第3話 合理的な助手との契約
失敗を修正し、再挑戦。
地味な作業ですが、これが確実な生存戦略です。
明け方の森は、骨まで凍るような冷気に支配されていた。
俺は広葉樹の葉に溜まった夜露を集め、手鍬で掘り返した土へと慎重に注いだ。乾燥してパサついていた土が、水を吸って黒く重い泥へと変わる。
「……物理的な攪拌の深度を一定に保ちます」
俺は手鍬を突き立て、泥を捏ねるように動かした。「ぺチャリ」という湿った音が静寂に響く。灰の粒子を水に溶かし、土の細孔まで均一に行き渡らせるイメージ。
数十分の泥臭い作業の末、そこには滑らかな黒土の層が出来上がっていた。
俺は泥に汚れた指先を拭いもしないまま、最後の種を取り出した。
冷たい土の深部へ沈め、静かに土を被せる。
「変換効率、〇・〇二パーセント。生理活性の維持に限定。……発動します」
糸よりも細い魔力を流し込む。水という溶媒を得たことで、魔力は抵抗なく土中を伝播した。種が水分を吸い上げ、硬い殻の中で命が蠢き始める。
やがて、土が僅かに盛り上がり、針の先ほどの鮮烈な緑が顔を出した。
「……『解析』」
【解析対象:薬草の芽(生体反応)】
【状態:安定】
【細胞壊死:兆候なし】
成功だ。双葉は茶色に変色することなく、瑞々しい緑を保っている。
物理的な中和と適切な水分。この「泥臭い工程」こそが、魔法だけでは届かなかった生存への解だった。
俺は焚き火の跡に座り込み、その小さな緑を観察し続けた。
東の空が白み、朝霧が森に立ち込め始める。俺は懐から『記録帳』を取り出し、凍えた指で羽ペンを走らせた。
「実験区画01……成功です。木灰と水による中和プロトコルは有効ですね。次は……排水性の検証でしょうか」
「……それ、あなたがしたの?」
不意に、背後から声が降ってきた。
俺は反射的にノートを閉じ、手鍬の柄を握り直して振り返る。
そこには、村の装束を纏った小柄な少女が立っていた。霧の中に溶けそうなほど淡い存在感だが、その瞳だけが異質なほど強い光を放ち、足元の「緑」に釘付けになっていた。
「……シルフィ。この村の境界を管理している家の娘よ」
彼女は短く名乗り、俺の返事も待たずに実験区画の前にしゃがみ込んだ。
泥にまみれた土と、不自然に生え揃った一株の薬草。そして周囲に散らばる灰の痕跡。
彼女の鼻腔が微かに動き、状況を嗅ぎ取っている。
「村の伝承では、ここは『精霊の拒絶』がある場所。でも……この数値。土の色。あなたがやったのは、ただの土壌改良?」
「……そうです。呪いではありません。土壌の酸性度(pH)が異常だっただけです」
俺は警戒を解かず、端的に事実だけを告げた。
少女――シルフィは、顔を上げて俺を見た。その目に恐怖や信仰の色はない。あるのは、目の前の「不可解な成功」を解き明かそうとする、飢えたような知的好奇心だけだった。
「すごい……。魔法じゃなくて、計算で森の拒絶を無効化したのね」
「情緒で腹は膨れません。必要なのは再現性のある数値だけです」
俺の言葉に、シルフィは一瞬きょとんとし、それから小さく笑った。
「ねえ、私を協力者に加えて。その『計算』、もっと近くで見てみたい」
直球な申し出だった。俺は脳内の損益計算書を高速で回す。
今の俺には圧倒的に手が足りない。水汲み、薪集め、物理的な土壌改良。これらを分担できるリソース(人員)は、喉から手が出るほど欲しい。だが、無償の善意はリスクだ。
「お断りします。ボランティアは不要です。ですが、取引なら応じます」
「取引?」
「俺は貴女の労働力を買います。貴女は俺の知識を買う。相互利益(Win-Win)です」
俺の提示に、シルフィは迷わず頷いた。
「成立ね。まずは何をすればいい? 先生」
「……先生はやめてください。次は水源の調査です。ついてきてください」
俺は立ち上がり、手鍬を担いだ。
空腹は限界に近いが、足取りは軽い。
理論は実証され、労働力も確保した。
この不毛な死地で、生存のための歯車がようやく噛み合い始めたのだ。
俺たちは霧の晴れ始めた森の奥へと、新たな「解」を求めて歩き出した。
ようやく「成功」と呼べる結果が出ました。 そして、この荒れ地を開拓するための重要な人手も手に入れました。 ここからが本番です。




