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調査二日目 ~友人の想い

 調査開始ニ日目、土曜日の朝を迎えた。

 いつもより早めに目が覚めた俺は、鏡子くんが作ってくれたほろ苦いコーヒーを飲みながら、今日の行動スケジュールを一通り書き留める。

「さて、そろそろ出かけるか。」

「いってらっしゃい。今日はさらに、いい情報が入手できるといいですね。」

 鏡子くんはさわやかな声で俺を励ましてくれた。

 調査初日は進展はあったものの、これだというほどの収穫は得られなかった。彼女は彼女なりに、その辺りのことを気遣ってくれているのだろう。

「まったくだ。」

 俺は苦笑いでうなずくと、スケジュールを綴ったメモを鏡子くんへ手渡した。そして、よれよれの上着を羽織り、俺は事務所の玄関から出かけていく。

 今日はとてもいい天気だ。雲一つない晴天とは言えないが、澄んだスカイブルーが俺の曇った気分を癒してくれる、そんな春の青空だった。

「・・・。」

 今ごろ、加奈はどこにいるのだろうか?どこかで俺と同じように、この澄んだ青空を眺めているのだろうか?

 俺は天を仰ぎながら、何となくそんな不毛なことを思い浮かべていた。

「今はとにかく、加奈の足取りを追うしかないな。」

 俺は両手で軽く頬を叩きつつ、今日の調査をスタートさせる。

 今日のオレがまず向かう先は、お馴染みのヤツのところだ。ヤツの正体が誰かって?

 ヤツっていうのは、俺の昔からの親友・・・というよりは、悪友に近いかも知れない。とはいえ、なかなか信頼のおけるいいヤツだ。

 俺は今回の調査においても、やはりヤツの情報網を頼ってしまう。それだけ、ヤツが頼りになるという証拠でもあるのだ。

 事務所から離れること一時間ほど。俺はヤツの暮らす寺社まで辿り着いた。

 高笠寺。ヤツはこの寺の住職を務めている。

 いくつもの杉の木の陰となっている本殿に、慎ましく立ち並ぶ墓石。そのどれもが、落ち着いた佇まいのままにじっとここに居据わっている。

 そんな静かな寺の敷地に足を踏み入れて、俺は歩き慣れた境内を突き進んでいく。

 この境内は、毎日きれいに掃除されているせいか、いつもゴミ一つすら落ちていない。おまけにいたずらに騒ぐ子供達の姿もなく、寺全体が異様なほど清閑としている。

 ここを訪れるたびに、人気のないだだっ広い空間に独りぼっちにされた気分になり、孤独という重圧に押し潰されそうになってしまう。

「よう、藪ちゃんじゃないかぁ。」

 俺の背後から聞き覚えのある声がこだました。その大きな声は、周囲を包んでいた静けさを消し去るほどに響いていた。

 俺はおもむろにその声のした方向に振り向く。

「おう。久しぶりだな、助智。元気だったか?」

 そこにはヤツ、いや俺の悪友である佐倉助智がいた。

 丸坊主頭で袈裟を羽織っているその姿は、まさに寺の住職の風貌そのものだ。

 ところがこの男、趣味がボディービルというおかしなヤツで、その袈裟の下には、鍛えぬかれた肉体美が隠されている。

「ああ、おかげさまでね。」

 俺達は久しぶりの再会だっただけに、他愛もない昔話でしばしの間盛り上がっていた。

「ここに来たってことは、何か調査してるんだろ?今回はどんな内容なんだい?」

 さすがに助智には気付かれていたようだ。とは言うものの、調査がないときに、俺がここへ来ること自体あまりないのだが。

「いや、実はな。」

 俺は助智に、今回の家出人捜索についてかいつまんで説明した。

「へー、失踪かぁ。それで、今のところ手がかりはどうなの?」

 俺がはるばるここまで足を運んでいるのは、その手がかりが薄いからだと助智もわかっていると思うが、俺の現状を把握するために、あえて尋ねているのだろう。

「これだっていう情報はまだない。対象者と接触していた人間を洗っているんだが、今のところ大きな手がかりはないな。」

 ここ最近、高校生の女の子がフラフラしていたとか、誰かに唆されたとか、そういった噂などが耳に入ってないか聞いてみると、助智は苦笑しながら手を横に振っていた。

「いやぁ、そんな話は聞いてないな。一七歳ぐらいの少女だからね。もしそんなことあったら、あっという間に俺の耳まで飛び込んでくるよ。」

「まあ、そうだろうな。」

 俺は参考までに、助智に加奈の写真を見せてみた。期待はかなり薄いだろうが、もしかすると見覚えがあるかも知れない。

 助智は写真を受け取るなり、怖い顔で食い入るように彼女の笑顔を見つめている。

「ほう、これは・・・!」

 表情をより険しくして、助智は目を大きく見開いた。まさか、加奈のことを知っていたのか!?

「おい、この女の子のこと知っているのか?」

 俺は慌てる素振りで助智の肩に掴みかかった。

「いや、かわいい娘だと思って。」

「・・・。」

 そういえばコイツ、自他共に認める女子高校生フリークだった。久しぶりだっただけに、俺はそのことをうっかり忘れていた。

 俺は分厚い握り拳を作ると、ヤツのコメカミ目掛けて思いきり叩きつけてやった。

「ははは、ゴメン、ゴメン。とりあえずさ、俺もいろいろと聞き込んでみるよ。この写真借りていいかい?」

「おう、そうしてくれ。俺一人じゃ限界があるからな。」

 助智は住職という職業からか、さまざまなお偉いさんや危ない方々の葬儀にも顔を出している男だ。そのおかげで、一般人の知りえない裏情報がヤツの耳に入ってくる。

 俺がこの男に頼る理由はそこにある。そう、俺では絶対に掴むことのできない極秘ネタを入手するために。

「了解。ちゃんとお礼はしてくれよ。」

「まかせろ。無事に解決したら、温泉麻雀にでも招待してやるさ。」

「お!いいね~。こりゃ踏ん張るしかないね。」

 この男も、俺と同じで麻雀好きなヤツだ。たいして強くもないくせに、調子に乗ってどんな誘いにも付き合うからすぐにカモにされてしまう。

 正直なところ、強いとは言い切れないこの俺に、ただ一人役満を振った男でもある。俺から言わせれば、これほど哀れな男もいないだろう。

 助智に協力のお願いをした俺は、いよいよ次なる目的地へと向かうことにした。それは中目黒である。

 そこで俺は、加奈の友人に接触することにより、彼女の家出にまつわる情報を聞き出すつもりだ。その友人が、俺にすんなりと協力してくれるといいが・・・。


* ◇ *

 電車に揺れること一時間。俺は加奈の友人の家がある中目黒へとやってきた。

 腕時計を見ると、時刻は午後一時を過ぎていた。この時間だったら、加奈の友人も自宅へ帰ってきているだろう。

 俺はくわえたタバコに火をつけると、高級感の漂う閑静な住宅街に向けて歩き出した。

 俺はポケットから紙切れを取り出した。これは、加奈の担任である神鳴から受け取った、友人宅の所在地が書かれたレポート用紙である。

「この住所だと、この辺りだな。」

 俺は表札を頼りにしながら、こぎれいな住宅をしらみ潰しに確認していく。

 そのたびに、近隣のミセスに不審な目で見られて、俺は後ろめたくなって気ばかりが焦ってしまう。そんな苦労はしたものの、さほど時間もかからず、友人宅は思いのほか早く見つかった。

 その友人宅はまさに白亜の豪邸で、庭や車庫の大きさから家主の裕福な生活ぶりが垣間見れる。

 俺は咳払い一つしてから、インターホンのボタンを押した。エコーと共に、家中に呼び出し音が反響している。

「はい、どちらさまですか?」

 インターホン越しから流れる女性の声。

「恐れ入ります。わたくし藪鬼探偵事務所の藪鬼と申します。実は折り入って、娘さんにお聞きしたいことがありまして。今いらっしゃいますか?」

「・・・はぁ、おりますが。」

 やぶからぼうに探偵が訪れたら、誰だっていい思いはしないだろう。

 探偵という商売は、人間の裏側を暴くといった黒いイメージが付いて回る。そういう理由から、探偵という存在そのものを毛嫌いして、できる限り関わりたくないと思う一般人は少なくない。

 この訝しがるような女性の声は、まさにそれを感じさせるものだった。なぜ探偵がここへ・・・?といった心境なのだろう。

「ご心配いりません。娘さんの友人についてお聞きしたいのです。素行調査の対象者が、たまたま娘さんの同級生だったものですから。」

 この俺も、伊達に長いキャリアを積んでいるわけではない。

 相手の警戒心を解くために、話し方を工夫したり、声の大きさを調整したりといった、対話マニュアルのようなものが頭の中にしまってあるのだ。

「ん?」

 インターホンの先から、さっきとは違う、もう一人の女性の声が聞こえてきた。

 耳を澄ましてみると、何やら双方で話し合っているようだ。もしかして娘だろうか?

「あ、探偵さん?あたし啓子よ。加奈の友達の。いいよ、中に入って。」

 声の主はやはり娘だったようだ。どうやら、神鳴が事前に伝えておいてくれたらしい。あの美脚先生には感謝しなければいけないな。

 開錠された玄関から家の中へ通されると、加奈の友人の啓子が俺を笑顔で出迎えてくれた。

 彼女は俺の手を引っ張るなり、二階にある自室へと向かう。彼女はどうも、俺の存在、というよりは探偵の存在を珍しがっているようだ。

「さあ、入って。」

 俺は啓子に手招きされると、彼女の自室へと足を踏み入れた。

 若い女の子の部屋らしく、ベッドに上には、ディズニー系のぬいぐるみが添い寝するように横たわっている。

 机の上や引出しには、友人と一緒に写っているプリクラシールが所狭しと貼られていた。

「何ボーっと突っ立ってんの?早く座りなよ。」

 啓子はベッドの上にどっかりと腰を下ろした。

 彼女は淡青色のブラウスを着込み、フリル付きのオレンジ色のミニスカートを履いている。ぶかぶかなルーズソックスまで揃っているところを見ると、彼女もいわゆる今時の高校生のようだ。

 俺は遠慮することなく、彼女と向き合うように床の上にあぐらをかく。

「加奈のことで何か聞きたいんでしょ?」

 ボブカットの髪の毛を触りつつ、俺からの質問を待ち構える啓子。俺は差し当たり、加奈との関係について彼女に尋ねてみた。

「あたしと加奈はね、中学校時代からの友達だったんだぁ。」

 そんな彼女と加奈は、中学校の頃はよく一緒に買い物に行ったり、お互いの家で遊ぶ機会も多かったらしいが、最近になってからは、学校内でたまに世間話するぐらいの仲になっていたとのこと。

 つまり、最近の加奈の行動については、詳しくは知らないとのことだった。

「先生からもう聞いているとは思うが、加奈は今、自宅を飛び出して失踪中だ。何か心当たりはないかな?」

 啓子は人差し指であごを突付いて、一生懸命に記憶を辿ろうとしている。

「う~ん・・・。これといって、おかしいとこなかったな~。」

 真面目な顔で思い出してくれた啓子だったが、加奈の失踪につながる答えまでは出てこなかった。

「でもね、ちょっと気になることがあるんだ。」

「気になること?どんなことだ?」

 啓子はいきなり、俺の顔の真ん前に、その小さな顔を近づけてきた。

「お、おい、待て。何をする気だ!?」

「ぷっ!やだぁ、何勘違いしてんのー!フフフ、探偵さんって結構ウブなんだね。ちょっと耳貸して。」

「・・・え?」

 俺は年甲斐もなく顔を真っ赤にしたまま、彼女のひそひそ話を耳で受け止めた。

「実はね、二週間ぐらい前なんだけど、あの子さ、あたしに変なこと言ってたんだ。ウチにある高級そうなツボを親に黙って売っちゃって、そのお金で高級ハンドバッグを買った・・・ってね。」

「!」

 それは予想もしない話だった。優等生のはずの加奈がそんなことをしていたとは・・・。ショックの余韻を隠しながら、俺は啓子の話に耳を傾ける。

「あの子の家って、すっごいお金持ちなの。でね、金持ちの娘はもううんざりとか、あんなごう慢な母親なんか大嫌いとか、そんなこと言ってたのよ。」

 啓子の話を聞き終えた後、俺はある一つの結論に達していた。

「加奈の家出の原因は、家庭内のトラブルということか。」

 俺は続けて、渋谷の衣料品店店長が言っていた、加奈と一緒にいたという男の存在についても啓子に尋ねてみた。

「う~ん・・・。ごめん、あの子の男関係まではわかんないわ。でもね、もしかするとあの子なら知ってるかも。」

「あの子?誰のことだ?」

 俺は少しばかり気が焦っていた。何とかこの男というキーワードの謎を解き明かしたい思いで、急かすように啓子を促した。

「加奈と同じクラスの友達なんだけどね。高塚裕美っていう子だよ。最近加奈とよく遊んでるって聞いたから知ってるかも。」

 啓子の話では、その高塚裕美という同級生は渋谷に住んでいるそうだ。残念ながら住所まではわからないが、電話番号は知っているというので、俺にメモを渡してくれることになった。

 かわいい人形のストラップをぶら下げた携帯電話を操作しながら、啓子はスラスラと電話番号をメモしてくれた。

「ありがとう。正直言って助かったよ。まさか、君がここまで積極的に協力してくれるとは思わなかったからね。」

 気に障ったのか、啓子の表情が突然険しくなった。

「当たり前じゃん!加奈はね、あたしにとって大切な友達なんだよ。ここまで協力したんだからさ、早くあの子見つけてよね!」

 啓子のその言葉には、友人の身を案じる心やさしい気持ちが表れていた。俺はその言葉を忘れないよう、しっかりと胸に刻み込んだ。

「まかせておけ。君の協力は無駄にはしない。無事に見つけ出すから俺を信じてくれ。」

「・・・うん。」

 啓子は涙目でうなずいた。彼女の涙のためにも、俺はもうひと踏ん張りすることを心に誓った。

 俺は啓子にお礼と別れを告げると、新たな聞き込みの対象となる高塚裕美に遭うため、急ぎ足で渋谷へと足を運ぶのだった。


* ◇ *

 俺は今日もまた、ここ渋谷の街へとやってきた。この街は相も変わらず、無節操で無気力な若者達でごった返していた。

「何となくだが、加奈の行方を辿る道筋が掴めそうな気がする。」

 俺は根拠こそないものの、心の中でそんなことを期待していた。

 これから接触を試みる高塚裕美は、果たして自宅にいてくれているだろうか?俺は携帯電話を握り締めて、啓子が教えてくれた番号へ電話をかけた。

『プルルル・・・』

 電話で話すだけなら、わざわざ渋谷まで来る必要はないのではないか?と思われるかも知れない。

 俺がなぜ、高塚の自宅がある渋谷までやってきたのか。それは、強いて言えば礼儀作法の一つというものだ。

 こちら側が遭わせてもらう、話を聞かせてもらうという立場を忘れてはいけない。しかも、手がかりになるような話題だったら、電話ではなく、直接遭って聞いた方がいいこともある。

 お互いに真剣な目で向き合えば、お互いの真剣な気持ちも伝わるというもの。こんな単純なことも、探偵における聞き込みのノウハウと言えるだろう。

「もしもし?」

「あ、もしもし?高塚さんのお宅ですか?」

 電話に出た人物は、声色からして中年の女性だった。多分、高塚裕美の母親であろう。

「ええ、そうですけど?どちら様ですか?」

「わたくし藪鬼探偵事務所の藪鬼と申します。娘の裕美さんはご在宅ですか?」

 俺はいつものように、自らの素性を正直に明かした。すると、電話の相手は予想外な反応を示してきた。

「まあ、探偵さんですか。娘は只今おつかいに出ておりまして。もう間もなく帰ってくると思いますけどいかがされます?」

 電話の相手、いや裕美の母親は臆することなく、いたって普段通りの電話応対をしてきた。

「裕美さんに何点かお聞きしたいことがあるので、お邪魔させていただくことは可能ですか?」

「ええ、結構ですよ。こちらの住所をお教えしましょうか?」

 裕美の母親は、俺からの申し出を疑いもせずすべて受け止めてしまう。ここまで疑わないのも、他人事ながら心配になってしまうが、俺の思い通りになったことはありがたい。

 母親から住所を教えてもらい、これからすぐに向かうと伝えてから、俺は通話を切った。

「住所を聞いたはいいが、さてどうやって向かうか・・・。タクシーならすぐにでも到着できるが、さて、どうしよう?」

 頭を傾げながら悩んでいると、背後から自動車のクラクションが鳴り響いた。俺はビックリして振り向く。

「おーす、藪ちゃんやんかぁ。」

 俺を呼び止めたのは、渋谷駅周辺をうろうろしていたタクシーの運転手であった。しかも、その運ちゃんは俺の知り合いでもある。

「おお、哲か。最近見かけないと思ったら、この辺りにいたんだな。」

 彼曰く、俺がそわそわと悩んでいる姿を見かけて、何しているのか気になって、たまらず声を掛けてきたとのことだ。

「ところでこんなとこで何してんの?タクシーだったら、ぜひとも乗ってや。」

 これこそ天の助けと言うべきか、俺はありがたく哲のタクシーに乗せてもらうことにした。

「どこまで行ったらええんや、藪ちゃん?」

「ここまでだ。大急ぎで頼む。」

「了解や。」

 タクシーを軽快に乗りこなすこの男、本名は倉田哲也という。

年齢は俺より上だが、人懐っこい性格からか、俺のことを“ちゃん”付けで呼んでいる。

 数年前のある調査をきっかけに知り合ったのだが、その際には、遠方までの移動やら何やらでかなり世話になった。

 大阪出身でありながら、わざわざ上京してきてタクシーの運転手をしている一風変わった人物でもある。

「藪ちゃん、今回はどんな調査してるん?」

「家出人捜索だよ。あの時からほとんど変わらない仕事ばかりさ。」

 目的地に着くまでの間、俺と哲は他愛もない昔話を語らっていた。

 渋谷の街中を走行すること約十分、哲はタクシードライバーらしく、俺を無事に目的地まで送り届けてくれた。

「ほな藪ちゃん、がんばってな。またいつでも利用してや~。」

 俺にほころんだ顔を見せながら、哲は次なるお客を求めて、猛スピードで渋谷駅方面へと帰っていった。

「さてと、ここに間違いないな。」

 俺は高塚裕美の自宅の前で立ち尽くす。というよりは、棒立ちとなっていた。

 この家、一言で言うならでかい。まるで城壁のようなコンクリート壁に取り囲まれて、周辺の住宅の中でも一際目立つぐらいバカでかい。

 俺は圧倒されつつも正門まで歩み寄り、備え付けのテレビのような画面を見てみる。その画面の脇に呼び出しボタンがあったので、俺はそっと押してみた。

 しばらくすると、その画面に一人の女性が映った。それと同時に、さっき電話で話した声と同じ音声が流れてきた。

「いらっしゃいませ。探偵さんですね?お待ちしておりました。どうぞお入りください。」

 画面に映った女性が裕美の母親のようだ。

 落ち着きのある声から想像できないほど、彼女の見た目はかなり若い。豪邸の奥様らしく、とても丁寧にやわらかい物腰で応対してくれた。

 俺は招かれるように、自動的に開かれた正門から豪邸内へと入っていく。

 日本庭園のような大きな庭、いたるところに植えられた松の大木、先の尖った大きな岩、そして錦鯉でも泳いでいそうな池。ここには、典型的な豪邸を飾り立てるアイテムが一通り揃っていたようだ。

 広い庭をしばらく歩き続けて、俺はようやく邸内へ入れる玄関を発見することができた。

「失礼します。」

「いらっしゃいませ。どうぞ。」

 玄関の奥では、母親が三つ指を立ててお辞儀をしていた。

 何と大げさな出迎えだろうか。俺はつい、この家の主人にでもなったような気分だった。

「あの、娘さんは戻られました?」

「いいえ。まもなくだと思いますので、お上がりになってお待ちください。」

 俺は用意された高級スリッパを履くと、母親に誘導されるがままリビングへと通された。

 これまたリビングもすごい内装だ。高級そうなシャンデリアや洋風な骨董品、おまけに、動物の剥製まで壁から顔を突き出している。

 やわらかいソファーに腰掛けた俺は、もてなされた紅茶をいただきながら、娘の裕美が帰宅するのを待っていた。

 ただ待つのも間が持たないので、俺は母親と少しばかり話をしてみることにした。

「このようなおもてなし、どうもありがとうございます。探偵が家まで来て話がしたいと聞いたとき、あなたは何も抵抗はなかったんですか?先ほどお電話した際も、それほど気になさらなかったようでしたから。」

 俺は裕美の母親に、そんな素朴な疑問をぶつけてみた。

「そのことですか?ホホホ。」

 彼女はなぜか、口元に手を宛ててほくそ笑んでいる。

「実はわたくし、探偵というご職業にとても興味がありましてね。ぜひともお遭いしたかったのです。でも、思っているイメージと違っていましたわ。」

「どんなイメージでした?もっと、ハードボイルドな男を想像していたとか?」

「ホホホ。お察しの通りで。」

 俺と彼女はそんな他愛のない会話に苦笑していた。

 テーブルの上にある大きな灰皿を目にして、俺はついタバコを口にくわえた。それを見た母親がどうぞと目配せしたので、俺は会釈しながらタバコに火を灯した。

「ふぅー・・・。」

 豪邸での一服は、いつもよりも高級な香りが漂う。そんなことを感じさせるほど、この家の豪華絢爛ぶりは目に余るものがあった。

 タバコをちょうど灰皿に押し付けた頃、待ちに待った人物がようやくリビングに姿を現した。

「ただいま戻りました。あら、お客様?」

「おかえりなさい裕美さん。ごあいさつなさい。あなたにお話があってお見えになられたのですよ。」

「え?わたしにですか?」

 この親子は、いつもこんなまどろっこしい会話をしているのだろうか?聞いているこっちがむずがゆくなってしまう。

「裕美さんですね?わたくし、藪鬼探偵事務所の藪鬼といいます。」

「まあ、探偵の方ですか?わたしにどういったご用件でしょう?」

 娘の方はさすがに驚いているようだ。彼女は唖然とした表情のまま、俺の向かい側のソファーに腰掛けた。

 裕美は緊張はしているものの、姿勢を正して真剣な眼差しで俺を凝視している。

 しなやかな髪の毛は、今時の高校生の割には珍しく、真っ黒で腰の辺りまで伸びている。

 スリムで華奢な体つきや、落ち着き払ったこの態度は、すぐ側にいる母親とそっくりだ。“カエルの子はカエル”とはまさにこのことだろう。

「君は、クラスメイトの大林加奈さんの友人と聞いているが?」

「はい。加奈さんとは仲のよいお友達です。」

 俺は相槌を打ちながら質問を進めていく。

「加奈さんが今、三日間ほど学校を休んでいることは知っているね?」

「はい。先生のお話では、風邪をひかれたそうで・・・。早く良くなって学校に登校してほしいです。」

 加奈のことを心配するように、細長い眉を曇らせた裕美。

「裕美さん。実は加奈さんが学校に登校していない理由、それは風邪が原因じゃないんだよ。」

「え?それはどういうことでしょう・・・?」

 俺の思わせぶりな話し方も手伝ってか、裕美の表情が一瞬で険しくなっていた。

 俺は重要な情報を手に入れるため、できる限り本当のことを告げることにした。

「加奈さんは四日前に家出をしてしまってね。現在失踪中なんだよ。」

「まぁ!」

 裕美は怯えるように驚いていた。さっきまでと違い、表情からゆとりがすっかり消えてしまっていた。

「裕美さん、君は最近、加奈さんとよく遊びに行っていると、彼女の友人から聞いた。四日前、彼女が家出した日、君は彼女に遭っていないかな?」

「四日前ですか・・・。確か、わたし、加奈さんと一緒に原宿へ参りましたわ。間違いありません。学校帰りでしたので、時間は四時から四時半といったところでしょうか。」

 裕美は動揺の顔色を浮かべながらも、丁寧な口調でそう答えてくれた。

 俺はシステム手帳を広げながら、どんどん質問を投げかける。

「そのとき、どこかおかしな様子はなかったかな?何か変な事を言っていたとか、見知らぬお店に行ったとか、知らない人物に話し掛けていたとか?何でもいいんだ。何かなかった?」

 俺は逸る気持ちを落ち着かせようと、思わずタバコに手が伸びていたが、淑女の前では吸えないと何とか踏みとどまった。

「四日前は、それほどご一緒していたわけではなかったので、あまり覚えていないのですが。そうですね~・・・。」

 裕美は頭を横に傾けると、目を閉じたまま黙り込んでしまった。四日前の記憶を必死に辿ってくれているのだろう。

「どうかな・・・?」

 俺はささやくような口調で確認してみた。しかし、彼女の表情はこれといって変化がないままだ。・・・どうやらここまでのようだ。俺の脳裏にそんなセリフが思い浮かんだ。

 実際のところ、とんとん拍子に手がかりが集まることは稀なことだ。少なくとも、ここまで辿り着けただけでも運がいい。

「裕美さん。もし思い当たらなかったら無理に・・・。」

「あっ!!」

 俺はびっくりして仰け反ってしまった。ずっと考え込んでいた裕美が、目を大きくして大声を上げたからだ。

 これにはさすがの母親も、俺と同様に驚愕な表情を浮かべていた。

「ど、どうかしたのか?何か思い出したのか?」

 さっきの大声とは違い、彼女はこれまで通りの丁寧な言い回しに戻って、思い出した事実を話してくれた。

「四日前、わたし途中で加奈さんと別れたのですが、しばらく歩いたところで、伝えなければいけないことを思い出したのです。」

 裕美は加奈へ伝言を届けようと、身を翻して彼女のもとへと舞い戻っていったそうだ。

「そうしましたら、加奈さんは、わたしの知らない男性と一緒にいたのです。」

 男性・・・。またもやこのキーワードが、彼女の口からも飛び出してくるとは。

 この証言から、この男が加奈の失踪に何かしら絡んでいる可能性が高い。そうなると、この男の身元を洗う方を優先すべきだろう。

「裕美さん、その男の人相は覚えてるかな?特徴的な部分だけでもいいんだけど。」

「はっきりとは覚えていないのです。そのとき、わたしは加奈さんに声を掛けることを遠慮してしまったので・・・。」

 その伝言というのも、それほど急ぐものではなかったこともあり、裕美は加奈に気兼ねして、近寄ることもなく立ち去ってしまったという。

 それでも、その男性の顔はちらりと見かけたらしいので、少し時間をもらえれば思い出せるかも知れないと、裕美は申し訳なさそうに恐縮していた。

「わかった。もし何かわかったら、ここに連絡してくれるかい?」

 俺はそう言いながら裕美に名刺を手渡した。

「はい。頂戴いたします。」

「では、俺はそろそろ失礼します。」

 俺は快く協力してくれた二人にお辞儀をして、堅苦しい大豪邸を後にする。

 おもむろに腕時計を目にすると、時刻はもう夕方近かった。

 もうこんな時間だったのか・・・。俺は時間が過ぎるのも忘れて、聞き込み調査に没頭していたようだ。

 今日は思った以上に収穫があったような気がする。

 まず一つは、加奈の失踪した当日に一緒にいた男の存在。二つ目は、家出の原因が家庭内のトラブルによるものかも知れないということ。

 この二つの手がかりを、何とか一つに結びつけることができれば、“テンパイ即リーチ”ってとこまで行けるんだが。

 頭の中に麻雀牌を思い浮かべた俺は、一勝負楽しんでから事務所へ戻ることにした。


* ◇ *

 俺が事務所に帰ってきたとき、時刻はすでに夜七時を回っていた。まあ、ほんの少し寄り道したから仕方がないが。

 夜の事務所には、いつになく生真面目に仕事をこなす鏡子くんの姿があった。今夜もまた残業してくれていたようだ。

「ただいま。鏡子くん、まだ仕事していたのか。」

「おかえりなさい、先生。手がかりの方はいかがでした?」

 鏡子くんは自らの事務仕事より、俺の調査結果の方が気になるのだろう。彼女がもし、そのためだけに遅くまで残業していたとしたら、本当にご苦労さまと言わねばならない。

 今日は思いのほか成果があったので、その結果報告をお疲れさまの言葉に代えることにしよう。

「今日は収穫があったよ。もう少しで、対象者の家出の原因がわかりそうなんだ。」

「家出の原因ですか?」

 鏡子くんはキョトンとした顔をしている。

 それもそうだろう。俺の仕事は原因を調べることではなく、対象者の居場所を突き止めることなのだから。

「ああ。残念ながら、彼女が今どこにいるかまではわかならない。いろいろ調べてみると、どうも対象者の失踪には男が絡んでいるようなんだ。」

「男性ですか。」

「しかも家出の原因そのものは、家庭内のトラブルのようなんだ。しかし、調査依頼をしてきた依頼人は、そんなこと一言も言わなかった。」

 これまでに得た証言をもとに、俺は自分なりの推理を鏡子くんに話して聞かせた。

 毎回ではないが、俺は少しでも調査が進んでいくと、このように鏡子くんにすべてを打ち明けている。ここで彼女がくれるアドバイスや反省すべき点は、俺にとっては調査を続ける上でとても役立つのだ。

「クライアントがそれをお話にならなかったということは、もしかして、家庭内のトラブルを知られたくなかった、ということでしょうか?」

「その可能性は俺も考えていた。だが今のところ、それを裏付ける根拠がまったくないんだ。」

「そうですか。」

 鏡子くんはもどかしそうな顔のまま、再びパソコンの方へ向き直った。そして、パソコンを慣れた手つきで叩き始める。

「先生。わたし、もうすぐ前回の依頼の伝票処理が終わるんです。もしでしたら、その辺り、わたしの方で調べてみましょうか?」

「そうか。それは助かるよ。」

 鏡子くんのその申し出は正直うれしかった。ただでさえ、俺一人の足を使った調査だけに、行動範囲も限られるし疲労感もそれなりに大きいからだ。

「明日、クライアントの自宅周辺で聞き込みしてみます。ご近所の方々なら何か知っているかも知れませんからね。」

 彼女も探偵事務所に数年いるせいか、調査の要点や方法については、いまさら俺が説明するまでもない。

 どこに赴いて、どういうことを聞き込むか、彼女はもう調査のイロハは習得済みなのである。

「鏡子くん、ありがとう。」

「フフフ、何を言っているんですか?わたしもこの事務所の所員の一人ですよ。さて、仕事も落ち着きましたので、今夜はこれで失礼しますね。」

 鏡子くんは色っぽく笑って、ショルダーバッグを肩にぶら下げると、事務所の玄関へと歩き出した。

「鏡子くん、お疲れさま・・・。」

 俺はそんな彼女の小さい背中を玄関まで見送った。

 彼女が出て行った後も、なぜか俺は、その場に立ち尽くしてしばらく呆けていた。

『リリリリーン・・・、リリリリーン・・・』

 そんな俺の微熱も、一本の電話で冷まされてしまった。

 鏡子くんのいなくなった事務所内に鳴り響くコール音。当たり前のことだが、俺以外に電話を取る人物はいない。

「もしもし?お待たせしました。藪鬼探偵事務所ですが。」

「夜分遅く失礼いたします。わたくし神鳴と申します。」

 その声の主は、加奈の学校の担任である神鳴瞳であった。

「あ、先生ですか。どうかしましたか?」

「いえ。調査の方は進んでいらっしゃるでしょうか?わたくしの伝えたことが、調査のお役に立てたかどうか気になったものですから・・・。」

 声をわずかに震わせながら、行儀のいい口調でそう問いかけてきた神鳴。彼女も母親と一緒で心配性なのだろうか。

 俺は少しでも安心させようと、彼女の協力がしっかり役立っていることを偽りなく伝える。

「まだ解決とは行きませんが、着々と調査は進んでいます。これもすべて、先生が協力してくれたおかげです。どうもありがとうございました。」

 神鳴のホッとしたような吐息が、電話越しの俺の耳まで届いた。

「それはよかったですわ。もし何か困ったことがあれば、何なりと連絡してください。早く加奈さんが見つかるよう、わたくしも努力しますので。」

 俺は改めて神鳴にお礼をすると、ゆっくり電話の受話器を置いた。

「心配している人達のためにも、明日はもっとがんばらないとな。」

 そうである。加奈の身を案じているのは、決して彼女の母親だけではない。担任である神鳴や、彼女の友人達も同様なのだ。

 俺はその人達の願いを胸に、加奈を必ず見つけ出すことをかたくなに誓った。

 時刻はまだ早めだったが、俺は明日に備えて今日一日の労働に終わりを告げるのだった。

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