第14話 環境パラメータ制御の壁とリソース不足
設計図は完成した。けれど、それを形にするには——手が足りません。
論理で解ける問題と、人力でしか解けない問題。
その境界を、今回は思い知らされます。
工房の壁に、一枚の設計図が貼られていた。
星月花栽培用・環境制御型閉鎖温室。
俺が三日三晩かけて引いたものだ。
温度制御には、魔力グリッドから分岐させた熱交換回路を使う。外壁は二重構造で断熱し、内側の循環回路に温水を流すことで室温を一定に保つ。
湿度管理には、半透膜フィルターを組み込んだ空気循環装置。吸排気の比率を自動調節する弁構造が鍵だ。魔力密度の安定化には、種子からの出力を均等に分散させるディフューザー構造を天井部に設置する。
すべてのパラメータを連動制御するために、中央制御盤から各セクションへ指令を出す伝達回路が必要になる。
星月花さえ栽培できれば、ギルドが支配する銀閃草の市場からは完全に脱却できる。銀閃草の五倍の単価。しかも安定供給元がほぼ存在しない希少種。この温室は、俺たちの未来をかけた設備だ。
設計思想としては完成している。
問題は、実装だった。
「この伝達回路のコア部分なんですが——」
俺は作業台の上に並べた素材を見下ろした。
雲母板、銅線、魔力伝導性の高い鉱石の粉末。材料は揃っている。しかし、回路の配線パターンは極めて複雑だ。ミリメートル単位の精度で導線を配置し、各交点に魔力伝導粉を正確に塗布しなければ、回路は正常に動作しない。
試しに一つ作ってみた。導線を切り出し、ピンセットで配置し、粉末を筆先で塗布する。集中力を極限まで絞り込んで四時間。ようやく一枚が完成したが、品質検査をかけると伝導率が設計値の八七パーセントしか出ていなかった。
許容範囲内ではあるが、理想からは遠い。
「リシア、この配線パターン、見本通りに再現できる?」
リシアが設計図を食い入るように見つめ、小さく頷いた。
「やってみます」
彼女の手先は正確だ。しかし、これは単純な反復作業ではない。一枚の回路基板を組み上げるのに、俺でも約四時間かかる。温室全体に必要な基板は十二枚。つまり、回路だけで四十八時間——丸二日分の工数だ。それに加えて、筐体の木材加工、断熱材の裁断と貼り付け、配管接続、安全弁の設置、そして全体の組み上げとテスト。
* * *
昼過ぎ、マーガレットが定期訪問で到着した。
今日は朗報を持っている、と彼女の表情が物語っていた。
「カイ、いいニュースよ。東街道の診療所から、試験注文が入ったわ」
「試験注文?」
「銀閃草のドライハーブ五束。量は少ないけど、品質証明書つきでの試験的な直接取引よ。主任が個人の裁量で発注してくれたの。『ギルドの通達は正規ルートの話であって、診療所が研究目的で個別に素材を調達することまでは規制していない』って、通達の文言を精査して抜け道を見つけてくれたの」
小さいが、確実な一歩だ。直販ルートの実績ができれば、他の独立系診療所にも横展開する余地がある。
「売上は銀貨三枚。焼け石に水かもしれないけど、道は開けたわ」
「十分です。実績というデータが一つできた。これが次の交渉材料になる」
俺はシルフィに帳簿への記帳を指示した。
三枚の銀貨。備蓄は三十九枚になった。出費は止まらないが、収入がゼロではなくなった。その事実には、数字以上の意味がある。
* * *
夕方。
俺とリシアは試作品——温室の十分の一スケールの模型——の組み立てに取り組んでいた。
小さな木枠に断熱材を貼り、ミニチュアの配管を通し、先ほど完成させた回路基板を模型サイズに縮小して接続する。リシアが木枠の加工を担当し、俺が回路の接続を行う。
リシアの手は正確だが、魔導回路の理論を理解しているわけではない。導線の配置は俺が逐一指示し、リシアがその通りに手を動かす。連携は取れているが、一工程ごとに俺の指示待ちが発生するため、作業効率は俺一人で作業する場合の一・三倍にしかならない。二人いるのに、実質的な生産性は一・三人分。これでは人員増には程遠い。
シルフィが帳簿から顔を上げ、冷静な声で言った。
「工数の試算、出たわよ。現在のペースだと、本体の完成まで——最短で六ヶ月。部品調達の遅延リスクを加味すると八ヶ月」
六ヶ月。資金は三ヶ月で尽きる。直販ルートが軌道に乗っても、それだけでは温室建設の資金を回収できない。
「並列化できないのが痛い。回路の配線は俺が監督しないとリシアだけでは動けない。筐体の組み立ても俺がやるしかない。ボトルネックは明確です——俺の作業時間が足りない」
「つまり、もう一人いれば、ってこと?」
「正確には、魔導装置の基礎理論を理解していて、設計図を見て自律的に作業できる人材が必要です。単純な労働力ではなく、自分で判断して動ける技術者が。そうすれば作業を完全に並列化でき、工期は三分の一以下に短縮できる」
しかし、そんな人材が辺境で見つかるだろうか。魔導具の専門家は王都の学会か、大手商会の研究室に所属しているのが普通だ。辺境の無名農園に来てくれる技術者など——
そう考えていた時、マーガレットが荷馬車に乗り込みながら、ふと思い出したように言った。
「そういえば——あんたの条件に合うかわからないけど、面白い話を聞いたのよ」
「話?」
「近くのノルデン町で、学会から追放された魔導具技術者が路頭に迷ってるらしいの。なんでも、理論は天才的だけど、研究テーマが抽象的すぎて実用性がないって上からの評価で、研究室を追い出されたって。今は宿代すら払えなくて、酒場で日雇いの皿洗いをしてるとか」
理論偏重で追放。実用性がないという評価。
俺は、かつて自分が「無能」と呼ばれてギルドを追われた日のことを思い出した。鑑定士としては確かに二流だった。だが、土壌分析に応用した瞬間、俺のスキルは唯一無二の武器になった。
能力がないのではない。能力を活かす場所がなかっただけだ。
もしその研究者も同じ境遇なら——理論を実装に落とし込む「実験の場」を、この農園で俺が提供できるかもしれない。
「……その技術者の名前、わかりますか」
「調べてくるわ。期待しないでよ? 噂だけかもしれないんだから」
マーガレットの馬車が夕闇に消えた後、俺はしばらくその方向を見つめていた。
もし彼が、あの設計図を見て自律的に動ける人材だとしたら——この農園は次のフェーズに進める。
お読みいただきありがとうございます。
技術の壁と人材不足に直面した第14話でした。
次回、学会から追放されたある技術者との出会いが、この農園の可能性をさらに広げます。




