出立
夢を見ていた。
とても長い、とても怖い夢。
でも、目が覚めたら、きっと何も変わらない日が続くに違いない……。
起きなきゃ……。
朝ごはんを作って、それからお掃除。その後にお父さんのお弁当を作ってから詰め所に持っていく。今日のお弁当は、何にしようかな……?
目覚める間際、そんな事を考えていた。
「ん……」
意識が徐々に覚醒していき、薄らぼんやりと瞳をひらく。
自らを包みこんでいたぬくもりを胸元に押さえ、、まだ意識の半分が夢の中にある頭を必死にもたげ、なんとか上半身を起こす。
「ったた……」
体のあちこちが悲鳴を上げている。それが意識を呼び起こす手助けになり、自分が見知らぬ部屋のベッドの上で寝ていたという事実を気付かせた。
「…………?」
あたりを見回すと、隣のベッドに自分より少し年上くらいの少年が眠っている。
「アル……さん?」
自分の中にある、まだ新しい記憶をたぐり寄せて、少年の名前を呟いた。
混濁した記憶を整理しきれないでいると、部屋のドアが不意に開く。
「やぁ、お目覚めですか?」
顔を現したのは、エプロン姿でニッコリとした表情を浮かべた、長い栗色の髪の青年だった。
「服、濡れてたし破けちゃってたんで、勝手に着替えさせていただきましたよ? あ、これ、新しい着替えです。ここに置いておきますね?」
ディアナは、そう青年に言われて、初めて自分の服装に意識が向いた。
白いスリップの上にブラウスタイプのパジャマ、そのどれもが自分のものではない。
「ああ、変な事はしてないから、安心して下さいね」
そういう問題ではないのだが、今のディアナは、そこまで頭がまわる状態ではなかった。
そのとき、寝ていたと思っていたアルが突然起き上がり、青年の胸元に掴みかかる。
「ここは何処だ!? お前は誰だ!? 何故、俺たちがここにいる!?」
矢継ぎ早に質問を浴びせる。
「ここは龍の森。私は、この小屋に住む者。私がお二人を運んだからです」
表情を変えずに、一つ一つをゆっくりと答える。
「森……だと?」
脱出ポットが落下する先にあったのは荒野。その周辺に森など無かったはず。
「そんな事より、あまり急に動かないほうがいいですよ? 二日も寝たままだったんですから」
そう言うと青年は、アルの肩にやさしく手を触れ、そっとベッドに押しもどす。
何の力も入れられてないはずなのに、アルは無抵抗のままベッドに戻され驚きの表情をうかべる。
二日間で、そこまで体が鈍ってしまうものだろうか。
「もうすぐ食事の用意が整いますので、もうしばらく待っていて下さいね」
何事も無かったようにそう言い残すと、青年は部屋のドアを静かに閉めて立ちさった。
部屋の中をしばしの沈黙がつつむ。
それを先に破ったのは、ディアナだった。
「あの……、助けてくれて、ありがとうございます」
「別に、お前のためにやったわけじゃないし」
あまりにそっけない返答に、言葉を失いかける。
だが、ナックが斬られて以降の事を把握できていないディアナは、とにかく村の様子が知りたかった。
「村のみんなは……どうなったか知りませんか?」
長い沈黙のあと、アルはディアナの瞳を見つめながら、ゆっくりと語り始めた。
「まず、俺にお前の救出を頼んできたのは、アイラとかいう女だ」
「アイラさん……。良かった、無事なんだ……」
ほっと胸をなでおろすディアナ。
「ああ、かなりの深手を負っていたが命に別状ないだろう。そして、その女に言われた事がある」
ふたたびディアナを見つめるアル。息を飲んでその瞳を見つめ返すディアナ。
「お前が父親だと思っていた男は、本当の父親ではないそうだ。詳しく聞いていないが、あの女は、そう言っていた」
「…………!?」
絶句するディアナに構わず話を続ける。
「あの女が言うには、帝国が手に入れようとしていたのは、お前が持っている魔法の力だろう。俺もこの目で実際に見せたが、魔法自体に希少価値があるこの世の中で、念じるだけで術を発動させる魔法使いなんて、見た事も聞いた事もない」
話の中で父の様子について触れられていない事に、ふと気が付いた。
「お父さんは!? お父さんは無事なんですか!?」
「お父さん……?」
すがり付いてくるディアナを見て、アルはディアナの親の事を語りながらアイラが見つめていた男の斬死体を思い出す。
「ああ、俺があの場に着いたときは、既に死んでいた」
「そんな……!?」
アルの服を握っていた拳から力が抜け、その場にへたれこんだ。
なかば放心状態のディアナに構わず、アルは更に話をつづける。
「俺は、お前の義父を殺した男に、ちょっとした恨みがある。お前を助けたのも、その方が俺にとっても都合が良さそうだったからだ。決して善意から行動したわけじゃない。だが、俺の中でお前の存在に利用価値があると感じるうちは、お前の事を守っていてやる」
まるで天地がひっくり返ったような思いだった。
ほんの数日前までは、何も変化もない単調な日々を繰り返していたし、それが永遠に続くと思っていた。それがある日、突如として終焉を迎え、大切な人たちがたくさん死んで、父親だと思っていた人間が本当の父親ではないという。挙句、帝国に捕らわれ、辱めを受けかけ、良く分からないうちにこの無愛想な少年に助けられ、今は、得体の知れない青年に保護され、何処とも分からぬ小屋の中にいる。
これは、夢なのではないかとさえ思えてくるが、時折からだを襲う鈍痛に、これが現実なのだと知らしめられる。
自然と目から涙が溢れてきた。
アルは、泣いているディアナから、窓の外へと視線を流す。
そこへ再び青年がやってくる。
「食事の準備が整いましたよ。おや? 泣かせちゃったんですか?」
「知るか」
目を細めてニッコリと微笑んだ表情をそのままに、眉だけハの字にさげて言う青年に、アルはそっけなく答えるて部屋を出て行く。
「あなたは、どうします? もう少し、一人でいますか?」
「いえ、大丈夫です。着替えてから行くので先に行っててください」
ディアナは、優しく穏やかな青年の言葉に、涙を拭いながらそう答えた。
オークウッド製のダイニングテーブルの上には、オートミールリゾットとサラダが用意されていた。
「お腹がビックリするといけないんで、メニューも軽めにしておきましたよ?」
そう言いながらリビングに戻ってくる青年。
「何も聞かないんだな」
先に食事を始めていたアルが、青年に向かって言った。
「ええ、私が知る必要もないことでしょう?」
席に着き、ほほえみのまま青年が言う。
この青年、『喜』以外の感情が無いのではと思うくらい、常に目を細めた微笑を浮かべている。それとも、ただ糸目なだけなのか?
それから、しばらく無言で食事を続ける二人。
奥の部屋からドアが開く音が聞こえてくる。リビングのドアが開くと、膝下丈の白いローブを身にまとい、肩からフード着きの白いケープをかけたディアナが現れた。
ローブの裾や袖は、赤い糸で刺繍が施されており、鎖骨のあたりでボタン止めされたケープもローブに合わせたように赤い糸の刺繍がされている。
「やあ、似合いますね。サイズが合わなかったりしませんでしたか?」
「いえ、まるで測ったようにピッタリでした」
微笑しながら答えるディアナだが、赤く泣き腫らした目は、今まで泣いていた事を物語っている。その微笑みすら痛々しかった。
その二人のやり取りを見ていたアルは、ふと思った事を青年にぶつけてみることにした。
「あんた、ここで一人暮らしをしてるのか?」
「ええ、そうですよ?」
「なんで、そんなに女性物の衣類があるんだ……?」
「ふふふ。それは、ヒミツです」
アルの無愛想なツッコミに対して、人差し指を自分の口元に当てながらそう答えた。
意味不明で納得が得られる回答ではなかったが、それ以上の興味を持てなかったアルは、その先の質問やツッコミをスープと共に全て飲み込んだ。
「先に部屋へ戻る」
食事を終えたアルは、そう言って席を立ち、部屋へと戻っていった。
部屋へ消えるアルを見送ったあと、青年は棚の上の木箱からペンダントを一つ取り出し、
「あなたにこれを差し上げましょう」
そう言いながらディアナに渡した。
「これは?」
「お守り……みたいなものですよ」
「お守り……ですか?」
「ええ、お守りです」
青みがかった銀のような素材で出来たペンダントには、翼の生えたローブ姿の美女が、地面に突き立てられた長剣の柄頭に両手を添えて立つ紋様が描かれていた。
「そのペンダントは、本来あなたが持つべき物ですからね」
「どういう意味ですか?」
「それは、ヒミツです」
青年は、ニッコリ笑顔のまま、口元に自らの人差し指を添えて、優しくそう言った。
「あなたは、これから様々な人と出会い、様々な体験をする事になるでしょう。その中で自分が感じた事を素直に受け止め、自分が正しいと感じたとおりに行動するのです。この世界では、善と悪を分け隔てているものが非常に曖昧です。あなたが悪と感じた中にも善があり、善と信じている事が悪になりえるかも知れないのです。善と悪の定義というものも、立場や環境によって変わっていくもの。あなたは、それを見極めていかなければなりません」
表情をそのままに、真剣な口調で青年が語る。
「あなたは、何を知っているのですか……?」
「それは――」
その続きを青年より早く、ディアナが少しだけ微笑みながら後の言葉を続ける。
「ヒミツ……なんですよね?」
「はい、ヒミツです」
今まで以上の笑みで青年が答えた。
一人で部屋に戻っていたアルは、ベッドに腰掛けながら自分のダガーを見つめていた。
刀身には、まるで血脈が流れているような筋が刻まれており、時折そこから青い光が、まるで血液でも流れているかのように漏れ出ているように見える。
以前、葉月と探索した古代遺跡で拾った、見たこともない材質の金属片。
それは、鋼より硬くて軽く、刀より鋭く、まるで短剣の刀身のような形をしていた。
旧世界の携帯武器の一部なのだろう程度に思ったアルは、それを持ち帰り、柄を取り付けてダガーとして使っている。
得体の知れない物を拾ったものだという想いと、強力な相棒を得たという想いを入り混ぜた表情でダガーを眺め続けていると、食事を終えたディアナが部屋に戻ってきた。
「夜が明けたら、すぐにここを出るぞ」
ダガーを鞘に戻しながら、そう告げる。
あまりに唐突な宣言に目を丸くするディアナ。
「あの男、どうも信用できん」
「でも、悪い人じゃなさそうです」
「敵ではなさそうだが、味方であるという保障もない。それに俺たちが落ちた場所は、帝国にも知られているはずだ。あの男の言葉を信用するのなら、ここに運ばれてから既に二日が経過しているということだ。長くこの場所にとどまっているのは、得策ではない」
そう言われ、自分の目の前で繰り広げられた惨劇の映像がディアナの脳裏をよぎる。
「……わかりました」
あの青年に迷惑をかけたくないという想いもあり、ディアナは、意を決するように頷きつぶいた。
赤いカーペットが敷かれ、その両側に豪奢な柱が並び立つ薄暗い回廊の中、青い法衣に身を包んだ男、ラジェネアが黒いダマルティカ姿の女からの報告を受けていた。
「積み荷が奪われたようです」
「そうですか……。して、積み荷の所在は……?」
大方の予想が出来ていたラジェネアだったが、返ってきた答えは、予想と違ったものだった。
「現在、行方不明です」
「行方不明……?」
かすかに眉をひそめ、おうむ返しするラジェネア。
「はい。何度も魔力探知をしてるのですが、全く反応がありません」
「死んだ……というわけでも無さそうですね」
「はい」
しばし思案に耽っていたラジェネアだったが、やがて静かにこう告げた。
「シャウルさん。この事に関しての権限は、この先すべて貴女に与えます」
「はい。必ずや鍵を手に入れ、ラジェネア様の前へ差し出してごらんになります」
その女は、そう言うと口元に邪悪な笑みを浮かべた。
早朝、日の出とともに森の小屋を抜け出す二つの人影があった。
家主が目を覚まさぬよう、細心の注意を払って扉を閉める。
アルは、当面必要になるであろう食料や道具を拝借し、同じく拝借したカバンに詰め込んで背負っていた。
「森を抜け、南西へ向かうと、ニックスファードという街があるそうです」
昨晩、青年から教えてもらった街の情報を、アルに伝える。
アルが方位磁石を取り出し、南西の方角を確認する。
「行くぞ」
アルが一言そう告げると、二人の姿は、木漏れ日が優しく差し込む木々の中へと消えていった。
と言う事で、ジェノクレスの遺産 Chapter1 が終了しました。
面白かったですか?
Chapter2までは、既に書きあがっているので、順次UPしていきます。
それ以降は、まだ執筆に至っておらず、3もプロットを纏めなきゃなぁ……という状態です。
3話単位で大きく話を纏められたらなぁと思って書いてます。
文章量としては、3話で文庫1冊程度に纏まるように意識してます。
制限って、結構大事ですよ?
それがないと、ただダラダラと書き連ねるだけのものになってしまい、読者を疲れさせてしまいますから。
というわけで、次回からChapter2に入ります。
桂はじめでした。