第1話 追放と合理的な再出発
追放からの再出発。感情ではなく、条件整理から始めます。
目の前のカウンターに置かれたのは、一枚の「解雇通知書」だ。
羊皮紙の質感は硬く、記された文字には一切の慈悲がない。王都ギルドの紋章が、引導を渡すようにその中央で輝いていた。
「……以上が、ギルド運営理事会の決定です。レン・アシュトンさん。あなたの貢献度は、直近半年間で規定値を下回りました。残念ですが、本日をもって除名となります」
受付嬢の声に、俺は小さく頷いた。
アシュトン家の三男。
それが俺に付随する、最初の、そして唯一の属性であった。武門の家系に生まれながら、魔力も剣才も平均以下。発現したスキルは「解析」と「等価交換」の二つだが、どちらも「対象に直接触れなければ発動しない」という致命的な制約を抱えていた。「解析」は敵に直接触れなければならず、「等価交換」は武器の届かない範囲に干渉できない。
それらは戦場において「死にスキル」と同義だった。
貴族の籍からはとうに外されている。ギルドを追われれば、この王都に俺の居場所はない。
「分かりました。手続きをお願いします」
俺の声は、自分でも驚くほど平坦だった。
怒りや悲しみといった感情は、合理的ではない。ギルドは利益を追求する組織であり、生産性の低い人員を排除するのは当然の判断だ。俺の能力が組織の要求水準に達していないという事実は、客観的事実として受け入れるほかになかった。
俺は首から下げていた鉄製のプレートを外し、カウンターの上に置いた。
「ギルド証の返却です。これで、すべての手続きは完了ですね」
受付嬢は一瞬、戸惑ったような表情を見せた。もっと縋り付くか、あるいは激昂されると予想していたのだろう。だが、俺はただ淡々と、自らの「無能」という社会的評価を受け入れた。
アシュトン家の面汚しとして実家を追い出され、今度はギルドからも不要と言い渡された。
現在の俺の価値は、王都の経済圏において「不要」というカテゴリーに分類されている。その事実を整理するだけで、感情が揺れ動く余地はなかった。
「お預かりします。……その、これからの予定などは?」
「北の辺境へ向かいます。以前、開拓支援の募集が出ていたはずです」
「拒絶の森」と呼ばれる北の未開地。
魔物の脅威があり、土地も痩せ細っているとされるその場所ならば、誰にも邪魔されずに住み着くことができるだろう。
俺は「解雇通知書」を丁寧に折り畳み、懐にしまった。
俺は一度も振り返ることなく、二十年間という時間を物理的な距離を持って背後へと切り離した。
王都の物価指数と残余資産を照合した結果、滞在を続ければ三日後には活動限界を迎える。辺境『拒絶の森』への移動は、長期的な生存確率を最大化するための唯一の合理的選択肢だった。
北の大門へ向かい、街道沿いに停車していた物資搬送用の馬車の御者へ、銀貨数枚を提示して交渉を持ちかける。
「乗せていってください。北の『拒絶の森』の手前まででいいです」
「構わねえが、あんな物騒な場所へ一人でかい?」
「仕事の予定があります」
荷台の麻袋の隙間に身を沈め、馬車に揺られること数時間。周囲の景色は荒涼とした原野へと変わり、体感温度が三度ほど低下した。前方の地平に、侵入者を拒むような濃緑の針葉樹林――『拒絶の森』が姿を現す。
「……着いたぞ。これ以上は馬が嫌がって進まねえ。あんた、死ぬなよ」
御者の警告に、俺は軽く顎を引いて応えた。
荷台から飛び降りた瞬間、足裏に伝わったのは、王都よりも遥かに硬く、凍てつくような冷気を含んだ大地の感触だった。
耳の奥が痛くなるような静寂の中、俺は深く息を吸い込み、冷気をデータとして受容した。
周囲の照度は王都の三割以下。地表温度は推測五度。今夜は氷点下まで下落するだろう。優先順位第一位は、体温を維持できる遮蔽物の確保だ。
俺は近くの岩肌に触れた。冷たく、湿った感触。この岩陰を一次拠点として設定する。次に必要なのは、生存戦略を立てるための最小単位の情報だ。
俺はゆっくりと膝を突き、冷え切った大地に掌を密着させた。
指先から伝わる凍てついた表土の硬さと、その下の湿った腐葉土の粘り気。脳内で「解析」の術式を励起させる。
「解析」
視界の端に、無機質な数値が展開される。
【解析対象:土壌(表層および心土)】
【pH値:4.8(強酸性)】
【窒素(N):0.12% / 100g】
【リン(P):0.04% / 100g】
【カリウム(K):0.07% / 100g】
【水分含有率:42%】
「……だが森は育っています。
つまり、この土は“どこでも一様に4.8”じゃない。根の周りには別の化学がある。菌根か、落ち葉層か——。」
予想通りの劣悪な数値だが、不毛ではない。最適化されていないだけだ。
この数値を、生存に必要な基準値まで引き上げる。それが、この地における最初の生存戦略となる。
立ち上がり、膝についた泥を払う。
ギルドやアシュトン家が求めたのは「破壊」のための道具だったが、俺が持っているのは「構築」と「管理」のための精密機器だ。そのミスマッチが追放という結果を招いたに過ぎない。
背嚢から取り出したのは、頑丈な木柄に分厚い鉄の刃が装着された手鍬だった。
「……まずは、物理的な介入からです」
鍬の柄を握りしめると、樫の木の質感が手のひらに伝わる。
表層の凍結層は三センチ。その下の粘土質は、この鍬であれば一打で十五センチの深さまで到達可能だ。酸素を供給し、微生物の活動領域を確保する。
俺は重心を落とし、鍬を高く振り上げた。
追放という事実も、無能という評価も、これから振り下ろす一撃には何の影響も与えない。
俺は鋭く息を吐き出し、迷いなくその刃を不毛の土壌へと叩きつけた。
次回、拒絶の森で“生存戦略”の構築に入ります。




