奪還作戦
遠くで話し声が聞こえる。見張りが交代するようだ。
暫くして、足音が急速に近づいてくる。見張りの兵士がディアナたちがいる牢の前に駆け込んでくる。
「ディアナ、助けに来たよ!」
目深にかぶったモリオンの先端を指で持ち上げ、見張りの兵士が言った。
「サーシャ!」
「しーっ!」
思わず声を上げて喜ぶディアナを、サーシャは自分の唇に人差し指を当てて静かにするよう促す。
牢の鍵を開けたサーシャは、二人分のバフ・コートとクゥイラスを差し出した。
「その服の上から出いいから、これを着て! ヘルメットは、ここの入り口に掛けてあるから、適当に使って!」
サーシャの言葉に従い、ディアナは牢を出るが、ソシューはそこから動こうとしなかった。
「あなたも早く!」
「何を企んでいる」
ソシューは、サーシャを睨みつけて言った。
「何も企んでないわよ!」
「俺たちを助けて、お前になんの得があるというんだ?」
「友達を助けたいと思っただけよ! それ以上の理由が必要? 時間がないんだから早くしてっ!」
口早に急かす。
「ソシューさん。私はサーシャを信用します。だいいち、既に捕らえられている私たちを罠にはめる必要がありません」
「俺たちを泳がせて、アジトを突き止めるつもりかも――」
「それなら、こんなまどろっこしい事をしなくても、サーシャが案内すれば良いだけの話です!」
ディアナの言葉は筋が通っており、ソシューを説得させるのに十分な要素を含んでいた。
「キャロルさんたちと連携してるんだから、早くして! この艦の内部見取り図だって、ニコさんが用意してくれたんだからっ!」
ニコは、戦闘では役に立たないが、情報収集、特に帝国軍の機密事項を探るのに優れている。陸上戦艦の見取り図を入手できるとすれば、ソシューが知る限り、闘士の中ではニコくらいだろう。
「ソシューさん! 私たちが急がないと、レジスタンスのみんなが危険です!」
「くっ、やむをえん!」
ディアナとソシューは、サーシャに指示されたとおり帝国兵に成りすまし、モリオンを目深までかぶって素顔を隠す。
三人は不自然にならないように、出来る限り堂々と歩いて艦内を移動した。
クルーとは何度かすれ違ったが、これだけ巨大な艦だと乗組員全員が顔見知りというわけでもないらしく、三人の事を不審者と思う者はいなかった。
「上手くいきそうだね」
「まだよ。まだ油断しちゃだめ」
サーシャは、気が緩みはじめたディアナに注意を促す。
「むっ!?」
最初にその存在に気付いたのは、ソシューだった。通路の向こうからゆっくりと歩いてくるナーシュの姿。
「やばっ! 二人とも、私を真似て敬礼してっ!」
サーシャはそう言うと、拳を握った右手を左胸に当て、ぴっと背筋を伸ばしてナーシュが通り過ぎるのを待った。
だが、ナーシュは、サーシャの前で立ち止まる。
「んん!? う~ん……」
ナーシュは、唸りながらじろじろとサーシャを見回した。
今にも飛び掛りそうなソシューは、ディアナが必死に抑えている。
「新兵か?」
「は、はいっ!」
心臓が飛び出しそうなのをこらえ、冷静に受け答えようとしたサーシャだったが、思わず声が裏返ってしまった。
「そうか……、う~む……」
そう言うとナーシュは、髭先を指でつまみながら再び全身を嘗め回すようにサーシャとディアナを見つめる。
のどが鳴り、汗がふき出すサーシャ。
「お前たち……」
「は、はいっ!」
「今晩、ワシの部屋へ来い。ワシの武勇伝をたっぷり聞かせてやろう」
ナーシュは、にんまりと笑ってそう言うと、再び通路を歩き始めた。
全員が胸をなでおろす。
台詞の裏に別の意図があると感じたディアナは、ナーシュを見損なっていた。だが、そんなディアナとは裏腹に、
「くぅ! ナーシュ将軍から直々に武勇伝聞けるチャンスだったのにっ!」
サーシャは予想外の台詞を言った。
「おい、あの場合、部屋へ行ったら手篭めにされるとかいうパターンだろ」
思わずソシューがサーシャに言った。
「将軍はそんな事しないわ! 将軍の武勇伝は、帝国陸軍の新兵の間じゃ有名なんだからっ!」
『…………』
ディアナとソシューの無言がハモる。
「とにかく、危機は脱したわね。今のがストール副将だったら、間違いなくバレてたわ」
そして、三人は再び移動を開始した。
途中、ロックされた扉などが存在したが、サーシャが腰に下げた短剣を扉に近づけると、剣身がぼんやり光ってあっさりと開錠される。
「凄いでしょ? これ。 アルさんが貸してくれたんだけど、ディアナを飛空船から救出するために船内へ潜入しようとしたとき、入り口にこれを近づけたら、勝手に開いたんだって」
そう言いながら、アルから借りたという短剣を見せる。
剣身に刻まれた血管のような筋をなぞるように、ときおり青白い光が漏れ出ていた。
短剣から漏れ出た光を見たディアナは、まるでそれが悪意の固まりであるかのように感じ、言い知れない恐怖を感じ、生唾を飲み込む。
「そろそろね。二人とも、何かにつかまっていて」
短剣を鞘に戻すと、サーシャはそう言って壁の突起につかまった。
サーシャに言われるまま、ディアナたちも配管などにつかまった。
不意に爆発音がとどろき、振動が三人を襲う。
艦内に非常事態を知らせるサイレンが鳴り響き、第一級戦闘態勢を知らせる赤色等が点灯した。
サーシャは、再び短剣を抜き、それを壁に近づける。壁がプシュンと音を立てて左右に開き、そこから外の流れる景色と状況がうかがえた。
「何事だ!?」
陸上戦艦ベヒモスのブリッジ内にナーシュの怒声が飛ぶ。
「敵襲です! 煙幕を焚きながら隊列の間を小型車輌で縫いまわり、それを狙って撃った味方戦車の流れ弾が艦に当たったようです!」
艦橋の外を見ると、ベヒモスの右舷前方から煙が上がっているのが見えた。
「被害状況の報告と全軍に砲撃を控えるよう徹底させろ! この状況下で砲撃すれば、同士討ちになるぞ!」
味方の無能さにうんざりしながら、ストールはすばやく指示を飛ばす。
幸いベヒモスの被害は、右舷が小破した程度で済んでいるようだ。
「レジスタンスか」
ナーシュは、重々しい口調でストールに尋ねた。
「おそらく、そうでしょう」
「ここからでは、様子が分からん。甲板に出るぞ!」
ナーシュは、そう宣言んすると、ストールの制止も聞かずに艦橋を出ていく。
ストールは、仕方なくライフル銃を手にした衛兵を引き連れて後を追った。
煙幕の切れ目から、戦車の隊列を縫うように、バイクやジープ、バギーといった小回りが利く小型車輌が縦横無尽に走り回っているのが見える。
「これは……」
「ディアナ救出作戦よ」
ディアナのつぶやきにサーシャが答える。
帝国軍は、主砲による攻撃を断念したらしく、戦車兵が砲塔から上半身を出し、小銃で応戦している。
先日の街での小競り合いで原始的な武器を使っていたレジスタンスだったが、この作戦では銃器や手榴弾を使っているメンバーもいるようだ。
「っていうか、どこにこんな武器を隠してたのよ。なんでこの間の戦闘で使わなかったの?」
サーシャは、半ば呆れた顔でソシューに訊いた。
「俺たちは、テロリストではない。お前ら帝国兵と違い、少しでも街の人間に危害が及ぶ可能性がある武器は、街中では絶対に使わん」
「サーシャこそ、こんな事をして大丈夫なの?」
ディアナが心配そうな表情でサーシャの顔を覗き込みながら訊いてきた。
「う~ん、正直言うと微妙かな。でも、このままディアナを帝国に渡しちゃダメなような気がしたの。それに今の帝国は、やっぱり間違ってる。だから……」
あなたたちの仲間になる。この言葉が喉に閊えて出てこない。やはり、まだ己の中に迷いがあるのだと、サーシャは実感した。
「ディアナちゃんっ!!」
不意にキャロルの声が飛び込んできた。
キャロルは、ジープを駆ってベヒモスと併走し、徐々に近づいてくる。その横を側車付きのバイクで併走するアルの姿も見える。
「さあ! 飛び乗って!」
三人が居る場所の二メートルほど横にジープをつけ、キャロルはそう叫んだ。
足がすくむディアナ。
「早くっ!」
急かすキャロル。帝国軍の反撃は、徐々に統率を取り戻し、レジスタンスはじわりじわりと数を減らしはじめていた。
「覚悟を決めろ、俺が先に行く!」
ソシューは、そう言うとキャロルが運転するジープの荷台めがけて飛びうつった。
キャロルは、その衝撃でジープふらつかせ、そこへアルが変わりに滑り込んできた。
アルが運転するバイクの側車は、ベヒモス側についており、飛び移れる面積は小さい代わりにジープより小回りが利く。
「早く来いっ!!」
ディアナに向かって手を伸ばし、アルは声を張り上げる。
「さあ、私も一緒に飛ぶから」
サーシャは、ディアナの背中をポンと叩いて励ました。
サーシャに励まされ、ディアナは彼女の顔を見てコクリとうなずくと、重たい鎧とバフコートを脱ぎ捨てた。
アルは、更にギリギリまで幅寄せし、歩いて渡れる距離までバイクを近づける。
縁ぎりぎりに立ち、呼吸を整えているディアナを、サーシャは後ろから押し倒すような形で、側車に向かって倒れこんだ。
小さな悲鳴を上げるディアナ。
「アルさん、行って!!」
「よしっ!」
アルは、ハンドルを切って急速でベヒモスから離れていった。
「む!? あれは!」
双眼鏡で眺めていたナーシュは、かすみ始めた煙幕の中、ベヒモスから離脱していく側車付きのバイクを発見して叫んだ。
レジスタンスのバイクの側車には、帝国兵の姿。その下には、白いケープの一部と透き通るような金髪と猫耳が見え隠れしている。
「ほ、捕虜に逃げられているではないか! 逃がすなっ! 撃て撃てぇええ!!」
隊列の間を縫い回るレジスタンスは、捕虜を奪還するための囮だったようだ。
それを悟ったナーシュは、唾を撒きちらしながら号令をかけ、それを合図にライフル銃を構えた衛兵たちが一斉に発砲した。
バイクを銃弾が襲い掛かる。距離があるため、そうそう当たるものではない。
歯噛みしながら双眼鏡でバイクを追っていると、側車に覆いかぶさっている帝国兵の背中から、ぱっと血花が咲いたのが見てとれた。
「ば、馬鹿もん! 本当に当てるやつがあるか!!」
そう叫びながら射撃を制するナーシュを見て、ストールは「あなたが撃てと言ったんでしょう……」と呆れたように小さく呟いた。
結局、帝国軍は命令が統一されず、統制を保てないまま捕虜に逃げられてしまった。
「なんとか逃げ切ったようだな」
アルは、バックミラーで後ろを確認しながらそう言って、バイクのスピードを少し緩めた。
「アルさん! お願い、止めてっ! サーシャがっ!!」
サーシャに覆いかぶされたままのディアナが必死に叫ぶ。
ディアナのほうに目をやると、彼女に覆いかぶさっているサーシャの背中が真っ赤に染まっているのが分かった。
アルがバイクを止めると、後ろを追走していたキャロルが「どうかした?」と言いながらジープを寄せて止めた。
アルが側車からサーシャを降ろし、地面に横たわらせると、じわりと血だまりが広がった。
銃弾は、右の肩甲骨の下から鳩尾に抜け、クゥイラスの内側で止まっている。その傷は、誰が見ても致命傷だと判断できる。
「サーシャ、しっかりしてっ!!」
サーシャの手を握り、ディアナが必死に呼びかけた。
「あ……はは、嫌になっ……ちゃうな……」
サーシャは、消え入る声でそう呟いたあと、血を吐きながら咳き込んだ。
「待って、今、治癒魔法をっ!」
そう言いながらディアナがかざしてきた手を握り、サーシャは弱々しく首を振る。
「致命……傷なのは、自分で……も、分かってる……」
そして、胸元から血が付いたロケットペンダントを取り出し、震える手でディアナに差し出す。
「これを……クレアの街……にいる、母と妹……に、渡してほしい……」
痛みに耐え、混濁する意識を何とか保ちながら、かすれた声でそう言った。
闇に支配されゆく視界の端で、キャロルが悲痛な表情を浮かべているのが見える。
「キャロル……さん」
サーシャは、消え入る声でキャロルの名を口にし、弱々しい微笑みを見せる。
「サーシャ! だめ、逝かないで!!」
ロケットペンダントを握ったサーシャの手を両手で握り、ディアナは必死に叫んだ。
「お母さん……、ソアラ……、ごめ――」
サーシャの瞳の端から、一筋の涙がこぼれ落ちる。そして、ろうそくの炎が消えるように、ロケットペンダントを握ったサーシャの腕から力が抜け落ちた。
「サーシャ!! いやぁああああ!!」
サーシャの胸で泣き崩れるディアナを励ますように、キャロルはディアナの肩に優しく手を置いた。
「ディアナちゃん……」
「せっかく、分かり合えたのに……。せっかく、友達になれたのに……」
ディアナが流した涙が、頬をつたって顎から滴り落ち、サーシャの頬に当たって砕ける。
「ディアナちゃん。サーシャちゃんは私とアル君で埋葬するわ。あなたはソシューと先にアジトへ戻って」
「でも……っ!」
「これは、俺たちを救出する作戦だったんだ。リーダーに俺たちの無事を知らせないことには、作戦の終了にならんからな」
ディアナの台詞をさえぎり、ソシューが言った。
「そういう事だ。早く行け」
そう言いながら、アルはソシューに向かってバイクのキーを投げ渡す。
「さあ、早く乗れ!」
アルからキーを受け取ったソシューは、バイクに跨るとエンジンキーを差し込んで回し、キックベダルを力いっぱい踏み込んだ。
ジープに備え付けられているスコップを二本取り出したキャロルは、そのうちの一本をアルに渡し、荒野の乾いた大地に穴を掘りはじめた。
ディアナは、自分がこの場に残っても、何もやれることが無いと悟り、サーシャの命を救えなかった自分へのもどかしさを握り締め、涙を拭いて側車へ乗り込んだ。