陸将
その日、ディアナは一人でレジスタンスのアジトを訪れていた。
アルはキャロルに無理やり連れ出され、買い出しの手伝いをさせられている。
先日の戦闘以来、ディアナはちょっとした有名人になっていたが、それでもフードを目深までかぶれば、街の人たちに気づかれることは殆どなかった。
下水路をとおり、アジトの入り口まで行き、壁を三回叩いて合言葉を言う。
いつもなら、すぐに開くはずなのだが、今日は開く気配がない。
ディアナは、もう一度壁を三回叩いて合言葉を言った。すると、やっと壁が動きはじめる。
「お前一人か?」
入り口をあけてくれたのは、ソシューだった。どうやら、他のメンバーは居ないようだ。
「みなさんは?」
「出ている」
ソシューに訊いてみたが、そっけない返答が帰ってきただけだった。
普段から他のメンバーにもこんな態度なのだが、ディアナのことは、特に意識して遠ざけているようにみえた。
「ソシューさん、私が嫌いですか?」
思わず訊いてしまう。
足を止めたソシューは、ゆっくり振り返り、ディアナへ視線を投げる。
ディアナの瞳をじっと見つめ、そして一言、「ああ、嫌いだ」と言って、いつも座っている部屋の隅の席へと向って再び歩きはじめた。
そんな時、ドンドンと入り口の壁を叩く音が響く。
「大変だ、開けてくれっ! 我は汝、汝は我、我ら一つになりて敵を穿たんっ!!」
合言葉を確認したディアナは、壁を開くための鉄製のハンドルを回そうとするが、重くてビクともしない。
「どけ!」
ディアナを押しのけ、ソシューが力を込めてハンドルを回すと、ゆっくり壁が開き始めた。
「落ちつけ。何があった」
ソシューが飛び込んできた男に訊く。
「て、帝国の大部隊が街のすぐそこまで来てるんだっ!」
「何っ!?」
「ベヒモスの姿も確認したから、陸将が直々においでのようだ」
話を聞いたソシューは、壁に立てかけておいた愛用のブーメランを背負うと、アジトを駆け出ようとする。
「おい、何処に行く気だ!?」
「決まってる。足止めだ!!」
「一人で何が出来るんだ!!」
「うるさいっ! お前はここに残ってろ!!」
ソシューの肩を掴んで止めに入った男の手を振り払い、再び駆けだす。
「待ってください、私も行きますっ!」
「邪魔だから来るな!」
「いえ、行きますっ!!」
「…………好きにしろ! だが、危なくなったら、すぐに逃げろよ!」
ディアナの目を見て、説得は無駄だと判断したソシューは、そう言うとディアナと共に駆け出ていった。
「あれがニックスファードの街か」
陸上戦艦ベヒモスの艦首甲板上で、ナーシュは腕組をしたまま呟いた。
「この街のレジスタンスが、近隣の街のレジスタンスとの橋渡し役になっているとの情報です」
やや後ろに控えて立つストールは、あらかじめ斥候から得られた情報をナーシュに伝えた。
「ストールよ。なるべくレジスタンスに手を出さないように伝達しろ」
「は……? それはどういう意味で?」
「出来る限る交戦を避けろということだ」
ストールには、ナーシュの言葉が理解できなかった。元々の作戦は、近隣の反帝国組織の中心となっているこの街のレジスタンスを潰し、近隣の反帝国組織を孤立させるというものだったはず。いざとなれば、街ごと破壊することも視野に入れての大部隊なのである。
「話をしたいのだ」
これだけの大戦力を見せつけながら話をするというのは、相手からしてみたら脅迫でしかない。しかも、相手にしてみたら、将を討つ絶好のチャンスでもある。
(この人は馬鹿か?)
ストールは心の中で呟いた。
「将軍、進路上に人影があります!」
伝令がそう告げた。
双眼鏡を受け取って覗いてみると、そこには、身の丈ほどの巨大なブーメランを持った男と、フード付きケープを目深までかぶった少女の姿。
会話までは把握できないが、男が少女に何か言っている。
「あれは何だと思う?」
ストールに双眼鏡を渡し、ナーシュは不思議そうに尋ねる。
「レジスタンス……でしょうか? 何やら揉めているようですが」
この大部隊にたった二人で立ち向かってくるというのは、正気の沙汰ではない。だが、それ以外に思いつく答えもなく、ストールは半信半疑のまま答えた。
男がからだを後ろにひねり、大きく振りかぶってブーメランを投げつけた。
それは、まっすぐとナーシュへ向かって飛んでくる。ナーシュは、首を少し動かしただけであっさりと避ける。
「がーっはっはっは! そんな攻撃がはぁ!!」
ナーシュの顔の横を通過したブーメランは、そのままUターンするように大きく軌道を変え、高笑いを上げているナーシュの後頭部へと襲い掛かった。
「しょ、将軍っ!!」
「し、心配いらん! それより、そやつらを生け捕りにしろ!!」
後頭部にブーメランをめり込ませたまま、ナーシュは慌てて駆け寄るストールに命じた。
ストールがスピーカーマイクに向かってナーシュの命令を復唱すると、陸上戦艦ベヒモスの搭乗口から十数人の陸戦隊員が湧き出し、進路上に立ちはだかった二人を取りかこむ。
多少の抵抗はあったようだが、選りすぐりの陸戦隊員の前に成すすべなく拘束されたようであった。
「何だって!?」
ニコの胸ぐらを掴みあげたウォルターは、感情に任せて怒鳴りつけた。
「リ、リーダー……。オレは情報を持ってきただけなんだし、オレに怒りをぶつけたってしょうがないよ!?」
胸ぐらを掴みあげられたまま、両手でなだめるような仕草をして、ニコは苦笑いを浮かべながら言った。
「あの直情バカがっ!」
アルは、舌打ちをしてテーブルに拳を叩きつける。
「よりによって、ベヒモスに捕らえられるなんてね」
額を手をあて、ため息をつきながら言うキャロル。
「どうすんだよ。あたしらだけで助け出せるのか?」
ソニアの言葉に全員が黙ってしまう。
「俺は一人でも行くぞ」
沈黙を破ったのは、アルの一言だった。
「いくらなんでも無謀よ!」
「無謀なのは承知のうえだ」
「アル君、そこまでディアナちゃんのことを……」
「勘違いするな。俺にとって、あいつの存在は、それくらいの危険を冒すだけの利用価値があるというだけだ」
一人で盛り上がっているキャロルに対し、アルは冷たく言いはなつ。
「確かに、我々にとっても彼女の存在は大きい……」
ウォルターが呟く。存在は大きいが、組織の壊滅をかけてまで救うほどの価値があるかは微妙――というのが本音である。
結局、誰からも妙案が生まれてくることはなく、アルが一人で淡々と身支度していいると、入り口の向こうから合言葉を言う声が聞こえてきた。
入り口が開かれる重たい磨り音のあと、声の主が部屋の中へ駆け込んできた。
ディアナとソシューは、地上戦艦ベヒモス内にある捕虜収容施設へ監禁されていた。
三メートル四方の小部屋で、入り口部分は鉄格子となっている。その向かい側の壁には、明り取り用と思われる小さな窓が一つ、天井から近い位置についている。
「なぜ、逃げなかった」
ここへ運び込まれてから、ずっと無言だったソシューがおもむろに口を開いた。
ジランディア帝国軍の大部隊を前にした時、彼はディアナにすぐに逃げるよう言ったのだ。しかし、彼女はそれに従おうとしなかった。
「それは、ソシューさんが逃げようとしなかったからです」
ソシューに逃げるよう言われた時、ディアナは彼も一緒に逃げるという事を条件として提示したのだ。
「私には、ソシューさんが死に急いでいるように見えたんです」
そんな人を置いて行けません、とディアナは言った。
「知ったような口を叩くな」
ディアナを睨み返すソシューだったが、ディアナにじっと見つめ返され、思わず視線を逸らす。
不意に遠くで鉄扉が開く音がひびき、そのあと看守と誰かの話し声が聞こえてきた。
その後、金属が擦れ合うような重い足音がゆっくりと二人のほうへと近づいてくる。
姿を現したのは、豪奢な全身鎧に身を包んだ男。口の端から頬骨のほうへ急激な角度で跳ね上がった髭の先を指でつまみながら、ディアナとソシューを値踏みするかのように足先から頭の先まで睨めまわす。
「ナーシュ・フィードル……」
ソシューが男の名を口にする。
「ほう、ワシを知っているのか。辺境の街のレジスタンスにまで名が知れ渡るとは、ワシもつくづく有名人だな」
そう言って、ナーシュはガハハと笑ってみせた。
「……誰ですか?」
ディアナの言葉に、高笑いしていたナーシュはズルッとこける。
「ジランディア帝国軍、四将軍の一人、陸将ナーシュ・フィードルだ。帝国陸軍の最高司令官さ」
ディアナは、改めてナーシュを見た。ディアナの視線に気付いてポーズを取っている男からは、自分の村を襲ってきた帝国軍の司令官のような、周囲の者を畏怖させるような威圧感は感じられない。
「それで、帝国陸将ともあろうお方が、俺のような下賎な人間に何の用だ?」
「ワシはな、レジスタンスと話し合いをしにきたのだ。お前たちのリーダーと話がしたい」
「街一つを完全に消滅させられるほどの戦力を引き連れてきて、話し合いをしたいだと? 帝国では、武力で相手を脅迫することを話し合いというらしいな」
「治安維持という側面もあるのでな」
「それなら、街に駐留している治安部隊の教育からやり直すんだな。ここで治安を乱しているのは、お前ら帝国の兵士たちだ」
しばし、両者はにらみ合いを続ける。
「まずは、街に駐留している帝国兵を全て撤退させろ。話はそれからだ」
「さすがにそれは無理な話だ。だが、我々も末端の兵の腐敗ぶりは聞き及んでおる。今回は、それを改善するべく――」
「口では何とでも言える。まずは行動で示せ。話はそれからだ」
食い下がるナーシュの言葉をさえぎり、ソシューはきっぱりと言い放った。
「まあ、すぐに結論を出さずとも良い。少し考えてみてくれ。お前に仲介役を頼みたいのだ」
「待て!」
立ち去ろうとするナーシュを引き止める。
「こいつは関係ない。この娘をすぐに解放しろ」
ソシューは、ナーシュの目を睨みつけたまま言った。
「それは出来んな。その娘には、別件で用があるのでな」
ナーシュは、そう言うときびすを返し、ソラレットとグリーブぶつかり合うちゃきちゃきという金属音を響かせながら、ゆっくりとした足取りで去っていった。
ナーシュとソシューのやり取りを横で見ていたディアナは、ナーシュからこちらを騙そうという意図が感じられなかった。
「ソシューさん。私、ナーシュ将軍が悪い人に見えませんでした。もしかして、こちらを騙す意図はなく、本心で言ってるんじゃないでしょうか?」
ディアナは、ソシューに感じ取ったありのままの印象を伝えた。
「恐らくな。ナーシュという男は、バカだが策謀などを嫌う、良くも悪くもまっすぐな人物だと聞く。だがな、やつがそう思っていたとしても、それを実行できるだけの行動力がなければ意味がないんだ。少なくとも、やつにはそれを実行するだけの能力が備わっていない」
「でも、仮にも将軍なんですよね?」
「高い地位の人間の全てが、秀でた能力を持っているわけじゃない。帝国陸軍は、やつの副官であるストール・オルブライトが切れ物だから何とかやってられてるのさ」
ナーシュが消えた先を見据えながら、ソシューは吐き捨てるように言った。
「でも、もしかしたら、その副官という方も悪い人じゃないかも知れない」
「善人だという確証もない。どうした。お前、帝国が憎いんじゃなかったのか? 何かあったのか?」
ほんの数日前、ディアナが初めてアジトに来たときとは、明らかに言動や思考が違っていることに違和感を感じたソシューは、思わず訊いてしまう。
「実は……」
ディアナは、サーシャの事や彼女と触れ合って感じたことを、ありのままソシューに打ち明けた。
「あの小娘……、帝国兵だったのか! そんなやつをアジトにまで連れてきて、キャロルは何を考えているんだ!? その帝国兵が仲間にアジトの場所を知らせたらどうするつもりだ!!」
「サーシャは、そんな事しませんっ!!」
ソシューの物言いに、思わず声を荒げてしまうディアナ。
「なぜ、そう言いきれる?」
「それは……っ」
根拠なんて無かった。サーシャと過ごした数日間、彼女から感じ取ったものがディアナの心の中で蓄積し、そう結論付けたのだ。だが、そんなものは、理由として相手を説得させるだけの効力など何も持っていない。だから、ディアナは口ごもってしまった。
その後、二人は無言のままで時を過ごした。