プロローグ
漆黒の大地を、俺は駆け続けていた。
空は血のように赤い。
世界の終焉を思わせる雲が空一面を覆い、風は焼け焦げた匂いを運んでくる。
――ここが、プレイヤーが辿り着いた“最終地点”。
そんな不吉な空の下。
俺の手には一本の刀。
視線の先には、巨大な“邪龍”が鎮座していた。
その姿を捉えた瞬間、視界の端でシステムの文字が存在を示す。
【-悪喰の権化- ニーズヘッグ LV120】
表示されるまでもない。
アレが、この世界にとって“絶望”そのものだということは、嫌というほど理解している。
そして、それ以上に。
俺達プレイヤーを、この仮想の世界に縛りつけた元凶である事も。
だから――必ず倒す。
例えそれが、誰も望まない事だったとしても。
体長は百メートルを軽く超える。
腐り落ちたような黒い鱗。
そしてヤツメウナギのように円形に開く口の奥には、何重にも並ぶ鋭い牙の輪。
――気持ち悪いトカゲだ。
俺は速度を落とさず、ニーズヘッグとの距離を詰める。
そして、一歩。
ヤツの間合いへ踏み込んだ、その瞬間。
「ヴァァァ――」
口が裂けるほどに開き、巨大な顎がこちらに迫ってきた。
体格差は歴然としている。
それは攻撃と言うより、捕食に近い動きに思えた。
だが。
「くらうか、ノロマ」
吐き捨てるように呟き、地面を蹴る。
身体を低く沈め、次の瞬間には跳躍。
迫る顎を踏み台にし、そのまま龍の頭頂部へと飛び乗った。
左手を払うと、巻物状のコマンドウィンドウが空中に展開される。
決める。
ここで畳みかける。
【忍術:百花繚乱が発動しました】
通知が視界をかすめ、刀身が桜色に輝いた。
次の瞬間、刃から無数の光が花びらのように舞い上がる。
桜吹雪のエフェクトが俺の全身を包む。
「おらァァァッ!!」
龍の背を駆け抜けながら、俺はただひたすらに刀を振るった。
斬る。
斬る。
斬る。
花弁のような斬撃が黒い鱗を切り裂き、光の軌跡が次々と残っていく。
――ここで削り切る。
でなければ、負ける。
直感ではなく、確信があった。
意識が時間の流れから切り離されたような感覚の中で、俺は刀を振り続ける。
どれほど経ったか分からない。
数秒か、数十秒か。
そして突然、身体が宙へ投げ出された。
「……あれ?」
視界がぐるりと回転し、次の瞬間には地面を転がっていた。
どうやら龍の体を抜け切ったらしい。
最後の一撃は確かに入れた。
でも――
視界の先で、ニーズヘッグはまだ立ち上がっていた。
――終わった。
そう思った刹那。
ドシンッ。
大地を揺らす重い音。
邪龍の巨体がゆっくりと崩れ落ちた。
そして、身体が空色のポリゴンへと変わり、粒子となって風に溶けていく。
【ニーズヘッグを倒しました】
【経験値12350を獲得】
【ドロップアイテム:なし】
勝利を告げるシステムの文字。
勝った。
そう理解した瞬間、力が抜けた。
張り詰めていた神経が切れたように、俺はその場に倒れ込んだ。
足音が一つ、近づいて来る。
軽く、静かな足取り。
俺の横で止まり、誰かが屈む気配がした。
「……アクタ。もう止めましょう」
銀色の髪。
水色の瞳。
整った顔立ちをした少女。
ミラ。
俺の相棒。
“AI”と呼ばれる存在。
この世界では当たり前に存在する、人間ではない命。
……それでも。
ここまで共に戦ってきた時間は、AIという枠を超えていた。
彼女は俺にとって……相棒と言える存在になっていた。
なのに、俺の口から出た言葉はひねくれた物だった。
「ミラ、うるさいぞ」
ミラは静かに告げる。
「さきほどの個体で二十六体目です。
やはりニーズヘッグの根絶は不可能です」
「……わかんねえだろ」
「テイム済みモンスターは尽きています」
「……知ってる」
「回復アイテムも残っていません」
「……」
「アクタ、もう――」
「うるせえ!!」
怒鳴り声が赤空に響く。
AIなら従うはずの命令。
だが。
ミラの声が、わずかに乱れる。
視界の端に、小さなログが表示された。
【ERROR:感情値の異常上昇を検知】
ーーそのログが、一瞬だけ“書き換わった”。
【ERROR:■■■を検知】
「継続は……非推奨、です……」
震えている。
声が。
「……貴方が、心配です」
そして。
ミラの頬を、一筋の雫が伝った。
「は?」
思考が止まる。
AIが。
泣く?
そんな仕様は、どこにも無かったはずだ。
思考が止まり、言葉が出ない。
女の子が泣いた時にどうすればいいのかなんて、
引きこもりの俺が知っているわけもない。
だから。
「……泣くなよ」
そんな不器用な言葉しか出てこなかった。
その時。
新たな足音が近づく。
重く、堂々とした足音。
それは俺たちの前で止まり、柔らかな光が降り注いだ。
神々しい光を纏った長身の女性。
北欧神話に登場する女神。
性根の腐ったクソアマだ。
「勇者チリアクタ。気は済みましたか?」
「黙れ、フリッグ」
「あなたは私たちの提案を拒むのですね」
淡々とした声。
その瞳には諦めも焦りもなく、ただ見下すような色だけがあった。
「何度も言います。その個体を、こちらへ渡しなさい」
空気が凍る。
「それでこの世界は救われます。
あなた方、プレイヤーも解放しましょう。
全て解決します」
「……クソ女神」
俺の視線は相棒である、ミラへと向かう。
「アレは俺の……。所有物だ」
フリッグは小さく笑い、俺の言葉を受け流す。
「考えが変わったら、おっしゃってください。
私は常に見守っています」
身体が光に溶けていく。
残されたのは、沈黙だけ。
赤い空を見上げる。
血のような雲が世界を覆っていた。
世界の終焉。
泣き崩れるAI。
……どうしてこうなった。
ログアウトボタンが、消えたあの日。
そして。
これまでの冒険を。
俺は、ゆっくりと思い返す。




