予選と依頼
「絶対――忘れな――だけは――」
……一体誰の声なのだろう。まだ幼い少年が泣きそうな声で叫んでいる。
しかし、俺には少年も少年と会話しているであろう誰かの姿は見えない。どこまでも真っ暗な世界に声だけが響いている。しばらくして自分が夢を見ていると知った。
「待ってるから、迎えに来てね?」
少女の声が鮮明に響く。
真っ暗な世界に一条の光が射し、視界が開けていく。それと共に浮上する意識が最後に捉えたのは金糸のような髪だけだった。
「……夢か」
◆◇◆
目が覚め、まず感じたのは酷い頭痛だった。さらに寝汗が酷く動悸もやや激しい。だが、そんなことよりもつい先ほどまで見ていた夢の内容が気になっていた。もうはっきりと思いだせないあやふやな内容だが、恐らく俺の過去に経験した出来事なのだろう。
こんな形でしか過去を振り返れない自分に対し皮肉笑みを浮かべてしまうが、その笑みはすぐに消えてしまう。
「一応、割り切ったはずなんだけどな……」
生まれてからの八年間の記憶がほとんどないことに一時期は思うところもあったが、仕方ないことだと諦めたはずなのにこうして思い出してしまう。いまさら何故、と思うが、答えは呆気ないほどすぐに出た。
「梨紅に会ったからなんて女々しいな、俺」
俺の過去への手がかりは彼女しか存在しない。今度会う時があれば聞いてみるのも良いかもしれない。それで何かを思い出せればこうした夢も見ることも無くなるだろう。
しかし慣れない寮生活の始まりは思ったよりも普通であった。というよりも人間、多少は環境が変わっても何事も無かったように過ごせるみたいだ。
カーテンを開けると、穏やかな春の日差しが部屋に侵入する。別に雨が嫌いという訳ではないが、春の陽気というものにつられて気分が晴れやかになるものだ。歓迎はしても疎ましくは思わない。
「今日は平和に過ごしたいな」
そう呟くが、期待はしていない。出だしから失敗しているし、今までもこういう風に平穏を願った時こそ酷い目に遭ってる気がする。だが、形だけでも期待はしておこう。春の陽気に陰鬱な気分は似合わない。
しかし、すっかり眠気は覚めてしまったので二度寝をしようと思えないので、散歩でもしようと寮を出る。
まだ地理が掴めないこの街をぶらぶらして迷子になるのも滑稽なので今回は下手に冒険するのではなく学園へ向かう道へ向かうことにする。
「彩人君、おはよう!」
記憶を頼りに学園へと向かう途中に梨紅と遭遇する。昨日はあまり気にならなかったが、梨紅の制服も多少は改造されているようだ。
「おはよ、梨紅。いきなり出悪いんだけど制服の改造って流行ってるのか?」
「ああ、これは成績優良者の特権の一つなの。そこまで派手な改造は駄目だけど、少しだけスカートにフリルをつけるとか位ならいいんだよ」
「へえ、そんな特権があるのか。ていうことは梨紅は成績優良者ってことか」
「ギリギリだけどね。これでも生徒会に入ってるから頑張んないといけないんだから」
梨紅が言うには生徒会とは自治組織のようなもののようだ。全生徒から推薦や立候補などで選ばれた生徒五人だけの組織で生徒以上教師未満の権力を持っていたりするらしい。あとは何らかのイベントがあればそれを運営したりするらしい。
「この時期は個人トーナメントがあるから大変なんだよ」
「ごめん、その個人トーナメントって何?」
「あ、そっか、新入生はまだ知らされてないんだっけ。個人トーナメントっていうのは学校主催の決闘みたいなものかな? 学園が決めた予選を潜り抜けた生徒同士が戦うイベントだよ」
特定の誰かから恨みを買っている気がしないが、何だか嫌な予感がしてならない。誰かに辻斬りとかされないだろうか。
「な、なあ、それって個人トーナメント前の闇討ちとか複数人での袋叩きってありだったりする?」
「正式な手続きをしてない決闘はいつでも禁止だし、突然襲われても彩人君なら大丈夫でしょ?」
「可能性あるのかよ!?」
これもう確定じゃないか。そう言えば昨日梨紅と話してただけで恨み買ってた気がする。てことは今まさに恨みを爆発的に買っているのではないだろうか。
「来週には予選の内容が発表されるんじゃないかな」
「……最悪の時は直談判だな」
「彩人君って風間さんと仲いいの?」
「誰があんな奴と……っ!? 俺と風間は全然仲良くないよ。お互いに利用しあってるだけ」
咄嗟のことだったので一瞬だけ素の反応が出てしまったが、すぐに取り繕う。梨紅も怪訝そうな顔をするが、深く追求はしてこない。
「風間さんって言ったけど、梨紅はアイツと知り合い?」
「うん、八年前に拾って貰ってからお世話になってるの」
「……悪い」
「ううん、気にしないで」
待て、これは昔のことを聞くいい機会ではないのだろうか。
「なあ――」
「二人ともおはよう」
いざ昔のことを聞いてみようと決めた所で後ろの方から声がかけられる。
完全に出鼻をくじかれたのでもう話をする気にもならなくなってしまった。まあ、そう急ぐことでもないだろう。
話を頓挫させた相手は誰かと振り返ると、制服姿の少年がこちらに手を振っていた。
「ああ、大助か。おはよ」
「日渡君、おはよう」
少年が近付くに連れ、白髪まじりの黒髪が目に入り、すぐにそれが大助だと理解した。まだ見馴れない制服を着た大助はなんというか……少々子供ぽかった。本人に言ったら頬を膨らませむくれるだろうな。そういうところが子供っぽいっていうのは気付いてないみたいだけど。
「杉本さんは生徒会だよね? 彩人はどうしたの? 学校が始まるまでかなり時間があるけど……」
「気紛れっていうか朝早く起きて暇だったから散歩でもしようと思っただけだよ」
「本当に暇なんだね……」
そういえば大助と梨紅の接点はこの前までまるっきり無かったようだし、ここは俺が会話を引っ張っていかないといけないのだろうか。
「そう言えば、彩人君に学校を案内するって約束したっけ? ごめん、今日は出来なさそう」
「そんなに気にする事じゃないだろ。いつでもいいんだし」
「ううん、一期生は今日いろんなところ回らないといけないの。だから早くに案内したかったんだけど……日渡君、頼める?」
自分に話題が振られると思っていなかった大助は驚いていたが、すぐに頷いた。
「分かった。それじゃ、需要の無さそうなところは今度改めて杉本さんが案内してあげて」
「うん、ありがとね」
実は時間が危ないのだろう、梨紅は学園の方向へ走っていく。
「それじゃあ、彩人ちょっと寄り道しても良い?」
「どこ行くんだ?」
「ちょっとだけ店の仕入れを手伝ってほしいんだ。いいかな?」
「案内してもらうんだからそれくらいは手伝うよ」
◆◇◆
「意外と量あるのな」
現在俺と大助の両手は大きな袋二つで塞がってしまっている。元々この程度で疲れるような柔な修行はしていないが、左右の袋の重さが釣り合っていないのでバランスはとりずらい。
「ごめん、今日が特別なんだ。丁度色んな物を切らしちゃって」
同じように平気そうな顔をしている大助はやや苦笑気味だ。
魔法さえ使えれば片手でも十分余裕な重さではあるのだが、どうやら学園の生徒は校則で生徒会や教師の許可なしに魔法を使うことは禁じられているそうだ。
「経営ってのも大変なんだな。そういえばどうして店を開くのが夢だったんだ?」
「俺の両親が店をやってるんだけどね。両親もお客さんもみんな笑顔で楽しそうにしてたから俺もそんな風に色んな人を笑顔にさせたいなって思ったから……少し子供っぽいかな?」
「俺は立派な夢だと思うよ。それに夢を持つことが大切だって誰かが言ってたぞ」
「うん、ありがと。そういう彩人の夢は?」
「申し訳ないけど、夢なんてないよ。考える余裕が今の俺には無いからな」
特にここ一、二年は何も考えずにただがむしゃらに生きていた気がする。こう言えば聞こえはいいかもしれないが、実際にやってることはただの現実逃避だけど。
自嘲気味な笑みを浮かべてしまうが、それを悟られないように顔を俯ける。
「なら夢を探すことを夢にしなよ。夢を持つことが大切なら夢を探すことも大切だよ」
俯いた俺を大助は覗き込むように俺の前に回り込み腰を屈めた。俯き、舗道された地面だけが映る視界が大助の顔へと切り替わる。
「そんな暗い顔してたら幸運が逃げちゃうよ」
「……そうだな。まずは夢を探すのが夢か。大助のおかげで夢が出来たな」
「彩人には色々と助けられてるからね。少しでも恩返しが出来たなら嬉しいよ」
「号外だよー! 個人トーナメントの予選の内容が決まったよー!」
俺と大助が友情を深めあっていると、前の方から黒い帽子を被った少年が大きな声をあげて駆けまわっている。そのついでになにやら紙を配りまわっている。
とりあえずあんなに大きな声をあげると迷惑じゃないのだろうか。
はてしなく感じる嫌な予感を務めて無視しながら空中に撒き散らされた紙を一枚取ってみる。
『個人トーナメントの予選の内容は旗奪戦に決定!?』
「……なあ、大助。この旗奪戦ってなんなのか聞いていいか?」
「旗奪戦は、一人につき一個の旗が配られてその旗を合計五つ以上集める集団決闘の形式だよ」
「…………どうやってその旗を増やすんだ?」
「え? それは当然戦って負けた方が渡すんだよ? 柄の悪い人たちは沢山の人数で一人を囲んだりするみたいだから、もしそうなりそうだったら気をつけてね?」
大助の言葉を理解するのに数秒の時間をかけてしまったが、理解してすぐに天を仰ぎ、仰々しくく手を広げ、周りの迷惑を考えずに、
「やっぱりかー!!」
叫んだ。
◆◇◆
「ひゃははは、ま、マジか……駄目だ、笑い死ぬ。ひゃはははは」
「笑い過ぎだよ、煉」
「……大助、お前も口元がにやけてるぞ。まあ、いいさ。俺も他人事なら笑ってる」
「えっと、紗紀? これはどういう状況なの?」
今の俺たちは馬鹿笑いする煉と駆使うしながらもどこか楽しそうな大助、二人と対照的に凹んでいる俺たち三人見て困惑する梨紅と嘆息する紗紀という傍から見ればよく分からない状況になっていた。
「なんで彩人はそんなに旗奪戦嫌なの?」
「えっとだな。それは――」
「――あー、おれが教えてやるよ。コイツは公衆面で自分の手の内を晒したくないんだよ」
煉の言葉を聞いた三人の「え、それだけ?」という視線が痛い。しかも事実なので反論できない。
「お前じゃ説明不足なんだよ……まあ、手の内を晒したくないってのは本当なんだが、俺の手札には他人に見られると色々困る技術が多いんだよ。説明しづらいから今度実際に見せるけどさ」
「他人に見られたら困るものなんでしょ? 俺たちに見せても良いの?」
「お前たちは信用してるからいいんだよ。見せる機会があったらの話だけどな」
「言質取ったぜ? 取っちまったぜ?」
「どうした煉、言葉づかいがおかしいぞ。頭は元々おかしそうだけどな」
「彩人、大助、紗紀、杉本。今から討伐系の依頼を受けに行くぞ」
心なしか目が輝いている煉の提案に全員が首を傾げる。
「おめぇの手の内晒せるようにお膳立てしてやってんだよ、感謝しろ」
煉の提案により手の内を見せる機会が早速来るようだ。確かになんだかんだで永遠に訪れなさそうな気がしていたから却下する気はないが、俺以外の奴に予定があったらどうするつもりだったんだか。
「彩人君はいいの? 学園の依頼だと他の人に見られるかもしれないよ?」
「んなもん、風間のおっさんに頼めばいいんだよ。討伐系の依頼をくれってな。幸い、あのおっさんは杉本に甘ぇようだしな」
マズイ、非常にマズイ。梨紅は風間を慕っているようだし、煉たちに関しても憎からず思っているようだ。俺がいることで話がややこしくなりそうだし、勢いで余計なことまで言ってしまいそうだ。
「言いだしっぺが交渉して来いよ? 俺は別に今日じゃなくていいし」
「そんな連れねぇこと言うなよー。俺ら親友じゃねえかよー」
「少なくとも親友だったらこう言う時に強調しないと思うんだ……」
結局、依頼を受ける方向で着々と放課後の予定が決まっていく。後から聞いた話だが、学園の生徒は学生用ギルドから常時依頼を受けられるらしい。ただ、学生が自由に受けられる範囲ということで命の危険があるような依頼はないのだとか。
「そろそろ朝会の時間だからまた後でね、みんな」
「そういえば煉、お弁当作ってきたから後で食べようね」
紗紀の一言を理解した一瞬で楽しそうだった煉の顔が悲壮に彩られた。
◆◇◆
「つーこったおっさん。討伐系の依頼くれ」
「全く君はいつまで経っても口が治らないね……それで、依頼はなるべく近くの方がいいんだろ?」
「さっすが、話が分かるな、おっさん」
「俺はまだ三十代だ」
放課後、依頼を受けると提案した調本にである煉と風間と知り合いである俺と梨紅の三人が学園の最上階に存在する校長室にいた。用件は依頼を受けることなのだが、本来学生が受けられる依頼に討伐系はあまり斡旋されることがなく、競争率が高いのでこうやってコネで手に入れる方が楽とのこと。
「いやーおっさんに直接来た方が楽だな。おっさん、こんな来るのメンドクセェとこに居座んのやめたらどうだ?」
「こんな理由で来るのは君しか来ないから断らせてもらうよ。それじゃこういうのはどうだい? 『アーマリザードの討伐』、この学園から十数分でいけるぞ」
「アーマリザード? 聞いた気とねぇな。ランクはいくつだ?」
ランクとは依頼の危険度を簡単に表したもので上からA、B、C、D、E、後一応Fの計六つである。Fは人助けを主とした雑務が多くギルドに入っていなくても依頼を受けられ、DとEは簡単に言えば見習いや学生が受けられる程度の依頼で薬草などの採取や雑魚の討伐がある。BとCからは命の危険が隣り合いそこそこの実力がないと依頼を受注する事を認められない。Aはギルドから実力を認められた限られた人間だけが受けられるという普通じゃお目にかかれない物だ。これ以外にも特級という天災のような化け物を相手する際限定のランクもあったりする。
ちなみにB、Cランクから魔物は知性を持ち出すので魔獣と呼ばれ、Aランクからどういう訳か人の形をしだすため魔人と呼ばれる。上のランクに行けば行くほど個体数が減っていくのが救いであるが、魔人は個体差が激しく厄介な魔獣からAランク数人以上に匹敵するもの、さらに特級に近いものも過去には確認されたことがあるようだ。
「単体ではそうでもないのが、なにせ数がいるからCに近いDと言ったところか」
「んなもんか。んじゃ、それ貰ってくぜ、おっさん」
結局、俺と梨紅は後ろで経っているだけになってしまった。俺としては風間と話さなくて済んだので良かったし、梨紅も特に風間に用があるみたいではないので問題はないだろう。
「しかしいくら近場でも今から行くのは得策ではないよ。討伐系の依頼には色々と必要なものもあるし、出発は三日後にさせてもらうよ。何かあったら急いで伝えるよ。それと彩人は残れ。渡したいものがある」
風間の言葉を聞き、二人が退室すると、和やかだった雰囲気が一転、冷たく張り詰めたそれになる。
「彼らには言っていないが、依頼先に不穏な影が見当たられるそうだ。何事も無いに越したこと無いが、念のためだ。イザナギとイザナミを渡しておく。必要になったら使え」
そう言って風間から白と黒の二つの十字架が揺れるネックレスが空中へ投げられる。
無言でそれを受け取り、早速首に付ける。無くしたとなったら大問題になる代物なので管理はしっかりしないといけない。
「……それほどの相手が出る可能性があるのに俺がアイツらを依頼に行かせると思うか?」
「ああ。お前はあの子たちにだいぶ甘いからな。どうせ貴重な経験を積ませるつもりだろ。それに仲間なんだ。ある程度の手の内は知らせておけ」
「……黙れ」
しかし、風間の言うことが正しいのは理解している。秘密ばかりでは背中を預けられないし、信頼も出来ない。そして俺はアイツらと仲間でありたい。つまり最初から結論は出ている。
「……貸しにはさせないぞ」
「流石にこれ位で見返りは求めないよ」
らしくない風間の笑みを見たくない一心で踵を返す。風間の笑みに対する複雑な感情を抑えるために二つの十字架を握りしめながら。