『公正証書』の代償は、僕の心臓が凍る音
元公務員が異世界で「公証人」になる話です。
チート能力はありますが、使うたびに感情が摩耗していく代償持ち。
俺TUEEEで無双するのではなく、現代の法律知識と契約魔法で、理不尽な異世界の常識に抗います。
ハッピーエンドですが、少しビターです。
短編ですので、隙間時間にどうぞ。
羊皮紙に羽根ペンを走らせるたび、胸の奥から「温度」が抜け落ちていく。
喜びも、怒りも、哀れみも。インクが乾く速度よりも早く、僕の感情は摩耗し、ただの「機能」へと成り下がっていく。
これが、僕の転生の対価だ。
『絶対公正』。
如何なる契約も強制執行させ、嘘を暴き、理をねじ伏せる法務能力。
前世で市役所の窓口に座り、マニュアル通りの対応で泣きつく市民を追い返していた僕には、皮肉すぎるほどお似合いの力だった。
「――以上により、甲は乙に対し、金貨三枚の即時返済義務を負う」
路地裏の湿った空気に、僕の声だけが乾いた音を立てて響く。
目の前には、泥にまみれた冒険者と、血走った目の金貸し。僕がスキルを発動し、契約書に刻印を押した瞬間、冒険者の懐から勝手に革袋が飛び出し、金貸しの手へと収まった。
魔法的な強制力だ。抵抗は許されない。
「あ、ああっ! 俺の金が! 娘の薬代なんだぞ!」
「契約書には『遅延時は全財産を没収する』とある。例外条項はない」
泣き叫ぶ男を見ても、今の僕は何とも思わない。
可哀想だ、という思考はある。だが、心が揺れない。まるで他人の手術動画を見ているような、隔絶された感覚。
右手の甲に浮かんだ紋章が熱を帯び、代わりに心臓がまた少し、冷たくなった気がした。
この世界、都市国家ベルクは「契約」こそが神だ。
王の命令よりも、神殿の託宣よりも、二者間で交わされた契約書が優先される。
だからこそ、僕のような『公証人』は重宝されるが、同時に忌み嫌われる。人の情を数字と条文に切り刻む処刑人だからだ。
「……次の仕事へ行こう」
僕は感情の死んだ目で空を見上げた。
灰色のアスファルトならぬ石畳の向こう、中世然とした空はどこまでも青いのに、僕にはそれがただの青い壁紙にしか見えなくなってきている。
*
午後の依頼人は、街外れの貧民街に住む未亡人だった。
腐った木材と汚水の臭いが鼻をつく長屋の一室。
依頼内容は「債務の履行確認」。
だが、部屋に入った瞬間、僕の中に残っていた前世の倫理観――日本人の「善性」の欠片が、警報を鳴らした。
「この子を、連れて行ってください」
痩せこけた母親が差し出したのは、金貨でも宝石でもない。
七つか八つくらいの、小さな少女だった。
ボロ布のような服を着て、親の後ろで怯えている。大きな瞳が、異物を見るように僕を見ていた。
「……確認する。君は、借金のカタに娘を売り渡す契約をしたのか?」
「はい。主人が遺した借金が、どうしても返せなくて……」
母親は泣いていた。だが、その涙は娘との別れを惜しむものか、それとも自分の不甲斐なさを嘆くものか。
同席していた債権者――小太りの商店主が、苛立たしげにテーブルを叩く。
「おい公証人様、さっさと『執行』してくれよ。契約期限は昨日で切れてるんだ。このガキはもう俺の商品だ」
「待て。人身売買は……」
言いかけて、僕は口をつぐんだ。
ここは日本じゃない。
この世界では、親が子の労働権、あるいは身体そのものを売ることは「合法的」な経済活動だ。むしろ、借金を踏み倒して逃げることこそが、神に背く重罪とされる。
「契約書を見せろ」
僕は努めて冷静に言った。
商店主が鼻を鳴らし、油で汚れた羊皮紙を差し出す。
スキル『鑑定』の光が目に宿る。
……完璧だ。
利息制限法などないこの世界で、暴利と呼べる金利設定。だが、双方が合意し、拇印が押されている。魔法的な瑕疵はない。
このまま僕が「適正」と認めれば、少女の首には隷属の魔法陣が刻まれ、一生この男の所有物となる。
「……お母さん。本当にこれでいいのか? この子が売られた先でどうなるか、わかっているはずだ」
「わかってます! でも……でも、店の方々にもご迷惑はかけられませんから!」
母親の言葉に、僕は目眩を覚えた。
「正しさ」の暴力だ。
借金は返さなければならない。約束は守らなければならない。その「正論」が、娘の人生を食い潰そうとしている。
前世の僕もそうだった。
『規則ですから』『書類が足りませんから』。
そう言って、生活保護を打ち切り、困窮する家族を見捨てたことが何度あっただろう。
思考停止した「正しさ」は、悪意よりも残酷だ。
「……公証人様、あんたもプロだろ? 情で法を曲げるなよ」
商店主がニヤリと笑う。
こいつは悪党だが、この世界の「常識人」でもある。彼もまた、貸した金を回収しなければ自分の店が潰れるのだ。
(ふざけるな)
僕の奥底で、熱いものが燻る。
まだ、怒れる。まだ、僕は人間だ。
こんな理不尽な契約、認められるか。
僕はデスクの上で拳を握りしめた。
「……『異議申し立て』を行う」
「はあ? 何言ってんだ」
「この契約には、重大な倫理的欠陥がある可能性がある。公証人権限により、一時凍結とする」
「ふざけんな! そんな権限、ただの言いがかりだろうが!」
商店主が立ち上がり、掴みかかろうとしてくる。
僕はそれを視線だけで制し、スキルを発動させる準備に入った。
僕には切り札がある。
『契約破棄』。
莫大な対価と引き換えに、成立した契約を強制的に無効化する禁断の力。
これを使えば、借金はチャラにできる。少女は救われる。
ただし、その代償は――僕の「人間性」の喪失だ。
(使えば、また消える)
(怒りが。悲しみが。この子を『可哀想だ』と思う気持ちさえも)
躊躇いが指先を止める。
だが、少女と目が合った。
怯えきった、助けを求める目。
前世で僕が見捨てた、多くの顔が重なる。
「助けて」と言えなかった人々の声が、耳鳴りのように響く。
(今度こそ。……今度こそ、僕は)
僕は、自分の心臓を捧げる覚悟を決めた。
『契約破棄』を発動しようと、口を開きかけたその時だ。
「……やめてください」
小さな声が、部屋の空気を凍らせた。
声の主は、母親でも商店主でもない。
売られようとしている少女、本人だった。
「おじさん、やめて。ママをいじめないで」
少女は、僕を睨んでいた。
商店主ではない。母親でもない。
契約を止めようとした僕を、敵として睨んでいたのだ。
「え……?」
「私が売れなきゃ、ママが捕まるんでしょ? 借金返さないと、泥棒なんでしょ?」
「いや、君は何も悪くないんだ。悪いのはこの……」
「約束破るのが一番悪いの! パパも言ってた! だから私は行くの!」
少女は涙を溜めながらも、気丈に叫んだ。
その小さな背中には、この世界の歪んだ教育と、親への純粋すぎる愛がのしかかっていた。
彼女にとって、自己犠牲こそが「正義」であり、契約の履行こそが「愛」なのだ。
僕の言葉は喉で詰まった。
助けようとした手が、空を掴む。
前世の記憶がフラッシュバックする。
虐待されている子供を保護しようとして、「お父さんを悪く言わないで!」と子供自身に拒絶された記憶。
善意は、必ずしも救いにならない。
ここでは、僕の倫理観こそが「異物」であり、彼女たちの覚悟を汚すノイズだった。
「……けっ、聞いたか公証人様。ガキの方がよっぽど世の中わかってるぜ」
商店主が勝ち誇ったように笑う。
母親は「ごめんなさい、ごめんなさい」と娘を抱きしめて泣いている。
地獄絵図だった。
誰も悪くない。誰もが、自分の信じる「正しさ」と「生活」のために必死なだけだ。
だからこそ、救いがない。
僕の中で、何かがプツンと切れた。
熱い怒りが、急速に冷えていく。
それは諦めであり、同時に、冷徹な計算への移行だった。
(……ああ、そうか)
感情で動くから、間違えるんだ。
「可哀想」なんて主観で世界を測ろうとするから、計算が合わなくなる。
必要なのは正義じゃない。
最適な「解」だ。
「……提案を変更する」
僕の声は、自分でも驚くほど平坦だった。
商店主に向き直る。
「債務の総額は、金貨50枚だったな」
「あ? ……ああ、利息込みでな」
「僕が肩代わりする」
部屋が静まり返った。
商店主が口を半開きにする。母親が顔を上げる。
「は、払えるのか? あんたに」
「手持ちはある。ただし条件がある」
僕は懐から金貨の入った革袋を取り出し、テーブルに叩きつけた。
そして、新しい羊皮紙を取り出し、さらさらとペンを走らせる。
「債権は僕に移動する。そして、この少女の身柄も僕が預かる。所有権の移転だ」
「お、おい! あんた、この子をどうする気だ」
「君には関係ない。金さえ手に入れば文句はないだろう?」
商店主は金貨を確認すると、ニヤついた顔で頷いた。
「商談成立だ。好きにしな」
母親がすがりついてくる。
「あ、あの……娘は……」
「娘さんは僕が引き取る。借金が完済されるまで、僕の使用人として働いてもらう。労働対価は相場の二倍を設定する。計算上、五年で完済できる」
僕は淡々と告げた。
それは救済ではない。ただの、条件の良い「債務の書き換え」だ。
人身売買であることに変わりはない。
僕は金を払い、少女を買ったのだ。
「……っ、ありがとうございます、ありがとうございます……!」
母親は床に額を擦り付けて感謝した。
少女もまた、安堵したように息を吐き、僕を見上げた。
その目に宿るのは、感謝と信頼。
自分を買った「新しい飼い主」への、隷属の眼差し。
僕はペンを握る手に力を込める。
スキル『契約執行』発動。
羊皮紙が光り、契約が確定する。
その瞬間。
ごっそりと、何かが僕の中から持っていかれた。
『他者の人生を金で買う』という、倫理的な忌避感。
少女を『商品』として扱うことへの、生理的な嫌悪感。
それらが全て、スキルの代償として「焼却」された。
(――ああ、楽だ)
胸のつかえが取れたように、思考がクリアになる。
目の前の少女が、ただの「資産」に見えてくる。
五年で減価償却可能な、労働力。
可哀想?
いや、効率的な投資だ。彼女は家事ができるし、身ぎれいになれば事務員としても使えるだろう。
「……行くぞ」
僕は立ち上がり、少女に背を向けた。
少女が慌てて、小さな荷物を抱えてついてくる。
「あの、ご主人様……!」
外に出ると、夕暮れが街を赤く染めていた。
少女が僕の服の裾を掴み、上目遣いで尋ねてくる。
「私を、助けてくれたんですか?」
その問いに、僕は立ち止まった。
助けた?
違う。
僕はただ、一番波風の立たない方法で、トラブルを処理しただけだ。
彼女を奴隷として買い取ることで、法の枠組みの中で「所有権」を主張し、前の債権者を排除した。
結果として彼女は酷い環境から逃れられたが、その本質は「所有者の変更」でしかない。
何より、今の僕には、彼女の笑顔を見ても何も感じない。
「良かった」という安堵も、「守らなきゃ」という使命感もない。
ただ、書類上の数字が合ったな、という冷たい納得感があるだけだ。
「……勘違いするな」
僕は冷たく言い放つ。
嘘ではない。今の僕の本心だ。
「僕は損をしたくないだけだ。君には、支払った金貨の分、きっちり働いてもらう。サボれば夕食は抜きだ」
「はいっ! がんばります!」
少女はなぜか、花が咲いたように笑った。
その無垢な笑顔が、かつての僕なら守りたいと思ったはずの輝きが、今はただの「健康状態:良好」を示すパラメータにしか見えない。
僕は歩き出す。
少女の小さな足音が、影のように僕に付き従う。
契約は絶対だ。
彼女はこれから五年間、僕の所有物として生き、僕は感情を持たない主人として彼女を管理する。
夕日が沈み、影が伸びる。
冷え切った僕の心臓が、規則正しく、機械のように脈打つ音だけが聞こえていた。
「次回の契約更新は五年後だ。遅れるなよ」
誰に言うでもなく呟き、僕は夜の闇へと足を踏み入れた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「現代日本の倫理観が通用しない世界で、それでも誰かを救うにはどうすればいいか?」
その答えとして、主人公は「感情を捨てて、法的に少女を所有する」という、最も冷徹で、最も確実な道を選びました。
少女にとっては優しい飼い主との幸せな生活が始まりますが、主人公にとっては彼女の笑顔すらただの「成功報酬」にしか見えていない……という、温度差のあるラストでした。
彼がいつか、失った感情を取り戻せる日が来るのか、それとも完全に冷徹な法の番人になるのか。それはまた別のお話で。
感想もお待ちしております。




