襲来 2
窓から入り込む日差しと、頬をくすぐるそよ風。そこに混じる喧騒。
音に反応して、猫耳をピクンと動かしたディアナは、ゆっくりと眠りから覚醒する。
「いつの間にか、寝ちゃったんだ……」
体を起こし、目を擦りながら呟いた。
ふと、外が騒がしい事に気がつく。
「お祭り……なわけないよね?」
ベッドの上で立ち膝になり、窓を開けてあたりをキョロキョロと見回した。
隣のトミーおばさんが、必死の形相で走っているのが目に入る。
「おばさーん、騒がしいようですけど、何かあったんですかぁ?」
トミーおばさんを呼び止め、質問を投げかけた。
「大変だよ、ディアナちゃん。ジランディア帝国軍がやってきて、村で暴れているんだよ! 今、自警団のみんなが応戦しているよ! 危ないから、家から出ちゃダメだよ」
その時、聞こえてくる喧騒が、怒号や悲鳴、鉄と鉄がぶつかり合う剣戟の音である事に、やっと気がついた。
ベッドにへたれ込むディアナ。ベルトに装着されたまま、ベッドの上に無造作に置かれた自分の剣が視界の片隅にうつる。
ディアナは、意を決するようにコクリと頷くと、ベルトを手に取ってそれを腰に巻きつけた。
『ガラティン』の艦下は、帝国兵が死屍累々を曝していた。
「えぇい、相手は、たったの二人ではないか! 取り囲んで一斉に仕掛けぬか!」
隊長らしき帝国兵が、サーベルを振り回しながら喚いている。
二十人近くいた部下たちは、七人を残すまでに減っていた。
その七人が、背中合わせで立つハイゼルとナックを取り囲む。
「次は、誰がそこの仲間に入るんだ?」
手近な帝国兵の死体を顎先で指し示し、自分たちを取り巻いている帝国兵を睨み返しながらハイゼルが言い放つ。
先ほど三人斬りという離れ業を見せ付けられたばかりで、足が竦んで誰一人として斬り掛かれないでいた。
「ナック、村の状況が分かるか?」
「村全体に戦線が広がりつつあるみたいですね。自警団員も何人が無事なものやら……」
にじり寄りながらも、一向に飛びかかろうとしない部下たちにしびれを切らし、ヒステリックな号令を掛けようとした時、漆黒の全身鎧を身に纏った男が船内から現れ、ゆっくりとローディングランプを降りてきた。
「あれが敵の司令官か……?」
その姿を見て、ナックが小さく呟いた。
「お? 飛空船からゴツい鎧を着た、偉そうなヤツが出てきたぜ?」
そう言うと、葉月は「見るか?」と言うふうにアルに双眼鏡を渡した。
双眼鏡の下から現れた瞳は、端正では無いが気の良さそうな青年然としたものだった。だが、どこか抜け目の無い輝きがある。
仏頂面で双眼鏡を受け取ったアルは、上体を起こして側車のふちに座りなおし、双眼鏡を覗き込んだ。
「――――っ!!」
「な? ありゃ、結構な地位の奴だぜ?」
葉月は、深緑色の上着の掛衿を正しながらそう言った。そして、「こんな辺境までご苦労なこった」と呟きながらアルの方を向いた時、アルがわなわなと震えている事に気が付いた。
「おい、アル。 どうしたんだ?」
訝しげに訊ねる。
「……あの村に用が出来た」
そう言って葉月に双眼鏡を返すと、側車の座席シートに掛けてあった内側に板金を縫い付けてある皮のジャケットを羽織って、軽やかに側車から飛び降りた。
「用って……。帝国軍が荒らしまわったあとじゃ、拠点として使えねぇから引き返そうぜって話をこれから――」
「すまんな、葉月。俺は行く」
アルは、葉月の言葉を最後まで聞かずにそう言うと、バスタードソードを腰の剣吊りに差して村の方へと駆け出す。
「って、おい! アル!!」
葉月の呼びかけに対して振り返る素振りも無く、アルの姿は、そのまま村の方へと消えていった。
「ったく……。俺は、もう暫く様子見をしてるか」
呆れ顔で頭を掻きながら呟いた葉月は、再び双眼鏡で村の様子を眺めはじめた。
自宅を出ると、トミーおばさんが六人の帝国兵に囲まれている姿が目に入った。
隊長らしき男は、濃紺の髪を肩まで伸ばした青年で、部下たちとは違い、クウィラスもモリオンも身につけていない。腰の武器もサーベルではなく、シャムシールを下げている。
「もう一度聞くぞ? 魔法使いの居所を教えろ!」
帝国兵が声を荒げる。
「だ、だから知らないって言ってるじゃないかい!」
「隊長、抵抗を確認しました」
トミーおばさんに絡んだ帝国兵の一人が、ニタリとした笑みを浮かべて濃紺の髪の青年に申告する。
「――殺せ」
青年がそう言った直後、帝国兵が剣をトミーおばさんの腹部へと突き立てる。
「ぎゃあああああ!!」
「おばさん!!」
絶叫しながら絶命するトミーおばさんと、それを楽しそうに眺める帝国兵たちを目の当たりにして、思わず叫ぶディアナ。
その声を聞いて、帝国兵達が一斉にディアナを注目する。
「んん~? なかなか面白い趣向をお持ちのお嬢さんじゃないか? へへへ……」
トミーおばさんの血で染まった剣を持つ帝国兵が、ディアナを見て嫌らしい笑みを浮かべながら言った。
反射的に剣を抜くディアナ。
「抵抗確認♪ ラディ隊長ぉ、殺る前に楽しませてもらっても良いっすか?」
目をギラギラさせながら青年に問う帝国兵。
「好きにしろ……」
ラディと呼ばれた青年は、ニヤリと笑みを返す。
その表情は、端麗な容姿を醜悪に歪ませていた。
許可を得た帝国兵は、目を血走らせ、鼻息を荒げながら、じりじりとディアナに近づいていった。
「おじさんはねぇ、じゃじゃ馬よりも従順な方が好きだなぁ」
他の兵士は、にやにや笑いながらラディと共に後ろへ控えている。
「ほら、とっとと片付けろよ!」
「あとが閊えてんだからよぉ!」
「油断して、ヤラれちまうんじゃねーぞ?」
兵達が口々に揶揄した。
「やぁああああ!!」
ディアナは、大地を蹴って一気に詰め寄り、掛け声とともに逆袈裟に剣を振り上げる。
それをあっさり受け止めた帝国兵は、刃を合わせたまま、手際よく股間を覆う部分鎧を外してディアナににじり寄った。
そして、ディアナを押し倒そうとした瞬間、果物がつぶれるような鈍い音をたてて、ディアナの膝が帝国兵の股間にえぐり込む。
「…………っ!!」
声にならないうめき声を上げて、股間を押さえて前かがみになる帝国兵の頭部目がけ、ディアナは思いきり剣を振り下ろした。
非力なディアナが鉄の兜に覆われた頭部に剣を振り下ろしても、頭をかち割ることなど出来ないが、それでも鈍器で殴られたくらいの衝撃が伝わったらしく、その兵士は、股間を押さえたままの体勢で前のめりに突っ伏し、口から泡を吹き、痙攣しながら気絶する。
それを見た残りの帝国兵達が、間髪入れずにディアナを取り囲んだ。
決して、倒された仲間への復讐心からの行動ではない事は、取り囲む兵達の表情を見れば一目瞭然だ。
ニヤついた表情のまま、ディアナに剣を向けてじりじりと詰め寄ってくる。
一斉に仕掛けられたら、魔法を発動させる事も間に合わない。どこに活路を見出そうかと考えていたとき、数本の矢が飛来して、帝国兵の一人へとつき刺さる。
短い悲鳴を上げて倒れ付す帝国兵。
「ディアナちゃん、こっちよ!!」
声の方へ振り向くと、クロスボウを構えた自警団員が三名と、それを従えたアイラの姿があった。
迷わずアイラの方へと走り出すディアナ。包囲を抜ける瞬間、ディアナを捕まえようと帝国兵が動くが、その脇をするりと抜けて一気に駆け抜ける。
「ここは、私達に任せて早く逃げなさい」
駆け込んできたディアナの肩を抱きしめたアイラは、彼女の瞳を見つめて言った。
「ふふ、大丈夫よ」
心配そうな表情でアイラを見上げるディアナに、アイラは頭を撫でながら優しく言葉をかける。
その姿を見たディアナは、コクリと頷くとその場を駆け離れていった。
目指すは、村の東。家々の屋根越しにそびえる、全高四十メートルはあろうかと思われる巨大な人工物。
父とナックが居るのは、恐らくそこに間違いないだろう。