ビクトル
ディアナたちは、街の中心にある大きな病院に来ていた。
ソアラの母から聞いた話だと、その医者はこビクトルという名で、この病院で外科医をしているらしい。
マロニエが植えられた白い石畳の並木道をすすみ、病院のエントランスへと向かった。
ロビーに入ると、すぐ正面にインフォメーションがあり、若い女性の受付が患者や来客の対応をしている。
「こちらにビクトル先生という方がいらっしゃると聞いたのですが」
ディアナが駆け寄り、受付嬢にそう尋ねた。
「はい、ビクトルは確かに当院の医師です」
「面会をお願いできませんか?」
「面会……ですか……?」
少し困った表情を浮かべた受付嬢は、そう言うと隣の同僚と顔を合わせ、アイコンタクトを送りあう。
「申し訳ございません、ビクトルは、その……、非常に多忙でして――」
「手術をするのに、高額な金を一括払いのみで請求する医者が多忙とは、ここは随分と儲かっているようだな」
「あの……、先生は、プライベートな理由で取り込んでおりまして――」
「つまり、暇という事だろ」
冷ややかな口調で、アルは受付嬢の言葉をことごとく打ち消した。
「そんな事より、お嬢さん。仕事が終わったあと、俺とおちゃーーっ!?」
受付嬢を口説こうとする葉月を、突然側面から飛んできたハイキックが吹っ飛ばす。
「病院で白昼堂々、古風な口説き方で事務員ナンパしてんじゃねぇよ、このチ○カス野郎!」
そう言ったのは、燃える様な長い赤毛を首元で縛った、アルと同い年くらいの少女。
ナース服を着ているところを見ると、この病院の看護師なのだろう。
葉月を蹴り飛ばしたのもこの少女だ。
「話は聞いたぜ。あんたらビクトルに会いたいんだろ? あたしが会わせてやるからついてきな」
「コ、コリーン! ちょっと待って……っ!!」
受付嬢は、慌てて止めにはいるが、コリーンと呼ばれた少女はそれを無視して院内へと歩いていった。
「あたしは、コリーン。よろしくな」
コリーンは、歩きながら名を名乗った。
「ディアナです」
「アルだ。お前が蹴り飛ばした男は、葉月だ」
「ところで、あんな男に何の用だ?」
「実は、手術をお願いしたくて……」
それを聞いたコリーンは、立ち止まり、振り返ってディアナの目を見つめる。
「……父親がどっちなのか分かんないのか?」
「何の話ですかっ!!」
ディアナは、思わず声を張り上げた。
ビクトルの診療室へ向かっている途中、可愛らしい顔立ちの女性看護師に出会う。
「あら、コリーン。お客さん?」
肩下で切りそろえられ金髪で、年齢はコリーンと同じくらいに見える。
「美しいお嬢さん。あなたに会うため、僕は生まれてきました」
光の速さで少女の両手を握った葉月は、その瞳を見つめながら言った。
「てめぇの頭には、それしか無ぇのか、この歩く生殖器野郎が!!」
葉月の側頭部をコリーンのハイキックが襲う。
「甘い、そう何度も同じ攻撃をくらうか。そんな服でハイキックなんてしてたら、パンツ――ほがはぁ!!」
コリーンの蹴りを顔に当たるギリギリで受け止めた葉月。
だが、コリーンは止められた足を軸にして跳ね、反対の足で後ろ回し蹴りで葉月の後頭部を蹴り落とし、軽やかに着地してみせた。
「あ? パンツがどうしたって?」
「コリーンったら、病院で怪我人を出さないでよ?」
少女は、そう言いながら苦笑する。
「平気平気、ここならすぐに治療だって出来るしな」
「もう、そういう問題じゃないでしょ?」
少女に諭されたコリーンは、へへっと笑ったあとディアナたちに向き直り、
「この娘はラナってんだ。よろしくな」
少女の紹介をした。
「さ、着いたぜ。ここがビクトルの診療室だ」
ビクトルの診療室は、三階にあった。
「おい、ビクトル。あんたに客が来てるぞ」
コリーンは、ノックしながら扉の向こうへ呼びかける。
「おかしいな、いないはずは……ん?」
そう言いながら、中から聞こえてくる妙な物音に気付き、扉に耳を当てて中の様子をさぐった。
コリーンの表情が怒りと羞恥が入り混じったものへとみるみる変り、拳を握りしめてワナワナ震えだす。
「ちょ、ちょっと待っててくんねぇか?」
引きつった苦笑いを浮かべながら、振り返ってそう言い残すと、勢いよく診療室の中へと入っていった。
「てめぇら、真っ昼間から何やってやがるっっ!!」
中から聞こえてくる怒声と、何かをひっくり返したような派手な物音、そして悲鳴。
「……中では、一体なにが」
中から漏れ出てくる音を聞きながら、ディアナはぽつりと呟いた。
しばらくして扉が開き、コリーンが顔を出し、
「悪ぃ、待たせたな。どうぞ、入ってくれ」
苦笑を浮かべながら、コリーンはディアナたちを招きいれる。
診療室の中には、コリーンの他に気だるそうな表情を浮かべながら、衣服の乱れを整えている若い看護師の女性と、丸めがねをかけた無精髭の男がいた。
「あんたに客だ」
コリーンがそう言うと、丸めがねの男は、白衣の袖に腕を通すの動作を止め、ディアナの全身を足先から毛先まで舐めるように見回す。
「ビクトル先生ですね? あなたにお願いがあって来ました」
「俺は忙しいんだ。帰れ」
ディアナの言葉のあと、ビクトルは手をひらひらさせながら間髪居れずに言った。
「病に侵された女の子を一人救って下さい! 手術をすれば助かるんです。先生しかいないんですっ!」
「五千万。一括払いだ」
「お金はありません。でも、その代わりに何でもします。だから……っ!!」
「何でも……ねぇ」
なおも食い下がるディアナをやる気のない半眼で嘗めまわし、
「脱げ」
そう言ってニヤリと笑みを浮かべた。
「悪ぅ~」
気だるそうな表情の女性看護師は、そう言うとけらけらと馬鹿にしたように笑う。
ビクトルのことを睨んでいたディアナが、意を決した表情で服の裾を捲し上げようとしたとき、アルがその手を掴んで止める。
「とんだ無駄足だな、帰るぞ」
「離してください、アルさん!」
困惑した声を上げるディアナに、
「ここでディアナが脱いでも無駄だぜ? あの顔見ろよ、はなっから引き受ける気なんてねぇよ。俺としては、すっげー見たいんだけどな。ディアナの裸」
葉月が軽口を交えながら言った。
アルがディアナを連れて診療室を出ようとした時、
「待ってくれ!」
コリーンが三人を呼び止める。そして、ビクトルへと向き直り、目じりに涙を浮かべて訴えた。
「もう、いい加減にしてくれよ! 昔のあんたは、そんなんじゃなかったろ!?」
「昔は昔、今は今だ」
ビクトルのコリーンのやり取りをみて、気だるそうな表情の女性看護師は、我関せずという表情でこっそり診療室を出ていく。
「リアラが死んだのは、あんたのせいじゃない。あれは事故だ。仕方なかったんだ!」
「うるさい、黙れ!」
「孤児だったあたしを引き取って、家族として迎えてくれた、あの頃のあんたに戻ってくれよ!」
必死に懇願するコリーン。
「黙って聞いていると、まるで駄々っ子だな、あんた。結局、失敗が怖くてただ逃げているだけの意気地なしじゃねぇか。行こうぜ、ディアナ」
あきれ顔を浮かべ、葉月も退室をうながす。
「ビクトル先生!!」
「……良いだろう」
ディアナが呼びかけると、ビクトルはぽつりと呟いた。
「だが、条件がある」
「金か?」
アルは、皮肉を込めて冷ややかに聞き返す。
「この街を流れる川の上流には、大きな湖がある。そこに『水の神殿』と呼ばれてる遺跡があるんだが。そこに特殊なコケが群生している。そのコケを見つけて採集してこい。そうしたら考えてやっても良いだろう」
「あのコケは、全部採りつくされちまってるはずだろ!?」
ビクトルの言葉を聞いていたコリーンが言った。
「結局、無理難題をふっかけて逃げるのか」
アルは、そう言いながら鼻で笑う。
「手術には、止血剤が必要だ」
アルの言葉を聞き流し、ビクトルは真面目な顔で語り始めた。
「そのコケをすり潰した葉液は、出血の量を抑える効用がある。止血剤を作るためにために、そのコケが必要だ。いま、この病院の止血剤は在庫が無い状態だ。止血剤がなければ手術は出来ない」
「つまり、俺たちに材料を採ってこいということか」
「そうだ」
頷きながら、ビクトルは答える。
「そのコケが採集できたら、手術をしてもらえるんですか?」
「考えてやろう」
コリーンの話では、そのコケはもう生えてないということだ。だが、五千万という大金を用意するよりは現実的な話に思えた。
「分かりました。必ず見つけてきます」
ディアナは大きく頷き、瞳の奥に決意の炎を揺らめかせ、ビクトルの目を見つめ返してそう答えた。