探索
神殿の地下は暗かった。
魔法の光りで照らしてもなお、足元に注意しながら階段をおりる必要がある。
下り階段は先が見えないほどつづいていた。
「どこまで続いてるんだよ、これ……」
いっこうに先が見えない下り階段に不安を覚えたコリーンは、ディアナのケープを掴みながらしきりにきょろきょろとしている。
階段は大人二人がならんで歩くのがやっとの幅で、壁や天井は神殿と同じ材質の白い石で出来ているようだった。
「先が見えた」
先頭をいくアルがおもむろにつぶやく。
ほどなくして、広い通路のような場所にでた。
幅は十メートルほどあり、ディアナが生み出した光りだけではあたりを照らしきることはできず、通路の先は闇に閉ざされていて何も見えない。
「随分と下までおりたなぁ」
葉月は、天井を見上げながら言った。
天井の高さは三メートルくらいある。天井の更に先は、恐らく湖底になるのだろう。
通路の中央には燭台のようなものが設置されていた。
ディアナは、吸い寄せられるようにそれに近づく。
ディアナの靴音だけが、こつこつと通路の内部にひびいた。
そして、浮かべていた光球を燭台へと近づける。
なぜそうしたのか、自分でも良く分からない。ただ、なんとなくそうすれば良いような気がした。
光球はまるで吸い取られるように燭台へと吸収され、そこから血管をながれる血のように、タイルの隙間を床へ壁へと光が伝ってゆき、やがて地下全体を淡い光りに満たされた。
「す、すげぇ……」
コリーンは、ただあんぐりと口をひらく。
「こういう仕組みだって知ってたのか?」
「ううん……でも、何故かこうすれば良いような気がしたの」
コリーンの問いに答えながら、ディアナはかぶっていたフードを脱いだ。
初めて見るディアナの頭の全容に驚きの表情を浮かべるコリーン。
「ディアナ……それは、何て言うか、反則だろ……」
「ちょっ、わっ、コ、コリーン!?」
「良いだろ。もうちょっと撫でさせろよ」
コリーンは愛らしい猫耳にもだえ、ディアナが手を振りほどこうとするのも構わず撫でまわし続ける。
「スカートに隠れて分からないだろうけど、尻尾も生え……ぶっ」
どさくさに紛れてディアナのスカートを捲ろうとした葉月の顔面に、コリーンの踵がめりこむ。
「お楽しみ中のところを邪魔して悪いが――」
アルが呆れ顔で近づき、
「そこの隅に生えてるコケは、探しているものと違うのか?」
階段側の壁の隅にびっしりと群生する、鷹の爪のような葉が茎から何層も折り重なって生えている五センチほどの植物を指して言った。
「これだよ!」
すぐさま駆けよったコリーンは、採集用に用意した袋に詰め始める。
コケはアルが指したところ以外にも、いたるところに群生していた。
「これだけあれば、かなりの量を作れそうだぜ」
茎や葉を傷つけないように気をくばりながら、根元から慎重にひきぬく。
「何、ボーっとしてるんだ。お前らも手伝えよ」
コリーンが振り向くと、アルも葉月もディアナのことを見つめていた。
ディアナは、通路の奥をじっと見つめたまま動かない。
「奥から呼ばれているような気がします……」
そうつぶやくと、ディアナはふらりと歩きだした。
アルがディアナを止めようとしたが、立ち止まる気配は全くない。
アルと葉月は、仕方なくディアナのあとを追った。
「え? ちょっと、おい、待てって!」
ひとり取り残されそうになり、コリーンは慌てて作業を中断し、三人を追うことにした。
通路はどこまでもまっすぐ続いていた。
壁に反響した四人の靴音と、どこからか微かに聞こえる水が流れるような音以外は何も聞こえない。
「おい、なんかジメジメしてきてないか?」
コリーンが不安げな声をあげた。
たしかに奥へすすむにつれ、空気中の湿り気が濃くなってきたような気がする。
「おやぁ? もちかちてコリーンは怖いんでちゅ……ぐおっ!」
「テメー、ふざけるてっと殴るぞ!」
自分を冷やかそうとした葉月に、腰の回転が乗ったフルスイングの回し蹴りを食らわせる。
「蹴る前に言えないのか……いや、気にするな」
アルは真っ当なことを言おうとたのだが、コリーンにひと睨みされて台詞を引っ込める。
「なあ、ところでさ、アルはセルフィーナについて何か知ってるふうだったけど、セルフィーナってのは、いったい何なんだ?」
ふと、神殿でディアナの言葉をきいたときのアルの様子を思い出し、コリーンはおもむろに訊ねてみた。
「昔――と言っても、それほど昔ではないんだが、ジランディア帝国によって滅ぼされた国の名前だ」
「ふぅん……」
ありがちな話だなというのがコリーンが感じた第一印象だ。
ここ十数年の間にジランディア帝国は爆発的な勢いで版図を広げてきた。
帝国に滅ぼされた国は一つや二つではない。
セルフィーナもそんな国の一つなのだろうが、
「セルフィーナってどんな国だったんだ?」
ディアナが亡国の姫君かもしれないと思うと、コリーンの好奇心はますます膨らむ。
「魔法がとても栄えていた国だったらしい」
「魔法が?」
「現在では、魔法を操れる人間というのは非常に希少な存在になっているが、セルフィーナにはそれが大勢暮らしていたそうだ」
「魔法使いの国かぁ」
コリーンは先頭をふらふら歩くディアナを眺め、彼女が光りの球を生み出したときのことをぼんやりと思いだした。
やがて、通路は巨大な空間へとたどり着いた。
通路は、まるで回廊のように空間の中央を貫くように伸び、さらに先まで続いているようだ。
回廊の下も天井も、そして横幅も数十メートルはあるだろう。
「神殿の地下にこんな場所があるなんてな……」
葉月は、額に手をあて辺りを眺めまわしながら言った。
四人が回廊の半ばほどまで進むと、ディアナの頭にふたたび声が響いてくる。
(セルフィーナの力を受け継ぎし者よ。汝の力を示せ。試練を越えよ)
アルが不意に歩みを止めたディアナに声をかけようとしたとき、回廊前後の石扉がとつぜん音をたてながら閉まり、天井からは轟音とともに大量の水が注ぎこまれてきた。
「お、おい、どうなってるんだよ!?」
コリーンが慌てふためく。
「俺が知るかよ!」
刀の柄に手をそえ、葉月が答えた。
激しい水煙を上げながら、水がみるみると満たされていく。
やがて水位が回廊にまで達すると、天井からごうごうと注ぎ込まれていた水がぴたりと止まる。
アルと葉月の表情が鋭くかわった。
「アルさん……」
ディアナも水底から押しあがってくるような重圧を感じる。
「な、何かいるぞ!?」
コリーンが声をあげるのと同時に、黒い巨体が水中から飛び出し、凄まじい水しぶきをまき散らして回廊の反対側へと消えた。
「うわっ、冷てぇ!」
コリーンが悲鳴を上げる。
丸みをおびた黒くつややかな外皮、背中にはつんととがった背びれ、体長は六メートルくらいか、腹部は白かったような気がした。
「シャチ……?」
葉月は己の記憶と合致した動物の名前を口にする。
「ただのシャチではないな。額に青い宝石のようなものが埋め込まれていた」
アルは、前髪の先からしたたる水を、ジャケットの袖でぬった。
シャチはまるで得物を選別しているかのように、悠々と水底を回遊している。
「ど、どうすんだよ!」
コリーンは後ずさりしながら葉月に近寄った。
「どうするったって……」
葉月には具体的な解決方法は思い浮かばない。
「あれを倒さなければ出られないというのが、お約束のパターンだろうな」
「ごめんなさい、私のせいで……」
「謝る暇があるなら、お前もあれの倒し方を考えろ」
剣を構え、ディアナへ視線を向けることなく淡々とした口調で言うアル。
「あんなん倒せるのかよ! でけぇし、水の中……うわっ!」
コリーンは、喋っている途中で突然葉月に突き飛ばされた。
「な、何しやが――」
葉月に向かって講義の声を上げようとした瞬間、先ほどまでコリーンが立っていた場所をシャチの巨体が水しぶきを上げながら通過する。
葉月はその腹部に潜り込み、シャチが回廊を飛び越える瞬間を狙って居合い斬りをした。
刀を握る葉月の手は、確かな手ごたえを感じとる。
「大丈夫だったか?」
静かに刀を鞘におさめ、コリーンに声をかけた。
「お、おう……」
がらりと雰囲気が変わった葉月に、一瞬どきっとするコリーン。
「アル、おかしいぜ? 俺の刀は確実にやつの腹をとらえた」
まるで、水でも斬ったかのような手ごたえだった。そして、シャチは何事もなかったように悠然と泳いでいる。
水面に血が浮いてくるような気配もない。
「ディアナ。お前は呼ばれているような気がしたと言ったな。他になにかなかったか」
「ここにきて、また頭の中に声が響いてきました」
「何て言っていた」
「……力を示して試練を越えろって」
「力……」
試練を越えろというのは、恐らくシャチを倒せということだろう。だが、剣が通じる相手とは思えない。
アルは考えを巡らせた。
「やばい、踏ん張れ!」
葉月が叫ぶ。
シャチは急浮上によって押し上げた水を回廊に流し込み、ディアナたちを水の中に飲み込もうとしてきた。
押し上げられた水が激流となって四人を襲う。
ディアナはアルが、コリーンは葉月がその手をしっかりと掴み、何とか激流をやり過ごすことができた。
「ありがとうございます」
全身ずぶ濡れになったディアナは、体中から水をしたたらせる。
白い服が水を吸い、ディアナの細い腕やスカートの中の尻尾に張り付き身体のラインをあらわにした。
「次に奴が姿をあらわしたら、魔法をたたきこめ」
「え?」
「力を示せというのは、恐らくお前の魔法のことだ」
声はディアナの頭にのみ響いた。力を示さなければならないのはディアナだということだろう。そして、ディアナが示せる力とは、つまり魔法の力だ。
「わかりました。やってみます」
ディアナはすっくと立ちあがり、頭の中で炎のイメージを膨らませる。
「来るぞ!」
葉月の掛け声と同時にシャチが飛びだした。
「今だ!」
アルの合図に合わせ、ディアナは肥大した炎の球をシャチへと叩きこむ。
轟音とともに、爆炎がシャチを包みこむ。
火球に焼かれたシャチは、身をよじらせ、はじかれるように水中へと落下した。
巨大な水柱が立ち上がり、四人はふたたび全身に水をあびる。
効果はあったようだが、シャチの動きは勢いを失っていない。
「やはり、陸に上げなきゃダメか……」
舌打をするアル。
「あ、あたしに何か出来ることは無いのか……!?」
コリーンは、戦いの様子をただ呆然と見ているしかなかった。
「ディアナ、水面を凍らせる事は可能か?」
「何をする気ですか?」
ディアナは、葉月の問いに問いかえす。
「ヤツが水から飛び出したあと、また水の中に戻れなくする」
「やれなくはないですけど、それなりに時間が必要です」
「時間は、俺たちがなんとかする」
アルは葉月の横に並びたつ。
「おまえら二人は、出来るかぎり壁際へ寄っていろ」
シャチが先ほどのように水で押し流そうとしてきたときに、二人が流されないようにである。
ディアナとコリーンが石扉の前まで退避するのを確認すると、アルと葉月はシャチを挑発するように武器を構えて水際に立った。
黒い巨体が水を押し上げながら迫ってくるのが見える。水の塊に紛れて二人に食らいつくつもりだろう。
水の塊がアルと葉月に襲いかかる。
二人は流されまいと踏ん張り、迫り来るシャチの巨体を剣で押しとめた。
「今だ!」
アルが叫ぶ。
ディアナはすぐに意識を集中し、冷気が凝縮されるイメージを膨らませた。
少しでも気を抜けば、二人はシャチに食らいつかれてしまいそうだ。
必死の形相で押しとめているアルと葉月だが、シャチの強大な力にじりじりと押し戻されている。
「早くしてくれ!」
葉月も限界に近い。
広い空間が急激に冷やされ、壁に霜がはり、天井から氷柱がさがりはじめる。
水面はパキパキと音をたてながら凍てつきはじめ、波打った形のまま凝固しはじめた。
「さ、寒い……っ!」
コリーンは体を震わせる。
両手を広げるディアナのわきを冷気が通り抜け、広い空間全てが急激に冷やされる。
冷気は、全身ずぶ濡れになった四人の体温もじわじわと奪い始めていた。
濡れた服も凍りはじめている。
「アル……っ、これは別の意味でヤバイぜ」
「ああ、だが、そろそろ頃合みたいだ」
二人はお互いに頷きあうと、同時に左右へとんだ。
目の前の得物を失ったシャチは、そのまま回廊を抜ける。だが、回廊を抜けたシャチを待っていたのは、彼が自由に動き回れる水ではなく、水面に分厚く張った氷だった。
「ざまあみやがれ!」
葉月はそう叫び、シャチに向かって大きく飛んだ。
刀を逆手に持ち替え、額に埋め込まれている青い宝石のようなものに全体重を乗せて突きたてる。
刀身が半分ほど刺さり、青い宝石に亀裂がはしった。
シャチはのたうちまわり、葉月は振りとばされてしまう。
「ぐっ!」
壁に叩きつけられる葉月。
「くそっ、あたしだってっ!!」
コリーンが走った。
シャチの身体を駆けあがり、刺さったままの刀の柄に回し蹴りをたたきこむ。
「て、てめぇ、人の愛刀を足蹴にしやがって!!」
思わず声を荒げる葉月だったが、コリーンの蹴りのおかげで刀がより深く刺さりこんだ。
「刀を雷撃しろ、ディアナ!」
アルが叫ぶ。
「やれぇ!」
葉月も叫ぶ。
頭の中で稲妻が炸裂するイメージを膨らませるディアナ。
ディアナが右手を揚げると、シャチの頭上にどす黒い雲の塊が形成されはじめる。そして、手を振り下ろすと、雲から一筋の稲妻がはしり、シャチの額に突き刺さった刀をうった。
稲妻が刀身をとおり、シャチの体を抜ける。
「俺の愛刀がぁあああっっ!!」
葉月が悲鳴を上げた。
シャチは大きく痙攣をしたあと、そのまま動くかなくなる。そして、その体がまるで溶けるように崩れ始め、あっという間に大きな水溜りと化す。
水溜りの中に残されていたのは、葉月の刀と砕けた青い宝石のようなもだけだった。
葉月は、涙目のままそれを拾い、異常がないか刀全体を舐めるように見回しす。
シャチが消えると、回廊に入ってきたのとは反対側の石扉が、重い音を立てながらゆっくり開きはじめた。
「来い……ということか」
アルは、新たに切り開かれた道を見つめて言った。
先に進むしか選択肢はないようだ。
「寒くてかなわねぇ、とっとと行こうぜ」
刀の無事を確認しおえた葉月は、刀を鞘におさめると身震いしながら歩きだした。
ただでさえ全身が濡れているのだ。室温が戻りつつあるとはいえ、空間そのものが氷付けになった回廊は、まだまだ凍えるほど寒い。
ディアナを見ると、また何かに引き寄せられるようにふらふらと歩きだしている。
「早く行こうぜ、アル」
コリーンに急かされ、アルは周囲に神経を張り巡らしたままディアナのあとを追った。
回廊を抜けると、またしばらく通路が続いた。
四人とも着衣が肌に張り付いて気持ちが悪い。
「服を乾かしたいぜ……」
太ももや膝にまとわり付くスカートがわずらわしく、コリーンの歩き方がぎこちない。
「なんつーか……」
葉月がソワソワしている。
「ディアナの服が白いから、肌……」
「いっぺん死ねぇ!!」
何かを言いかけて、コリーンに蹴り飛ばされる葉月。
ろくでもない事でも口走ろうとしたのだろうという事は、その場にいる全員が想像できた。
やがて、四人は小さな部屋へたどりつく。
その部屋は、壁全体が青く淡い光を放っていた。そして、その光りはまるで水面のように揺らめいている。
「行き止まりか?」
コリーンは突き当たりの壁に触れてみたが、全体が淡く光っているということ以外、質感などはいたって普通の壁だった。
「まだ、何かの試練があるのか」
アルが呟いたとき、部屋に声が響きわたった。
「見事だ。セルフィーナの力を受け継ぎし者よ」
部屋の空気を振るわせるようなその声は、全員の耳に飛び込んでくる。
「お前は誰だ!?」
アルが問う。
「我は水の精霊を統べるもの」
声はこたえた。
「私はいったい何者なんですか?」
ディアナが問う。
「己が何者なのか知りたくば、火、風、大地の神殿を巡るがよい」
「そうすれば分かるんですか?」
「全ての試練を越えれば、真実の扉が開かれる」
「真実……」
真実という言葉が、ディアナの心に重くのしかかる。
「まずは、我の力を解放しよう」
声が消え、あたりがまぶしく輝いたかと思うと、その光りが収束していき、ディアナが持つペンダントへと宿った。
「さあ、行くがよい」
「待って、まだ聞きたいことが……っ!」
その瞬間、四人はまばゆい光りにつつまれ、ディアナの声は宙へとかき消された。
光りは四人をつつむような球体となり、やがて弾けるようにきえる。
光りがきえると、四人は階段が現れた地上階の神殿にいた。
下り階段は消えていた。
ペンダントに宿った光りも消えている。
「何か変わったところはあるのか?」
コリーンが心配そうな表情を浮かべた。
身体への変化は特に感じていないので、ディアナは小さく首を振ってこたえる。
「火、風、大地の神殿か……」
アルは沈思する。
試練を越えろと言っていたが、他の神殿が何処にあるのかはについては触れていなかった。
つまり、神殿のありかを探すのも試練のうちと考えるべきだろう。
この先、帝国を相手にするうえで、ディアナの中に眠るセルフィーナの力とやらは役に立つかもしれない。
先ほどの様子だと、ディアナ自信も自分が何者なのか知りたがっているようだった。
当面の旅の目的は、ディアナの秘密明かしで良さそうだ。
「おい、そんな事より、早くこれを持って帰ろうぜ!」
止血剤の材料となるコケが入った袋をかかげるコリーン。
水には濡れたが、コケは無事のようだ。
「そうですね、早くビクトルさんのところへ戻りましょう」
ディアナが神殿の外へ歩みだそうとしたとき、
「待て!」
外から感じるただならぬ気配に気付いた葉月が、それを静止した。
「この気配は……」
アルも気配に気付く。
その気配は、前にいちど感じたことのある気配だった。