日常
クルト村は、周囲を山と森に囲まれた、辺境の小さな村だった。
ここには、数週間前に十五歳の誕生日を迎えたばかりの、いっぷう変わった少女が暮らしている。
少女の名は、ディアナ・シーレン。
村の自警団長の娘で、透き通った絹のような長い金髪から覗かせるのは、人間の耳ではなく猫の耳。
更にしっぽまで生えていた。
もちろん、全てそれ本来の機能を果たしている本物だ。
何より特徴的なのは、彼女がこの世界では希少となってしまった『魔法』を使えるということだった。
幼少のころに、他人とは違うその容姿のせいで、同世代の子供たちから苛められたこともあったが、自警団長の娘ということと、何より彼女が持ち合わせている人当たりの良さのおかげで、今では村のみんなから愛される存在となっていた。
今日もディアナは、キッチンで自警団詰め所にいる父へ届けるために、弁当作りに精をだしていた。
昼どきに合わせて持っていくのが毎日の日課になっている。
目的は他にもあるのだが。
ふた付きのピクニックバスケットにキンガムチェックの布をしき、サンドイッチや果物などを詰め、最後に水筒にいれたコーヒーを隙間におさめる。
一人分にしては、若干多いようにも見える。
「ふふ、完成。我ながら美味しそう♪」
満足げにそう言うと、ディアナはふたを閉め、バスケットを腕にぶら下げて家をでた。
天候は快晴。初夏の日差しが肌を照りつけ、深緑の香りが鼻孔をくすぐった。
クルト村は、人口百数十人程度の小さな村。家屋の数も数十棟しかない。村を南北に分断するように小川がはしり、村の東側にライ麦畑が広がっている。畑に面した川岸に水車小屋が設置されており、小屋の中からは、水力を利用して動く粉挽き機が、ライ麦を挽く音が漏れ聞こえている。
ディアナの家は村の南側あり、自警団詰め所は村の中央広場沿いにある。家から詰め所まで、ゆっくり歩いても七~八分程度の距離だった。
初夏の日差しを浴びながら鼻歌混じりで歩き、すれ違う人と明るく挨拶をかわす。
「お父さん、お昼持ってきたよ!」
元気よく、詰め所のドアを開くディアナ。
詰め所の中は、なにやら物々しい空気に包まれていた。
数名の自警団員が武具の手入れや装備品のチェックをしている。まるで戦の準備である。
「あら、ディアナちゃん。こんにちわ」
ディアナに気がついて声を掛けてきたのは、背中まで伸ばした黒髪を首の後ろで束ねた女剣士だった。
「アイラさん、これから何かあるんですか?」
「西の森に魔獣が出たとかで、これから討伐しに行くのさ」
そう答えたのは、端整な顔立ちの好青年。
「ナック、余計な事は言わないでくれないか?」
もみ上げから顎にかけて髭を生やした男が、苦笑しながら青年に言った。
「魔獣!?」
ナックの言葉に、ディアナは目を輝かせ、髪の色よりややくらい色の猫耳と、ライトグレーの尻尾をピンと立てて反応した。
「先に言っておくが、ダメだからな?」
「ま、まだ何も言ってないじゃん!」
髭の男にクギを刺され、ディアナが思わず声を上げた。
「……何年お前の父親をやっていると思っている? お前が何を言おうとしたかくらい、容易に想像できる。何より――」
ため息交じりで言いつつ、ジト目をピンと立つディアナのしっぽに落とし、「しっぽがしっかりと語っているじゃないか……」と、冷ややかなツッコミを入れた。
「でもほら、わたしの魔法が役に立つかもしれないよ?」
「あのなぁ、ディアナ……」
食い下がるディアナに、髭の男は小さくため息を付きながら、
「ピクニックに行くわけじゃない。遊び半分でついて来られても、こっちが迷惑なんだ」
キッとディアナの目を見つめてピシャリと言いはなつ。
「ハイゼル隊長の言うとおりだよ。何より危ないじゃないか」
ナックが続け、
「諦めなさい。ディアナちゃん」
アイラがディアナの頭にポムと手を置きながら追い討ちをかけた。
孤立無援とは、こういう状態の事を言うのだろう。
「うぅーっ! ナックまで……」
まるでリスが頬いっぱいに餌をほお張るかの如く、ディアナは頬いっぱいに空気を貯めて膨れっ面を見せた。
「分かったなら準備の邪魔だ。さあ、家に戻れ」
野良猫を追いやるような仕草でディアナをあしらいながら、ハイゼルが言った。
「うん、分かったよ……。あ、お弁当、多めに作ってきたから、良かったらナックも食べてね……」
ディアナは、入り口の扉から身体半分だけ覗かせ、しくしくとさざめ泣きしながらそう言うと、扉の向こうへと消えていった。
「やれやれ、やっと諦めたか……」
扉の向こうに消えたディアナを見送り、白髪が目立ち始めた頭を掻きながらハイゼルがつぶいた。
「良い娘じゃないですか」
アイラの言葉に、ハイゼルは苦笑をかえした。
家路を急ぐディアナ。
ナックは、これから討伐に向かうと言っていた。
大人しく家で待っている気など、毛の先ほどにも無い。
今すぐ用意すれば、出発までに間に合うかも知れない。
そんなことを頭の中で考えを巡らせながら、帰路を急いだ。
帰宅後、真っ直ぐ自分の部屋へむかう。
部屋に入って左手の壁には、柄頭に剣緒の代わりに赤いリボンが結ばれた一振りの小剣が飾り掛けられてる。
部屋に入るなり壁に掛けられた小剣を手に取り、鞘から抜いて剣身を確かめた。
刃渡り70cmほどの両刃の小剣は、数年前にハイゼルが護身用に買い与えてくれたもので、ディアナもたまに剣の稽古をつけてもらっていた。
稽古のたびにハイゼルが手入れをしてくれていたし、定期的に村の鍛冶屋で手入れもしている剣身は、まるで新品同然の輝きを放っていた。
ディアナは、厚手の生地でできた白地のチュニックワンピースに着替え、ポーチと剣吊りにベルトをとおして腰にまき、壁に飾りかけてある小剣をさす。
香辛料が入った小瓶を数本、食料棚から取り出してポーチに入れ、自分の昼食がまだだった事を思い出し、ライ麦パンも一つ取り出して頬張り、それを水で胃袋に流し込んだ。
その後、髪の毛を軽くとかし、耳から後ろの髪を後頭部で一つにまとめてポニーテールを作り、鼻歌を歌いながら手鏡を使ってサイドの髪とポニーテールの垂れ具合をチェックしてから、その鏡もポーチのサイドポケットに収納する。最後にマントを羽織ってディアナの身支度が完了した。
「ちょっと、時間掛かりすぎちゃったかな……」
ディアナは、苦笑ながらつぶやくと、急いで家をでた。
ディアナの心は、完全にピクニック気分に浸っていった。