第12話 締め上げられる流通路
順風満帆だった日々が、突然の嵐に襲われます。
論理が正しくても、政治が勝つことがある。
——でも、折れてしまうには、まだ早すぎるのです。
マーガレットの馬車が、通常の訪問日より三日も早く到着した。
それだけで、嫌な予感は確信に変わった。
荷台から飛び降りた彼女の顔色は蒼白で、いつもの飄々とした笑みは消え失せていた。
手には、重々しい蝋印で封じられた羊皮紙が一通。
「カイ。……最悪の知らせよ」
差し出された書状の冒頭を、俺は声に出さず読み上げた。
『王都魔法ギルド・薬草取締部会 公式通達第七三二号。辺境領より流入する未認可の魔力加工品について、効力および安全性の検証が完了するまで、当該産品の一切の流通を差し止める。違反した売買には、関与した商会に対し営業許可の一時停止処分を含む制裁を科す』
「……『未認可の魔力加工品』、ですか」
俺の銀閃草のことだ。
魔力種子による増幅を経た薬草は、従来品とは明らかに異なる成分プロファイルを持っている。それを「未認可」と呼ぶのは技術的に正確ではないが、法的な定義としてはギルド側に解釈の余地がある。彼らは品質を問題にしているのではなく、自分たちの承認プロセスを経ていないという手続き上の瑕疵を突いてきたのだ。
「ここが肝心なの。この通達、『検証完了まで』って書いてあるけど、検証の主体は薬草取締部会自身よ。つまり、彼らが終わったと言わない限り永遠に解除されない。事実上の恒久的な流通禁止」
マーガレットの声が震えていた。
商人にとって流通の差し止めは死刑宣告に等しい。しかも、この通達はカイの薬草だけでなく、それを扱う商会——つまりガイル商会にも制裁の矛先を向けている。
「マーガレット。ガイル商会としてこれに逆らえますか」
「……無理よ。うちの規模じゃ、ギルドの政治力には太刀打ちできない。あそこには王都の商務庁にも顔が利く評議員が何人もいてね、個人商会が異議を唱えても、門前払いにされるのがオチよ」
* * *
その日のうちに、事態は雪崩のように悪化した。
まず、ベルント薬房から書簡が届いた。
『誠に遺憾ながら、貴殿との取引契約を一時凍結いたします。ギルド通達に従わない場合、当薬房の営業許可が危険に晒されるため、ご理解いただきたい』
丁寧な文面だが、内容は冷淡だった。老舗の薬房でさえ、ギルドの圧力の前では保身を優先せざるを得ない。それは合理的な判断だ。責めることはできない。
次いで、東街道の診療所からも同様の通知。
こちらは主任の直筆で、末尾に小さく『状況が改善されれば、真っ先に取引を再開したい。あなたの薬草の品質は本物です』と添えられていた。個人の良心があっても、組織の論理がそれを封じ込める。
ルーメン村からの新規見積もりに至っては、返答すらなかった。
俺はシルフィと共に、テーブルの上に広げた契約書と書簡の山を見つめていた。
「全滅ね」
シルフィが沈痛な声で呟いた。帳簿を開き、ペンの先で数字を追っている。
「現在の備蓄銀貨は四十八枚。農園のランニングコスト——種子の補充、道具の修繕、三人分の食糧調達、魔力水の原材料費——月あたり約十二枚。収入がゼロになった場合、四ヶ月で完全に底をつくわ」
四ヶ月。余裕があるように聞こえるかもしれないが、農園は生産を止められない。作物は待ってくれないし、魔力グリッドの維持にも日常的なコストがかかる。売れない在庫が積み上がれば、保管場所と品質劣化の問題も出てくる。銀閃草は乾燥処理後でも、六ヶ月を超えると薬効成分の減衰が始まる。つまり、今ある在庫は売れなければ、いずれゴミになる。
「しかも、これだけじゃないの」
マーガレットが渋い顔で続けた。
「辺境の村でも噂が広がり始めてるわ。『あの森の薬草は危ない』『ギルドが禁止するくらいだから毒が入ってる』って。意図的に流されてる風説よ。……カイ、村の人たちの態度、最近変わってない?」
思い当たる節は、あった。
先日、双子石の井戸で村の農夫と顔を合わせた時、以前のような気さくな挨拶はなかった。目を合わせず、足早に去っていった。以前は世間話をしながら水を汲んでいた隣人が、今は俺の姿を見ると黙って背を向ける。
風評。
データでは反論できても、人の感情は数字では動かない。
論理的に正しいことと、社会的に受け入れられることは、同義ではない。
リシアが作業服のまま、黙って俺の隣に立っていた。
話の中身を完全に理解しているわけではないだろう。だが、農園を取り巻く空気が重くなっていること、大人たちの表情が暗いことは感じ取っているはずだ。
彼女は何も言わず、小さな手でテーブルの上の食器を片付け始めた。そのいつも通りの動作が、かえって胸を刺す。
「……カイ。あんた、怒ってないの?」
シルフィが不思議そうに俺の顔を見た。
「怒り、ですか。いえ。怒りは判断を鈍らせるノイズです。今はノイズを排除して、残されたパラメータだけに集中する段階です」
嘘ではなかった。だが、腹の底に鉛のような重さがあることは否定できない。
俺たちは何一つ間違ったことをしていない。品質は最高水準。工程は完全に記録済み。誰一人傷つけていない。
それでも、政治という力学が、正しさごと踏み潰そうとしている。
* * *
深夜。
シルフィとリシアが寝静まった後、俺は作業台の灯りだけをつけて記録帳を開いた。
目の前には、売れなくなった銀閃草の在庫が整然と積まれている。品質Sのドライハーブ。市場が正常に機能していれば、銀貨百枚以上の価値があるはずの資産。今は、ただの重荷だ。
蝋燭の灯りに照らされた銀色の葉が、皮肉なほど美しく輝いている。
四ヶ月。
その間に状況を打開できなければ、この農園は終わる。
シルフィもリシアも、行き場を失う。
だが——打つ手がないわけではない。
ただ、そのためにはこちらの土俵に引きずり込む必要がある。
感情の土俵では勝てない。政治力の土俵でも無理だ。なら、俺の土俵——データと数値の世界に引きずり込む。
俺はペンを取り、白紙のページに文字を書き始めた。
『反証計画。第一:成分の純度比較データの作成。ギルド規格品と当園産品の定量分析による客観的比較。第二:ギルド規格書そのものの論理的矛盾の洗い出し——彼らの基準値は恣意的に設定されている可能性が高い。第三:ギルドを経由しない独自の品質証明と流通ルートの設計』
書き終えた文字列を眺め、俺はペンを置いた。
感情では勝てない。政治力でも勝てない。
ならば、データで勝つ。
こちらの土俵に引きずり込むための準備を、今夜から始める。
お読みいただきありがとうございます。
利権の壁に阻まれ、窮地に立たされた第12話でした。
しかし、カイはまだ折れていません。次回、データと論理を武器にした反撃が始まります。




