予期せぬ邂逅
すいません、投稿しようとして寝落ちしてしまいました
──杉本梨紅。
八年近く前までは俺と同じ街に住んでいた所謂幼馴染という間柄だ。
正直、当時のはっきりとした記憶は俺には無い。それでも朧げな記憶の中の彼女より一層容姿に磨きがかかっている。セミロング金に近い明るい茶色の髪は絹のように滑らかで、落ち着いた雰囲気を醸しているが、緊張故か視線が僅かに泳いでいる。
着ているのは学園から支給される青の制服なのだが、下手なドレスなんかよりも映えて見える。
「今更だけど、私の知ってる彩人君でいいんだよね……?」
「そこは自信持っていてくれよ……ああ、間違いなく俺はお前の知ってる結木彩人だよ」
よかった、と安堵したように溜息をつく姿は微笑ましいのだが、周りからの視線が痛い。香里ちゃんの生暖かい視線や煉と紗紀の好奇心全開の視線はいいのだが、窓際に座っているために窓の外の見ず知らずの人物から射殺すように睨まれているのはなぜなのだろうか。とんでもなく居心地が悪い。しかし、梨紅は全く気付いていない様子だ。
「あはは、彩人君が来るまではどんなこと話そうかって色々考えてたのに、いざとなったら忘れちゃった」
若干、頬を赤らめて恥ずかしそうに笑う姿には一瞬見惚れてしまいそうになるが、周りからの視線がより一層強くなったおかげでなんとか自制心が働いた。
「そう言えば、煉と紗紀は知り合いみたいだけど、大助と香里ちゃんとは?」
「名前は一方的に知ってたんだけど実際にあったのは今日が初めてかな。そういう彩人君はみんなと知り合いなんでしょ? 知り合った時のこととか教えてもらってもいいかな?」
「良いけど、面白さは期待するなよ?」
おどけて念を押し、梨紅が笑ってくれたことを確認して、一年前の今頃の事を懐かしみながら語りだす。
面白くもなんともない話だったので掻い摘んで終わらせたが、それでも梨紅は満足したようだ。何が良かったのか分からないが、今にも歌いだしそうな位に上機嫌だ。
「あ、なんでもないよ。ただようやく彩人君と再会したんだなぁっていう実感が出てきただけ」
あまりの上機嫌さに俺が訝しんでいるのを気付き、慌てて否定する梨紅。なんというか見ていて飽きない。
「さて、そろそろ店から出ないとな」
横目に見た大助と香里ちゃんは遠慮するな、といった表情だったがこのままゆっくりするのも気が引ける。何か注文するのも良いかもしれないが、残念ながら生活用品を買わないといけないので諦めるしかないのだ。そういえば、すでに気に入った商品が買われている可能性を全く考えて無かったな。
「うん、そうだね。あれ、財布どこにやったっけ……」
「ま、こういうときは男に払わせてくれって」
「え、ちょっと彩人君!?」
慌てて財布を探し出そうとする梨紅には悪いが、大助に俺と梨紅の代金を払う。
「んじゃ、大助、これからも贔屓させてもらうからな」
「うん、分かった。それにしても男前だね、杉本さんの分も払うなんて」
「そんな気分だったんだよ。それにお前でも同じようなことしたことあるだろ?」
それもそうだね、と笑う大助。再度、また来ると言い、店を出る。
俺に渋々従って外に出た梨紅は明らかに不満です、といった表情をしていた。一応、梨紅に不利益になるようなことはないはずなんだけど、なんでこんな不機嫌なんだろうか。先程までの上機嫌さがそのままマイナスになっている様な気がする。
「俺が悪かったから、そんな不機嫌になるなよ」
「絶対何が悪かったか分かって無いでしょ?」
「それは……はい、そうです」
いくら考えても全く分からない。人の心を読むなんて出来る訳が無いし、全く察する事も出来ない。それよりも原因が分かる奴はいるのだろうか、いや、いないだろう、きっと。
「なんか私が悪いでしょ? 何もしてないのに奢ってもらうなんて」
そんな理由か! と言いたくなるのを必死に堪える。別にそんなこと気にしなくても良いだろうにと思いつつ、そう言えば昔もこんな変なところで生真面目だったのを思い出す。
「分かった。じゃあ、ちょっと手伝ってもらいことがあるっていったら?」
「私に出来る範囲なら手伝うけど?」
「今度、学園中を案内してくれないか」
「いいけど……でも、それじゃ釣り合わないと思うんだけど」
「いや、結構な死活問題なんだよ。ほら、一期生だって一度は下見に来てるらしいみたいだけど、俺は今日が初めてだから何も知らないんだよ。今後、誰かに案内してもらえる機会なんてないだろうし、何かあってからじゃ遅いだろ?」
こう言えば納得してもらえるだろうという打算はあるが、結構切実な問題なのだ。この年で迷子なんてやってられない。
「それならいいの、かな?」
「いいんだって。俺が助かるのは事実だし。まあ、自分で奢っておいて手伝ってもらうってのもおかしい話だけどな」
そう言って肩を竦めると、梨紅は呆れたように溜息をつき、笑顔に戻る。当然だが、笑顔の方が似合うと思うのだが、経験からして言ったら怒られるな。
「早く行こ、彩人君」
◆◇◆
「ふう、ようやく行ったよ、あの二人」
「お疲れお疲れ。でも結木を誘うのってそんなに難しかった?」
「おれの誘いってだけでも十分に」
「日ごろの行いが悪いからでしょ」
大助の喫茶店――『レスト』では煉と紗紀がお互いを労っていた。二人は彩人と梨紅をなんとかして話し合わせようと密かに計画していたのだ。最も梨紅は詳しくは知らないが何か計画していたのは知っていたのだが。
そもそも事の発端は煉と紗紀の会話の中の何気ない一言だった。
『そういや、模擬戦の時、彩人のことを杉本がガン見してたな』
梨紅の親友である紗紀がその話題に食いつき、話し合った結果、明らかに初対面の人物への対応ではない、と二人は判断し、紗紀が梨紅にそれとなく聞いてみることになった。彩人に関しては絶対にはぐらかす、と考えていたので二人とも一考もせずにスルーした。
そして梨紅に聞いた結果、幼馴染という驚愕する事実(二人にとって)が判明したために面白半分で梨紅を彩人にけしかけようとしたら梨紅が恥ずかしがったり、色々と紆余曲折があり、最終的には二人がサポートするということで梨紅が妥協したのだ。
「それで……あれは脈ありなのか?」
「梨紅には申し訳ないけど、あれは完全に駄目でしょ。相手が朴念仁の結木っていう時点で半分以上詰んでると思うんだけど……どうなの?」
「あの杉本でも厳しいっておかしくね? アイツは絶対選ぶ側だろ……」
杉本梨紅という少女はとても異性からの人気が高い。本人の容姿が極めて整っている上に性格も相手を立てることを忘れないなどと完璧と言われている。要するに容姿端麗で清廉潔白なのだ。そんな女子を放っておくほど見る目のない男子は多くない。それに男子からは学園内で屈指の美貌を持つ少女として限りなく高い人気を誇っているが、同性からもごく少数のやっかみを除けば誰にでも好かれる。その結果、生徒会副会長という地位にいるのだが、本人は分不相応だと愚痴を零している。
そんな梨紅だが、学園に入学してから三年が経っても一向に浮いた話が出なかったのだ。なので男は僅かな希望を信じており、少数の勇者は告白し、玉砕すると言う出来事があったのだ。いつか彼女のお眼鏡に適う男子が現れるのかと学園の大半が期待したのだが、しかし、それがどうだろうか。彩人を見る梨紅の姿を見た者は誰しも驚愕する。お眼鏡に適う人物は現れた。確かに現れたのだが、梨紅が一方的に片思いしているなんて誰も予想しなかっただろう。それ以前に梨紅ほどの少女の恋が未だに実って無いなんて相手の感性を疑うレベルなのだ。
そんな学園有数の美少女に片思いされるというある意味男子にとって夢のような状況に立っている彩人だが、本人に問題がある訳でもなくこれからも何も起きないだろうが、何人かのバカどもが彩人に何らかのちょっかいを掛ける可能性があるのが悩みどころだ。いくら考えてもろくでもない光景が目に浮かぶ。
「でも、なんか変なのよね。梨紅も本当に結木が好きなのか分からないのよ」
「杉本は遊びで人をその気にさせるような人間じゃないだろ?」
それは友人である紗紀の方が分かっているだろうと、言外に発する煉に紗紀は苦笑する。
「梨紅は本当にいい子だからそんなことしないって分かってるから。だから、なんて言うんだろう……友達以上恋人以下みたいな感情な気がするのよ」
「自分の気持ちがよく分かってないって奴か? 仕方ないとはいえ勘違いした馬鹿が何人か死ぬな」
「過剰防衛になりそうよねぇ……」
もちろん、彩人ではなくちょっかいを掛けた方の命を心配している。
彩人には常識はあり、自制心もしっかりとあるのだが、ごく稀に物凄く沸点が低い時があるのだ。もし、常識の無い馬鹿どもがやらかしてしまった時に煉たちが彩人を止められるのかどうかは微妙なところだった。決して煉たちが弱い訳ではないのだが、彩人の実力は底知れない。恐らく彩人に匹敵するだろう実力を持つ人物はいるのだが、その人物は運悪く今は学園にいないのだ。
「流石に殺さねーと思うけどな。それにしたって馬鹿の行動は読めねーから嫌なんだよな。防ぎようが無ねーな」
「そうやって真面目に他人のことを考える煉が大好き。あ、煉。それおいしそうだから一口頂戴」
ほれ、と煉は果実入りのシャーベットをスプーンで掬い、紗紀の口元まで持っていく。それを幸せそうに食べる恵梨だが、急に真剣な表情に切り替える。つられて真剣な表情になる煉だが、どことなく嫌な予感がしていた。
「さっき通りがかった女の子に鼻の下伸ばしてたよね?」
「……これ以上なく真剣そうに言うことか?」
「へぇ、否定しないんだ」
「いやまて、早まるな。おれはそんなことしてない……ぞ?」
「断言できない煉も大好き。でも浮気は許さないからね?」
その後の惨劇は意外と肝が据わっている大助が思わず苦笑いで言葉を濁してしまうものだったとかなんとか。