶わぬならばこの刹那だけを永劫抱きしめよう 今この瞬間だけがこの世の全てであれるために 刹那の輝きを褪めることなく刻み続けろ」
防壁はすぐにでも壊されそうだが、詠唱も残すところあと僅かだ。
「咲き誇れ白薔薇よ 汝は呪われている」
防壁が破られるのと同時に詠唱が完了する。大量の魔力を消費した時の気だるさと右腕に確かな重みを感じた瞬間に右腕を振るう。
右腕から伸びた純白の鎖が風の龍に絡みつく。俺の魔力を喰らう分、伸び続ける鎖が風の龍を完全に拘束するのには時間はかからない。
「嘘っ、なんで!?」
拘束された風の龍はその動きを完全に止めてしまう。まるで止まったように。
『望まれなかった白薔薇』、薔薇の装飾がされた鎖が拘束したものの時を止めるオリジナルの魔法。一に向けるのは危険だが、今のように実体がある魔法に限るが効果があり、便利だ。
それに今の和葉のように目の前の現実に混乱して隙が出来るのも期待できる。
「隙だらけだぞ?」
今度はこちらから仕掛けさせてもらう。和葉と未だ残る二つの竜巻に向けて無数の武器を放つ。危機一髪のところで混乱から抜け出した和葉は全ての魔法のコントロールを放棄し、衝撃波で俺の魔法を相殺する。
和葉が魔法を解いたことにより『白薔薇』が自由になる。
「随分、強くなったな。昔とは大違いだ」
「……うるさいな。今更昔のことなんてどうでもいいでしょ」
見ない間にすっかりと成長した義妹に感慨深いものがあるが、強くなった理由は恐らく俺への恨みと考えると素直に喜べない。
「師匠から聞いてないんだよな?」
「お祖父ちゃんから? 何も聞いてないけど」
和葉の手前表に出さなかったが、内心は溜息をついてしまう。きっと俺への嫌がらせ目的で和葉に何も語っていないんだろう。自分が悪いのは分かっているが、最低限のフォローはしてくれてもいいんじゃないかと思ってしまう。
「この調子だと桜もか……先が思いやられるよ、全く」
「……?」
「いや、悪い。二年前のことだよ。あの時、師匠には事情を説明したんだけど、何も聞いてないんだろ? 人が悪いな、あの人も」
「理由があってもしたことは変わらないよ」
一連のやり取りで分かったが、俺ってまさかこの姉妹から物凄い恨みを買っているんじゃないだろうか。予定ではそろそろ許してもらうはずだったのだが、これは相当長い贖罪になりそうだ。
「あの時のことは悪いと思ってる。どんな理由があっても俺の理不尽な我が侭だからな。お前たちが傷つくって分かっててやってしまった」
「……一つだけ聞かせて。あの頃のお姉ちゃんを置いていく程大事なことだったの?」
「大事だったよ。間違いじゃないって胸張って言える」
「ふぅーん……ま、いいや。元からそんな怒ってる訳じゃないしね」
出会いがしらに敵意剥き出しに睨んできた人の言うことではないことは確かだ、なんて言わないのが兄の優しさだろう。
しかし、表情から険が取れ幾分か柔らかくなっているのはいいことだ。なまじ可愛いから睨まれると迫力があって正直怖かった。
「でも、まだじゃれてくれるんでしょ?」
「あまり周りに被害が出ない程度にな」
和葉は周りに風の弾丸を七つ程浮かべる。それに対し、白薔薇の鎖の長さを魔力を調節し、数メートルから一メートル半程度に縮め、いつでも迎え撃てるように構える。
「それじゃ、行くよ」
和葉の合図と共に飛んでくる弾丸を鎖で鎖で弾き、和葉に向かって走り出す。その際に左手に魔法剣を作り出す。
風の弾丸は一つ撃てば次が補填されるようで一向に攻撃が緩まる気配が無い。それよりも和葉に近づくに連れ、弾幕が濃くなっている。鎖で弾き、弾き損ねた弾丸は剣で斬るなり受け流すなりで難なく近づき剣を振り下ろすと、
「風演舞」
和葉は紙一重でそれを躱す。事前に魔法を使っていることから何かからくりがあるのだろう。そのからくりを暴かなければ何をやっても意味はないだろう。
「氷撃槍」
また周囲から生えた槍が一斉に和葉を襲うが、今度は避けずにカマイタチで一掃する。
範囲攻撃は流石に躱せないようだが、和葉の風の防御を突破できる魔法はそう多くはない。近づければまだやりようはあるのだが。
「もう終わり? じゃあこっちからいくよ」
俺がどうやって攻めようか考えていると、和葉のカマイタチが左右同時に襲いかかってくる。右は白薔薇の鎖で、左は魔法剣でそれぞれ弾くが、和葉はさらに魔法を連発する。それぞれ違う角度、しまいには背後から放たれるカマイタチを冷静に対処しながらお互いに攻めきれないという状態を打破する方法は一つしかない。
「属性付加・氷」
遅延の特性を持つ氷の属性付加は雷の爆発的な身体能力とは打って変わり、体を凍らせ頑丈にするなど地味な能力ではあるが、簡単な工夫次第でいくらでも化けられる。
例えば、氷を纏うと体は通常以上の負荷に耐えることができる。ガチガチに凍らせてしまえば並大抵の付加には耐えられるが動きが鈍くなったり、下手をすると凍った部位が砕ける可能性もある。なので薄く、それでいて頑丈でいられるギリギリのラインの氷を纏うことで雷の属性付加と同等とはいえないもののある程度の無茶な動きは許容できるようになる。
簡単に言うなら、雷の属性付加が十ある力を二十にするなら氷の属性付加は十を十三程度にする。但し、雷の属性付加は体が自壊するまで五分ほどの制限時間がある。
「いくら属性付加をしたからって!」
四方から襲い来るカマイタチを白薔薇の鎖を振り回すことで無効化する。
このままでは埒が明かないと和葉も判断したのか、後ろに下がることで大きく距離を取る。詠唱の時間を稼ぐつもりだろう。なら、俺も勝負に出よう。
左手に持っている魔法剣を和葉に向かって投げる。俺が武器を投げるなんて思っていなかったようで魔法を発動させることなく、右に避ける。
「避けないと危ないぞ?」
属性付加には身体強化を除いてもうひうとつ利点がある。それは付加した属性の補正がかかる、ということだ。主に魔術師が重宝するのだが、俺が氷の属性付加を使ったことで氷の魔法が普段よりも手軽に使える。発動は早くなり、消費魔力は下がり、威力も上がる。どれも微々たる差と済ませられる範囲ではあるが、いざという時には勝敗を決める重要な要素になる。
魔法剣を投げた瞬間に氷で出来た剣を作り出し、和葉の意識が魔法剣に向いている間に強化された脚力で一気に和葉に近づいた。
「っ!? 風爆槍!」
咄嗟に和葉は懐から何かを取り出し、その取り出したもので氷の剣を受け止め、空いている右手で俺の腹に向けて魔法を放つ。
魔法はなんとか白薔薇の鎖で無効化したが、衝撃波までは打ち消せず後ずさってしまい、また和葉との距離が開いてしまった。
「生憎、私も成長してるんだよ? 言われた通りに練習してるんだから」
「そう言うこと言われるとまた複雑なんだけどな」
和葉が取り出したのは短剣だった。それは俺がかつて四季の家にいた頃に魔術師もある程度接近戦は出来た方がいいと言って渡したものだ。
俺がいなくなってからも俺のいいつけを守っているのを見ると嬉しいやら申し訳なくなるやら反応に困る。今の俺は何とも言えない表情をしているだろう。
「どれくらい上達したのか見てみる?」
「折角だから見せてもらおうかな。果物すら上手く切れなかった和葉がどれくらい成長しているか」
「もう、昔のことは言いっこなしだよ!」
もはや、決闘と言うより稽古に近いので属性付加や白薔薇の鎖を解除し、氷の剣一本で短剣を構える和葉と相対する。短剣を構える姿は実に堂に入っている。
「それじゃ行くよ」
元は護身用であり、緊急手段として身に付けた技術なので特に俺から攻めることはせず和葉の短剣を避けながらアトバイスを加えようと思ったのだが、思ったよりも腕が良く、下手したらアトバイスなんてしている余裕はないかもしれない。
「フェイントを混ぜろ。目線で相手の注意を誘導させろ。脇が甘い。自棄に振っても当たらないぞ」
流石に魔法の天才である和葉も天から二物を与えられなかったようで俺のアトバイスを吸収しようとするのに必死だが、和葉の姉は酷かった。一回のアトバイスで完全にコツを掴み、こっちの動きを見て勝手に自分なりに応用してくるのだから教える側としてのプライドがズタズタにされたのだった。いやまあ、和葉も魔法に関しては大概だったが。
こうして常識的な教え方ができる喜びをしみじみと噛みしめつつ改めて自分には才能がないな、と自覚してしまい、ブルーな気分を味わうことになってしまう。
「なんで一人で百面相してるの?」
こんなくだらないことを考えている間も稽古は続いており、そろそろ五分が過ぎようかという時だった。苦虫をつぶしたような表情をしているであろう俺を不思議に思い、和葉が声をかけてきた。
「いや、お前に剣の才能がなくて良かったなって思ってさ」
「剣はお姉ちゃんの担当分野だから良いの! ――あっ!?」
会話に気を取られ過ぎたのか、足を滑らせ倒れ込む和葉を受け止める。本人は気付いていないようだが、散々魔法を連発して体力を消費している上、剣を振ることに夢中になり過ぎたため足に疲労が溜まっているのだ。むしろ、剣を振れたことが異常だったりするのだが、驚きはしない。もう慣れた。
「素直に休んどけ。どうしてもって言うならまた今度稽古つけるから」
「ホントっ! 嘘じゃないよね!」
「なんで嘘つく必要があるんだよ……いや、待て。何も言うな」
――今の俺、信用無いんだった!
自分で言っておいて悲しいけど、まあ仕方がない。
「ほら、もう自分で立てるだろ?」
「うーん、もうちょっとだけ……よし、充電完了!」
そう言って数秒で離れた和葉は満足そうだ。さっきまで俺を睨みつけていたとは思えない上機嫌っぷりを見て二年前から変わっていないな、と改めて思う。
「ん、どうしたの? 改めて私に見惚れちゃった?」
「面白い冗談だな、和葉。少しくらい成長してからそういう台詞を言うんだな」
「あっ、酷い。これでも一人前のレディなんだから」
「そうか。ところで一人前のレディ、立派な見世物になっているぞ」
きょとん、としている和葉はさっきから周りから好奇の視線で見られているのに気付いていないようだ。
本人に自覚はないだろうが、和葉はかなりの美少女だ。肩まで伸びた黒髪と同じ色の大きな瞳。身長は恐らく同年代の平均くらいだろう。その割には体の発育はいい。果たして俺はなんで義理とはいえ妹にこんな変態じみた事を考えなければならなかったのだろう。
それに昔から放っておけない雰囲気があるので、異性から同性まで多くの人に好かれているだろう。
問題はここからだ。そんな人物と親しそうに話している男がいたらどうなるのか。さらに倒れ込んだ和葉を受け止めたあの体制はもしかしたら抱き合っているように見えなくもない。
「私としてはどうでもいいんだけどね。あっ、お姉ちゃんが怒りそうかな」
「これ以上桜が怒ったら俺死ぬんじゃないのか?」
ただでさえ怖いのに余計会うのが怖くなってしまったじゃないか。まあ、流石に出会い頭に斬られたりしないよね、きっと。多分。お願い。
「大丈夫だよ、お姉ちゃんだし。でも私が怒られそう」
「なんで?」
「そんな羨ましいことするなぁー、って感じ?」
「お前の中の桜は一体どうなってるんだよ……」
「あってると思うんだけどなー。まっ、とりあえず稽古楽しみにしてるよ、お兄ちゃん!」
じゃねーと軽い言葉を残して去っていく和葉。元気な奴だなぁ、と思いながら見送る。
一仕事終えた達成感を感じながら寮に戻ろうと回れ右で一歩踏み出した瞬間だった。
「急いで帰ってみれば随分とお楽しみみてぇだったな」
「私、とっても心配してたのになぁ。女の子と抱き合ってるなんて思ってもみなかったなぁ」
「ごめん、彩人。庇えない」
すっかり忘れていました。確かに最後の方だけ見れば完全いちゃついてるようにしか見えません。俺も逆の立場だったら物申したい気持ちだろうけど、ちょっと待って。
「ご、誤解だ。これには深い訳があってだな……」
「一体全体どういう訳があったら――」
「――女の子と抱き合うことになるのかな?」
「あ、あはは……」
振り返ると煉はにやつきながら、大助は苦笑しながら、梨紅は割と真剣な表情をしながらこっちへ向かってくる。
――さて、どう説明しようかな。その前に素直に説明させてくれるかな。無理だろうなぁ。
ええっと、なんでこんなに投稿するのが遅れたのか、私も不思議でありません。おお待たせした方に申し訳ないです。