第18話 ギルドの第二波——規制強化と査察
正しいものを作っていても、認められるかどうかは別の話。
権威と向き合う時、武器になるのは——やはりデータでした。
マーガレットの顔色が悪かった。
定期訪問のはずが、予定より二日早い来訪。馬車から降りるなり作業小屋に入ってきた彼女の手には、封蝋が押された書簡が握られていた。
「王都の魔法ギルド薬草取締部会から、正式な査察通告よ。『未認可の魔力加工施設に対する強制査察を実施する』——三日後に査察官が来る」
シルフィが書簡を受け取り、条文を読み上げた。
「ギルド規約第四十二条に基づく強制査察権の行使。拒否した場合、周辺領域での全商取引の停止処分……。法的には、拒否する選択肢はないわね」
フィオナの顔が強張った。
「査察って……温室を見られるの? 共鳴回路の設計を取られたら——」
「取られません」
俺は冷静に言った。だが、一つだけ判断を迫られていた。
魔力種子の変化データ。記録帳に蓄積してきた脈動周期の偏差と第三層の波形パターン。あれを見せるべきか。完全な情報開示を戦略の軸に据えるなら、種子の変化も含めるべきだ。
だが——あの変化の意味は、まだ俺自身にも分からない。解釈できないデータを渡せば、ギルドに「不安定な魔力源を使っている」という口実を与えることになりかねない。
「栽培データと成分分析は全て開示します。温室の環境制御記録、プロトコル、品質証明の全工程を見せる。ただし——」
俺は一瞬、記録帳の魔力種子のページに目を落とした。
「種子の内部構造に関するデータは、研究途上のものとして開示対象から外します。解釈のついていないデータは誤解を生むだけだ」
シルフィが即座に尋ねた。
「隠してるって取られない?」
「種子の出力データは見せます。安定動作の証拠はある。内部構造の変化は運用に影響していない以上、査察の範囲外です」
線引きは明確にした。だが、完全透明を旨としながら一部を伏せる——その矛盾への不快感が、胸の底に残った。
* * *
三日後。査察官は一人でやってきた。
中年の男で、名はヴェルナー。眼鏡の奥の目は冷たく、口元は引き結ばれていた。腰の分析用携帯器具は使い込まれ、背中の革鞄には記録用紙が隙間なく詰まっている。事務的な空気が、彼の周囲を覆っていた。
「魔法ギルド薬草取締部会所属、ヴェルナーです。本日は規約に基づく施設査察を行います。全施設への立ち入りと、全資料の提出を求めます。拒否は処分対象となります」
前置きも世間話もなかった。俺は温室に案内した。
ヴェルナーは温室内を一瞥し、無言で携帯器具を取り出した。共鳴回路の非対称配置に目を留めたが、質問はしなかった。情報を集めるだけ集めて、判断は後で下す——そういう姿勢が読み取れた。
壁面の遮蔽板を指で叩き、天井のディフューザーの散布口を覗き込み、基板の接続部を一つ一つ確認する。機械的な動きだった。
フィオナが横から説明を試みた。
「この回路は不均一場での共鳴伝播モデルに基づく——」
「計測値で確認します」
ヴェルナーはフィオナの言葉を遮り、自分の計測器を基板に当てた。フィオナの顔が一瞬強張ったが、口を閉じた。
* * *
査察は三時間に及んだ。
俺はヴェルナーの求めに応じて、すべてのデータを提示した。温室内の環境制御ログ——温度、湿度、魔力密度の二十四時間記録。銀閃草と星月花の成分分析結果。栽培プロトコルの全工程。品質証明書の発行基準と検証手順。隠すものは何もない。あるのは数字だけだ。
ヴェルナーは一つ一つを自分の計測器で照合し、記録帳に書き写していた。特に成分分析で手が止まった。銀閃草のアルカロイド含有率を三度計測し直した。
三度目の計測結果を確認した後、ヴェルナーの動きが変わった。記録帳に書き込むペンの速度が落ち、計測器を持つ手が一瞬止まる。
「……成分純度が、ギルド認可品の一・四倍」
独り言のように呟いた。
「残薬率は認可基準の五分の一以下。不純物に至っては検出限界以下」
眼鏡を外し、計測器の読み取り面を布で拭いた。もう一度計測した。数値は変わらなかった。
「これだけの品質を、辺境の個人農園で出しているのか」
ヴェルナーの声から、事務的な冷たさが消えていた。
「データは嘘をつきません。ご自身の計測器で確認されたはずです」
ヴェルナーはペンを置いた。長い沈黙の後、眼鏡をかけ直した。
「……正直に申し上げます。品質に関しては、何の問題もありません。むしろ、ギルドの認可品より優れている。私個人としては、これが市場に出ることに異論はない」
「しかし」
「しかし、ギルドの認可を受けていない施設で生産された加工品は、規約上、流通が認められません。これは品質の問題ではなく、制度の問題です」
「品質が上回っているのに、制度が妨げる」
俺の声は平坦だったが、記録帳を握る指先に、これまでにない力がこもっていた。ミシリ、と皮の表紙が軋む。正しいものを作り、その正しさを数値で積み上げても、権威の引いた一本の線がすべてを拒絶する。不合理だ。腹の底で熱い塊が膨らむのを感じる。
だが、ここで怒りをあふれさせれば、これまで積み上げた論理ごとすべてが崩れる。俺は数秒かけて深く息を吐き、指から力を抜いた。
「——そういうことですか」
「……そういうことです」
ヴェルナーの声に、苦さがあった。
* * *
ヴェルナーが帰り支度をしていた時だった。
温室の出口で、彼は足を止めた。背を向けたまま、小さな声で言った。
「——ギルドの品質基準は、三年前に改定されました。改定の際に、一部の基準値が意図的に緩和されています。表向きは『流通量の確保のため』とされていますが、実態は……特定の大手商会の粗悪品を通すためです」
俺は黙って聞いていた。
「改定前の旧基準であれば、あなたの銀閃草は最上位の評価を受けます。現行基準が恣意的に操作されている証拠は、基準改定議事録の中にある。議事録は公開文書です。ギルドの閲覧室で誰でも見られます」
ヴェルナーは振り返らなかった。
「……これは査察報告書には記載しません。私個人の、独り言です」
馬車の車輪が砂利を踏む音が遠ざかっていった。
俺は記録帳を開いた。今の情報を、一言も漏らさず書き留めた。
品質基準の恣意的な改定。旧基準と現行基準の差異。改定議事録が公開文書であるという事実。閲覧室の場所。
以前、成分分析で暴いたギルド認可品との品質差——あのデータに、今、決定的なピースが加わった。ギルドの基準がなぜ矛盾しているのか。なぜ粗悪品が認可を通るのか。その構造的な理由が判明した。
基準そのものが、特定の利害関係者のために歪められている。
今すぐ使う情報ではない。だが、いつか必要になる時が来る。その時のために、データは完全な形で保存しておく。
権威による圧力は続きますが、データと誠実さは味方を作ります。
査察官が残した一言の意味が明かされるのは、もう少し先の話。




