帝国兵
柔らかな日差しが顔にあたり、小鳥のさえずる声が耳朶をうつ。
ゆるゆると脳が覚醒し、意識が夢の中から現実へと引き戻されてゆき、瞳をゆっくりと開く。
「ここ、どこ……?」
見覚えの無い部屋が視界に飛び込み、まだ覚醒しきっていない頭を働かせようと寝返りを打とうとして、腹部にのしかかる重さに気づく。
首だけ動かして視線を落とすと、毛布の上から突っ伏すように眠る少女の姿が目に入った。
透き通るような金髪と、髪の毛より少し暗い色の毛が生えた大きな猫の耳。
状況が飲み込めず、とりあえず上半身を起こそうとして、背中に走る痛みにうめき声を漏らす。
「っ!」
不意に走った痛みのせいで、全身がびくんと跳ねた。
「う……ん」
腹の上で突っ伏していた少女は、目をこすりながら上半身を起こす。
痛みに悶絶していると、ネコ耳少女が立ち上がり、わたわたと部屋を出て行く気配がした。
「キャロルさーん、目が覚めたみたいですっ!」
部屋の外から先ほどの少女のものと思われる声が聞こえてくる。
(あれ……? 私、どうしてこんな所にいるんだろう!?)
痛みに耐えながらも、覚醒しきった頭のなかで記憶の整理を行った。
複数の足音が近づいてくるのが聞こえる。
「目が覚めたようね。気分はいかが?」
そう声をかけてきたのは、二十代前半くらいの女性。
「ディアナちゃん。この子、まだツラいみたいだから、治癒魔法かけてあげて」
辛そうにしている姿を見て、一緒に戻ってきたネコ耳の少女に言う。
「ま……ほう?」
何か大事なことを失念している気がする。
女性に言われて、ディアナと呼ばれたネコ耳の少女が歩み寄ってくる。
ディアナは手をかざし、瞳を閉じてなにやら念じはじめると、彼女の掌から淡い光が放たれ、その光が全身を包み込む。
光に包まれた直後から、痛みが和らいでくるのが分かった。
「どぉ? 少しは楽になったかしら?」
女性もベッドへ近づいてくる。
「私はキャロルよ。あなたの傷を魔法で治療してるのがディアナちゃん。あなたの名前も聞かせてもらえるかしら?」
治療を終えたディアナは、部屋の隅へと下がっていく。目には警戒の色がにじんでいるのが見てとれた。
「……サーシャ」
「サーシャちゃんね。お腹すいたでしょ? 朝食が出来上がってるから、服を着てこっちへいらっしゃい」
「服……?」
言われて自分の身体に視線を落とすと、素肌の上から包帯が巻かれているのが分かった。
「ゴメンなさいね。私の息子が巻いたんだけど、何を考えたのか、服を全部脱がしてから巻いたみたいなのよね」
手をひらひらさせ、キャロルは苦笑しながら言った。
「ペンダント……っ!」
肌身はなさず首から提げていた、ロケットペンダントが無くなっている事に気づく。
「ペンダントなら、そこにあるわよ」
キャロルは、ベッド脇のテーブルの上を指さして言った。
テーブルの上には、女性物の衣類がたたんで置いてあり、その上にペンダントが乗せてあった。
サーシャは、それを見て安堵の表情を浮かべる。
「じゃ、リビングで待ってるわよ」
キャロルはそう言い残すと、ディアナを連れて部屋から出て行った。
リビングへ入ったディアナの目に最初に飛び込んできたのは、エプロンをつけてテーブルの上に料理を並べるアルの姿だった。
「アル……さん?」
「うるさい、何も言うな!」
戸惑いの色を浮かべ、声を絞り出すように呟くディアナ向かって、アルは声を荒げる。
「うちで面倒みる以上は、働かざるもの食うべからずよ」
人差し指をぴっと立て、ディアナへウィンクを送りながらキャロルが言う。
「それより、あの帝国兵の様子はどうなんだ」
そんな事には興味もないのだが、アルは話を逸らすために聞いた。
「今、着替えてるんじゃ――」
「あ~~~~っっ!!」
キャロルの台詞をさえぎるように、ベッドルームからサーシャの声が聞こえてきた。それと同時にリビングへ向かって駆けてくる足音。
「あ、あなた! 隊長が言ってた女の子じゃないっっ!!」
バンと勢いよく扉を開いて部屋に入ってきたサーシャは、ディアナを指差しながらそう叫んだ。
あまりの出来事に目が点になる一同。
「っていう事は、もしかしてキャロルさんは……っ!!」
「えーっと、うん、私はレジスタンスの闘志よ。それより、私はちゃんと言ったからね? うちの息子があなたを全裸にしたって……」
「……へ?」
キャロルに言われて間の抜けた声を上げたサーシャは、改めて自分の姿を確認する。
素肌の上から包帯が巻かれ、その包帯も半分以上がずり落ちていて、肝心な部分は、全く隠せていない。
「き、きゃぁああああっっ!!」
両腕で胸を覆い、その場に座り込むサーシャ。
「う~ん、うるさいなぁ……」
目をこすりながら部屋から出てきたレイクは、
「あ、兵隊のお姉ちゃん! 元気になったんだねっ!」
元気そうなサーシャの姿を見て、ぱっと表情を明るくして言った。
「あ、その子が犯人ね」
「良いから、早く何か持ってきてよっ!!」
近所に響きわたるようなサーシャの絶叫がこだました。
「改めて、よろしくね」
キャロルの服を着たサーシャがリビングへ戻り、食卓をかこみながらの簡単な自己紹介を経たあと、キャロルがにこやかな表情でサーシャに言った。
ディアナの目から警戒の色は消えず、アルはどこか気まずそうにそっぽを向き、サーシャは不機嫌そうに黙り込んでいる。
それから暫く、無言の時間が続いた。
「何で私を助けたんですか?」
サーシャがおもむろに口を開く。
「う~ん、何でって聞かれても、なりゆきでこうなったとしか言えないわねぇ」
そして、サーシャに事情を説明した。
「そうですか、この子が……」
そう呟きながら、サーシャはレイクを見る。
サーシャに見つめられたレイクは、照れたようなはにかみを見せた。
「それにあなた、悪い人じゃなさそうだったしね」
そう言いながらキャロルは、サーシャの首から下げられたロケットペンダントに視線を落とす。
「まあ、傷が完全に癒えるまで、暫くうちに居ると良いわ」
その方がレイクも喜ぶから、と食事を勧めながら満面の笑みでキャロルは提案した。
食事が終わると、アルはキャロルに半ば無理やり家事を手伝わされ、キッチンで皿洗いをしていた。
リビングに残ったディアナとサーシャは、お互いに距離をとって気まずそうに過ごしている。事情を知らないレイクは、そんな二人のことをきょとんとした表情で、交互に眺めていた。
「あ、あなたのその耳って、本物なの?」
重苦しい空気に耐えかねたサーシャは、無理やり話題を見つけてディアナに振る。
「……そうだけど」
サーシャには視線を合わせようとせず、そっけない口調でディアナは答える。
「ディアナ姉ちゃんは、耳だけじゃなく尻尾だって生えてるんだよ!」
そんな二人を知ってか知らずか、レイクが明るい口調で言った。
「へ、へぇ。凄いわね。世の中には、変わった人間もいるのね」
「おかしな容姿ですいません。でも、あなたには、全く関係ないでしょ?」
サーシャの言葉に、思いっきりトゲのある言い方を返す。
ディアナが帝国兵とトラブルを起こし、そのおかげで、昨日は無理やり駆りだされた。そのうえ、こんな事になっている。それなのに、自分がここまで毛嫌いされるいわれはない。サーシャは、だんだん腹が立ってきた。
「あ、あんたねぇ! 私が何をしたっていうのよ!!」
我慢が限界に達したサーシャは、溜まった苛立ちをテーブルに叩きつけ、その勢いで立ち上がってディアナを怒鳴りつける。
「はーいはい、喧嘩はそこまでよ~?」
手をパンパンと叩きながら、キャロルはゆっくりキッチンから出てきた。
「サーシャちゃん、ごめんね? ディアナちゃんはね、住んでた村を帝国軍に襲われて、親しい人たちをたくさん無くしたの」
「そんな……っ! だ、だからって何で私が……」
「うん、サーシャちゃんが何かしたわけじゃないのは、じゅうぶん分かってるの。でもね、頭で分かってても心がついてこないんだと思うわ。だから、許してあげてくれない?」
椅子に腰掛けたサーシャと目線を合わせ、ゆっくりと言うキャロルは、まるで子供を諭す親のような素振りだった。それから、今度はディアナに視線を合わせる。
「ディアナちゃんも、あなたの大切な人たちを殺したのは、たしかに帝国軍かも知れない。だけど、それはサーシャちゃんがやったわけじゃないのよ? 少し頭を冷やしなさい」
ディアナは、視線をキャロルから逸らし、こぶしをぎゅっと握り締めた。
「さて、話もついたところで、ピクニックにでも行きましょう♪」
「どういう流れでそうなる!」
ピッと指を立て、笑顔でそう提案するキャロルに、アルはキッチンから思わずツッコミを入れた。
五人はキャロルが運転するジープに乗って、街はずれにある小高い丘を目指していた。
レイクは、助手席で楽しそうに歌を口ずさんでいる。
「五人で乗ると、さすがに乗り心地悪いかも知れないけど、もう少しだから我慢してねーっ!」
荷台部分に無言で乗っている三人に声をかけた。
ニックスファードへ来るときと違い、丘へ向かうにつれて、徐々に緑が増えていった。
キャロルの家から一時間ほど走ると、ニックスファードを見下ろせる高台に到着した。そこは、草原になっていて、その中にぽつんと一本の大きな木が生えている。
キャロルはジープをその傍に止めると、持ってきたレジャーシートを広げ、弁当を詰めたバスケットをその中央へ置いた。
「どう? 眺めがいいでしょ?」
両手を腰にあて、キャロルは自慢げに胸を張って言う。彼女が自慢するだけあって、ここからの眺めは素晴らしいものだった。
街の周囲には荒野が広がっており、ビュートと呼ばれる岩が何本もそびえている。街から高台へ向かうにつれ、少しずつ緑が深くなっており、このあたりは草原になっている。そこを風が通り抜け、まるで草が波を打っているかのように見える。
『凄い……』
その雄大なパノラマを目の当たりにして、ディアナとサーシャの言葉が見事にハモった。その直後、二人は気まずそうに背中を向け、黙り込んでしまう。
「さあ、いらっしゃい。景色を眺めながらお弁当を食べましょう」
「朝食を摂ってから、まだそんなに時間経ってないだろ」
「アル君。小さいこと気にしてたらハゲるわよ?」
「お前は、少し気にしないと太るぞ」
「く……っ!」
レイクがディアナとサーシャの手を引いて、二人をレジャーシートへ招き入れる。アルは、木にもたれかかったまま景色を眺めている。
「ねえ、サーシャちゃん。あなたは、なぜ帝国軍に入ったの?」
サンドイッチが入ったバスケットを差し出し、キャロルはおもむろに尋ねてみた。
「一番の理由は、やっぱりお給料が良かったから……ですかね」
バスケットの中からサンドイッチを一つ取り出し、質問に答える。
「お給料?」
「はい。私には、病気の妹が一人いるんです。手術さえすれば病気は治せるらしいんですけど、手術には、お金がいっぱい必要で、うちは母子家庭だから、とてもそんなお金は払えません。かといって、私にこれといったお金になりそうな特技もない。だから、自分の目の前にある選択肢の中から、一番お給料が高かったものを選んだんです」
サーシャの話に、ディアナはぴくんと反応した。
「妹さんは、おいくつなの?」
「八歳です」
「ボクと同い年だね!」
サーシャの話を聞いていたレイクは、嬉しそうに言う。
「キャロルさん。私からも質問して良いですか?」
「母ちゃんの歳なら、さんじ……痛っ!!」
「なあに? 言ってごらんなさい?」
レイクの頭をどついて黙らせ、キャロルはにこやかに聞き返した。
「いったい何が目的で、私をどうするつもりですか?」
「別にどうもしないわよ? しいて言うなら、帝国兵がどんな人たちなのかというのを知ってもらいたい子がいたからかしらね」
そう言いながら、キャロルはディアナに視線を向ける。
「どう? あなたが抱いてた帝国兵の印象とだいぶ違うんじゃない?」
キャロルは、ニコッと笑いかけてディアナに訊いた。ディアナは俯いて、キャロルから視線を逸らす。キャロルは、構わず言葉を続けた。
「あなたが見た帝国兵は、ほんの一部の例でしかなく、たいていの人は、サーシャちゃんみたいな普通の人なの。あなたは、それでも帝国と戦っていける?」
「いまさら、何で私の決意が揺らぐようなことをするんですか!?」
「大事なことだからよ? そういう事を知ったうえで、それでも討てるという覚悟がなきゃ帝国と戦うなんて出来ないもの」
「そんなこと……」
キャロルは、おもむろに果物ナイフをディアナへ渡す。
「なら、ここでサーシャちゃんを殺せる?」
「ちょっ!?」
キャロルの台詞に、思わず動揺の声を上げるサーシャ。
「さっき、あんな話を聞いたばかりで、そんなの出来るわけないじゃないですかっ!」
「なら、アル君なら出来る?」
木にもたれているアルに話を振る。
「ああ」
「アルさん!?」
返答を聞いたディアナは、何の感情もなく淡々と答えるアルの姿にショックを受けた。
「冗談よ。でもね、人の命を奪うという行為に善も悪も無いの。それだけは覚えておいてね。立場や出会い方が違えば、友達になれる人だって大勢いるのよ」
そう言いながらキャロルは、ディアナの手から果物ナイフを抜き取りバスケットの中へ入れた。
「サーシャちゃん、驚かしてゴメンね」
「いえ、ちょっと生きた心地がしなかっただけです……」
サーシャは、冷や汗をぬぐいながらも、皮肉を交えて答えた。
「えぇっと、あなたは帝国の悪い部分ばかりを立て続けに見ちゃったようね。その……、私が言ってもあまり意味が無いんだろうけど、帝国の人間がひどい事しちゃったみたいで……ご、ゴメンね?」
若干しどろもどろだが、サーシャは心からディアナに謝罪した。
「うぅん。私こそゴメンなさい。帝国兵だというだけで、変な偏見と敵意をむき出しにした態度とっちゃって」
そう言って、ディアナはサーシャに手を差し出した。
「良いの。あなたが帝国を嫌うのは、仕方ない事だもの」
サーシャも差し出された手を握り返す。
「おい、馴れ合うのは勝手だが、その女が帝国兵である以上、また再び俺たちの前に敵として現れるかも知れないんだぞ。分かってるのか?」
「そうかも知れないけど、少なくとも今は敵じゃない。それで良いじゃないですかっ!」
「ちっ、勝手にしろ」
その後、時間は和やかにすすみ、夕方前にキャロルの家へと戻ってきた。
それからサーシャは、三日ほど滞在することになった。
キャロルはサーシャをレジスタンスのアジトへも連れていった。
サーシャは、レジスタンスのアジトへ行くことに抵抗をしめした。彼らとの戦闘で大怪我をしたのだから、当然の反応だろう。
キャロルは、そんなサーシャに闘士たちの普段の姿を見てもらいたいからと説得し、なかば強制的にアジトへ連れて行った。
キャロルが仲間にサーシャのことを親戚の子だと紹介すると、彼らはディアナが紹介された時とほぼ同様の反応をしめした。ニコにいたっては、全く同じ反応をして、はやりソニアにどつかれていた。
ニコに対するソニアの行動を見ていると、彼女がニコに対して好意を抱いているのだろうというのは、容易に推測できた。
レジスタンスという過激な団体の所属する人間に対し、サーシャは少なからず偏見を持っていた。
しかし、実際に彼らと触れ合い、自らが抱いていた偏見が間違いであることを知った。
キャロル宅にかくまわれてからの数日間は、サーシャの中の価値観が大きく変わるきっかけになった。
それはまた、ディアナにとっても同じことが言えた。
完全に傷が癒えたサーシャは、原隊に復帰するため、部屋で軍服へと着替えていた。
「ねぇ、サーシャ。あなた、私たちの仲間にならない?」
そんなサーシャの様子を部屋の入り口で見ていたキャロルは、おもむろに口をひらいた。
「せっかく分かり合えたんだし、ディアナちゃんとの間にあったわだかまりも無くなったし、レイクも良く懐いてるし」
だが、その言葉にサーシャは首を振った。
「正直、すごく後ろ髪ひかれる思いなんですが、やっぱり、私は軍に戻ります。私には、私が守るべきものがあるんです」
そう言ったサーシャの瞳には、強い意志が宿っていた。
「そう……、残念だわ」
「今の帝国は、私から見ても少しおかしいと思います。下級兵士の私には、何の力も権限もありません。それでも私が出来る範囲で、出来ることをしていこうと思います」
「ふふ、その言葉が聞けただけでも嬉しいわ」
サーシャの言葉を聞いて、キャロルは微笑みを浮かべる。
「数日、姿をくらませてたんだから、怪しまれないと良いけど」
「それならは、心配ないと思います。仕事をサボって数日間無断欠勤する先輩は、ぜんぜん珍しくないですから。ちょっと怒られるだけで済むと思います」
苦笑しながらサーシャは答える。
そして、ディアナたちに別れの挨拶をすると、サーシャはキャロルの家をあとにした。