第九話
ユリウスは川縁から大きめの石をいくつか拾ってくると、あっという間に簡単なかまどを作った。つづけてかまどに薪を入れ、丸めた新聞紙にマッチで火をつける。
「手慣れてるね」
「旅先で作るので」
「なるほど、吸血鬼退治の旅」
火がついたのを確認すると、ユリウスは大荷物の中から卵を取り出した。彼がボウルの上で白身と黄身を器用に分けるところを、アリスはきょとんとしてながめた。白身が入ったボウルをぐるぐるとかき混ぜて、泡立てている。
「何してんの?」
「メレンゲを作っているんですよ」
「へぇ」
アリスは母がパンケーキを作る姿を思い出してみるが、そんな作り方はしていなかった気がする。ユリウスがどんなパンケーキを作るのか想像もつかず、アリスは子供のようにユリウスの一挙一動を見守った。
卵の黄身と小麦粉、砂糖、牛乳、ふくらし粉を混ぜたものに、さっくりとメレンゲを混ぜる。ユリウスはあたためたフライパンの上に生地を乗せ、ふたをした。
「めちゃくちゃかき混ぜてたじゃん。それでふわっふわになるの?」
「できあがりをお楽しみに」
ユリウスがにこにこと笑う。甘く優しい香りが漂ってきて、アリスのお腹がぐうと鳴ったころ、ユリウスがフライパンのふたを開けた。
ひっくり返して少し焼き目をつけ、皿に乗せる。手慣れている。
「ユリウス君は、料理の方が向いてるんじゃ?」
「そんなこと言わないでくださいよ。旅先でいろんな作り方を見聞きするから、覚えただけです」
アリスの目の前に出てきたパンケーキが、皿の上でぷるんと揺れた。バターと蜂蜜も添えられている。
「いただきます」
パンケーキにナイフを入れると、アリスがこれまで感じたことのない、しゅわっと不思議な手応えがあった。フォークで口に運ぶ。口の中でふんわりと溶けていくパンケーキに、アリスは目を丸くした。
「めっちゃふわっふわじゃん!」
母が作ってくれたパンケーキとは違うけれど、さらにふわふわとした食感に、アリスは上機嫌になった。小さなテーブルの下で、脚が小さくぶらぶらと揺れている。
「お気に召したなら、幸いです」
ユリウスはパンケーキに舌鼓を打つアリスを、屈託のない笑みを浮かべて見守っている。
「やだ、もう食べ終わっちゃう……」
「もう一枚焼きましょうか?」
「え! いいの!?」
「吸血鬼退治の旅、忘れないでくださいね」
吸血鬼のことなどすっかり忘れていたアリスに念押しすると、ユリウスは泡立て器を構えた。
……旅の間、こんなに美味しい料理が食べられるなら、吸血鬼退治の旅も悪くないかもしれない。ふとそう考えてしまって、アリスはこっそりと、口の端ににじんできたよだれを拭った。
アリスは、食べ物に弱い。ささやかな日常の喜びを重視しすぎた結果である。