第21話 公開実証——星月花の効能証明
積み上げたデータが、ようやく本来の役割を果たす時が来ました。
派手な演出はありません。ただ、数字を並べるだけです。
二週間の効能比較試験が終わった。
フィオナが設計した試験プロトコルに従い、ノルデン診療所の主任薬師ハインツの協力のもと、外傷治癒と魔力疲労回復の二項目を比較した。診療所の通院患者六名を投与群と対照群の三名ずつに分け、投与群には星月花の煎じ薬を、対照群にはギルド認可の標準治療薬を同一条件で投与した。
結果は記録帳に全て書き写してある。
外傷治癒速度——星月花群の平均回復日数は三・二日。対照群は七・八日。二・四倍の差。魔力疲労回復率——星月花群の二十四時間後回復率は九一パーセント。対照群は四七パーセント。
ハインツは結果を三度確認した後、自分の署名入りの報告書を書いた。
「二十年、薬を扱ってきた。ここまで明確な差が出る比較試験は初めてだ」
俺は報告書を受け取り、記録帳に綴じた。技術だけでは市場は動かない。数値を見せなければならない。
* * *
実証会の当日。会場はノルデン町の集会所だった。
早朝から準備を始めた。リシアが資料の束を参加者の席に一部ずつ配置していく。三十四部。一部につき比較表二枚と試験プロトコルの要約一枚。
マーガレットが二週間で集めた参加者は三十四名。独立系診療所の薬師が七名、辺境の商人が十二名、領主の治療師の代理が一名。残りは近隣の農家や町民だった。
会場の後方に、見覚えのある顔があった。ベルント薬房の主人だ。ギルドの通達が出た直後、真っ先に取引凍結の書簡を送ってきた老舗の薬房。腕を組み、値踏みするような目でこちらを見ていた。マーガレットが招待したのか、自分で聞きつけたのかは分からない。いずれにせよ、あの男がここにいるということは、データを見る気はあるということだ。
フィオナが試験プロトコルの説明を行った。被験者の選定基準、投与量、観察期間、測定手法。全ての手順を事前に文書化し、参加者に配布してある。
「この試験の全工程は再現可能です。同じ手順を踏めば、誰が実施しても同じ結果が得られます」
フィオナは一拍置いて、付け加えた。
「ただし、被験者数は各群三名——統計的な確証を示すには不十分な規模です。本試験の位置づけは、効能の傾向を確かめる予備的な検討に留まります。だからこそ、手順の全工程を開示します。この場にいる薬師の方々が同じプロトコルで追試できる形にしておくことが、予備検討の正しい使い方です」
フィオナの声は落ち着いていた。学会で理論を発表した時とは違う。あの時は理論の正しさを証明しようとしていた。今は、事実を共有しようとしている。
俺は比較データを提示した。
星月花と認可品の効能比較表。数値を読み上げる必要はなかった。表を見れば、差は一目瞭然だ。会場の空気が変わった。薬師たちが身を乗り出し、商人たちが表の数値を書き写し始めた。
ハインツが立ち上がった。二十年の経験が刻まれた顔だった。彼が発言すると、会場の雑談が止んだ。
「当診療所の主任薬師として証言します。この試験は適正な手順で実施され、結果は信頼に足るものです。星月花の治療効果は、現行の標準治療薬を大幅に上回っています。私自身、患者の回復過程を毎日記録しました。その記録もここにあります」
ハインツは自分の診療記録の写しを資料に加えた。患者番号、症状、投与後の毎日の変化。一人ひとりの経過が数値で追える形で残されていた。
領主の治療師の代理が口を開いた。
「比較対照に使われたギルド認可薬は、どの製品ですか」
代理は資料をめくり、製品名を確認してから頷いた。この地域で普通に使われている薬だ。その上でこの差が出ている。
一人の薬師が手を挙げた。
「効能は分かった。だがこの薬草の安定供給は可能なのか。星月花は栽培が極めて困難な希少種だと聞いているが」
「環境制御型温室による安定栽培技術を確立しています。現在、初回の三株が開花に至りました。温室の環境パラメータは設計目標値の誤差一パーセント以内で推移しており、栽培プロトコル上は月間三回の収穫サイクルが見込まれます。データの蓄積とともに安定性を実証していく予定です。栽培プロトコルについても、必要であれば開示します」
後方からベルント薬房の主人が声を上げた。
「試験プロトコルは結構だが、比較対照のギルド認可薬は適正に保管されていたのか。保管条件が悪ければ効能が落ちるのは当然だ。データの前提そのものに疑義がある」
腕を組んだまま、こちらを見据えている。薬房の主人としてのプライドと、ギルド側の立場から簡単に認めるわけにはいかないという意地が、声に滲んでいた。
「認可薬の保管記録はハインツ先生の診療所で管理されているものです。ハインツ先生」
ハインツが頷き、書類の束から一枚を抜いた。
「搬入日、保管温度、開封日。全て記録してある。保管条件はギルド規定に完全に準拠している。認可薬の効能低下は、保管の問題ではない」
ベルント薬房の主人は記録を受け取り、数字を目で追った。長い沈黙があった。反論の余地を探しているのだろう。だが、数字は数字だ。
彼は書類を静かにテーブルに置き、口を閉じた。腕を組み直しただけだった。
別の商人が続けた。
「収穫量の予測は立つのか? 受注しても届かないのでは話にならん」
シルフィが立ち上がり、帳簿を開いた。
「当園の銀閃草の出荷実績です。過去六ヶ月間の月ごとの変動係数は八パーセント以内。星月花についてはまだ初回の開花ですが、温室の環境パラメータが設計値通りに安定している以上、同等の安定性で栽培を維持できる根拠があります」
数字がそこにあった。曖昧な約束ではなく、実績に基づくデータ。それが、この場にいる人間たちが求めているものだった。
質疑は四十分続いた。すべての質問に対して、俺たちは数値で答えた。
* * *
実証会は二時間で終了した。
拍手も喝采もなかった。参加者たちは資料の写しを持ち帰り、それぞれの場所で検証するだろう。それでいい。俺が求めていたのは感動ではなく、データの拡散だ。
ベルント薬房の主人が出口に向かうのが見えた。手には、配布資料を全て持っていた。一枚も残していない。すれ違いざま、こちらに目を向けたが何も言わなかった。言えなかったのだろう。あの書簡——『誠に遺憾ながら、取引契約を一時凍結いたします』。あの時は制度の側に立つしかなかった。今日、数字はその制度の根拠を揺るがした。
ハインツが帰り際に言った。
「カイ君。うちの診療所では、来週から星月花の煎じ薬を正式に処方薬として採用する」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ。二十年間、患者に出していたギルド認可薬——あれよりもよく効く薬が、こんな辺境で作られていたとは思わなかった。私は品質で薬を選びたい。認可の有無ではなく」
フォルベル渓谷の薬師が二人、ハインツに歩み寄った。
「うちの診療所でも試験導入を検討したい。試験プロトコルの写しを頂けるか」
フィオナが頷き、予備の写しを手渡した。再現可能な手順を公開することの意味を、彼女は誰よりも理解していた。自分が学会でできなかったこと——検証を開かれた場で行うこと——を、今日、実現した。
マーガレットが商人たちと名刺を交換していた。直販ルートの拡張交渉が、今日この場で始まっている。
フィオナは集会所の隅で、自分が書いた試験プロトコルの原本を見つめていた。
「……ねえ、カイ」
「何ですか」
「学会では、理論が正しいことを証明しようとして失敗した。今日は、事実が正しいことを共有しただけ。同じ『証明』なのに、全然違うのね」
俺はフィオナに頷いた。集会所の片付けをマーガレットに任せ、俺たちは農園への帰路についた。
* * *
温室に戻ると、リシアが夕方のシフトを終えたところだった。花弁を摘んだ三株の星月花は、次の芽を静かに伸ばし始めていた。
「実証会、終わりましたか」
「終わりました。うまくいった」
「そうですか」
リシアはそれだけ言って、温室の環境記録をシルフィに渡しに行った。彼女にとっては、実証会があろうとなかろうと、温室の管理が日課だ。変わらない精密さで、今日も花の世話をしていた。
記録帳を開いた。今日の実証会の結果を記録する。数値、参加者数、ハインツの署名、配布資料の部数。そして最後に一行だけ書き加えた。
『星月花の効能実証完了。ノルデン診療所が処方薬として採用決定。直販ルートへの新規参入希望者——薬師三名、商人五名。星月花事業の正式な始動』
記録帳を閉じた。特別な感慨はなかった。データを集め、検証し、公開した。それだけのことだ。
派手な勝負はありませんでした。ただ数字を並べ、事実を見せた。それだけです。
しかし——実証会の波紋は、カイが予想しなかった方向にも広がり始めます。




