出会い
ごつごつした岩の間を、砂埃が縫うように舞う荒野を歩く。
龍の森を抜けると、そこには荒野が広がっていた。
ディアナが青年から聞いたとおり、南西に向かってひたすら歩き続けて、もう数時間経過しているが、ニックスファードの街が姿を現す気配はない。
「本当に南西と言ったのか?」
アルが疲れた表情をディアナに向け、疲労を滲ませた声で訊く。
「はい。森を抜けて三十分も飛べば、ニックスファードの街が見えてくるって……」
アル以上に疲労感をただよわせながら、ディアナは絞りだすような声で答えた。
「飛べば……だと!?」
そこで表現のおかしさに気付く。
「はい、飛べば……って、あっ!」
ようやくディアナも気付いた。
「くそっ、もっと早くに気付くべきだった……!」
つまり、三十分というのは、何か飛行可能な乗り物を使ってのことなのだろう。飛行可能ということは、スピードもそれなりに出るはずだ。それを使って三十分飛び続けて、やっと『見えてくる』距離だということだ。
人間の足なら、どれほどの時間が掛かるのか想像に難くない。数時間歩き続けても、街の影すら見えてこないのも納得できる。
「ごめんなさい……」
申し訳なさげな上目使いで、アルを見つめながら呟く。
それに言葉を返すわけでもなく、アルは正面を見据えたまま無言で歩きつづけた。
あの青年は、恐らく何らかの移動手段を使って、街と森を行き来しているのだろう。あんな森の中で一人暮らしをしても、なんの不自由なく、物などが色々と揃っていたということにも頷ける。
いつ町に到着できるとも知れなくなり、怒り喚くのも無駄な体力の浪費と判断したアルは、ただ黙々と歩き続けることを選んだ。
そんなアルの背中を、ディアナは悄然と見つめながら、その後に続く。
更に一時間ほど歩き続けたころ、後方から一台のジープが、砂埃を巻きあげながら接近してくるのが見えた。
それに気付いたアルは、仏頂面のまま無言でディアナに歩み寄り、ケープのフードを無造作にかぶせ、押さえつけるように頭の上に手を置いた。
「なっ!?」
「お前の耳は目立ちすぎる。人前では、常にフードで隠せ」
抗議の声を上げようとするディアナを制し、アルがぶっきらぼうに言う。そして、右腕を正面に掲げ、サムズアップしながらジープの接近を待った。
そんなアルの立ち姿を見て、ジープが二人の前止まる。
運転していたのは、栗色の髪を背中まで伸ばした女だった。
「どうしたの? 君たち……」
そう言いながら、二人の顔を覗き込むように見つめる女の顔は、まだ二十代前半くらいと思われる整った顔立ちだった。
「悪いんだが、この先の街まで乗せていってくれないか?」
アルがジープに歩み寄りながら言う。
女は、二人の事をしばし見つめた後、
「良いわよ。乗りなさい」
親指でジープの後部への乗車を促す。
ジープの荷台スペースへ、二人が乗り込むのを確認した女は、
「乗り心地、悪いだろうけど勘弁してね」
一言そう告げると、アクセルペダルをゆっくりと踏み込み、ゆるゆると加速させた。
五分ほど走り進めたところで女が口を開く。
「私は、キャロル。二十歳の独身よ。君たちは?」
聞かれてもいない余計な情報を付け加えながら名乗り、二人の自己紹介を促す。
「私は、ディ――」
「悪いが、馴れ合うつもりはない」
反射的に自己紹介を返そうとするディアナを制し、そっけない口調でアルが言った。
「まあ良いわ」と苦笑しながら言ったキャロルは、アルの反応を見て大きな誤解をしたようだった。
「でも、駆け落ちは良くないわよぉ? ああ、良いわねぇ……。若いってっっ!!」
「ちょっっ!? 駆け落――」
目に星を浮かべ、日の出のような後光を浴びながら、乙女チックに両手を組み合わせて言ったキャロルの台詞に、思わず声を上げたディアナだったが、
「そういう事だ。だから、あまり詮索しないでくれ」
アルがその誤解をあっさりと肯定する。そして、
「誤解されたままの方が、こちらとしては都合が良い」
顔を紅潮させているディアナに、そう耳打ちした。
「それより君たち、どこから歩いてきたの? この辺りは、ずっとこんな土地が続いているし大変だったでしょう?」
そう訊いてくるキャロルの口調からは、二人を詮索しようと意図するものは感じられず、ただの好奇心からの質問なのだろうという事が伝わってきた。
「ここより北東にある、【龍の森】からです」
「龍の森……?」
おうむ返しに聞き返してくる。。
「さっきも言ったけど、この辺りは、ずっと荒野よ? 森なんて存在しないわ?」
「何っ!?」
キャロルの言葉に反応したのは、アルだった。
「どうかした?」
「……いや、何でもない。そいつの言うことは、あまり気にしないでくれ」
怪訝な表情を振り向けてきたキャロルに、平常心を装いながら意味深な物言いと表情で答えたアルは、昨日の青年に対し、今更ながら得体の知れないものを感じていた。
そんなアルの態度にキャロルは、少し気の毒そうな視線をディアナに向けて、「そう……」と、答えた。
駆け落ちと勘違いされた挙句、かわいそうな娘と思われてしまったディアナは、憤然とながら流れる景色を眺めて続けた。
半刻ほど走ると、ニックスファードが見えてきた。
街の通りは広く、通りに面し赤い三角屋根の木組み建築の瀟洒な中層の建物が建ちならんでいる。街道には、道に沿って街路樹が植えられている。
今まで自分が暮らしていた村とはまるで別世界の景色に圧倒され、ディアナは目を丸くしながら辺りの景色をキョロキョロと見回した。
ジープは街に入り、目抜き通りを抜け、中央広場へと差し掛った。
「ここで良い。止めてくれ」
アルがおもむろに声をかけ、キャロルはジープの速度を緩めながら、ゆっくりと路肩に寄せて止める。
「ねぇ、どこか泊まるあてでもあるの? なんなら私の所に泊まっても良いのよ?」
「いや、その必要はない。ここまで乗せてくれたことに感謝する」
宿の提供を申し出るキャロルに、アルは無愛想な表情のまま、街の様子を窺いながら返答した。
「そう……。まあ、無理にとは言わないわ。でも、もしも何かあったら、ここに来なさい」
ダッシュボードからペンとメモ帳を取り出すと、自宅の住所と簡易地図を書いてアルに手渡した。
「ありがとうございました」
ジープを降り、キャロルにふかぶかと頭を下げて礼をするディアナ。
「んーん、良いのよ? ついでだったし。それより、彼氏君にしっかり幸せにしてもらうのよ?」
キャロルはそう言うと、ウィンクを投げかける。
「じゃあ、機会があったら、またどこかで会いましょう」
そう言い残してジープを走らせ去っていった。
ディアナは複雑な表情のまま、ジープが見えなくなるまで手を振って見送る。
「行くぞ。グズグズするな」
アルはディアナの腕を掴み、強引に引いて移動を促した。
「痛っ! 何を急いでいるんですか!?」
「周りを良く見ろ……」
言われて周りを見渡してみる。今まで景色に圧倒されて気付かなかったが、大きな街のわりに活気が無い。そして、街の住人に混ざって所々に帝国兵の姿が見える。
「…………」
「分かったようだな。なら、大人しく着いてこい」
状況を理解し、神妙な面持ちになったディアナの腕を引いて、アルはそのまま裏路地へと入っていった。
気だるそうに地べたに座る若者、固まってたむろするガラの悪い男たち、放置されたまま、野良猫に漁られるゴミなど、本当に同じ街かと問いたくなるほど、裏路地と表通りは、全くの別世界だ。
そんな裏路地を縫うように移動し、辿り着いたのは一軒の小汚い宿だった。
壁にぶら下げられている朽ちたプレートが、この建物が宿であるという事を辛うじて知らしめている。
アルは無言のままチェックインし、受付の胡散臭い男へ先払いの宿泊料を少し多めに払い、割り当てられた部屋へ向かった。
湿っぽい階段を抜け、カビと埃の臭いが混ざり合った廊下を歩きながらディアナが呟く。
「大きな街の宿泊施設の話を聞いた事がありましたが、聞いていたものとイメージがかなり違いますね……。本当に、こんな場所に止まる気ですか?」
昔、父やアイラから聞いた街の宿と、今から自分が泊まろうとしている宿との相違に戸惑いながら、不安げな視線をいたる所に投げかける。
ディアナの言葉に相槌をするでもなく、アルは無言で歩き続けた。
やがて、本日の寝床である、三階一番奥の部屋に到着した。突き当たりの壁には、ドアがあり、そこを開けると非常用の外階段へと続いているようだ。
ドアを開けると、簡易ソファーと粗末なベッド目に入る。一応、シャワーとトイレもついているようだ。
「こういう宿は、金さえ渡せば犯罪者や賞金首でも泊める。野宿じゃないだけマシだと思え」
アルは部屋に入るなり背中越しに言いはなち、簡易ソファーへ荷物を無造作に放り投げた。そして、ディアナに向きなおり、
「そのベッドは、お前が使え。俺は、情報を集めに外へ出る。良いか、勝手に出歩いたりするなよ?」
念を入れるように強く言いはなつ。
アルが情報収集に出かけたあと、ディアナは、一人でベッドに腰掛け天井を仰いで呆けていた。
シーツが硬く、いかにも寝心地の悪そうなベッドだったが、それでも疲労が溜まった身体には心地良い。
汗と砂埃にまみれた身体を水で洗い流したかったが、部屋に備え付けられている設備の殆どが初めて目にするものばかりで、いまいち使い方が分からず、アルが戻るまで水浴びを断念する事にした。
耳障りな音を立てて天井扇が回っている。
腕で身体を支えながら天井扇を眺めていると、不意に外が騒がしくなった。
窓際に歩み寄って階下を見下ろすと、そこには人だかりが出来ていた。その中心には、一人の男の子と二人の帝国兵の姿。良く見ると、帝国兵達が男の子に暴行を加えている姿が見て取れる。
周りの人たちは、遠巻きにそれを眺めているだけで、誰も止めようとしない。
「――――っ!」
その光景と村を帝国軍に襲われた時の光景が、ディアナの頭の中で重ね合わされ、気付いた時には部屋の横にあった非常階段を駆け下りていた。
フードをしっかりとかぶりなおし、非常階段の降り口付近で見て見ぬふりをしている男達を押しのけ路上に躍り出ると、帝国兵に蹴り飛ばされた男の子がディアナの足元へ転がってきた。
「大丈夫?」
かがんで男の子の背中にそっと手を当て、優しく問う。
「う、うん。何とかね……」
ディアナを見上げてそう答える男の子は、年のころなら十歳前後だろうか。髪と同じ茶色い瞳は、年相応の活発さを漂わせている。
男の子にニッコリと優しい笑顔を見せたあと、すっく立ち上がり、男の子の前に立ちはだかって帝国兵たちと対峙する。
「まったく、良い大人が二人がかりでこんな小さい子に暴行を加えるなんて、恥ずかしくないんですか!?」
帝国兵たちをキッと睨み据えながら、ビシリと指差し言いはなつディアナ。
「そのガキがコイツにぶつかってきたんだぜ。見ろよ、コイツの腕の骨が折れちまってるじゃねぇか」
もう一人の帝国兵を親指で指し、ディアナを小馬鹿にするようにニヤニヤながら言い、相棒の帝国兵がわざとらしく腕を押さえ、半笑いを浮かべながら「痛ぇ! 痛ぇよ!」と叫んでいる。
「そんなわけないだろっ!? オイラの肩が少し触れただけじゃないか!!」
「慰謝料よこせと言ったところ、払えねぇとフザケたことを抜かしやがったからよ、大人をナメたらどうなるのかってのを、身体に教えてやってたってワケよ」
帝国兵は男の子の抗議を無視し、ニヤケ顔のままに自分達の行動の正当性を主張した。
「それが、大人のすること!?」
「あぁん? 俺達がジランディア帝国の軍人だって、見て分かんねぇのか?」
「忘れるもんですか、その軍服……」
俯き、ワナワナと震え、
「だから、よけいに……っ」
右掌に炎の球をイメージする。
「ゆるせないのよっ!!」
そう叫びながら、石を遠投するような動作で右手を放り、具現化した火球をニヤケ顔を浮かべた帝国兵に向けて投げ放った。
「ぬわっ!!」
火球をまともに食らい、衝撃で派手に吹っ飛ばされる帝国兵。
騒動を眺めていた者たちも、いっせいにざわめきだす。
「なっ! て、てめぇ!!」
腕を押さえて痛がる演技をしていた帝国兵は、相棒が吹っ飛ばされるのを見て驚愕し、憤怒にかられて剣を抜き放った。
その瞬間、不意に飛来した壺が後頭部に当たって、派手に砕け散る。壺が飛んで来た方向を見ると、そこにはアルの姿。
突っ伏す帝国兵の横をすり抜け、ディアナのもとへ駆けてきた。
「お前、あれほど……っ!」
「だって……」
自分を守るような形で立ちはだかったアルから、背中越しに苛立った声を投げかけられたディアナは、男の子の方へと視線を落として口ごもる。
「くそ……っ!」
後頭部に壺が当った帝国兵が、毒づきながらよろよろと起き上がる。
そこへ火球で吹っ飛ばされた帝国兵が駆けつけ、
「おい、引き上げるぞ」
ディアナの方を睨みつけながら、相棒の帝国兵に耳打ちする。
「ちっ、覚えてやがれ!」
月並みの台詞を吐き捨て、帝国兵達はその場を走り去り、アルはその姿が通りの先に消えるまで、じっと見据え続けた。
それに合わせて野次馬達も我関せずといった表情で散っていく。帝国軍とのトラブルに巻き込まれたくないのだろう。
少年の傍らにしゃがみこんだディアナは、治癒魔法を発動している。
「お姉ちゃん、ありがとう。それ、魔法だろ? 凄いや!」
ディアナは微笑み、首肯を返す。
「ボウズ。怪我が治ったのなら、さっさと帰れ」
視線だけ少年に落とし、アルは冷たく言いはなった。
「ア、アルさん……っ!」
抗議の声を上げるディアナだったが、アルに睨み返されてしまい、首をすくめて黙るしかなかった。
「良いんだ、お姉ちゃん」
少年は、かぶりを振り、
「助けてくれて、ありがとう」
すっと立ち上がって、アルに対して深いぶかと頭を下げ、礼を言って去っていった。