夜襲
「お前は、自分が置かれた状況というのを理解していないようだな」
少年が立ち去るのを見送り、しばしの間を置いてアルが冷たく言いはなつ。
「あれを見逃せって言うんですかっ!?」
「そうだ」
「そんなの出来ません!」
冷たく見つめるアルの目を睨み返したディアナは、自らの言葉に強い意志をかさねた。
「…………」
「…………」
互いに睨みあい、天井扇の耳障りな音だけが部屋の中を包みつつむ。
「荷物をまとめろ。今夜、ここを出るぞ」
沈黙を打ち破ってそう告げると、アルは装備品のチェックをはじめた。
もともと、大して荷物を広げていなかったこともあり、荷造りはすぐに終わる。
その後、夜になるまでの間、何ら言葉を交わすことなく過ごした。
日が沈み、日中のうちにアルが用意しておいた携帯食糧で軽めの夕食を無言のままで摂り、日付が変わる頃に、部屋の横の非常階段を使って宿を抜けだす。
小路を抜け、大通りに出るための道へ抜け出ようとした時、大通りから差し込む光を背負い佇む人影を見つけた。
「ちっ、遅かったか」
それを見たアルが毒づく。
「こんな夜中に何処へ行くつもりだ……」
人影が問いかけてきた。
二人の方へゆっくりと歩みより、その姿が徐々にあらわになってくる。
その姿は、ショートスピアを手にし、羽飾りで装飾されたショルダーガードを肩にはめ、その上からマントを羽織っていた。
首には、宝珠を連ねたようなネックレスをぶら下げており、鎧は身に付けず、獣毛で裏打ちされた衣装は、まるでどこかの民族衣装を連想させる。
「大人しく、その娘をこちらへ渡してもらおう。そうすれば、見逃してやる」
その人影は二十代半ば程の薄紫の髪の青年だった。
無表情のまま冷たい視線を投げかけて淡々と言いはなつ。
荷物をディアナに預け、すらりと剣を抜き放ったアルは、それを問いかけへの返答にした。
それを見た青年は、切れ長の目をすぅっと細め、静かにショートスピアを構える。
その時、
「まてぇ~い!」
夜の静寂の中、何者かの声が高らかと響きわたった。
「帝国魔陣衆が一人! 最強の忍術闘士スセリ、ここに見参っっ!!」
空を見上げると、通り沿いに立ち並ぶ中層住宅の屋根の上、月光を背後に仁王立ちする人影ひとつ。
「手柄を独り占めしようとする不埒な輩に代わり、このスセリがそこなお嬢さんを頂戴仕り奉るぅ~~っっ!!」
「……結局、敵か」
スセリと名乗った男の口上文句を聞いて、アルがぼそりと呟いた。
スセリは、それを言い終わるや、「とぅ!」という掛け声と共に建物から身を躍らせ、何度も派手に宙返りを繰り返し、音も無く着地すると、 二、三歩たたらを踏んだ。
「お前、今ふらつかなかったか……?」
思わずツッコミを入れるアル。
「何のつもりだ、スセリ」
冷たい視線をスセリに向け、青年は感情のこもらない声で問う。
アルのツッコミは完全に無視し、
「抜け駆けとは、感心できねぇなぁ、リバースよぉ」
顔に笑みを浮かべて青年に語りかけながら、ディアナに向かってゆっくりと歩き始めた。
「くっ、させるか!」
アルは剣を振りかぶり、一気に距離を詰めてスセリを袈裟に切り払う。
剣は、スセリの身体をしっかりと捉えてたように見えた。
「ぐあっ!」
肩口から血をしぶかせたのはアルの方だった。
「アルさん!!」
傷口を押さえて、膝をつくアルを目の当たりにしたディアナは、思わず叫び声をあげる。
何事も無かったかのように、まっすぐディアナを見据えたまま、ゆっくりと近づくスセリの足元に突然ショートスピアが突き刺さった。
「うぉ、あぶねぇ! 刺さったらどうすんだ!!」
「そのつもりで投げたんだ」
オーバーなリアクションを取って抗議するスセリに、リバースは冷ややかに言いはなつ。
「それが友達に対してする事か!」
「お前のような下品で野蛮な忍者もどきなど、友人に持った覚えはない」
「ほほぅ、この気品に満ち溢れた俺を、下品で野蛮と抜かすか……っ!!」
スセリの姿は、顔こそ露出させているが、黒装束で身を包み、その上から陣羽織を着用し、背中には忍者刀という、いかにも忍者の頭目いったいでたちだった。
「とにかく、それは俺の得物だ。手を出すな!」
そう叫ぶと、何やら呟きながら右手で印をむすぶ。
すると、空間に歪みが生じ、そこから鋭く長いキバを持ち、こめかみのあたりから鋭い角が前方に向かってせり出した、漆黒の毛を持つ虎に似た二体の妖獣が姿をあらわした。
低い唸り声を上げながら、二体の妖獣はスセリのまわりを囲うように歩く。
「しばらく、それの相手をしていろ」
リバースがそう言い終わると同時に、二体の妖獣がスセリに向かって一斉に襲い掛かった。
飛び退きざまに背中の刀を抜き放ち、スセリは妖獣の攻撃を防ぐ。
その姿を尻目に、地面に刺さったショートスピアを引き抜いたリバースは、ディアナに向かって駆け寄ろうとした。
それを見たスセリが、妖獣の相手をしながらリバースに向かって苦無を放つ。
それは、リバースに当らず、月明かりに照らし出された彼の影に突き刺さるが、その直後にリバースの動きがピタリと止まった。
その隙にアルの元へと駆けつけるディアナ。
「怪我の治療を……!」
「そんなのはあとだ。良くわからんが、仲間割れをしているうちに逃げるぞ!」
治癒魔法を使おうとしてアルにかざした手を掴み、そのまま強引に手を引いて走りだす。
不規則に小路を曲がり、何個目かのT字路に差し掛かったとき、
「こっちよ!」
建物の陰から声をかけてくる女の声。
「あんたは……」
「説明はあとよ。さぁ、ついてきて!」
「どういうつもりか説明してもらおうか……」
女に連れてこられたのは、恐らく彼女の自宅なのだろう。
簡素だが生活感が溢れる部屋に入るなり、開口一番にアルが問い詰めようとする。
「アルさん……」
そんなアルを制止するようにディアナがぶつやき、
「キャロルさん、助けてくれてありがとうござます」
女に向かって礼の言葉を口にした。
「良いのよ。彼が不信を募らせるのも当然だわ。そうね、借りを返したかっただけよ」
「借りを返すだと!? あんたには、街まで送ってもらった借りはあるが、貸しを作った覚えはないぞ」
「息子が世話になったわ」
「息子……だと!?」
その言葉にアルは、より一層の不信感を募らせる。
「ボクの事だよ。お姉ちゃん」
「ああ、君は……っ!」
部屋の奥から出てきたのは、ディアナが夕方に助けた少年だった。
「改めて、息子のレイクを助けてくれてありがとう」
「ちょっと待て!」
思わずアルが声を上げる。
「あんたの息子、いくつだ」
「八歳だよ!」
キャロルの代わりに、レイクが元気良く答える。
「……あんた、たしか二十歳とか言ってたよな?」
「うふふ、女の子には、ヒミツが多いものなのよ♪」
おどけた声でキャロルが答え、
「母ちゃん、またサバを読んだんだね? 本当は、もうさんじ……」
言いかけたレイクの頭を問答無用でどついて台詞をさえぎった。
『…………』
アルとディアナの沈黙が見事にハモる。
夜も遅いという事もあり、キャロルはレイクを寝かせるためにしばし退出し、ディアナはその間にアルに治癒魔法をかけた。
パックリと裂けた肩の傷が、みるみると塞がっていく。
これには、アルも流石に驚きの表情を浮かべた。
傷もほぼ塞がりかけた頃にキャロルが戻ってくる。
「すごーい、けっこう深手だったはずなのに、もう傷が消えちゃってるわ! レイクから聞いていたけど、魔法って便利なものね~」
「魔法も万能というわけじゃないですけどね。死んだ人を生き返らせる事は出来ないですし、致命傷だって治せません……」
ディアナの治癒魔法を目の当たりにしたキャロルが素直な感想を述べ、それに対し目を伏せながらディアナが答える。
「ふ~ん、そういうものなのねぇ。でも、魔陣衆が出向いてくるなんて、あなた達、相当な有名人なのね……」
「あの人達を知ってるんですか!?」
「ええ、あなた達を襲ったのは、魔陣衆の二人、妖獣使いのリバースと忍者マスターのスセリよ」
キャロルの説明を黙って聞いている二人の瞳を見つめ、更に話を続ける。
「魔陣衆というのは、帝国の特務兵団の名前よ。その全容は謎に包まれているけど、さっきの二人は、行動が派手な事もあって、名前や能力がある程度知られているわ」
「あんた、何者だ?」
アルがおもむろに口を挟む。
「知られていると言っても、一般人が普段の生活の中で知り得るような情報じゃないだろう? 俺達の事を助けたのは、あんたの息子を助けたからだけじゃないな? そろそろ本題に入ったらどうだ」
言われたキャロルは、指で頬を掻きながら苦笑いを浮かべて、「そうね……」と呟く。
「まず、荒野であなた達を拾ったことは、ただの偶然よ。これは、嘘じゃないと誓うわ」
それから、ふぅと一息つき、
「私は、この街のレジスタンスのメンバーなの。私の主な任務は、情報収集と、他の街のレジスタンスとの連絡役」
「なるほどな……」
ある程度、納得したような表情で頷くアル。
「レジスタンスの活動内容というのは、どのようなものなのですか?」
「あなたも見たでしょう? 街の様子や帝国兵の横暴を。いつの日か、帝国からこの街を開放するために武器や仲間、情報を集めるのが主ね」
アルは目を瞑り、ディアナは胸の前で手を組み合わせてキャロルの話を聞き続けている。
「あなた達の事を助けたのは、レイクのことを助けてくれたからというのは、本当のことよ。でも、もしあなた達さえ良ければ、私達の仲間になってほしい。あなた達が仲間になってくれたら、とっても心強いわ」
「断る」
静かに目を開き、鋭い視線をキャロルへ投げかけ、アルはキッパリと言いはなった。
だが、ディアナは瞳に強い意志の光を宿し、アルに向かってこう告げた。
「私はキャロルさんの仲間になろうと思います」
「勝手な事を言うな!」
「私達が二人きりで帝国に抗ったところで、出来ることなんてたかが知れていると思います。それは、さっき魔陣衆に襲われたときにも強く実感しました。それなら、キャロルさんの仲間になった方が、よっぽど現実的だと思うんです」
アルの目をじっと見つめ、ディアナが更に続ける。
「あなたは、私に利用価値があるから助けると言いました。でも、それは私があなたの言いなりにならなければいけないという事ではない。私は、私の意志で戦います。もし、それでアルさんにとって私が利用価値のないものになってしまうのでしたら、ここでさよならです。短い間でしたが、今まで助けてくれてありがとうございました」
ディアナの瞳をしばし見据え続け、そのあと大きなため息を一つつき、アルは、
「良いか、俺は馴れ合いになる気はないからな!」
そう言って背中を向けた。
「ありがとう、二人とも」
「キャロルさんには、先に見せておきたいものがあります」
そう言うと、ディアナは今まで目深にかぶっていたフードをはらりとはずす。
「これが襲われる理由と何か関係あるかは分かりませんが、私、普通の人と違った外見をしているんです」
「あら♪ とってもカワイイじゃない」
ぴんと立つ猫耳がフードの下から現れたのを見て、キャロルは感嘆の声を上げた。
「あんた、随分とお気楽な人間だな……」
心なしかジト目気味な視線を投げつけ、アルが冷ややかなツッコミを入れる。
「褒めても何も出ないわよ♪」
「褒めてない……」
自分の姿を目の当たりにしたキャロルの意外な反応と、その後のやり取りを眺めてディアナは苦笑を浮かべた。
「そういえば、まだ名前を名乗ってませんでしたね。私はディアナです」
「アルだ」
二人の自己紹介をうんうんと頷きながら聞いているキャロル。
「二人とも、改めてよろしくね。明日、私たちのリーダーに会ってもらうわ。今日は、もう遅いから寝ることにしましょう」
そう言うと、キャロルは二人を今夜の寝床へと案内した。