第2話 不完全な中和
追放されたからといって、嘆いている暇はありません。
手持ちのスキルと知識で、現状を打破するだけです。
まずは、生存戦略の第一歩、生存可能領域の確保から始めます。
ガィン、と硬い衝撃が両腕を突き抜けた。
手鍬の刃が叩いたのは、不毛の土ではなく岩盤のような拒絶だった。振動が痺れとなって肘まで駆け上がる。
俺は短く息を吐き、地面に接触している刃からスキル「解析」を走らせた。
視界の端に、無機質な青白いログが音もなく展開される。
【解析対象:土壌(物理特性)】
【pH値:4.8(強酸性)】
【主成分:雲母片、酸化アルミニウム、微量の腐植質】
【環境条件:凍結深度 12cm】
「……予想通り、いや、それ以上ですか」
強酸性の土壌はアルミニウムを溶かし出し、植物の根を枯らす毒へと変える。この「拒絶の森」の入り口は、植物の生存を真っ向から拒む死地そのものだ。
俺は地面に膝をつき、左の手のひらを冷たい土壌に密着させた。
この絶望的な数値を、俺の持つ「等価交換」でどこまで書き換えられるか。物理的な接触は、発動の絶対条件だ。
「等価交換。組成の再構成、土壌の中和を試験的に実行します」
掌の下で魔力が渦巻く。狙うは、酸性物質の直接的な変換。だが、即座に脳裏を過ったのは、激しい魔力の枯渇感だった。
【警告:魔力消費効率 0.01%以下。変換対象の質量に対して魔力供給が不足しています】
「っ……!」
視界が歪む。力任せに土壌の性質を書き換えようとした報いだ。聖者の奇跡でもなければ、この広大な大地を変えることなど不可能。ゴミスキルと揶揄されていた俺の能力なら、なおさらだ。
俺は手を離し、再び「解析」を実行する。
【測定結果:pH 4.8(変化なし)】
失敗だ。魔力だけを浪費し、数値化された現実は微動だにしなかった。
俺は荒い呼吸を整えながら、焚き火の跡へと視線を向けた。そこには昨夜の薪の残骸――『木灰』が白く残っている。
スキルによる強引な変換が通じないのなら、物理的な触媒を使うしかない。灰のアルカリ性を利用して中和を助ける。前世の知識が、それが最も合理的だと告げていた。
俺は手近な木灰を掴み、再び硬い土の上へと歩み寄った。
「魔法が使えない以上、物理的な熱分解に頼るしかありませんね」
灰を掌に掬い上げ、その軽質量を見つめる。
現在の土地はpH4.8。これを中和するには、この灰を散布し、物理的に中和させる必要がある。一度の焚き火で得られる量では、改良できるのはせいぜい足元の一区画に過ぎない。
だが、理論は成立した。スキルの力だけで世界を捻じ曲げるのではなく、物理現象の連鎖の中に魔法の数式を滑り込ませる。それが、俺の能力がこの死地で生存圏を切り拓くための唯一の解だ。
俺は膝をつき、手鍬で土を掘り返した。ガリッ、と硬い層を破る感触。三十センチほど掘り下げたところで、灰を投入する。
指の隙間からさらさらと灰が落ち、暗褐色の土の上に白い層を作った。
さらに手鍬で攪拌し、灰と土を混ぜ合わせる。魔法を使わぬ物理的な労働は、確実に俺のスタミナを削っていく。
作業を終え、汗の滲んだ掌を土へ押し当てる。
「……解析」
【解析対象:土壌(局所中和後)】
【pH値:6.0(弱酸性)】
成功だ。強酸性の呪縛を、物理的な中和剤とスキルの補助によって上書きした。
俺は腰のポーチから、数粒の「銀閃草の種」を取り出した。王都を追放される際に持ち出した低ランクの種子だ。
「……実証を行います」
中和を終えた土壌に指を突き立て、種を一粒、丁寧に埋める。
ここで行うのは、種子の内部構造に干渉し、休眠状態にある細胞を物理的に活性化させる極小規模の「等価交換」だ。
「変換効率、〇・〇五パーセントに固定。水分吸収率を強制補正……発動します」
指先から細い糸のような魔力を流し込む。神経を研ぎ澄ませると、種が水分を吸い上げていく感触が伝わってきた。草木灰のおかげで、スキルは潤滑油のように滑らかに機能している。
数分後。盛り上がった土の隙間から、針先ほどの小さな緑が顔を覗かせた。
「……出ましたか」
僅かに早まった鼓動を抑え、凝視する。
しかし、微かな希望は即座に裏切られた。
生まれたばかりの双葉は、見る間に茶褐色に変色し、水分を失ったように縮れて倒れ伏した。
指先でその亡骸に触れる。伝わってきたのは、命の躍動ではなく、パサついた枯れ草の無機質な感触だった。
「解析」
【解析対象:薬草の根】
【pH値:8.5(強アルカリ性)】
【状態:細胞壊死(アルカリ障害)】
網膜に浮かぶ無機質な警告。原因は、俺の作業の「雑さ」にあった。
「草木灰の散布ムラですか……。手作業での攪拌には限界がありますね」
物理的に灰を混ぜただけでは、アルカリ成分が均一に分散されない。灰の粒子が固まっている箇所に根が触れ、強アルカリが猛毒となったのだ。
物理的な「混ぜる」という工程の甘さが、魔法の精度を殺した。
「理論は正しくとも、物理的なプロセスを制御しきれていません。これでは使い物になりませんね」
俺は「手鍬」を握り直し、失敗の証である枯れた芽を冷徹に土の中へと埋め戻した。
失敗は情報の断片だ。嘆く必要はない。
物理的な攪拌だけでは、成分の拡散にムラが生じる。均一な化学反応を促すには、溶媒となる「水」が必要不可欠だ。
周囲を見渡す。深閑とした森の草葉には、氷点下に近い冷気によって結露した夜露が溜まっている。
俺は傍らにあった広葉樹の葉を器代わりに数枚重ねた。
「……次は、溶媒(水)を使います。物理的な攪拌の深度を一定に保つために」
俺は立ち上がり、暗い森の中、わずかに光る露を集めるべく歩き出した。
この泥臭い工程こそが、生存への道を開く鍵となるはずだ。
次回、最初の成果と、想定外の接触が来ます。




