第6話 拠点の確保と在庫管理
事業が軌道に乗れば、次に必要なのは「場所」です。
雨風を凌げる屋根と壁。それがこれほど贅沢なものだとは、前世では思いもしませんでした。
「……参りましたね。湿度が制御できません」
俺は灰色の空を見上げ、苦々しく呟いた。
ガイル商会との契約から数日。銀閃草の第一次納品に向けた増産体制は、天候という不確定要素によって脅かされていた。
断続的な降雨。これが乾燥工程を著しく阻害している。
「野外での加工作業は限界ね。このままだと、納期の遅延か、品質低下の二択を迫られるわよ」
雨除けの布を押さえながら、シルフィが警告する。彼女の指摘は常に正しい。
現在の俺たちの拠点は、森の木陰と焚き火跡だけだ。
気温や湿度が管理できない環境では、商会が求める「均一な品質」を維持し続けることは不可能だ。
「拠点を確保しましょう。不動産屋に行くわけにはいきませんが、使える『空間』は見繕ってあります」
俺は作業の手を止め、シルフィを伴って森の境界へと向かった。
以前の調査で目星をつけていた場所がある。
村の外れ、耕作放棄地の隅に建つ、打ち捨てられた農機具小屋だ。
小屋は蔦に覆われ、屋根の一部は朽ちていた。だが、壁の石組みはしっかりしている。
「所有者は、先日取引した農夫のようです。交渉にいきましょう」
俺たちが小屋の前に立つと、ちょうど農夫が通りかかった。彼は俺たちの姿を認めると、少し気まずそうに、しかし親しみを込めて声をかけてきた。
「ああ、あんたたちか。……どうした、また何か売り込みか?」
「いえ、今日は賃貸借契約の相談です。この小屋、使っていないのであれば貸していただきたい」
俺が単刀直入に切り出すと、農夫は目を丸くした
。
「ここを? 廃屋だぞ。ネズミと湿気で使い物にならん。それに……」
彼は言い淀み、視線を自身の畑へと向けた。
「最近、この辺りはいけねえ。妙な虫が湧いててな。作物がやられちまうんだ。そんな場所に住もうなんて物好きもいいとこだ」
彼の畑――かつて俺たちが薬草を与えた家畜の飼料用の畑――を見ると、確かに葉の変色が目立つ。
俺は近づき、「解析」を発動した。
【解析対象:白微虫】
【分類:吸汁性害虫】
【繁殖率:高】
原因は明白だ。俺の農園から溢れ出した魔力が、微量ながら周囲の生態系を活性化させ、害虫を引き寄せている。
これは俺が撒いた種であり、同時に交渉材料でもある。
「取引をしましょう。俺がこの畑の害虫を駆除し、再発を防ぎます。その対価として、この小屋の使用権を半年間、譲渡してください」
「……駆除だって? 魔法使い様みたいなことができるのか?」
「魔法ではありません。生態系の調整です」
俺は即座に作業を開始した。
森の境界に自生する「苦ヨモギ」の変種を採取する。これは白微虫が嫌う揮発成分を含んでいる。
ただ植えるだけでは効果が薄い。俺は「等価交換」で苗の根に干渉し、成分の分泌量を最大化させた上で、畑の風上に等間隔で定植していった。
数十分後。風に乗って流れる鋭い香りが畑を包むと、白い虫の群れが目に見えて減り始めた。
「す、すげえ……。本当にいなくなりやがった」
農夫が感嘆の声を漏らす。
事実を見せつけられれば、交渉はスムーズだ。彼は二つ返事で小屋の使用を認めた。金銭の授受なし。労働と知識による現物取引だ。
鍵を受け取り、俺たちは小屋の中へと踏み入った。
埃とカビの臭い。散乱した錆びた農具。だが、俺にはここが最先端の「化学プラント」に見えていた。
「掃除と修繕が必要ですね。シルフィ、手伝ってください」
「人使いが荒いわね、パートナー様。……でも、悪くない物件よ」
俺たちは総出で環境整備に取り掛かった。
腐った床板を撤去し、周囲の岩を「等価交換」で石材に変えて埋め込む。
屋根の穴は、森で採取した樹脂と木の皮を加工して塞いだ。
薄暗かった廃屋は、半日で「雨風を凌げる石造りの工房」へと姿を変えた。
部屋の隅に、乾燥させた銀閃草の在庫を積み上げる。
これで湿気に怯える必要はない。
作業台として置いた大岩の上で、俺は記録帳を開いた。
「拠点確保、完了です。これで生産効率は三〇パーセント向上します」
「ふふ。やっと人間らしい寝床で眠れるわね」
シルフィが硬い石の床に毛布を敷きながら笑う。
俺もまた、壁に背を預けて深く息を吐いた。
頭上にある屋根。壁。
それは物理的な防御壁であると同時に、俺たちがこの世界に「在ってもいい」という、確かな居場所の証明のように感じられた。
その夜、久しぶりに熟睡した俺は、翌朝の作業で奇妙なものを発見することになる。
小屋の床下から出てきた、魔力を帯びた黒い石。
解析不能なその「未確認物質」は、俺たちの事業に新たな波乱を予感させるものだったが……
屋根がある。
それだけで、生存確率は跳ね上がります。
物理的な安全基地を手に入れたレンたち。
次回、その拠点でさらなる「品質の追求」が始まります。




