表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

残火、そこに咲くのは 〜夭折した王は空に憧れた〜

作者: 江川オルカ
掲載日:2025/12/04

 蝋燭の光があやしく揺らめいている。

 磨き上げられた石床を照らし、その上に敷かれた紅蓮の絨毯が玉座から階段をなぞって下へと続いている。

 そこに位置する人々は、同じ衣をまとい地に伏している。

 そして、更に向こう側には広大な景色が広がる入り口。もとよりこの場所は高所に位置するため、景色はほんの少し見える程度で殆どが空だ。


 外の風を巻き込み、また蝋燭の火が揺らめいた。


 自由な空。運ぶ風はおそらく若草の香りがするのだろうが、高価な香の匂いが立ち込めていて感じることはできない。

 

 何も感じないのだ。玉座の上では……。

 

 人々は王という存在に憧れを抱くだろう。

 誰もが己に平伏し、思いのままだと。

 だが、真の姿はあまりにも滑稽だ。冕冠べんかんが乗せられ、頭を振ることすら自分の思い通りにはならない。起きている時も眠っているときも、常に誰かに見張られ、水一つのむこともままならない。


 玉座にあるのは孤独だけ。俺という個に意味はない。



「陛下」


 小憎たらしい声が俺を呼ぶ。俺は溜息交じりでそちらに視線を向けた。

 静寂の中に冕板べんばんから垂直に垂れるりゅうだけが無機質に鳴る。頭一つ動かすだけでその煩わしさときたら……いや。この話はここまでにしよう。

 王である俺が視線を向けるだけで他の者は身を固めるというのに、呼んだ本人は淡々とした顔でこうべを垂れていた。宗義そうぎ。この男だけはどうにもつかめない。


「他に何かございますか? なければ……」

「あ? あぁ」


 俺の返事を聞くと宗義は儀礼めいた動作で頭を下げ、下の者たちに向き直った。


「退朝!」


 細身の身体のどこから出るのか、冷たくも整った顔からは想像できない雄々しい声を張り上げ、宗義は朝の議をしめた。

 俺は奴の合図に従い、玉座から立ち上がった。玉階を下り、決まった道を歩き、朝堂から内廷へ戻った。


「陛下」


 また同じ声が呼ぶ。俺はゆったりした所作で振り向いた。


「このような仕事は侍従か典司にお任せしては」

「どんな仕事だ?」

「私も朝堂にいた者と同じ。陛下のお言葉を代弁する立場にはありません」


 奴は王の言葉を代弁する、名誉な仕事すら放棄したがる。

 ジャラジャラとした玉を手で避け、なるたけ強い眼光で睨んでやった。宗義は目が合いそうになると肩をひくりと動かし、自然な形で頭を下げた。

 自ら言ったくせに、何とも仰々しい。俺の口からは自然と舌打ちが漏れる。


「アイツらは嫌いだ。嘘ばかりを吹聴し、仲違いをさせることだけを生き甲斐にするクズだ」

「……」

「その点、お前は小細工などはせん。あるがまま、俺の言葉を届ける」


 またヒクっと肩が動いた。宗義は口角を歪に歪めて……。


「当然でしょう」


 そう答えた。


 内廷に戻ると、俺は椅子に腰掛けた。

 本来ならばこの部屋にも世話をする者の一人や二人を置くべきだろうが、宗義以外必要ないと誰も入れていない。


 宗義は静かに戸を閉めると向き直った。俺は顎をしゃくりあげ、促す。意図を汲み取った宗義は、ふと口元を緩め、俺の前に立つとそっと顎に触れた。透き通る肌と同じ温度の指先が触れ、俺は僅か身を震わせた。

 しゅるっと紐が解ける音を耳と肌で感じる。簪が抜かれ、重たい冕冠が頭の上から外される。やっと自分だけの身体になったことに安堵し、自然と息が漏れた。首を押さえ、頭を右左に傾けコリをほぐすと、冕冠を丁寧に片付ける宗義を見やった。


 奴は俺より十歳も年上だ。妻も子もいるというのに、老け込むこともなく、瑞々しい。つい年の差を忘れてしまうこともままある。

 朝堂にいた者と同じ官服を着ているというのに、奴だけはどこか不可侵な空気がある。


 皆とは違う。俺だけが、奴を侵せる。


「陛下、本日のご予定ですが……」


 俺の夢想はいつも奴に壊される。お前を思っていたと言うのに……。

 俺は眉間に皺を寄せ、わざとらしく大きな溜息を吐いて椅子にもたれかかった。


「休む」


 人形のように張り付いた宗義の表情が僅か歪む。


「それは……」


 漏れた声に、俺はフンと鼻を鳴らして笑った。


「城下に行く」

「またですか?」

「護衛はいらん。お前がついてこい」

「そういうわけには……」

「くだらん奏書を読むのは夜でもできる。しかし、街の様子は日が昇っているときしか出来まい」


 言い訳だが、我ながらよくできている。


 宗義は口を真一文字に結び、視線を右へ左へと何度か動かし、やがて観念したのか、流れるように頭を下げた。


「かしこまりました。では準備をしてまいります」

「あぁ」

「失礼いたします」


 宗義はもう一度仰々しく頭を下げ、去っていった。


 やることもない俺は机の上に山積みになっている書簡に手を伸ばした。くるくると巻かれたそれを地に下ろすように広げて流し見る。


「……」


 つまらない。

 この国を良くするための施策ならば俺はいくらでも考えたい。だが、ここにあるほとんどは己が地位を上げるための施策ばかり。酷い時は、何の策もない。灯火が揺れるたび、影も同じように揺らめく。まるでこの国の行く末のようだ。


 先代である父が亡くなって、早二年。

 父は威厳のある男だった。賢くもあり、武にも優れていた。この国を建国した始でもあり、皆が喜んで平伏した。

 父が亡くなった後、本来ならば俺より七つ上の兄が王になっていたはずだ。それを、くだらぬ諍いで殺したのはお前らだろうと言ってやりたい。齢二十二の若造である俺が信用たる男ではないと言うならば、何故、兄を憚ったか。何もわからぬであろうと思った俺を担ぎ上げ、権力を意のままにすることが本意だったのだろう。……くだらない。


 手に持った書簡を転がし、巻きなおすことなく捨てるように机上に投げた。

 俺は目を閉じ、宗義を待つことにした。手摺りに身体を預け、やがて深い眠りに落ちていた。




 パタパタと足音が聞こえる。重たい瞼を押し上げ、現実に戻ると俺の前には平服姿の宗義が立っていた。官服とは違う、鳶色の衣。赤みを含んだ焦げ茶色のそれは目立とうとしない宗義にはぴったりだが、内からの輝きを消せていない。

 手には俺用の服だろうか。白群びゃくぐんの色をした着物が抱えられていた。


「おでかけになるでしょう?」

「ん……、行く」

 

 手摺に手を乗せゆっくりと起き上がると、宗義は服を抱えたまま俺を抱き起こした。

 その時、ふわっと甘くそれでいてツンとした爽やかな匂いが俺の鼻腔をくすぐった。宗義がいつも纏っている香。ざわついた俺の胸を落ち着かせる、形容しがたい温かなそれ――俺はこの匂いが大好きだった。


「陛下?」


 無意識に匂いを嗅いで動きが止まってしまっていた俺に、宗義は笑みを浮かべて首を傾げた。官服を着ている時には結い上げられていた長い髪が、今は下の方に結われ肩口から垂れている。――匂いが濃くなったのはこれのせいだ。


「……何でもない」


 俺の返答に、宗義は何も言わず着替えの準備を始めた。

 奴のこういうところが大嫌いだ。俺の気持ちを知ってか知らずか、……いや、知らぬのだろうな。俺が宗義に特別な感情を抱いていることを。


 俺は立ち上がり両手を広げた。宗義は俺の肩に手を添え、襟元を掴んで滑らせるように俺の衣を剥いでいった。俺は手を少しだけ後ろに向け、脱がせやすいようにした。

 王の衣が取られ、平服に袖を通す。平服といっても上品な布であることに変わりなく、着心地は王の衣と変わらない。違うところといえば無駄な重さがないことくらいか。


「幼き頃は、兄上がよく外へ連れ出してくれた」

「そのお話は何度も聞きましたよ」

「侍従たちの慌てようは今でも瞼に焼き付いている。父は笑っていたが、なんとも……遠いな」


 襟を直していた宗義の手が一瞬だけ止まった。俺がそちらに視線を向けようとしたところで、宗義の止まっていた手が移動し、帯をきゅっと締め、俺の身なりを整えた。


「いかがでしょう?」


 戸惑いはなかったかのように問われ、俺も大人しく答えた。


「いいな」

「ありがとうございます」

「これで俺も民に見えるのだから、不思議なものよ」

「少なくとも国王とは思われていないでしょう。ただ……民といってもどこかの士族くらいには見られているとは思いますが……」


 そう言いながら俺の頭に藁で編んだ浅めの円錐型の傘をかぶせてきた。一見では俺の顔を認識できないようにとの配慮だろうが、これでは空が見えないため俺は少しだけ眉を顰めた。


「何か?」


 目ざとく俺の表情の変化を読み取った宗義に、俺は首を横に振って否定した。


「何でもない」

「それでは参りましょうか」


 宗義が手のひらを返して先を促す。俺はこくっと小さく頷いて内廷を後にした。




 お忍びで出かけるため、正門からは出ない。侍者が使う裏戸から城の外へ出て、裏門を通る。先に宗義が門番に賄賂を渡していたのだろう。笠を被った姿の俺を見ても、門番は何の疑問を持つことなく外界へ通した。


 久しぶりの城下町は楽しかった。

 前王であった父が敷いた法は広まり、民たちは不当な扱いを受けることが減ったという。必要十分な食料を得、商人たちの利益も欠かさず、また士族たちの怒りも買わぬよう俺が更に整えた。皆が満足いっているとは言わない。ただ、父が治める以前に戻りたいと思う者はおそらくいないだろう。


阿昂あこうさま」


 宗義がごく自然に俺の幼名を呼んだ。家族のいない今、許しなく俺の名を呼べるのは、この男だけだ。前を歩いていた俺は足を止め、笠を僅か持ち上げ男の顔を窺った。


「なんだ?」

「少しお茶をしませんか?」


 思いもよらぬ提案に、俺は目を見開き、すぐに細めて首を傾げた。


「なんだ。そんなにいい店があるのか?」


 宗義はいつもとは違う、どこか幼さを含んだ笑みを浮かべ、目先にあるごく普通の茶屋を指さした。


「あすこの甘味は絶品ですよ」


 武器を握らない、筆のみを持つ賢人の指が、俺を導く。


「城のものよりもか?」


 心なしか、俺の声は期待から上ずっていた。


「それは召し上がっていただかなければ、ねぇ」


 ずるい言いまわしだ。宗義らしい。

 その意地の悪い返答に答えるように、俺も口角を歪めて笑った。


「興味深い」


 宗義もまた、ニヤリと笑って店の方へ足を進めた。




 何の変哲もない茶屋だというのに、出された甘味は宗義の言った通り美味だった。

 器の中には、蜜水に浸された色とりどりの干し果実がいくつも転がっていた。

 とろりとした蜜は甘く、果実は噛み応えがあり空腹を満たしていく。そして、身体の内が冷えぬようにとの配慮だろう。白湯まで美味しく感じた。


「美味しい」


 心から出たその言葉に自分で感動した。傍で微笑む愛しい人は変わらず仰々しく頭を下げ「お口にあって何よりです」と言う。

 

 俺たちに先はない。恋人は愚か、友人にさえなれない。互いに妻と子を持ち、世継ぎを育てる役目がある。王である俺と臣下である男。立場が、性が、全てが阻む。それでも時折、二人で出かけることが楽しかった。この時だけは俺は奴のために存在し、この男もまた俺だけのものだった。


 このままでよかったのだ。




 王位を継いで五年。俺の身体は不治の病に侵されることになる。

 臣下は勿論、侍従も泣いていた。

 何故、どうして、我が王は、我が国はこれからどうすれば良いのだ、と。継ぐべき俺の子はまだ五歳になったばかりで王になったとしても治世など出来ようはずもない。この国は終わりだ。隣国に攻められ消えていく。皆が憂う。

 王として生きているうちにしなければならないことが山とある。一つでも多く問題を解決し、少しでも時を長らえさせなければ……。


「失礼します。陛下」


 そのような中、憂いの一つも帯びない澄んだ声が聞こえた。俺は寝台に横たわったまま「入れ」と命じた。声の主人は部屋に入ると一礼して俺の前に跪いた。手にはたくさんの書簡が抱えられている。


「奏書でございます」

「見たくない。どうせ次王の摂政は己だとか、法に署名しろとか、身勝手な願いばかりであろう」

「……」

「見たくない」


 不自由な身体を無理やり動かして、俺は宗義に背を向けるように寝返りを打った。

 寝台に横たわる俺の頭に王の冠はない。養生するための白い寝巻きを着せられ、咽せ返るほどの消毒薬の匂いが立ち込めている。ここはまこと、王のいる場所だろうか。


 綺麗に仕立て上げられた枕に顔を埋める。

 あとどれくらい正気でいられるのか。狂ってしまったら、意識が朦朧としてしまったら、欲深い者たちは俺に何をさせるのだろう。

 底知れぬ恐怖で身体が勝手に震える。この男、俺の愛した者でさえ欲に囚われ、もしかしたら俺をいいように使うかもしれない。――そんなことがあるはずもないのに、病は思考すら蝕んでいく。


「阿昴さま」


 書簡がバラバラと床に落ちる音。そして、俺の名を呼ぶ声が同時に耳に届いた。いつものツンとした声色は何処へやら、鼻にかかったようなくぐもった声を発し、宗義は断りなく俺の寝台に近付き、俺の背を撫で始めた。


「二十五歳。まだまだでしょう」


 そう思っているのは、むしろ俺の方だ。奇しくも兄が死んだ年と同じ。

 命とはいえ、自ら毒酒を届けた不孝を天が咎めている――そんな気さえした。


「私は、あなたのためにここまでのし上がった。あなたを王たらんとするため、私は……」


 宗義は今、どのような顔をしているのだろう。振り返ればわかるのに、そうしなかった。

 見ることが出来なかった。だって、ここで目が合えばきっと俺は、王ではなく、一人の人間として許されない壁を越えてしまいそうになったからだ。

 答えない俺に、宗義はフンと冷たく笑った。


「あなたはいつも狡い」

「何?」


 俺が返事したことが余程嬉しかったのか、宗義はいつもとは違う感情から溢れるまま言葉を紡いでいった。


「あなたは先に自由になるのでしょう。くだらないしがらみだらけのうつつから」


 考えたこともなかった。誰もが恐れる死を自由だと? ……ふざけるな。未来があるからそんなことを言える。まるで詩を読むように美辞麗句を朗々と並べおって――。


 言い返そうと口を開いた。が、ふと喉に何かが引っかかり、思わず咳き込む。喉の奥、いや胸の奥から赤黒い血が溢れ、純白の枕を濡らしていった。

 気配が動く。宗義は息を吸い、声を張り上げた。


「誰か、誰かおらぬ……」


 なけなしの力を振り絞って振り向き、俺は宗義の手を掴んだ。呼ばなくていい。その意味を持って。

 宗義は俺の顔を見てギョッとしたがすぐに目を伏せ、唇を噛んだ。俺の姿は見ていられないほど見苦しいらしい。何とも残酷だ。


「……いらぬ」

「しかし――」

「神医だろうと治せぬ。薬師も、誰も彼も……。俺は、……っ」


 吐きたくもない血がまた口から噴き出す。

 宗義は空いている手を俺の肩に回して支えた。


「わかりました。えぇ、もうお話にならないで」


 そうして、俺の頭を抱えるように強く抱きしめた。血濡れた服、顔、髪。お前の官服が汚れてしまうぞ、と言おうと口を開いた瞬間、額に柔らかいものが触れた。


「一緒に逝きたいなどと申せば、お怒りになるのでしょう?」


 俺の答えを聞かず、宗義は震える声で笑った。


「共に逝けぬこと、お赦しください。私は陛下がつくりたかった世を叶えてから参ります」


 奴らしい回答に俺は鼻白んだ。結局は、奴も俺ではなく国を選んだのだ。死にたいならば死ねばいい。俺と共にあの世へ向かうことを望めばいいのに。


 俺の口から熱い溜息が漏れる。

 ぽたぽたと頬に温かな雫が俺の頬を滑っていく。宗義の涙。


「阿昴さま、阿昴さま……」


 獣が懐くように俺の頭に頬を擦り寄せる。甘えるようなそれでいて愛しむような、甘い行為。口付けすらしなかった俺の淡い恋はこの日から数日で幕を閉じる。


end....



本作は、ひとつの仮想王国を舞台にした短編集。その第二弾としてお届けしました。

全五編を予定しています。

群像劇としても楽しめる作品になっておりますが、オムニバスとして独立しております。


一編 老いた忠臣は命の際にて王と会う

https://ncode.syosetu.com/n2691lg/


個々の主人公たちが、どこかで交差し、互いに影響を与えていきます。


主従、親と子、兄と弟といった人間関係が、時として忠義や誇りをどう揺るがすのか。


次作も是非楽しみにしていただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ