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『公正証書』の代償は、僕の心臓が凍る音

掲載日:2026/02/17

元公務員が異世界で「公証人」になる話です。


チート能力はありますが、使うたびに感情が摩耗していく代償持ち。

俺TUEEEで無双するのではなく、現代の法律知識と契約魔法で、理不尽な異世界の常識に抗います。


ハッピーエンドですが、少しビターです。

短編ですので、隙間時間にどうぞ。

羊皮紙に羽根ペンを走らせるたび、胸の奥から「温度」が抜け落ちていく。

喜びも、怒りも、哀れみも。インクが乾く速度よりも早く、僕の感情は摩耗し、ただの「機能」へと成り下がっていく。

これが、僕の転生の対価だ。

絶対公正ノータリー』。

如何なる契約も強制執行させ、嘘を暴き、理をねじ伏せる法務能力。

前世で市役所の窓口に座り、マニュアル通りの対応で泣きつく市民を追い返していた僕には、皮肉すぎるほどお似合いの力だった。


「――以上により、甲は乙に対し、金貨三枚の即時返済義務を負う」


路地裏の湿った空気に、僕の声だけが乾いた音を立てて響く。

目の前には、泥にまみれた冒険者と、血走った目の金貸し。僕がスキルを発動し、契約書に刻印を押した瞬間、冒険者の懐から勝手に革袋が飛び出し、金貸しの手へと収まった。

魔法的な強制力だ。抵抗は許されない。


「あ、ああっ! 俺の金が! 娘の薬代なんだぞ!」

「契約書には『遅延時は全財産を没収する』とある。例外条項はない」


泣き叫ぶ男を見ても、今の僕は何とも思わない。

可哀想だ、という思考はある。だが、心が揺れない。まるで他人の手術動画を見ているような、隔絶された感覚。

右手の甲に浮かんだ紋章が熱を帯び、代わりに心臓がまた少し、冷たくなった気がした。


この世界、都市国家ベルクは「契約」こそが神だ。

王の命令よりも、神殿の託宣よりも、二者間で交わされた契約書が優先される。

だからこそ、僕のような『公証人』は重宝されるが、同時に忌み嫌われる。人の情を数字と条文に切り刻む処刑人だからだ。


「……次の仕事へ行こう」


僕は感情の死んだ目で空を見上げた。

灰色のアスファルトならぬ石畳の向こう、中世然とした空はどこまでも青いのに、僕にはそれがただの青い壁紙にしか見えなくなってきている。


   *


午後の依頼人は、街外れの貧民街に住む未亡人だった。

腐った木材と汚水の臭いが鼻をつく長屋の一室。

依頼内容は「債務の履行確認」。

だが、部屋に入った瞬間、僕の中に残っていた前世の倫理観――日本人の「善性」の欠片が、警報を鳴らした。


「この子を、連れて行ってください」


痩せこけた母親が差し出したのは、金貨でも宝石でもない。

七つか八つくらいの、小さな少女だった。

ボロ布のような服を着て、親の後ろで怯えている。大きな瞳が、異物を見るように僕を見ていた。


「……確認する。君は、借金のカタに娘を売り渡す契約をしたのか?」

「はい。主人が遺した借金が、どうしても返せなくて……」


母親は泣いていた。だが、その涙は娘との別れを惜しむものか、それとも自分の不甲斐なさを嘆くものか。

同席していた債権者――小太りの商店主が、苛立たしげにテーブルを叩く。


「おい公証人様、さっさと『執行』してくれよ。契約期限は昨日で切れてるんだ。このガキはもう俺の商品だ」

「待て。人身売買は……」


言いかけて、僕は口をつぐんだ。

ここは日本じゃない。

この世界では、親が子の労働権、あるいは身体そのものを売ることは「合法的」な経済活動だ。むしろ、借金を踏み倒して逃げることこそが、神に背く重罪とされる。


「契約書を見せろ」


僕は努めて冷静に言った。

商店主が鼻を鳴らし、油で汚れた羊皮紙を差し出す。

スキル『鑑定』の光が目に宿る。

……完璧だ。

利息制限法などないこの世界で、暴利と呼べる金利設定。だが、双方が合意し、拇印が押されている。魔法的な瑕疵はない。

このまま僕が「適正」と認めれば、少女の首には隷属の魔法陣が刻まれ、一生この男の所有物となる。


「……お母さん。本当にこれでいいのか? この子が売られた先でどうなるか、わかっているはずだ」

「わかってます! でも……でも、店の方々にもご迷惑はかけられませんから!」


母親の言葉に、僕は目眩を覚えた。

「正しさ」の暴力だ。

借金は返さなければならない。約束は守らなければならない。その「正論」が、娘の人生を食い潰そうとしている。

前世の僕もそうだった。

『規則ですから』『書類が足りませんから』。

そう言って、生活保護を打ち切り、困窮する家族を見捨てたことが何度あっただろう。

思考停止した「正しさ」は、悪意よりも残酷だ。


「……公証人様、あんたもプロだろ? 情で法を曲げるなよ」


商店主がニヤリと笑う。

こいつは悪党だが、この世界の「常識人」でもある。彼もまた、貸した金を回収しなければ自分の店が潰れるのだ。


(ふざけるな)


僕の奥底で、熱いものが燻る。

まだ、怒れる。まだ、僕は人間だ。

こんな理不尽な契約、認められるか。

僕はデスクの上で拳を握りしめた。


「……『異議申し立て』を行う」

「はあ? 何言ってんだ」

「この契約には、重大な倫理的欠陥がある可能性がある。公証人権限により、一時凍結とする」

「ふざけんな! そんな権限、ただの言いがかりだろうが!」


商店主が立ち上がり、掴みかかろうとしてくる。

僕はそれを視線だけで制し、スキルを発動させる準備に入った。


僕には切り札がある。

契約破棄ヴォイド』。

莫大な対価と引き換えに、成立した契約を強制的に無効化する禁断の力。

これを使えば、借金はチャラにできる。少女は救われる。

ただし、その代償は――僕の「人間性」の喪失だ。


(使えば、また消える)

(怒りが。悲しみが。この子を『可哀想だ』と思う気持ちさえも)


躊躇いが指先を止める。

だが、少女と目が合った。

怯えきった、助けを求める目。

前世で僕が見捨てた、多くの顔が重なる。

「助けて」と言えなかった人々の声が、耳鳴りのように響く。


(今度こそ。……今度こそ、僕は)


僕は、自分の心臓を捧げる覚悟を決めた。

『契約破棄』を発動しようと、口を開きかけたその時だ。


「……やめてください」


小さな声が、部屋の空気を凍らせた。

声の主は、母親でも商店主でもない。

売られようとしている少女、本人だった。


「おじさん、やめて。ママをいじめないで」


少女は、僕を睨んでいた。

商店主ではない。母親でもない。

契約を止めようとした僕を、敵として睨んでいたのだ。


「え……?」

「私が売れなきゃ、ママが捕まるんでしょ? 借金返さないと、泥棒なんでしょ?」

「いや、君は何も悪くないんだ。悪いのはこの……」

「約束破るのが一番悪いの! パパも言ってた! だから私は行くの!」


少女は涙を溜めながらも、気丈に叫んだ。

その小さな背中には、この世界の歪んだ教育と、親への純粋すぎる愛がのしかかっていた。

彼女にとって、自己犠牲こそが「正義」であり、契約の履行こそが「愛」なのだ。


僕の言葉は喉で詰まった。

助けようとした手が、空を掴む。

前世の記憶がフラッシュバックする。

虐待されている子供を保護しようとして、「お父さんを悪く言わないで!」と子供自身に拒絶された記憶。

善意は、必ずしも救いにならない。

ここでは、僕の倫理観こそが「異物」であり、彼女たちの覚悟を汚すノイズだった。


「……けっ、聞いたか公証人様。ガキの方がよっぽど世の中わかってるぜ」


商店主が勝ち誇ったように笑う。

母親は「ごめんなさい、ごめんなさい」と娘を抱きしめて泣いている。

地獄絵図だった。

誰も悪くない。誰もが、自分の信じる「正しさ」と「生活」のために必死なだけだ。

だからこそ、救いがない。


僕の中で、何かがプツンと切れた。

熱い怒りが、急速に冷えていく。

それは諦めであり、同時に、冷徹な計算への移行だった。


(……ああ、そうか)


感情で動くから、間違えるんだ。

「可哀想」なんて主観で世界を測ろうとするから、計算が合わなくなる。

必要なのは正義じゃない。

最適な「解」だ。


「……提案を変更する」


僕の声は、自分でも驚くほど平坦だった。

商店主に向き直る。


「債務の総額は、金貨50枚だったな」

「あ? ……ああ、利息込みでな」

「僕が肩代わりする」


部屋が静まり返った。

商店主が口を半開きにする。母親が顔を上げる。


「は、払えるのか? あんたに」

「手持ちはある。ただし条件がある」


僕は懐から金貨の入った革袋を取り出し、テーブルに叩きつけた。

そして、新しい羊皮紙を取り出し、さらさらとペンを走らせる。


「債権は僕に移動する。そして、この少女の身柄も僕が預かる。所有権の移転だ」

「お、おい! あんた、この子をどうする気だ」

「君には関係ない。金さえ手に入れば文句はないだろう?」


商店主は金貨を確認すると、ニヤついた顔で頷いた。

「商談成立だ。好きにしな」


母親がすがりついてくる。

「あ、あの……娘は……」

「娘さんは僕が引き取る。借金が完済されるまで、僕の使用人として働いてもらう。労働対価は相場の二倍を設定する。計算上、五年で完済できる」


僕は淡々と告げた。

それは救済ではない。ただの、条件の良い「債務の書き換え」だ。

人身売買であることに変わりはない。

僕は金を払い、少女を買ったのだ。


「……っ、ありがとうございます、ありがとうございます……!」


母親は床に額を擦り付けて感謝した。

少女もまた、安堵したように息を吐き、僕を見上げた。

その目に宿るのは、感謝と信頼。

自分を買った「新しい飼い主」への、隷属の眼差し。


僕はペンを握る手に力を込める。

スキル『契約執行』発動。

羊皮紙が光り、契約が確定する。


その瞬間。

ごっそりと、何かが僕の中から持っていかれた。


『他者の人生を金で買う』という、倫理的な忌避感。

少女を『商品』として扱うことへの、生理的な嫌悪感。

それらが全て、スキルの代償として「焼却」された。


(――ああ、楽だ)


胸のつかえが取れたように、思考がクリアになる。

目の前の少女が、ただの「資産」に見えてくる。

五年で減価償却可能な、労働力。

可哀想? 

いや、効率的な投資だ。彼女は家事ができるし、身ぎれいになれば事務員としても使えるだろう。


「……行くぞ」


僕は立ち上がり、少女に背を向けた。

少女が慌てて、小さな荷物を抱えてついてくる。


「あの、ご主人様……!」


外に出ると、夕暮れが街を赤く染めていた。

少女が僕の服の裾を掴み、上目遣いで尋ねてくる。


「私を、助けてくれたんですか?」


その問いに、僕は立ち止まった。

助けた?

違う。

僕はただ、一番波風の立たない方法で、トラブルを処理しただけだ。

彼女を奴隷として買い取ることで、法の枠組みの中で「所有権」を主張し、前の債権者を排除した。

結果として彼女は酷い環境から逃れられたが、その本質は「所有者の変更」でしかない。


何より、今の僕には、彼女の笑顔を見ても何も感じない。

「良かった」という安堵も、「守らなきゃ」という使命感もない。

ただ、書類上の数字が合ったな、という冷たい納得感があるだけだ。


「……勘違いするな」


僕は冷たく言い放つ。

嘘ではない。今の僕の本心だ。


「僕は損をしたくないだけだ。君には、支払った金貨の分、きっちり働いてもらう。サボれば夕食は抜きだ」

「はいっ! がんばります!」


少女はなぜか、花が咲いたように笑った。

その無垢な笑顔が、かつての僕なら守りたいと思ったはずの輝きが、今はただの「健康状態:良好」を示すパラメータにしか見えない。


僕は歩き出す。

少女の小さな足音が、影のように僕に付き従う。

契約は絶対だ。

彼女はこれから五年間、僕の所有物として生き、僕は感情を持たない主人として彼女を管理する。


夕日が沈み、影が伸びる。

冷え切った僕の心臓が、規則正しく、機械のように脈打つ音だけが聞こえていた。


「次回の契約更新は五年後だ。遅れるなよ」


誰に言うでもなく呟き、僕は夜の闇へと足を踏み入れた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


「現代日本の倫理観が通用しない世界で、それでも誰かを救うにはどうすればいいか?」

その答えとして、主人公は「感情を捨てて、法的に少女を所有する」という、最も冷徹で、最も確実な道を選びました。


少女にとっては優しい飼い主との幸せな生活が始まりますが、主人公にとっては彼女の笑顔すらただの「成功報酬」にしか見えていない……という、温度差のあるラストでした。

彼がいつか、失った感情を取り戻せる日が来るのか、それとも完全に冷徹な法の番人になるのか。それはまた別のお話で。


感想もお待ちしております。

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