調査五日目 ~実行犯
調査五日目の朝である。
今朝は、睡眠不足の俺の目にまぶしいぐらいの青空だった。
朝八時過ぎ、俺は目覚めのコーヒーを飲みながら、システム手帳のアドレス欄を探っていた。昨日の夜、連絡をもらっていた神鳴瞳のところへ電話するためである。
「お、これだこれだ。」
俺は電話の受話器を手にすると、アドレス欄に書かれた電話番号をプッシュした。
三回ほどコールした後、神鳴と思われる女性の声が聞こえてきた。
「もしもし?神鳴です。」
「もしもし?藪鬼探偵事務所の藪鬼です。昨夜、お電話をいただいていましたよね?」
神鳴にとって早い朝だったのだろうか?高校教師とは思えないほど、彼女の声は小さく弱々しかった。
「あ、すみません・・・。お忙しいのにお電話してしまいまして。実は、加奈さんの調査がどこまで進んでいらっしゃるのか、ちょっと気になっていまして・・・。」
神鳴はいつになくか細い声帯で、調査の進捗について尋ねてきた。担任というのは、これほどまでに教え子を気遣うものなのだろうか?
「担任という立場上、気になっていらっしゃるのはわかります。事細かくはできませんが、多少のことならお話しても構いませんよ。」
調査報告そのものを、依頼人以外の第三者へ漏らすことは、探偵業務として違法に当たる行為である。神鳴もそれを承知でお願いしているのだろう。彼女はわがままなほど無理強いはしてこなかった。
「ありがとうございます。どんな情報でも結構ですから。お電話だと何ですから、わたくし、そちらへお邪魔してもよろしいですか?」
タイミングよく、俺も神鳴に聞きたいことがあった。もう少し彼女と話ができるいい機会と思い、俺は迷うことなく快諾した。
「いいですよ。事務所でお待ちしてますから、もし差し支えなければ、これからでもお越しください。」
「かしこまりました。本日は朝遅めの出勤ですから、これから支度してお伺いいたしますね。」
俺はゆっくりと受話器を置いた。そして、神鳴が事務所にやってくるまでの間、少しばかりソファーベットに体を崩した。
「フ~・・・。」
俺は横になりながら、くわえたタバコに火をつけると、そのまま天井を眺める。
薄暗い事務所の天井を見上げていたら、あまりの心地よさに、俺はいつしかやさしい睡魔に襲われていた。
俺はタバコをもみ消すと、ソファーの上で転寝してしまった。
◇
『ピンポーン・・・』
仮眠からおよそ三十分ぐらいだろうか、俺は呼び鈴のやわらかい音色で目を覚ました。
「おっと、来たか。」
俺は重たい体を起こすと、姿見を見ながら身なりと髪の毛を整える。女性に会う前の、最低限のエチケットというヤツだ。
俺が玄関のドアを静かに開けると、そこには、ビジネススーツを着こなした一人の女性が立っていた。
「おはようございます。」
覇気のないあいさつをする目の前の女性。それは紛れもなく、加奈の学校の担任である神鳴瞳の姿であった。しかし、俺の目に映った美女は、頭の中にあった彼女のイメージとはかけ離れたものだった。
寝不足なのか顔色がとても悪い。目の下のくま、化粧のりの悪さ、やつれた頬、どれを見ても尋常な姿には見えなかった。
「先生、どうしたんですか?何だかお疲れな様子ですよ?」
「あ、お気になさらないでください・・・。個人的な都合で、寝不足な日が続いてまして・・・。」
神鳴はそう述べると、引きつった笑みを俺に向けていた。個人的な都合であれば、俺がどうのこうのと詮索することはできないだろう。
俺は気を取り直して、彼女を事務所の応接室へと招き入れた。
「そちらに掛けてください。」
俺に促されて、応接室のソファーに腰を下ろした神鳴。それを確かめた俺は、事務所の流し台へと向かい、慣れない手つきで粗茶の準備を始めた。
俺は急須にお湯を注ぎ入れて、湯のみ茶碗へ粗茶を淹れてみた。少しばかり味が不安だったので、そっと湯のみ茶碗に口を当ててみる。
「お茶の味なんてよく知らん。まあ、こんなもんだろう。」
俺は応接室へ戻るなり、ソファーに座ってうつむいていた神鳴に粗茶を差し出した。
彼女は小さく会釈すると、俺の淹れた粗茶を口にした。・・・うまいともまずいともいった反応もなく、内心ガッカリしたようなホッとしたような俺だった。
「それで、早速で申し訳ありませんが、加奈さんのことで、何か進展はありましたか?」
神鳴は俺を急かすようにそう尋ねてきた。彼女は顔色がよくない上に目もどこか怯えていて、気持ちに余裕がないようにも見受けられる。
「残念ですが、加奈はまだ保護できていません。しかし、一度だけ接触することはできました。」
「えっ!ほ、本当ですか、それ!?」
俺の答えにかなり衝撃を受けたのか、神鳴は唖然とした表情で問いただしてきた。
「ど、どこで見かけたんですか?彼女は元気でしたか?何か家出したことについて話をしてましたか!?お願いです、教えてください!」
「落ち着いてください!先生の気持ちはわかりますが、もう少し冷静になってください。」
彼女の興奮した感情を鎮めてから、俺は伝えられる範囲で話を続けた。
「彼女とは少しだけ話ができました。しかし、保護する一歩手前のところで部外者に邪魔されてしまって、彼女はそのまま行方知れずに。残念ですが、これといった話は聞けていないんですよ。」
俺の話を聞き終えて、神鳴はガクッと肩を落としてしまった。
「そ、そうですか・・・。」
彼女は前かがみになって、両手で顔を覆い隠していた。
その落胆する姿は、担任としての親心なのか?それとも加奈に対して、何か特別な思い入れでもあるのだろうか?
「神鳴先生。俺もいち早く加奈を見つけて、無事に母親の下へ送り届けたいと思ってます。そこで、俺からも軽く質問させてもらってよろしいですか?」
神鳴はスローモーションのような動作で、隠していた顔を持ち上げた。
「え、ええ。どうぞ。何でも聞いてください。」
俺は神鳴に、加奈と交際していた中谷のことを知っているか尋ねてみた。
「先生は、先日渋谷で殺害された中谷晋一郎という人物を知ってますか?」
「ええ、名前だけですが。わたくしは面識がありませんが、彼はわたくしの学校の生徒だったと聞いています。・・・彼が、加奈さんと何か関係でもあるのでしょうか?」
神鳴は頭を傾げながら、俺にそう問い返してきた。
「この中谷という男はどうも、加奈と交際していたようなんです。」
その事実に、神鳴は寝耳に水といった顔で驚いていた。
「そうなのですか?加奈さんに交際していた男性がいたなんて、わたくし、彼女の担任でありながらまったく知りませんでしたわ。」
「そうですか・・・。」
俺はポケットからタバコとライターを取り出した。そして、箱の中からタバコを一本抜き取って、渇き切った口にくわえ火をつける。
「先生。あなたは教師歴どのぐらいになるんですか?」
「え?」
俺はおもむろに、そんなぶしつけな質問をしてしまった。
「・・・かれこれ、もう三年でしょうか。大学を卒業してからですからね。教壇に立って、もうそれぐらい経ちますね。」
「そういえば、先生は生活指導の担当もしていると、初めてお会いした際に話されてましたよね?いつもは、どんなことをされてるんです?」
俺のそんな素朴な問いかけに、生徒の私生活を注意することが主な仕事だと、神鳴は律儀にも忠実に答えてくれた。
「退学しようとする生徒と向き合い、悩みを聞いたりもしますが、最後まで心を通わせることができず、学校を去ってしまう生徒もいるんです。生活指導担当として、それが一番せつないことでしょうか。」
神鳴は寂しげにうつむきながら、教職を目指すきっかけを語ってくれた。
「・・・わたくし、実は両親とも教員でして。父親は現在、地元の高校の教頭、母親も現役の国語の教師なんです。」
「ほう、そうだったんですか。」
「そんな家庭環境だったからでしょうか、わたくしは教師になることが当然のように育ったんです。両親からそうしつけられた理由もありますけど。半ば強制ではありましたが、わたくしはわたくしで、教師になることはまんざらでもなかったんです。」
神鳴の途切れなく続く話に、俺はうなずきながら耳を傾けていた。
「わたくしが学生だった頃、勉学に挫折しかけた時、担任の先生にとても親切な指導をしてもらったんです。そのとき、わたくしはどうも、その先生に憧れを抱いてしまったようで。」
このときばかりは、穏やかな表情で話をしていた神鳴。しかし、次の話を始めると、彼女はどこかやるせない表情へと変わっていた。
「わたくしは念願の教師になったわけですが、果たして、生徒達に尊敬されているのでしょうか?口やかましいとか、厳しいとか、邪魔くさいとか、そんな噂を耳にすると、ついつい自分は教育者失格ではないかと思い詰めてしまいまして・・・。」
そんな神鳴の戸惑いに、俺はタバコを灰皿に押し付けながら首を横に振った。
「大丈夫ですよ。先生ほどしっかりしていれば、生徒達もきっと尊敬してるんじゃないですかね?それに口やかましくて厳しい先生っていうのは、生徒達にとって今は辛くても、後々そのありがたみを知ることになると思いますよ。」
「そうだといいんですけれど。でも、わたくしはどうも被害妄想が強いようでして・・・。いい性格ではありませんね。」
あまり卑屈になられても困るので、俺は精一杯の励ましの言葉を口にする。
「先生のような性格の人はいくらでもいますよ。誰もがそういう弱い一面を持っていますからね。そういう時はあまり気に病まず、どこかへ出かけて気分でも変えたらいかがです?」
「・・・はい。ですからわたくし、お休みの日は横浜の山下埠頭へよく出かけるんです。」
山下埠頭や山下公園から青い海を望むと、悩みやしがらみといったものから開放されて、とても気持ちが和らぐのだと、神鳴は口元をわずかに緩めてそう教えてくれた。
神鳴の表情に、少しばかり温もりが戻ってきたようだ。彼女から笑みがこぼれたのは、今日はこれが初めてかも知れない。
「とにかく、俺も全力を上げて調査に当たりますから、先生はお辛いでしょうが、もうしばらく辛抱してください。」
俺は顔を引き締めて誠意ある決意を示した。そんな俺の熱意を感じたのか、神鳴は穏やかな表情で小さくうなずいた。
「いろいろとありがとうございました。もし何かありましたら、いつでもお電話ください。」
神鳴はそう言いながら、感謝の気持ちそのままに、俺に対して深々とお辞儀をした。
「それでは失礼いたします。朝早くから申し訳ありませんでした。」
ソファーから立ち上がろうとした神鳴だったが、寝不足からくるめまいのせいか、彼女はよろめきながらテーブルの側に倒れこんでしまった。
「せ、先生!大丈夫ですか?」
神鳴は慌てながら、倒れたときに投げ出してしまったハンドバッグを拾い上げる。バッグが開きっぱなしだったようで、しまってあった中身が床に散乱していた。
「え、ええ。大丈夫です。ただの立ちくらみですから・・・。」
彼女は恥らうような表情で、放り出された化粧品や財布を拾っている。俺も哀れむ思いに駆られて、彼女と一緒になって拾っていた。
「ん?」
俺はつい、落ちていた化粧品に目を留めてしまった。
「MAXブランドか。」
「あ・・・。」
神鳴は照れくさそうな顔で、俺が拾った化粧品を受け取る。
「すみません・・・。わたくし、肌が弱いので化粧水には気を遣っていまして。他の化粧水だと肌に合わないんです。ですから、このブランドの化粧水を好んで使っていますの。」
「そうでしたか。」
神鳴はハンドバッグに中身を詰め込むと、そそくさと応接室を出て行く。
俺と神鳴が応接室から出ると、事務所では鏡子くんがすでに勤務についていた。彼女はお客様のお帰りに気付くなり、玄関まで急ぎ足で駆けつけていた。
神鳴は玄関のドアの前で深々と頭を下げる。それに応えるように、俺と鏡子くんも彼女に向けて頭を大きく下げた。
「どうもお邪魔いたしました。失礼いたします。」
「どういたしまして。気をつけてお帰りください。」
神鳴が事務所を後にすると、鏡子くんは出番とばかりに応接室へ向かい、湯のみ茶碗や灰皿の掃除を始めようとした。
「すまないね、いつもいつも。」
俺はねぎらいの声を掛けながら、鏡子くんと一緒になって片付けを手伝う。彼女はこれも仕事ですからと口にして、テーブルの上をきれいに拭き取っていた。
「今の方が、加奈さんの担任の神鳴さんですね?何か新しい情報でも手に入りましたか?」
「ああ。ちょっと予想外な方向に進みそうになってきたよ。」
俺の意味深なセリフに、鏡子くんの手が止まってしまった。
「予想外?それはいったい?」
「ここでは何だから、とりあえず事務所へ戻ろう。」
俺と鏡子くんは片付け終えると、静けさに包まれた事務所まで戻ってきた。
俺はソファーへと腰掛け、一本のタバコを口にくわえる。そして鏡子くんは、芳しい香りのコーヒーを俺に淹れてから、自らも椅子へと腰を下ろした。
「先生、わたくしから一つだけお話してもよろしいですか?」
「ああ、いいよ。」
鏡子くんは険しい顔をしつつ、パソコンからプリントアウトした資料を俺に手渡した。
「これは、加奈さんの母親とエドワールド社長とのメールのやり取りの文面です。見ておわかりの通り、文面にはリストという文字がいくつも載っています。この二人を結びつけるキーワードになりそうですね。」
俺は手渡された資料をじっくりと眺めていた。
「そのようだな。このやり取りを見てみると、どうもそのリストをなくしてしまったようだね。これが加奈の家出と何か関係するのだろうか?」
「その辺りがつながるとわかりやすくなりますね。もう少し調べてみましょうか?」
俺は首を軽く横に振って、待ったと言わんばかりに手を突き出した。
「いや、鏡子くんには大至急調べてほしいことがあるんだ。さっきここへやってきた神鳴瞳のこと、どんな情報でもいいから調べてくれないか?」
「はい。それが先ほどお話した予想外な方向・・・というわけですね?」
パソコンと向き合う鏡子くんに、俺はここまでの情報をまとめた結果を話し始める。いよいよ探偵らしく推理するわけだ。
「ここまできてわかったこと・・・。まず加奈の家出についてだが、これは家庭内のトラブルだと思っていたが、どうやら母親の宝石を持ち出してしまったことが原因らしい。」
この情報は、加奈と接触したときに彼女自身から聞いた話だ。
「そして突如浮上した、加奈の母親とエドワールド社長とのメールのやり取り。お互いが怪しい関係であることは間違いなさそうだ。」
この情報は、鏡子くんがインターネットを駆使して調べてくれたものだ。
「もう一つは神鳴瞳の存在。彼女がこの騒動に関与している可能性がある。そのきっかけは、彼女が愛用している化粧水だ。これこそ、加奈の母親とのつながりを証明しているかも知れない。」
鏡子くんは俺の推理にうなずきながら、一生懸命にパソコンのキーボードを叩いている。俺はその側で、彼女の華麗な手さばきを眺めていた。
『ピロロロ・・・、ピロロロ・・・』
俺の携帯電話がうるさく鳴り出した。
俺はとっさに、ポケットから携帯電話を取り出した。液晶画面を見てみると、どうやら助智からの連絡のようだ。
「もしもし?助智か?」
「おお、藪ちゃんおはよう。今ちょっといいかい?」
この声の様子からして、助智のところにおいしい情報が届いたようだ。ヤツの声がいつもより軽やかなのが何よりの証拠だ。
「わかった。これからそっちへ行くよ。少し待っていてくれ。」
俺はそう告げると、携帯電話の通話を切った。
「鏡子くん、すまないが、引き続き神鳴の調査を頼むよ。俺は助智のところへ行ってくる。何かわかったら携帯へ電話してくれ。」
「かしこまりました。いってらっしゃい。」
俺は颯爽と上着を羽織ると、朝日の昇りきった街中へと飛び出していった。
* ◇ *
事務所を離れてから一時間あまりが経過した。
俺は最新情報を手に入れるため、高笠寺という名の看板を掲げる寺の正門を潜っていた。
「おお、藪ちゃん!待ってたよ。」
目的の人物である助智は、毎日の日課である寺の庭掃除をしていた。つくづく竹ぼうきの似合う男である。
助智に連れられた俺は、寺の奥にある隠された地下室へと向かう。
そうである。これからヤツの口から語られる話題は、俺以外の誰にも聞かれてはいけない極秘情報なのだ。そのため、声が外部に漏れない地下室のような隔離エリアへと移動する必要がある。
「しかし、相変わらずカビくさいな、ここは。」
「はは。さすがにここまでは俺の掃除が行き届いてなくてね。」
湿っぽさがまとわりつく暗闇の中、懐中電灯一つの灯りに導かれて、俺達は奥に眠る密談室へと辿り着いた。
密談室へ入ってドアを閉めた途端、張り詰めたような静けさが俺達の辺りを包み込んでいく。
これほど居心地の悪い空間はないだろう。この俺も、この息苦しさに慣れるまでかなり苦労したことを覚えている。
助智が部屋の明かりを照らす。すると、縦長のテーブル一つと二つの椅子がポツンと置いてある、そんな殺風景な空間が浮かび上がった。
「よし、早速聞こうか。」
俺は椅子に座って緊張な面持ちで身構える。助智も神経を研ぎ澄まし、俺の向かい側の椅子に腰を下ろした。
「藪ちゃんが追ってる対象者の母親、太陽物産の社長だけど、株式会社エドワールドの社長と密接な関わりが発覚したんだ。どうやらこの二人、かつての恋人同士だったらしいよ。今でも密通してることは否定できないね。」
「なるほどな。それは予想できたことだ。」
俺が納得したようにうなずくと、助智は俺の方へグッと身を乗り出してきた。
「いや実はね、これが発端になっているかは定かじゃないけど、太陽物産の先代の社長、対象者の母親のダンナだけど、警察では事故死で処理されているんだけどさ・・・。」
「・・・他殺の可能性がある、か?」
俺の一言に、助智は拍子抜けしたような顔をする。
「なーんだ、もう知ってたのかぁ。すでに調査済みだったのかい?」
この情報は、対象者の加奈からの証言である。俺はその事実を助智にそのまま伝えた。
「なるほどね、一度だけ遭ったのか。」
「ああ。途中で警官に邪魔されてしまったがな。その後、警察署で絞られて散々だったよ。」
助智はクスクス笑いながら、話の本筋をもとに戻す。
「父親の事故死のことだけど、俺の聞いた話では、警察も念のために他殺で調べたらしいんだ。ところがそのとき、母親のアリバイを証言したのが、エドワールド社長だったそうだよ。」
「それに嘘はないだろう。実行犯は別の人間の可能性があるからな。それは加奈の証言からして間違いない。ただ、それを立証できるほどの証拠がまだ見つからないんだ。」
俺はそう推理しながら、情報が足りない悔しさに唇を噛んでいた。
「あと藪ちゃん、重要な話がもう一つあるんだ。太陽物産とエドワールドの取引についてだけど、ようやく扱ってるブツの正体が判明したよ。」
太陽物産とエドワールドが取引しているブツの正体とは?
これは、商品売買が行われていないにも関わらず、両社で大量の金が流れている取引の根拠のことだ。無論、これが怪しいブツなのはおおよその予想はついていたが。
「やっぱりヤクか何かか?」
助智は小さく首を横に振った。
「ヤクだとやっぱり足が付きやすいんだろうね。扱ってるのは宝石、つまり宝石の密輸ってわけさ。」
このとき、加奈が捨てるように散りばめた宝石の輝きが、俺の脳裏をかすかに過ぎった。彼女が家出したときに盗み出したあの宝石は、密輸した宝石だった可能性が高いだろう。
助智はさらに話を続けて、俺が調べ上げることのできない事実まで口にした。
「名目上は海外タバコの輸入なんだけど、それと一緒に裏取引しているようだね。しかもその宝石の一部がさ、政界にも流出しているって噂なんだ。これが世間に露呈されたら大スキャンダルになりかねないね。」
「それはまたとんでもない話だな。・・・まあ、俺は調査を無事にやり遂げるだけだ。それがきっかけで情報が漏れたとしても、後始末は警察がやることだ。俺には関係ないことだよ。」
天と地をひっくり返さんばかりの疑惑であっても、俺は冷静沈着に調査を続けることに何ら変わりはない。
助智からの情報をすべて聞き終えた俺は、息詰まる圧迫感に包まれた地下室からようやく開放された。
時間にしておおよそ三十分。俺は待ちに待っていた、まぶしい太陽の下へと帰ってくることができた。
俺はすかさず、胸ポケットから愛用のタバコを取り出し、寂しがる口にゆっくりと差し込んだ。
「藪ちゃん、もう行くの?少し遊んでいかないか?」
助智が指で合図しながら俺を誘っている。当然、狙いは麻雀であろう。だが、俺は今そんな気分ではなかった。
「今日は遠慮しておくよ。いよいよ調査も大詰めだからな。調査が終わったら、のんびり遊びに来るさ。」
「OK。がんばんなよ。期待して待ってるからね。」
俺は助智に見送られながら、厳格な雰囲気を漂わせる高笠寺を後にした。
「さてと・・・。」
俺はポケットから携帯電話を取り出し、液晶画面を確認してみる。すると着信があったのか、留守番電話のマークが点灯していた。
「鏡子くんからだな。」
留守番メッセージには、いつもの冷静な口調の鏡子くんの伝言が記録されていた。
俺はすぐさま事務所へ電話を折り返す。神鳴瞳のことで、何か重要な手がかりでも見つかったのであろうか?
「あ、鏡子くんか?俺だ、何かあったのかい?」
「ええ、神鳴さんのことで、少し気になることを見つけまして。もしよろしければ、一度事務所へお戻りいただけませんか?」
俺は鏡子くんに従い、事務所までとんぼ返りすることにした。 この調査もいよいよ佳境だ。俺は心の中でそう確信していた。
* ◇ *
高笠寺を離れてから、JRそして地下鉄へと乗り換えて、俺は事務所まで舞い戻ってきた。
事務所に入っていくと、待ち構えていた鏡子くんが真剣な眼差しを俺にぶつけてきた。
「先生、おかえりなさい。お待ちしてました。」
鏡子くんはそう一礼してから、指し示すようにパソコンのディスプレイを俺の方に傾ける。
「これを見てください。」
俺は言われるがまま、パソコンの表示画面へ目を向ける。
それはある個人のホームページで、ボウリング大会の成績を掲載している写真データのようだ。
「ん?これがどうかしたのか?」
俺が呆気にとられた顔で問い返すと、鏡子くんは表示画面の一部分を指差した。何とそこには、“神鳴瞳”という文字が漢字で正しく表示されていた。
「おいおい、驚くべき事実だぞ、これは。」
俺は画面を見つめながら、唖然とするあまり言葉を失いかけていた。
「鏡子くん、見てくれ。彼女、ボウリングのアベレージが一四0だってさ。俺よりうまいじゃないか。」
思わずズッコケてしまった鏡子くんは、俺に向かって苛立ちの声を張り上げた。
「そうじゃありません!成績などどうでもいいんです。見ていただきたいのは彼女の名前の横にある文字ですよ!」
「彼女の横にある文字・・・?」
俺はもう一度、画面を食い入るように見据えてみた。
“神鳴瞳”の隣にあった文字、それは彼女の勤務先を示している文字であった。
「エドワールド!?おい、これはまさかあの?」
鏡子くんは鋭い目つきで俺を見返した。
「そうです。彼女はかつて、エドワールドに勤務していたようなんです。このボウリング大会の開催日付を見ると、今から五年前です。きっと、現在の教職に就く前に勤務していたのでしょう。」
神鳴の今朝の話では、彼女は大学を卒業してから教職についたと言っていた。ということは、エドワールドはアルバイト勤務か何かだろう。
それにしても、あの神鳴瞳とエドワールドがつながっていたとは思いも寄らない事実だった。やはり、鏡子くんに調べてもらって大正解だったようだ。
「よく見つけたね、鏡子くん。これは大収穫だよ。」
「はい。何せ、二時間以上もパソコンに向かいっぱなしで格闘してましたから。」
そのときの鏡子くんの笑顔は、成し遂げた達成感に満ち溢れていた。これを見つけるまでの彼女の苦労ぶりが伺える。
「よし、エドワールドと神鳴が関係していたことはわかった。だが、まだ加奈の母親とつながっていることまでは断定できない。もう少し情報が欲しいな。」
「はい。他にもいろいろ検索してみましたが、残念ながらこれ以上の情報は見つかりませんでした。もう少しやってみますね。」
鏡子くんは第二ラウンドとばかりに、パソコンのディスプレイと向き合ってしまった。そんな彼女の肩の上に、俺はやさしく手を宛がった。
「いや鏡子くん。無理しないで一息つきなよ。コーヒーでも飲みながらさ。」
「あ・・・。はい。」
鏡子くんは照れ笑いを浮かべながら、コーヒーブレイクの準備を始めた。
買い置きしていたブルーマウンテンの豆を挽くところから始める鏡子くん。彼女の作るコーヒーはプロ顔負けで、喫茶店にも負けないぐらいいい香りを引き立てるのだ。
そのコーヒーの優雅な香りに、俺の鼻は引き寄せられるほどにくすぐられていた。
「先生、お待たせしました。挽きたてですよ。」
鏡子くんは、俺の机にそっとコーヒーカップを置いてくれた。
コーヒーカップにたたずむブルーマウンテンは、いつもよりも芳しい色で俺を出迎えてくれた。
「これはうまい。さすがは鏡子くんの淹れたコーヒーだ。」
「フフ、何をおっしゃっているんですか。コーヒーそのものがおいしいんですよ。」
俺と鏡子くんはコーヒーカップを口にしながら、この優雅で落ち着いた雰囲気を楽しんでいた。探偵業にとっては、こういった気分転換も必要不可欠なのである。
『リリリリーン・・・、リリリリーン・・・』
和やかさを壊すように、事務所宛てに一本の電話が届けられた。
鏡子くんはコーヒーカップを机の上に置くと、慌てるように受話器を手にする。
「はい、藪鬼探偵事務所です。・・・はい、藪鬼ならおりますが?申し訳ありませんが、お名前を頂戴できますか?」
電話の主から名前を聞いた途端、鏡子くんは驚愕の表情で俺の方へ振り向いた。
「先生!か、加奈さんからです!」
「な、何だと!?」
さすがの俺もビックリ仰天だ。まさか、対象者である加奈本人から電話が掛かってくるなんて予想もできないことだった。
俺はすぐさま、鏡子くんから受話器を受け取った。
「もしもし?加奈か?」
受話器の先から、女の子らしいか細い声が耳に飛び込んできた。
「た、探偵さん?」
この声は間違いなく加奈の声だ。俺は平静を装いつつ、彼女からの話に耳を傾けることにした。
「ああ、探偵の薮鬼だ。どうしてここの電話番号がわかったんだ?」
「調べたの。この前遭ったとき、探偵さん名前を名乗ったでしょ?“ヤブキ”と“タンテイ”の二つで電話帳を調べたの。」
「そうか、俺の名前を覚えていてくれたのか。」
加奈が取ってくれたこの行動に、俺は正直なところホッとしていた。
電話帳を調べてまで、俺のところに電話してきたということは、それだけ彼女が俺を頼っている証拠とも言える。これなら彼女といろいろと話がしやすいだろう。
「ところで加奈。わざわざ電話してきたってことは、俺に何か話たいことがあるのか?今どこにいるんだ?」
俺の質問に、加奈は少しだけ間隔を空けてから答える。
「・・・うん、実はね、お願いがあるの。できたら、これから遭えないかな?」
断る理由などどこにもない俺は、無論OKサインで即答した。
彼女は現在、身柄を警察から追われている立場だ。もし警察に保護されてしまったら、俺の苦労が報われないばかりか、この騒動の真相すら掴めなくなってしまう。
「よし、わかった。いいか、絶対にそこから動くんじゃないぞ。すぐそこまで行くからな。」
俺はそう念を押すと、叩きつけるように受話器を置いた。
「鏡子くん!俺はこれから加奈に遭ってくる。今は新宿にいるらしい。留守番頼むよ。」
「あ、はい!いってらっしゃい。」
俺は上着を手に持ったまま、新宿に向かって事務所を飛び出していく。
髪の毛をセットすることも忘れて、そして靴のかかとも潰しながら、俺は加奈のもとへと駆け出したのだった。
* ◇ *
副都心新宿。そこはまさに、高層ビルのジャングルに覆われた夢追い人達の桃源郷である。
ここに暮らす人々は、夢と現実の狭間を彷徨い続け、来るともわからない明日に希望を見出そうとしている。
俺は新宿を訪れるたびに、そんな儚さを感じずにはいられなかった。
地下鉄を乗り継ぎ、俺は新宿駅へとやってきた。
事務所へ電話してきた加奈は、駅を出てから徒歩数分のところにある、地上四十階地下三階のビジネスビルの展望室にいる。
高層ビル群を見上げながら、がむしゃらに歩き続けること数分、俺はその目的のビルの入口まで到着した。
日曜祝日ではなかったせいか、ビル内はキリッとした格好のサラリーマンやOLで溢れかえっていた。
俺はエレベーターに乗り込み、三十九階にある展望室へと向かう。
同乗した会社員があらゆるフロアで降りていく中、俺一人だけが三十九階のゲートへと辿り着いた。
地上三十九階にある展望室では、ガラス張りに包まれた四方から、この副都心を一望に見渡すことができる。室内の片隅には小さなカフェもあって、このビルに通う会社員の憩いのオアシスとなっていた。
俺はキョロキョロと辺りを見渡してみる。加奈はいったいどこにいるのだろうか?
「・・・!」
俺の視界に飛び込んだ、ガラス張りの展望エリアにたたずむ一人の女の子。
後ろ姿ではあるが、茶色がかった髪の毛を伸ばし、白地のセーターにフリルであしらったスカート、その姿は紛れもなく、俺をここまで呼び寄せた大林加奈本人である。
俺はゆっくりとした足取りで、彼女のもとへと歩み寄った。
背後に何かを感じ取った彼女は、俺の方へ勢いよく振り向いた。
「あ、探偵さん。来てくれたのね。」
「当たり前だろ。これが俺の仕事なんだからな。」
靴や衣類に多少汚れはあっても、さすがは年頃の女の子だけに、加奈の顔は愛らしくとてもきれいだった。
長い話になるかも知れない、立ち話もなんだからと、俺達は室内にあるカフェへと場所を移動した。
テーブル席に着いた俺達は、それぞれアメリカンコーヒーとレモンティーを注文する。
独りぼっちから解放された安堵からか、加奈は満面の笑顔で話し掛けてきた。
「探偵さん、あのね。あたし、そろそろお金がなくなってきちゃって、隠れるのきつくなってきたの。だから、今度こそ探偵さんに保護してもらおうかなって思っちゃったわけ。」
加奈の明るい声を聞いている限り、心理的には落ち着いているようにも見える。しかし、無理やり笑顔を作っているように見えなくもなかった。
「そうか。俺は構わないさ、君がよければね。」
「ホント?よかった。」
そんな会話をしているうちに、ウエイトレスが注文の品を届けてくれた。
加奈はのどが渇いていたのか、レモンティーをあっという間に飲み干してしまった。
「あ~、おいしかったぁ。なんたって、朝から水しか飲んでなかったからね。」
彼女のこのうれしそうな表情は、のどが潤ったことだけではなく、誰かと一緒にいるという安心感から来ているのではないか。
少なくとも、彼女が家出してから一週間は経過している。いくら死んだ恋人とひと時を過ごしていたとはいえ、たった一人で隠れていた時間はあまりにも長かったはずだ。
彼女はそれまでの間、寂しさや悲しさといった孤独感と一緒に逃げ惑っていたわけだ。
今の話し相手が俺でなかったとしても、彼女はきっと、その相手にこんな穏やかな表情を見せていたに違いない。
俺は加奈のことを気遣い、母親のことや中谷の事件についてはいっさい口に出さなかった。無論、彼女から話が出てしまったら、その時はその時だと考えていた。
そんな思惑とは裏腹に、彼女の口から飛び出す話題は、隠れていたときの苦労話が中心だった。もしかすると彼女も、意図的にその辺りには触れないようにしていたのかも知れない。
「ふ~・・・。」
加奈は話し疲れたのか、口を閉じてぼんやりと展望エリアに目を移した。
「学校の友達、みんな心配してるかなぁ・・・。」
「もちろんさ。君を捜している間、俺は君の友達数人と話をしたけど、みんないい友達ばかりだな。早く学校に戻って、お礼の一つでも言わないといけないぞ。」
加奈は少し照れくさそうにコクンとうなずいた。
「加奈のことを一番心配していたのは、何を隠そう、君の担任の神鳴先生だったぞ。」
「神鳴って、あのインカンのこと?」
「インカンって、おいおい、判子のことじゃないぞ。先生だ、先生。」
加奈は口に手を宛がい、いきなり大笑いしてしまった。
「はははは!そうじゃないよ。神鳴先生のあだ名だよ。インテリカンナリ。略して“インカン”!」
何ということだろうか。最近の学生は、意味不明で紛らわしいあだ名をつけるものだ。
俺はつい加奈につられて苦笑した瞬間、記憶の中にあったキーワードが脳裏を過ぎった。
「ちょっと待て!インカンだと?」
俺は慌ててシステム手帳を取り出し、ペラペラとページをめくっていく。そして俺は、メモしていたそのキーワードに辿り着いた。
「間違いない。やはり、そういうことだったのか。」
「な、なに?どうかしたの、探偵さん?」
俺はシステム手帳を閉じると、不安げな表情をしている加奈にすぐさま問いかける。
「加奈、悪いが一つだけ教えてくれ。このインカンというあだ名だが、中谷晋一郎はこれを知っていたのか?」
俺のいきなりの質問に、彼女は戸惑いながらも事実を打ち明けてくれた。
「うん。知ってるっていうか、それしか知らないはずだよ。」
加奈が言うには、中谷は神鳴から生活指導を数回受けたことがあったが、彼はどうも人の名前を覚えるのが苦手らしく、それならばインカンというあだ名で覚えたらと勧めたそうだ。
「だからね、晋ちゃんは先生のこと、インカンってずっと呼んでたから、神鳴って名前覚えてなかったと思う。」
「そうか、これではっきりしたな・・・。」
これまで以上に表情を険しくした俺は、困惑した顔でまごついている加奈に真剣な眼差しを向ける。
「加奈、これから君を俺の事務所で保護する。構わないな?」
「う、うん。」
俺は上着のポケットから携帯電話を取り出し、事務所にいる鏡子くんに電話を掛けた。
「あ、鏡子くんか?俺だ藪鬼だ。申し訳ないが、大至急ここまで来てくれないか?場所は新宿の・・・ビルの三十九階の展望カフェだ。いきなりですまない。」
加奈は戸惑いの顔色をして、電話を切った俺のことを見つめている。
「・・・何があったの?あたし、何かおかしなこと言ったかな?今電話してた人って誰?」
加奈をこれ以上不安にさせるわけにはいかない。俺は話せる範囲で彼女に事情を説明した。
「心配するな。電話の相手は俺の助手の女性だよ。これから君を迎えにくるから、君は彼女と一緒に俺の事務所へ行ってくれ。」
「探偵さんはどうするの?」
俺は格好つけるように、誇らしげな自分の顔に向けて親指を突き立てた。
「俺は探偵だぞ?もちろん調査だ。」
そんな俺に疑念を持ったのか、加奈は冷静な面持ちで問い返してきた。
「でもさ、探偵さんって、あたしを見つけて連れ戻すのがお仕事なんでしょ?それなのに、まだ調査って、どうして?」
何とも鋭いご指摘である。しかし、加奈の母親のことや神鳴のことはあまり触れたくない俺は、この場をうまくごまかすことにした。
「おいおい、何を言ってるんだ。こう見えても、俺は一流の売れっ子探偵だぞ。君の依頼の他にも仕事をたくさん抱えているのさ。」
加奈はプッと吹き出し、声を出さずにせせら笑っている。どうやら俺はバカにされてしまったようだ。
「ごめん、ごめん。悪い意味で笑ったんじゃないんだ。言い訳が白々しくてね。」
「言い訳って、加奈・・・。」
「わかってるよ。探偵さん、晋ちゃんの事件のことも調べてるんでしょ?それにお父さんの事故のことも・・・。違うかな?」
俺は言葉を失い絶句していた。そんな俺のことを、彼女は真剣な眼差しで見つめていた。
「・・・話しにくいことあるの、知ってる。でもさ、あたしはすべてが知りたい。ねぇ、探偵さん、知ってる事実、あたしに教えてくれないかな?」
その時の加奈の表情には、高校生とは思えないほど悲壮な覚悟が見え隠れしていた。この調査の行き着く先は、否が応でも、彼女にとって辛い結末となるだろう。
俺は溜息一つこぼし、彼女にすべての真相を語ることにした。
「君の家出から始まったこの事件は、君の身近な人物が複雑に関係している。君の母親が君を執拗に追う理由、中谷が殺された理由、そして君の父親の事故死も、すべてがここに来て一本につながるかも知れないんだ。」
加奈は顔色を変えることなく、俺の話を真剣に聞き入っていた。
「この事件の首謀者は、加奈、君の母親であることは間違いない。だが、中谷殺害や君の父親の事故死偽装の実行犯は別にいる。母親の電話を盗み聞きした君なら、そのことに気付いているだろう。」
加奈のさっきの証言により、ついにその実行犯の目星がついたことを、俺は深呼吸一つしてから告白した。
唖然とした表情をする加奈。彼女の脳裏に、口にはしたくなかった人物の名前がよぎったのだろう。
「まさか、神鳴先生が・・・?」
俺は苦渋の表情で小さくうなずいた。
「どうも彼女は、君の母親からの指示で行動していたようだ。まだ確証を取れていない。すべては憶測だよ。」
さすがに加奈はショックを受けていたようだ。彼女にとって、神鳴瞳という人物は、どれほどの大きな存在だったのだろうか。
加奈はうつむきながら、神鳴にまつわる思い出話を話し始めた。
「昔、あたし成績悪くてすっごくへこんでた時にね、神鳴先生、あたしを元気付けてくれたんだ。・・・インカンってさ、見た目美人だけどキツめに見えてさ、お堅いイメージがあるんだけど、生徒一人一人に真剣でね、何だか暖かさがあるんだよね。」
どの生徒達も、どうのこうのと文句は言えど、誰一人として神鳴のことを嫌ってはいないだろうと、加奈は振り返りながらそう話していた。
「もちろん、このあたしだって、みんなと同じでインカンのこと好きだよ。」
加奈のこの気持ちは、俺の心にも浸透するぐらい重みのあるものだった。
一人の教師へ向けられたこの暖かい言葉を、何としても神鳴に届けなければならない。俺はそう誓わずにはいられなかった。
「俺はこれから神鳴に遭いに行くつもりだ。俺は警察じゃないから、彼女を捕まえたりするわけじゃない。この事件の全貌を解き明かすためだ。」
「わかった。あたし、探偵さんのこと応援する。先生に遭いに行くんだったら、先生のお家の地図書いてあげるね。ペンだけ貸して。」
加奈はポケットへ手を入れて、メモ紙か何かを探しているようだ。
「メモなら、俺の手帳に書いてくれても構わないよ。」
俺はシステム手帳を彼女に手渡そうとした。
「あ、あった!」
彼女はスカートのポケットから、しわしわになった紙切れを取り出し、俺から預かったボールペンで、地図らしき絵をスラスラと書き始めた。
「はい、どうぞ。」
俺はそのしわしわの地図を受け取る。地図はきれいとは言えないが、ここから目的地までがわかるよう丁寧に記されていた。
「この紙、随分しわくちゃだな。どうしてこんなになるまでとっておいたんだ?」
「この紙切れね、あたしが家出するとき、お母さんの宝石と一緒に盗んできちゃったんだ。大切なものかと思ったんだけど、人の名前がいっぱい書いてあるだけで、よくわかんなくてさぁ。」
彼女の言葉を耳にした瞬間、俺の頭の奥底から一つの手がかりが蘇ってきた。
「・・・リストか!」
地図の書かれた紙切れを広げると、俺はすぐさまそれを裏返してみた。折り目やしわで擦れてはいたが、紙の上にはしっかりと人物の名前が明記されている。
間違いない。これは母親が経営する太陽物産の得意先リストだ。しかも、この得意先は表向きの顧客ではなく、裏側、つまり密輸宝石の顧客であろう。
それを物語るように、リストの中には、助智が話していた人物の名前も含まれていた。
「これですべてがつながった。加奈、この紙切れを残してくれたことに感謝するよ。」
「う、うん・・・。役立ったみたいでよかった。」
加奈はちょっぴり、不思議そうな顔で俺を見つめていた。
◇
それから十数分ほど経ち、俺達は鏡子くんと合流することができた。
俺がここまでの経緯を説明すると、彼女は快く了解してくれた。
初対面にも関わらず、加奈は鏡子くん相手に元気にあいさつしていた。その物怖じしない性格が、ある意味鏡子くんに共感を持ってもらえたようだ。
「それじゃあ、行ってくるよ。」
「いってらっしゃい。」
鏡子くんと加奈の二人に見送られながら、俺はひとまず、神鳴瞳がいるであろう学校へと向かうことにした。この事件の決着まであともう少しだ・・・。