裏切り
Chapter2の最終話になります。
街の中を走行するのは危険と判断したソシューは、街に入るまえにバイクを乗り捨て、郊外の下水口からアジトを目指すことにした。
下水道に帝国兵はおらず、何の問題もなくアジトへ到着する。
普段、硬く閉ざされているアジトの壁が開かれていて、それを見たソシューの顔に警戒の色がともる。
まだ、片手で数えられる程度しかここへ来ていないディアナでも、それが不自然であることは理解できた。
片腕でディアナの行動を制しながら、ソシューは物音を立てないように注意を払って入り口へと近づき、壁に背中を張り付けたソシューは、こっちへ来いとジェスチャーを送る。
ソシューが中を覗き込むと、いつも番人をしていたレジスタンスメンバーが、うつ伏せに倒れて死んでいた。
「――――っ!?」
それを見て、思わず節句するディアナ。
首筋には黒ずんだ小さな傷があり、苦悶の表情を浮かべた顔は、茶褐色に変色している。
死体はそれだけでない。アジトの中には、他のメンバーの死体も転がっており、その全てが同様の状態だった。
「毒……か?」
静かにゆっくり、音を立てないように中へ進みながら、ソシューはそう呟く。
広間には、ウォルターやソニアの死体も転がっていた。
そして、ニコだけが椅子に座って足を組み、にこやかな表情で二人を出迎える。
「おかえり。遅いから心配しちゃったよ」
ニコは、いつもの軽い口調でそう言った。
「ニコ……、いったい何があったんだ!?」
「見て分かんない? みんな死んだのさ。オレが殺した♪」
にこやかだった笑顔が、だんだん悦に浸った歪んだものへと変わっていく。
「あんなに偉そうだったリーダーなんて、あっさり死んじゃったよ。ははっ! ソニアなんて、もっと見ものだったぜ? あの女がオレに好意を寄せていたの事は、前々から気付いていたからね。最後まで信じられないという顔で死んでいったよ。オレにすがり付いてね。くくく」
そう言いながら、ニコはいつも嵌めているグローブを脱いだ。
「どうして!? どうして、そんなことを!?」
ディアナが叫ぶ。
「どうして? マジで言ってンの、お前? そんなの決まってンじゃん。オレが帝国の人間だからだよ。帝国の特殊工作員。それがオレの本当の姿。スパイとしてレジスタンスに潜り込んでいたのよ。手配中の小娘が転がり込んできたときは、本気で驚いたぜ? オレにもツキが回ってきたってな」
「貴様っ!!」
逆上したソシューが殴りかかった。
「ぅおっと、あぶねぇ!」
ソシューの攻撃をひらりと避けたニコは、右の手刀をソシューのわき腹へと突き刺した。
「うぐっ!?」
「ソシューさんっ!」
ニコは、ソシューのわき腹から手刀を引き抜く。指先は、根本までソシューの血で真っ赤に染まっている。
ニコの手は、指の根本から手首までは、浅黒くに変色していた。
「毒手といってな、毒虫や毒草をすり潰したものを入れた瓶に手を突っ込んで、長い年月かけて毒を強くしていくんだよ」
自分の手をディアナに向け、恍惚な表情で説明をした。
ニコにわき腹を突かれたソシューは、うずくまってくる悶絶している。
「この毒は、即効性でね。早く解毒しないと、そこいらに転がってる死体の仲間入りするぜ?」
そう言いながら、ニコはニタリと笑ってみせた。
急いでソシューのもとへ駆け寄ろうとしたディアナだったが、その行く手をニコが遮る。
「へへっ、そうはいかないぜ?」
「私たちがナーシュ将軍に捕まったとき、どうして救出作戦に協力したんですかっ!?」
自分が帝国の手の内に落ちたのなら、レジスタンスに協力などせず、そのままにしておけば良かったはずである。
「そりゃ、近衛将軍だけじゃなく、陸将まで出し抜いたとなりゃ、お前さんの価値がぐんと上がるだろ? それを捕らえたとなりゃ、かなりの恩賞が期待できるじゃねぇか。一軍の長なんてのも夢じゃねぇだろ?」
まるでディアナを馬鹿にするような口調で言った。
「そんな事のために……っ!」
「ほら、大人しくオレに捕まれば、そいつの治療をさせてやるぜ?」
このままではソシューが死んでしまう。だが、この状況で彼の治療は不可能だ。かといって、ニコに従ったところで治療をさせてくれる保証もない。この男を倒すという選択肢もあるが、それまでソシューの命がもたないかも知れないし、一撃で仕留められなかったら、ソシューに危険が及ぶことが目に見えている。まさに八方塞の状態だった。
「ほら、どうした?」
そう言って、ニコがディアナに近づいたとき、
「ぅおおおおおっ!!」
いつの間にアジトへ来たのか、物陰に身を潜めていたアルが飛び出し、掬い斬りを試みた。
咄嗟にテーブルを蹴って、間合いを狂わせるニコ。
「こいつは俺に任せろ」
そう叫ぶと、アルは再びニコへと斬りかかり、ニコからディアナから引き離した。
「アルさん、その人の手には、毒が塗られてますっ! 気をつけて!!」
ディアナは、アルに毒手のことを告げると、うずくまって苦しんでいるソシューのもとへと駆け寄った。
「邪魔だ、外へ連れ出せ!」
治療を始めようとしたディアナに向かって、アルが怒鳴る。
ソシューの腕を自分の肩に回し、担ぎ上げようとしたが、重たくてびくともしない。彼も身体がうまく動かないようで、ただ苦しそうな呻き声をあげるだけだ。
すぐ後ろでは、アルがこちらを気にかけながらニコの猛攻を防いでいる。
焦るディアナ。肩に掛かっていた重量感が不意に軽くなった。
「ディアナちゃん、急いで!」
気が付くと、キャロルがソシューの反対側の腕を担ぎ上げていた。どうやら、アルと一緒にアジトへ来ていたようだ。
キャロルの手助けを得て、壁を開くための鉄製ハンドルがある場所まで退避させると、ディアナはすぐに治療を始める。
ソシューに両手をかざし、体内を巡っている血が浄化されているイメージを強く念じる。手のひらが光を放ち、その光がソシューを包み込む。
ソシューの呼吸は、少しずつだが落ち着きを取り戻していった。
背後の様子を気にしながら戦っていたアルだったが、ディアナたちが退避してくれたおかげで心置きなく戦えるようになった。
「遊びは、ここまでだ」
ニコと間合いをとると、アルは右半身の前屈になり、剣を左肩に担ぐように構える。
「おいおい、遊んでやってるのはこっちだぜ? そろそろ本気でいかせてもらおうか」
肉食の昆虫が、獲物を捕らえようとしているような独特の構えをとって、ニコはニヤリと歪んだ笑みをこぼす。
ニコが床を蹴る。散乱した机や椅子を縫うようにすばやく動き、アルに襲い掛かった。
「死ねぇえええ!!」
アルの顔をめがけて、手刀を突き立てるニコ。
顔を引いてその攻撃をかわすと、そのまま瞬間的に左半身の後屈に体位を変え、その勢いを利用して剣を振り下ろしてニコの右手を肘から斬りおとす。
「ぐぁあああああっ!!」
肘から先が無くなり、血をしぶかせている自分の右腕を見て、ニコは半狂乱になってのた打ち回る。
「キサマっ! キサマっ! キサマぁあああ!!」
ゆらりと立ち上がったニコは、憎しみの炎を宿らせた瞳でアルを睨みすえながら叫んだ。
アルもニコへと向き直り、無構えで立つ。
正気を失ったニコは、感情に流されるまま、直線的な動きで左の毒手をアルに付き立てようとした。
それをひらりと回避したアルは、そのまますれ違いざまにニコの腹を凪いだ。
ニコの腹部からは、臓腑とともに大量の血が零れおちる。
「お、オレの腹がっ! オレの腹……ぐばはっ!」
零れ落ちた臓腑を左手で拾い集めようとしたが、その途中で血を吐き、そのまま前のめりに倒れ、二度ほど痙攣したあと動かなくなった。
血振りした剣を鞘に収めたアルは、ニコの死体に目もくれず、ディアナたちのもとへと向かった。
「毒は、なんとか取り除きました……」
額ににじんだ汗を拭いながら言うディアナの表情は、どこか沈んでいる。
「ソシューの様子はどうだ?」
そこへ、アルがやってきた。
「ニコは?」
「死んだ」
キャロルの質問に、一言だけ答える。
「ぅう……」
気を失っていたソシューが、ゆっくりと覚醒した。
「大丈夫ですか?」
「何がどうなった……?」
まだ意識が混濁しているようだ。
「あなたは、ニコの毒に倒れたのよ。それをディアナちゃんが治療してくれたの。アル君がニコを倒してくれたわ」
「そうか……」
そう言うと、ぼやけた頭を振りながら立ち上がろうとする。
「――――っ!?」
下半身がいう事を聞かず、再びそのまま倒れこむソシュー。いう事を聞かないというよりは、全く感覚がないと言ったほうが正しい。
「ごめんなさい。身体の毒は取り除けたのですが、治療を開始するまでの間に下半身の神経が毒によって破壊されてしまっていて、今の私には治療が出来なかったんです……っ!」
「…………」
自分が置かれた状況を飲み込み、ソシューは落胆の色を隠せないでいた。
「もう行くの?」
キャロルの家、アルに間借りさせている部屋の壁にもたれ掛かりながら、キャロルは荷物を纏めているアルとディアナに聞いた。
あれから五日、アルとディアナは、旅の準備を進めてきた。
「はい。これを届けるって、サーシャと約束しましたから」
死の間際、サーシャから渡されたロケットペンダントを見つめてディアナが言った。ロケットペンダントを開くと、そこには彼女が自分の母親と妹と三人で写っている写真がはめ込まれていた。
「クレアの街までは、かなり遠いわよ? 隣町まで送ってあげましょうか?」
過ごした日数は少ないが、キャロルはそれでも、ディアナやアルと別れるのが惜しかった。少しでも二人と一緒に居たいから、そう言ったのだ。
「いや、必要ない。あんたは、レイクやソシューの傍にいてやれ」
ぶっきらぼうに言ったアルだが、彼なりに気を使ったのだろう。
下半身が付随になってしまったソシューは、あれからふさぎ込んで部屋に閉じこもっていた。
もともと身寄りが無かった彼を、キャロルが自宅に招きいれて世話をしているのだ。
「大丈夫です。ちゃんと準備もしてるし」
「そう……、なんか、気を使わせちゃったわね」
キャロルは、さびしそうな表情を浮かべながら言った。
「いや、俺たちも世話になった。旅に必要なものも、あんたが揃えてくれたしな」
そう言いながら、アルはカバンのファスナーを閉じて背負った。
「では、そろそろ行きます。レイクとソシューさんによろしく伝えておいてください」
キャロルが用意してくれたショートソードを腰に下げ、ケープのフードを目深までかぶって言うディアナ。
「近くまで来たら、かならず寄ってね」
「はい、必ずっ!」
「二人とも、元気でね」
「あんたもな」
そして、ディアナとアルは、キャロルの家をあとにして、クレアの街へと向けて旅立っていった。